ふんどし
褌(ふんどし)は、日本をはじめとする地域での伝統的な男性用の下着である。英語では loincloth と表記されている。 祭りの中において褌は下着ではなく、晴れ着として扱われる。 百貨店、呉服店、武具店、祭り用品店、通信販売などで販売されている。
概要
「褌」の漢字は「衣」偏に「軍」と書くように、戦闘服に由来する。昔は布が高価であったことから、戦国時代では戦死者の身分は褌の有無で見分けを行っていた。当時は麻が主流であったが、江戸時代に入り木綿に代り、武士の他に一般庶民にも普及するようになった。一部の上流階層は縮緬などを用いていた。 第二次世界大戦までは日本人成人男性の主な下着となっていたが、戦後、洋装化が進んだことや、ブリーフ、トランクス等の新しい下着が出現したことで、急速に廃れた。
褌の由来は南方伝来説と大陸伝来説があるが、定説はない。南方伝来説は、ポリネシア地区で六尺褌に似たものがあることから言われる説であり、一方、大陸伝来説は、中国大陸に「特鼻褌」(とくびこん)と呼ばれる、男性の局部が牛の鼻のように見える褌が日本に伝来したとの説がある。日本の祭事に六尺褌が多いのは、南方伝来の六尺褌が根底文化にあり、大陸文化との折衷が始まり、時代を経て簡略化された越中褌が生まれたとの説が一部で唱えられている。
語源
「踏通(ふみとおし)」「踏絆(ふもだし)」から由来するという説が一般的である。元来日本語には「ん」という発音の言葉がなかったことから、漢語の「褌衣」を韓国語化した「Hun-t-os,(フントス)」からくるという説もある。また古語においてはふんどしは「たふさぎ」といった。これの由来についても「股塞ぎ(またふさぎ)」「布下げ(たふさげ)」「タブ(樹皮布)裂き」など諸説ある。アイヌ語で「テパ」(tepa)と呼ぶのも同じ語源からくるのではないかと思われる。九州の方言で「兵児帯」(へこおび)と呼ぶのは「へのこ」(陰茎の意)からくる。
材質
一般的には木綿の晒し布が多く使用される。他に、新モス、絹(シルク)、麻等も使用される。最近ではファッション性を高めるため、エナメル製なども発売されている。着装感は生地の目が粗いものが柔らかく、生地が細かいものは硬めの感触となり、下着には目の粗い生地が用いられている方が多い。色は白色が多いが、赤、青などの色生地も使用されていて、他に柄物などもある。
種類
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赤の六尺褌(前面から)
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赤の六尺褌(背面から)
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祭りでの褌少年
褌の種類は六尺褌、越中褌、畚(もっこ)褌、割褌、黒猫褌などの種類があり、締め方や形状が大きく異なる。柄や色のある物も多い。医療用の下着であるT字帯も褌に含まれる。
六尺褌
六尺褌(ろくしゃくふんどし)とは、長さ約180cm~230cm程度、幅約34cm~16cmのさらしの布を用いた男性用の下着。臀部が露出することに特徴がある。現在では、下着に用いられるよりも、主に、祭事や水着などで使用されることが多い。 鯨尺で六尺の長さ(約228cm)から呼ばれる日本人男性の下着。股間を跨ぎ身体に巻き付けるように締める。前垂れを出さない場合、長さの目安は生地を両腕で水平に拡げ、更に、生地の端を身体中央から片腕で水平に伸ばした長さである(胴回りの約3倍)。幅は晒しの全幅を用いるが、体型によっては半幅、若しくは2/3幅に生地を切って使用する。
江戸時代には曲尺で六尺の長さ(約180cm)で、前垂れを出し(三角に畳む場合も多い)、後で結ぶ場合が多かった(胴回りの約2.5倍)。
