草加市
草加市(そうかし)は、埼玉県南東部にある市。人口は24万人弱で、さいたま市・川口市・所沢市・川越市・越谷市についで県下で6番目に多い。南側を東京都と接する。草加松原や草加煎餅で知られる。
そうかし ![]() 草加市 | |
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国 |
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地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村コード | 11221-6 |
法人番号 | 6000020112216 |
面積 |
27.46km2 |
総人口 |
250,470人 [編集] (推計人口、2025年9月1日) |
人口密度 | 9,121人/km2 |
隣接自治体 |
川口市、越谷市、三郷市、八潮市、吉川市 東京都足立区 |
市の木 | マツ |
市の花 | キク |
他のシンボル | - |
草加市役所 | |
市長 | 山川百合子 |
所在地 |
〒340-8550 埼玉県草加市高砂一丁目1番1号 |
外部リンク | 草加市ホームページ |
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特記事項 | 市外局番:048(市内全域・草加MA) |
ウィキプロジェクト |

概要
江戸時代、日光街道で江戸から2つ目の宿場町として栄え、その周辺部は水田地帯で稲作が盛んであった。戦後当初は5万人にも満たなかったが、高度経済成長期における松原団地の造成や、東武伊勢崎線と営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線の相互直通運転開始により人口が爆発的に増大し、急激な都市化が進行した。それに伴い近年引っ越して来た人が多いので市民の平均年齢は比較的若く、子供の数も多い。2003年には半蔵門線との相互直通運転が開始され、大手町や渋谷などといった東京の都心・副都心において乗り換えなしで行かれる地区が増えた。
中心部は、都心まで約15kmという立地にありながら宿場町の面影を残す落ち着いた雰囲気の住宅地である。現在、松原団地の建て替え、再開発や草加宿を中心とした都市計画「今様草加宿」が進められている。2000年に彩の国中核都市に指定、2004年に特例市に移行。
市勢
- 面積:27.42km²
- 人口:239,578人
- 男性:122,478人
- 女性:117,100人
- 世帯数:101,241世帯
(2007年8月1日現在)
地理
- 関東平野のほぼ中央部に位置し、市の大部分は低地である。そして綾瀬川をはじめ多くの河川が存在するために、昔から大雨などによる洪水に悩まされ続けてきた。しかしながら東京外環自動車道とともに計画された綾瀬川放水路の完成など治水事業に取り組んだ結果、大規模洪水は激減した。
- 草加駅東側は丸井、イトーヨーカドーを核として構成する、再開発ビル群である、アコスや、西友といった大型商業施設がある一方、草加宿を中心とした商店街も広がり、江戸時代の面影を残す。駅西側は閑静な住宅街が広がり、ベッドタウンとしての一面を見せる。
- 旧日光街道沿いにある「草加松原」、そして「百代橋」「矢立橋」は草加のシンボル。かつて舟運で隆盛を極めた綾瀬川、札場河岸。現在は舟着き場の石段を復元した公園として整備され、五角形の望楼のほか、この地を訪れた松尾芭蕉の像や正岡子規の句碑なども建てられている。
隣接している自治体
歴史
- 1212年頃 - 北条氏、鶴岡八幡宮に戦勝祈願のために谷古宇郷を寄進。
- 1630年 - 江戸幕府、正式に草加を伝馬宿として認める(草加は日光道中の宿場町になる)。
- 1889年 - 町村制が施行され、市域に北足立郡草加町、谷塚村、新田村、安行村、南埼玉郡川柳村、八条村ができる。
- 1940年- 谷塚村が町制を施行する。
- 1955年1月1日 - 草加町・谷塚町・新田村が合併し、草加町となる。
- 1955年8月1日 - 南埼玉郡川柳村を編入する。
- 1955年8月1日 - 旧川柳村の井原・上谷・麦塚が草加町から分離し、越谷町に編入される。
- 1956年9月28日 - 南埼玉郡八条村のうち、立野堀が編入される。
- 1958年11月1日 - 市制施行により、草加市となる。
- 2004年4月1日 - 特例市へ移行。
1968年に、越谷市大字麦塚、大字千疋のそれぞれ極僅かな地域(麦塚:小字東、新田前耕地、蔵屋敷耕地、笹塚、山城耕地の各一部、千疋:小字九升田、庄権の各一部)を編入している。その後越谷市内では麦塚は川柳町、千疋は東町と町名変更され地名が消滅してしまっているが、草加市に編入された部分の一部は、かなり狭小で無人の地区であるが地名が受け継がれている。ちなみにこの千疋とは日本橋千疋屋の由来でもある。
人口
草加市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
市長
歴代市長
初代 牛山 信吉 2代 池田 岩松 3代 黒沢 春雄 4代 鈴木 繁 5代 今井 宏 6代 小沢 博 7代 木下 博信