因みに、前袋を2重にする締め方は昔の漁師や船乗りなどが用いた締め方である。なお、締め方、結び方については地方や古式泳法の流派により独特の締め方、結び方がある。 締め方は生地の端を左肩に掛けて陰部を覆い、股間を跨ぎ、尾骨から左回りで腰を一周し、立褌と交差させて軽く仮掛けし、次に肩に掛けた前垂れを部分を下ろし、同じく、陰部を覆って股間を跨ぎ、生地を交差させながら立褌に向かい、仮掛けした片方の生地の端と尾骨上で交差させて、それぞれ横褌に数回巻き付けて締める。(生地が余ったら切り取る)
締め方の要領として、横褌は腰骨の上で巻き付け、前袋の位置が臍下に来るようにすること、前垂れを落とす際、立褌と何度も交差させて締めること、前袋が綺麗な二等辺三角形に形成されていること、2重に締める上で、前袋の生地に、上の生地と下の生地との間で上下の歪みがなく陰部はしっかり覆われていること、立褌に偏りがないこと、横褌にしっかり巻き付けられていることが求められる。六尺褌の締め方を見れば、その人の褌歴がわかるとも言われている。 明治時代末期まで日本人男性の主な下着として用いられていたが、着脱が容易で生地が短く経済的な越中褌が急速に普及したことから、その後は下着で用いられるよりも祭事や水泳等で用いられるようになった。
現在でも、下着として使用している男性もいる他、祭事や、一部、日本泳法の流派を汲む水泳の伝統校ではプールや臨海学校(遠泳)で水着として用いられている。また寒中水泳の際にも用いられる場合がある。
丹田を始めとする腰や股間の各種ツボを刺激するため、健康下着として注目される一方、着脱に難があり、かさばることから、和服には適しても、洋装中心の現代では実用下着として普及しにくいという側面もある。
「緊褌一番」とは六尺褌の締め心地から来た言葉である。つまり、尻に食い込み陰部を固定させる事により気持ちが引き締まり、下腹部に力を入れやすくなるため真剣勝負の武道家などの間でも愛用者が多い。強く締めないと意味が無く、初めて締めた時には強い締め付けにより立っていられない事もある[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。 [1]。
越中褌
越中褌は、長さ100cm程度、幅34cm程度の布の端に紐をつけた下着。一部では和製英語のクラシックパンツ、サムライパンツとも呼ばれている。医療用の下着であるT字帯も越中褌の一種。禊の時に使われる場合が多い他、一部の裸祭りでは六尺褌に代って、こちらが使われる場合がある。詳細は越中褌を参照。
六尺褌とは対照的に、陰部を優しく包み込み、締め付けも弱いことから、軽い着装感から愛用者が増えている。状況により、六尺褌と使い分ける人もいる。ゴムを使わないため体に食い込む事が無く、ブリーフやトランクスとは違う自由な穿き心地と開放感に魅力があると言われる。
畚(もっこ)褌
長さ70cm程度、幅34cm程度の布の両端に紐を通したもの。土木工事等で土を運ぶ畚に形状が似ているためこの名がついたといわれる。歌舞伎の女形は、普段から、これを着用。
割褌
六越褌、とも呼ばれる。長さ150~160cm幅30~40cm程度の布を使用し、片一方の布端を約55~60cm程真中から切って、切った部分を腰に巻く方式の褌。六尺褌と越中褌の中間的な物。戦国~江戸時代に掛けて一部の武将や大名に愛用された。
黒猫褌
戦前の水泳の授業などで使われた子供用の水褌(水着としての褌)。広島県、長崎県では「キンツリ」と呼ばれる。畚(もっこ)褌の一種でTバックになる。大人はサポーターとして用いる場合が多い。
昭和初期頃より登場し、簡易褌と呼ばれる。生地は黒色の麻が用いられていた。名称の由来や出現は不明であるが、「黒猫」の名称は生地の黒色に由来している。水泳が学校の教科として取り上げられたことで、幼児用の水着として全国に普及し、昭和30年代頃まで各地で散見されていた。
廻し
廻しは、日本の国技・相撲や一部の裸祭り、奉納相撲に使われる特殊な褌。色・材質・締め方が他の褌とは異なる。詳細は廻しを参照。
締め込み
福岡市博多区で毎年7月に行われる博多祇園山笠や、その他の裸祭りの装束として使われる褌。締め方や材質は、博多では廻しに近い(但し、生地の厚さは晒しと廻しの中間くらい、薄めの帆布や重ねた木綿の洋服地)が、前垂れを出す場合が多い。博多以外では5mの、さらしを廻しと同様に締め込む場合が多い。何れの場合も横褌の幅を広くし(7~12cm)、後の結び目を廻しと同様にする。廻し、六尺褌、九尺褌、晒一反を指す場合もある。
晒一反
下帯、とも呼ばれる、さらし1反分(10m)を、丸ごと使うふんどし。1枚の布で褌と腹巻きを兼ねる。着物用の下着として使われる他、玉せせりや、愛知県等の真冬の裸祭りで使われる場合が多い。褌と兼用せず、越中褌、締め込み、半タコと併用する場合も多い。
九尺褌
長崎県雲仙市(旧・国見町)の伝統芸能「鳥刺し踊り」に使われる褌。股間を通した布を胸まで引き上げて締める独特の形をしている。本来は漁師が着用したふんどしで、廻しと同様に着用。
サイジ
石川県舳倉島の海女が身につけていた褌。非常に布面積の小さい越中褌の一種で現在のTバックに近い形状。前垂れ、前袋にあたる部分は3角形の刺し子で、残りはロープ状。横褌を巻きつけたあと、前垂れの部分を外から横褌に巻きつける。
下がり
歌舞伎や時代劇の衣装(股道具)として作られた、最初から見せることを目的に作られた特殊なふんどし。歌舞伎ではマタギ、素人歌舞伎ではキン隠しと呼ばれる。越中に似ているが、前垂れと股間の布(晒し)が別々になっている。前垂れは武士役は白の方形の羽二重や縮緬、「粋な江戸の色男」役では赤の方形の羽二重や縮緬、町人役は白の三角形の晒しとなる。荒事や繻子奴、等、勇猛な男性の役では伊達下がりと呼ばれる化粧廻しに似た豪華で重厚な下がりになる(一部の祭り・郷土芸能でも着用)。肉襦袢、又は下着の褌の上に着用。 また着用する役者、俳優によって二重に仕立てた下がりの下の部分の左右に鉛のおもりを入れて(五円玉が適当な重さ)、きれいに垂れ下がるように見せたり、形も少し「丸み」ができるように「分銅状」の形にしたりと、股を割ったとき、いかに下がりがきれいに見えるかという様々な工夫が見られる。 時代劇のふんどしも参照。
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奴@大名行列
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かつお売り(歌舞伎舞踊)
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和藤内@虎踊り(横須賀市の郷土芸能)
半タコ
半タコは褌ではないが、ここで取り上げておく。日本版トランクス。猿股、ステテコ、木股とも。明治以降に一般化した。時代劇や素人歌舞伎で使われる場合が多いが、時代考証上は誤りとされる。裸祭り(褌を着用しない場合)で多用される。祭りによっては、御輿の担ぎ手に褌を禁止し、半タコ着用を指示する場合もある。
通過儀礼
日本の一部の地方では、通過儀礼として、一定年齢に達すると、成人を迎えた証として初めて褌を締める「褌祝」と言われる私的祭事がある。褌は陰部を覆うことから性的機能を持ったものの象徴として扱われ、歌舞伎の演技の中で、着物の裾をはしょり、見得を切る場面などは、陰部や臀部を見せて褌を締めていることを表すことで、自分は成人した者であるとの証を象徴したものである。昔から、褌は成人の下着として位置付けられており、一定年齢に満たない幼児や子供が下着として褌/湯文字を使用することはなかった。幼児や子供は金太郎の様な腹掛けが一般的だった。但し、福岡県では4~5才で「ひもとき」、7才で男児は「へこかき」、女児は「ゆもじかき」(湯文字)、と言う成人仕様の下着を初めて身につける地区がある。時代が洋装化に向かったことで、子供はパッチ(猿股)を使用するようになったが、第二次世界大戦前までは、成人してからは褌に代えるのが一般的だった。