主な公共施設
- 谷塚サービスセンター
- 松原サービスセンター
- 新田サービスセンター
- 環境業務センター
- 勤労福祉会館
- 勤労青少年ホーム
- スポーツ健康都市記念体育館
- 市民体育館
- 市民温水プール
- 市営総合運動場
- 歴史民俗資料館
- 中央図書館
- 原町コミュニティーセンター
- 瀬崎コミュニティーセンター
- 稲荷コミュニティーセンター
- 氷川コミュニティーセンター
- 八幡コミュニティーセンター
- 柳島コミュニティーセンター
- 谷塚ふれあいセンター
出先機関
県の出先機関
経済
産業
総じて、第3次産業が中心である。しかしながら工業団地(草加・八潮工業団地)では製紙工場もあり第2次産業もある。
日本を代表する米菓であるせんべいが名産である。「草加せんべい」として全国に知られるブランドでもある。1932年に組合が組織されると組織的なPRが展開された。第二次世界大戦中は原料米の統制により一時衰退したが、戦後間もなく復興した。1970年ごろ最高の売り上げと全国的な知名度が普及し、市域に約120店舗を数えた。その後、他地区から同種の大量生産品が普及するようになり、売り上げが減少している。しかしながら、現在でも旧草加宿を中心に市域で約60店舗がある。手作り感の強い、醤油味がベースの丸い素朴な米菓である。草加市は埼玉県であるが東京みやげと扱われることも多く、同様なものとして千葉県にある東京ディズニーランドのみやげ物がある。
幕末から晒(さらし)業や浴衣(ゆかた)染めが市域南部を中心に栄えていた。浴衣染めは、かつては長板中型が行われていたが、大正期に導入された注染が主流となった。1960年頃には出荷額も最高に達したが、その後水質汚染などから規模を小さくしている。
1935年ごろから、三河島付近から皮革業者が広い土地と豊富な水資源を求めて市域中央部に進出し、それとともに同業者が集積してきた。第二次世界大戦中は一時衰退したが、朝鮮戦争を契機になめし業を中心に発展した。1970年ごろから水質・悪臭汚染でなめし業は縮小したが、製靴や鞄製造など皮革加工業が市域に広く点在する。
1958年の市制施行ごろから、市域に工場進出が目立つようになった。1963年から埼玉県が造成した草加工業団地の完成と、引き続き造成が行われた草加八潮工業団地の完成(1967年)により、60社余りの企業が進出した。また中小企業が市域に広く点在しているのも特長といえる。
かつては全市的に稲作が盛んであったが、近年は宅地化の波に押されて市域北東部の柿木町・青柳付近をのぞき、急激に耕地面積を小さくしている。
市域北部を中心にはすやくわいも収穫され、またキクを中心に花の栽培が行われるが、第1次産業は草加市においてはかなり少数で、専業農家はごく少数になる。
本社を置く企業
事業所を置く企業
文化
- 草加市民憲章(昭和63年11月1日 告示第235号)
わたくしたち草加市民は、綾瀬の流れと松原をシンボルとして、おおきな夢をはぐくんできました。 人の心をたいせつにし、自然をいかした住みよいふるさとをめざして、ここに憲章をさだめます。 わたくしたちは、
- 1 平和を愛し、文化的で、ゆたかなまちをつくります。
- 1 きまりを守り、安全で、せいけつなまちをつくります。
- 1 健康に努め、親切で、さわやかなまちをつくります。
- 草加市歌「想い出はいつも」
草加市歌として、昭和63年に、制定された。
相撲
相撲の町として知られ、草加市青少年相撲振興会の寄贈などにより、市内の全小学校に土俵が設置されている。また、追手風部屋が市内に部屋を構えている。(尾車部屋も設立当初は草加市に部屋を構えていた)
追手風直樹(元幕内大翔山)
出身は石川県穴水町だが、平成10年に草加市瀬崎874-2に部屋を起こした。 黒海(グルジア出身)大翔山(二代目)森・下田・大翔勇・大翔馬・大翔虎など有望力士が所属。
ハープ
かつて市内に上野学園大学短期大学部が立地していた関係で、ハープの町としても知られる。「国際ハープフェスティバル」や、若手ハーピストの登竜門、「日本ハープコンクール」を毎年開催している。
景観スポット
姉妹都市・提携都市
国内
海外
地域
教育
- 小学校
- 中学校
- 高等学校
- 専門学校
消防草加市消防本部・消防署
警察
健康平均年齢:40.7歳(男40.0歳、女41.4歳) [平成18年1月1日現在]
夜間急患診療所 (048-922-1156) 休日急患歯科診療所(048-922-1156)
スポーツクラブ
交通鉄道
※草加駅の駅力(駅舎・駅前・界隈・周辺基盤の総合力)は関東の私鉄の中では第1位。(ヨミウリウィークリーより) 市と鉄道会社で駅前開発に取り組んでいる。 かつて通っていた鉄道バス羽田空港、成田空港へ、直通のリムジンバスが草加駅東口より利用できる。 道路
名産品草加市出身の著名人
追手風直樹(元幕内大翔山) 出身は石川県穴水町だが、平成10年に草加市瀬崎874-2に部屋を起こした。 黒海(グルジア出身)大翔山(二代目)森・下田・大翔勇・大翔馬・大翔虎など有望力士が所属。
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