近代に入り、明治政府が徴兵令を制定し、国民皆兵が義務付けられ、徴兵検査を受けることが成人男子の証として社会的に認知されるようになった。この徴兵検査の際に白い褌の着用が指導されることで、擬似的な「褌祝」に相当するようになった。軍隊に入隊すると、白い褌が支給され、使用が義務付けられたことで、当時の日本人成人男子は通過儀礼として誰もが「褌」を締めなければならない環境下に置かれたと言える。
愛好家
一般に昔の下着と考えられがちだが、現在でも愛好家は存在する。パンツのようにゴムを使わず、単純な一枚の布で機能が完結する「潔さ」が、日本人が古来から持つ「美意識」と共通するものがあり、日本の古典的な理想の男子像にも例えられる。 褌を着用することで、虚飾を排し、時流に流されることなく本質を求道する理想の日本人男子像を具現化するものとして、褌にこだわりを抱く愛好家は少なくない。
これまでの愛好家は父親や祖父が愛用していたことで、近親者に勧められて本人も愛用するようになる受動的な例が多かったが、新たな愛好家は、従前の例ではなく、周囲に愛用する者がいない中で、能動的に初めて褌を着用する例となっていることである。従来からの愛好家の高齢化が進み、高齢世代の愛好家人口は減少している一方で、新たな愛好家となるブリーフやトランクスしか知らない世代が、諸外国にもない、日本独自の存在が新鮮な感覚を呼んでいること、新たな下着として褌の持つ機能や効能に着目したこと、個性化の時代を迎えて、個人の主張が容認される成熟した社会となっていること、新しい世代が褌を「過去の下着」としての旧来の偏見を持たなくなっていることが、新たな世代の愛好家を呼ぶ下地となっている。日本人の洋装化が進んでも、日本の高温多湿な気候の中で褌の持つ下着としての優れた機能や効能からくる満足度がブリーフやトランクスよりも高いことや、独特の着装感から、新世代の愛好家が生まれるものと推測される。
これまでは、戦前のように自家で縫製して使用するような環境でなくなり、また、一般の店頭にも並ぶこともなく入手性に難があったが、インターネットの出現とそれに伴うインターネット通販の発達で、褌の製造販売を行う専門の業者等が生まれて容易に入手できるようになったことと、ネットワーク社会の到来と共に、褌に関する情報がネット等を通じて提供され、現在でも数多くの愛好家が存在することが確認されるようになったことで、孤立がちな新たな世代の愛好家には、価値観を共有することで連帯感に似た心情を持つようになり、こだわりの愛好家を生む環境となっているようだ。
六尺褌はきつく締め上げるため下腹部に緊張感が走る。武道の場合、下腹部を締めつけたほうが力が入りやすいという利点があり、柔道家や剣道家の中には道着を着用する時だけでなく、日頃から常用する人がいる。着用を義務づける道場もある。また、浅草の三社祭、博多祇園山笠など伝統ある日本の裸祭りに参加する男達の褌姿に勇壮な印象を持ち、その憧れから褌を愛好する者もいる。伝統ある神輿会では褌の着用を義務づけるところもある。和太鼓集団の中にも、ふんどし一丁で公演する集団がある。そして日本泳法を学ぶ人の中にも愛好家がいる。部活動や臨海学校で初めて褌を経験して、快適さを初めて知る者もいるようだ。
越中褌はゆったりとしていてゴムがないため、かぶれを回避できるなどの理由からアトピー性皮膚炎を患う患者にも愛好家が多いようである。ブリーフのように体に密着せず通気性があることが高温多湿な日本の風土にも合っていて身体に良く、精巣の温度を適度に保ち精子数を増加させるという事で評価する健康志向の愛好家もいる。また、片足を上げたり、屈んだりせずに着脱をできることや、靴やズボンを脱がずに下着を交換できることから、ヘルニアなどの腰痛に苦しむ人々や、野外で作業をする人達にも愛用されている。
水着としてのふんどし
日本人が海水浴(水泳)を始めるようになったのは明治時代に陸軍軍医の松本良順が健康に良いと海水浴を推奨したことから始まり、上流階級の一部から始まった。それまでは、漁師、船乗りや、武士階級の間で武術として日本泳法があったに過ぎなかった水泳が、全国に海水浴場が開設され、学校教育でも水泳が教科で取り上げられたことで、庶民の間に海水浴(水泳)の習慣が拡がる第一歩となった。 当時の上流階級は洋装の水着(水泳着)で海水浴を勤しんだが、まだまだ洋装の水着(水泳着)は庶民には高価で、一般庶民の水着は褌(六尺褌)や水衣が一般的なものであった。また、日本泳法の各流派は自派の泳法を教えるため、海水浴場などで水練場を開設した。水練場とは、海、川、池や堀を区切った箇所で泳法を学ぶ場を日本泳法関係者が使った呼称であり、一般には「水泳場」と呼ばれていた。
1917年(大正6年)に日本で初めて室内温水プールがYMCA(東京)で開設された。当時は水質の維持のため、水着の着用は禁止され、全裸で泳ぐように指導されていた。戦後もしばらくは全裸での水泳が続いていた。これは、本国の米国でもYMCAや大学ではプールでは全裸で泳ぐことが普通であった。
1930年代(昭和)に入り、全国各地でプールが開設された。因みに、明治神宮外苑プールは1937年(昭和12年)に建設されている。
キリスト教徒とその関係者だけに開放されていたYMCAとは違い、一般庶民に開放されたことで、庶民に水泳が普及した。庶民の水着は依然と褌(六尺褌)や水衣だった。この頃から簡易褌として黒猫褌が出現し、男児を中心に普及した。
1928年(昭和3年)のアムステルダムオリンピックの競泳で、初の金メダル獲得から水泳人気は高まり、水泳は国民的スポーツとなった。1932年(昭和7年)のロサンゼルスオリンピック競泳で5種目を制したことから「水泳王国」として日本が世界に認知されるようになった。
オリンピックの公式競技では使用されなかったが、1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックでは、日本人選手が現地での練習で六尺褌を使用していたところ、日本人選手の速さの秘密は水着の褌にあるのではないかと日本人選手に外人記者の取材が殺到し、褌姿の選手と一緒の記念撮影を求められたこともあった。実際、日本人選手は水着の下に六尺褌をサポーターとして使用していた。
戦後の国体でも使用されていたが、占領米軍が臀部が露出することは野蛮であるとして、接収した明治神宮外苑プールで禁止し、選手は米軍関係者の前では六尺褌の上に水泳パンツをはいて競技を行った。
その後、合成繊維の開発が進み、伸縮性のある水着に適した生地が出現したことや、縫製技術も進歩したこともあり公式競技では褌は使われなくなった。また、日本の経済成長が進み、水泳パンツが廉価で入手できるようになったことや、国民所得が上昇したことでファッション性のある水着が求めらるようになり、臀部が露出する褌は恥ずかしいと、下着と同様、昭和30年代頃から、褌は若者から次第に廃れて行った。昭和40年代初頭までには、都市部の公立小中学校ですら学校水着に用いられていた褌は廃止の方向に向かった。褌が普通に散見された一般のプールでも褌の利用者がほとんど見られなくなり、一部のプールではポケットのついたトランクス水着や下着と紛らわしい褌を禁じるようなプールも出現し、プールで褌は禁止されているとの誤解が広まった。
1980年代末頃から、その後形の似たTバック水着が欧米から伝わり、バブル期に男女とも最も流行した。そして1992年(平成4年)、Tバック水着の男性が多数来場していた神宮プールにおいて、臀部が露わなTバック水着に対する苦情が噴出し、Tバック水着と共に日本泳法愛好者の褌も禁止されるという事態となった。因みに、プールで行われている日本泳法教室で褌を着用して実施する教室は元々ない。
その後のインターネットの発達に伴い、Tバック水着で泳げるとネット上で話題になったプールにTバック水着の男性や、布の少ない、透ける過激な水着の男性が殺到したことから、他の客から苦情が噴出し、褌まで禁止となる事態が毎年のように起きるようになった。そのため、特に大都市で褌禁止のプールが少しずつ増えているが、2005年(平成17年)時点では東京においても褌を禁止するプールの方が少ない。一方中南米労働者の多い地域など外国人の多く来るプールではTバック水着の女性が多く、形の似ている褌に対して寛容である。また、国際的には、オーストラリアで開催されたマスターズ水泳大会において六尺褌での出場を希望した日本人選手がおり、長い議論の末、日本の伝統的水着と認められ、褌で出場し見事優勝している。
女性の褌
一般に女性と褌は縁がないと思われがちだが、決してそうではない。古くは『日本書紀』にも女性が褌を着用した記述を確認することができるし、一部では腰巻も含めた下穿きの総称として「褌」という言葉が使われていた。
タンポンやナプキンなどの生理用品が普及する以前は、越中褌やもっこ褌が「お馬」と呼ばれ生理帯として長い間使用されてきたという歴史がある。だが、生理中の女性を穢れたものとして忌み嫌う風習があったことから、あまりおおっぴらに語られることがなかった。
また江戸時代から戦後にかけては見世物としての女相撲興行が盛んに行われていたし、サイジのように一部の海女が身につける褌も存在する。昔の日本においては下着といえば褌か腰巻しかなかったので、女性も必要に応じてふんどしを締めることに抵抗がなかったと思われる。
昨今のふんどしブームの影響か、男性はもとより広く女性をも対象にした商品が、最近では市場に現れている。
女性用の褌として、「パンドルショーツ」と言う名称で発売されている物も在る。「パンドル」とはフランス語で、「垂れる」と言う意味。
セクシャル
褌は下着の一種であり、特に六尺褌は局部だけを覆うだけなので、余計に股間部が強調され、臀部も露出していることから、一部のゲイに人気がある。ゲイ向けのグラビアやアダルトビデオ、又、ゲイ向けの褌サイトには逞しい、あるいは、肥満した男性が褌を締めた姿も一部見受けられ、またゲイバーには褌バーというカテゴリも存在する。
やおいの女性の中には褌少年を題材にインターネットで活動する者もいる。褌を締めた男性キャラクターの画像などを掲載し、一部では褌キャラ・ふんどしキャラと表現している。
また同性愛者に限らず、女性の褌姿を愛好する男性や褌を愛好する女性も一部に存在する。団鬼六や沼正三を輩出した伝説的雑誌『奇譚クラブ』においては「女斗美」(「女闘美」とも表記)と呼ばれ女相撲を熱狂的に愛好する作者による小説が定期的に発表されていた。 エログロ描写で当時大ヒットした石井輝男監督の「徳川女系図」(1968)などのピンク映画には女相撲シーンがあり、谷ナオミ主演のにっかつロマンポルノ作品にもしばしば褌は登場している。 また近年では宮沢りえが1989年に発表したカレンダーのふんどし姿が話題を呼び、女性の褌姿を収録した写真集、アダルトビデオなども数多く出されるようになった。
21世紀に入ってからは博多祇園山笠や、その他の裸祭り、奉納相撲に参加する褌・廻し・締め込み姿の少年少女画像がネット上で広まった。本来、粋、勇猛、精悍、ダンディズム、というイメージを持つ褌を、これらとは対照的な可憐な少年少女(特に少女)が締めると、却って可憐な魅力が強調される、というところに一部のマニアが注目、褌姿の少年少女をテーマにした同人誌、フィギュア、ホームページ、ブログ、画像掲示板等が相次いで登場した。
時代劇のふんどし
かつて無声映画といわれた頃の時代劇映画では、ふんどしを露に見せての剣戟が盛んだった。当時の人気スター、市川百之助による意識的にふんどしを見せるサービスに女性ファンは大喜びし、「フンドシももちゃん」と呼ばれた。同様の立ち回りは、若かりし頃の市川右太衛門や、片岡千恵蔵、阪東妻三郎、羅門光三郎なども行った。特に市川右太衛門の「浄魂」の大剣戟シーンのふんどしを露にしてしての剣戟や、阪妻の「決闘高田馬場」の尻はしょりのふんどしは印象に残る。最近ではテレビ映画「森の石松」で中村勘九郎(現・勘三郎)がふんどしを見せての剣戟が印象に残る。
文学・漫画・アニメ・番組の中の褌
文学
- 夏目漱石は、『虞美人草』の中で夏の風物詩として、褌を取り上げている。「夏は褌を洗う」など、夏の季語のような用法を使用している。
- 堺利彦の『獄中生活』では、堺が巣鴨監獄(のちの巣鴨プリズン、巣鴨拘置所)に入獄したおりの官給の褌の感想がある。「いずれも柿色染であるが、手拭と褌とは縦に濃淡の染分けになって、多少の美をなしているからおかしい。」(三 巣鴨監獄)
- 泉鏡花『いろ扱ひ』は、作者の少年時の乱読癖を振り返った私小説。厳しい塾の下宿から、貸本屋へ外出する方便として、「褌を外して袂へ忍ばせて置く」裏技を開陳している。「何の為だと云ふと、其塾の傍に一筋の小川が流れて居る、其小川へ洗濯に出ましたと斯(か)う答へるんです。さうすると剣突を喰つて、『どうも褌を洗ひに行きますと云ふのは、何だか申上げ悪(にく)いから黙つて出ました。』と言ひ抜ける積りさ。」
- 芥川龍之介『玄鶴山房』では、肺結核の床に就いている主人公・玄鶴が、褌で縊れ死ぬことを夢想する。「玄鶴はそっと褌を引き寄せ、彼の頭に巻きつけると、両手にぐっと引っぱるようにした。/そこへ丁度顔を出したのはまるまると着膨(きぶく)れた武夫だった。/やあ、お爺さんがあんなことをしていらあ。」/武夫はこう囃(はや)しながら、一散に茶の間へ走って行った。」(五)
- 「死ぬときはきれいな身なりで」という美意識は、近代社会において、人口に膾炙していた。芥川龍之介『追憶』にはこうある「この「お師匠さん」は長命だった。なんでも晩年味噌(みそ)を買いに行き、雪上がりの往来で転んだ時にも、やっと家(うち)へ帰ってくると、「それでもまあ褌(ふんどし)だけ新しくってよかった」と言ったそうである。」(一九 宇治紫山)
- 小林多喜二『蟹工船』では、密閉空間に置かれた船員達の、荒れた風景の小道具として描かれる。「夢精をするのが何人もいた。誰もいない時、たまらなくなって自涜をするものもいた。――棚の隅にカタのついた汚れた猿又や褌が、しめっぽく、すえた臭いをして円められていた。学生はそれを野糞のように踏みつけることがあった。」(四)
- 小林多喜二『独房』では、政治犯としての入所体験において、外界との違いを褌に見つける。「青い着物を着、青い股引(ももひき)をはき、青い褌(ふんどし)をしめ、青い帯をしめ、ワラ草履(ぞうり)をはき、――生れて始めて、俺は「編笠(あみがさ)」をかぶった。だが、俺は褌まで青くなくたっていゝだろうと思った。」
- 高村光太郎『回想録』には、近世の風俗の名残が、近代の流れに洗われてゆく風情を描く。「祖父は丁髷(ちょんまげ)をつけて、夏など褌(ふんどし)一つで歩いていたのを覚えている。その頃裸体禁止令が出て、お巡りさんが「御隠居さん、もう裸では歩けなくなったのだよ。」と言って喧(やかま)しい。そしたら着物を着てやろうというので蚊帳(かや)で着物を拵え素透(すどお)しでよく見えるのに平気で交番の前を歩いていた。」
- 坂口安吾『青鬼の褌を洗う女』では、性別役割分業として「褌を洗う女=私」を登場させている。
- 三島由紀夫の褌姿は有名だ。市谷駐屯地での割腹事件の数年前から褌姿で切腹する写真や映画「憂国」を残している。
漫画・アニメ
褌を下着として常用している有名キャラクターとしては
- 魔王(ハクション大魔王)(赤の越中)
- 風大左衛門(いなかっぺ大将)(赤の越中)
- 石川五右ェ門(ルパン三世)
- 巴突進太(柔道讃歌)
- 花山薫(バキ)
- 橙次(忍空)
- ギップル(魔法陣グルグル)
- ぜんまいざむらい(ぜんまいざむらい)
- きくり(地獄少女)(白の越中)
- あずみ(あずみ)
- 東谷小雪(ケロロ軍曹)
- 香坂しぐれ(史上最強の弟子ケンイチ)
などが挙げられる。この他「宇宙戦艦ヤマト」、「ハイスクール!奇面組」にも褌を締めたキャラクターが登場する。当然のことだが、「あずみ」のような時代劇作品では大半の登場人物の下着は褌である。
現代を舞台にした作品の場合、古風だが強い意志を持った男子というキャラクターを強調するアイテムとして使用される事が多く、ギャグとしての意味合いも強い。例外的に香坂しぐれ、きくりのような女性キャラも存在するが、この場合も武道の達人、くノ一や男装趣味といった特殊な設定のキャラクターであることが多い。
また博多を舞台にした青春劇画「博多っ子純情」(長谷川法世)では博多祇園山笠が重要なイベントとして描かれている。「六尺ふんどし」(青柳裕介)、「匠のふんどし」(山崎大紀)、「ふんどし刑事ケンちゃんとチャコちゃん」(徳弘正也)、「赤褌鈴乃介」(永井豪、「赤胴鈴之助」のパロディ)といったタイトルに使用している作品もある。
褌はパンツと違いその種類や締め方が多岐にわたるため絵的な表現が難しい。そのため漫画やアニメに登場する褌は、作者の知識不足もあって六尺、越中といった描き分けが明確でないことが非常に多い。
テレビ番組
- テレビ番組「あっちこっち丁稚」ではお内儀さんが切れるとどこからともなく赤褌のキャラクターが登場する。
- フジテレビの番組「力の限りゴーゴゴー!!」で原田泰造がふんどし先生と称して登場し生徒の悩みを聞くコーナーがあった。
- 三人組お笑いグループ安田大サーカスの団長は他のメンバーに服を破かれて赤い褌1枚になり、2人の肩の上に乗る芸を披露する。
古典落語
古典落語では、褌を締めていた時代なので褌に関連した話題には事欠かないが、「錦の袈裟」「蛙茶番」などが挙げられる。
川柳
江戸庶民の暮らしを生き生きと描写した川柳にもふんどしはよく登場する。代表的なものをいくつか例に挙げると
庶民の日常生活を詠んだもの
- 「越中がはづれて隣りの国を出し」
- 「ふんどしをひねくり廻し一分出し」
ふんどしにからめて関取の暮らしを詠んだもの
- 「褌の強いはやがて幕になり」
- 「褌を故郷へ飾る角力取」
ふんどしが生理帯としても使用されていたことをしのばせるもの
- 「越中を女房がすると事を欠き」
- 「十三四 姫はお馬をのりならひ」
…等がある。
その他
インスタントラーメン「うまかっちゃん」(ハウス食品)のパッケージデザインが博多祇園山笠の舁き手のイラストになってる。
褌に関する言葉・都市伝説など
- 褌を含むことわざとして以下のものなどがある。
- 「褌を締めてかかる」
- 「義理と褌欠かされぬ」
- 「人の褌で相撲を取る」
- 「帯に短し襷に長し褌には丁度良い」
- 成人を意味する褌親(へこおや)がある。
- カニの腹節は俗に褌と呼ばれている。北陸地方ではカニの鰓(食用に不適)を指し、茹でカニの甲羅を開けたのちに先ず取り除く。
- 食卓にカニを出された男性がカニではなく自分の褌を外す、という民話がある。
- 褌を含む四字熟語は「緊褌一番」がある。
- 飛脚のふんどしという都市伝説もある。
- 雅楽にも褌が付く曲がある。何れも相撲の時の曲らしい。
- 昔から妊婦に関して「夫のふんどし(六尺)(地方によっては裸祭り参加者のふんどし)を腹巻にすると安産できる」と言う言い伝えがある。
- 徳川家康は倹約家で自身は浅黄に染めたふんどしを常に使用し、家臣にもそれを勧めていたが、いかに骨太の三河武士でも下帯だけは真白のものを使用したとされる。
関連項目
外部リンク
ふんどしの種類・締め方