徴農制度
概説
本来は第一次産業に従事する人員数の確保を目的としているが、毛沢東主席時代の中国における下放政策(上山下郷運動)やポル・ポト政権下のカンボジア(民主カンプチア)のようにしばしば人格形成のカリキュラムとして採用されるケースが存在する。なお、毛沢東の例も、ポル・ポトの例も悲惨な結果に終わっている。
なぜなら、経済性の面から言えば、農業労働を強制しても労働意欲は低く、また農業に触れた事のない人物に、農業技術の取得を迫るには時間がかかる上、適不適を無視した一律的な労働は効率面でも劣っているからである。事実、中国でもカンボジアでも徴農時、農業生産は大きく低下した。
また人格形成から言っても、農村での生活が道徳的に好ましいという科学的データは存在せず、むしろ住みなれた都市から無理矢理、見知らぬ土地に強制連行された上、強制労働に従事させられることによる心理的外傷の方が、よほど道徳的に好ましくないというのが通説である。
こうした傾向は極左思想だけでなく極右思想においても共通しており、日本においては農本主義と国家主義が強く結びつく傾向があるが、国際的には農本主義と共産主義の方が親和性は高い。このような思想的背景により、徴農制度(下放)は極右にも極左にも支持される政策となる。
日本における議論
近年の日本では、政治家や実業家(稲田朋美、東国原英夫、またミズノ社長の水野正人など[1])が「ニートを徴農制で叩き直す」と言ったプランを主張する事例も見られるようになっているが[2]、こうした制度の義務化は日本国憲法第18条(刑罰以外の奴隷的拘束及び苦役からの自由)に反するものと言う解釈が通説になっており、刑法改正によりニートという行為を犯罪と定義して徴農を刑罰として科すか、憲法改正を伴わなければ日本において徴農制が実施される可能性は極めて低いと見られている。東国原英夫は後に撤回した [3]。
しかしながら同様に奴隷的拘束及び苦役を科す兵役は合憲であるとの学説もあり、この説は国民の生命が明白な危機にさらされており、他にこれを回避する手段が無ければ、拘束・苦役は許容されるという法理の上に成り立っている。そのため食糧不足などの「危機」を演出すれば、徴農制は実施され得るとの見方もある。
徴農制や徴兵制、強制ボランティアのような、国民に強制労働を強いる主張がなくならないばかりか、稲田朋美に見られるように政治家でありながら謝罪の必要性すら感じない人がいる背景には、政治家においても人権、民主主義というものが明確に理解されていないという、日本人の人権意識の低さ、政治の貧困が原因ではないかと見られている。
参考図書
出典
- ^ 日本経済新聞、2007年11月19日朝刊
- ^ 東国原知事が発言撤回…やっぱり徴農制
- ^ 今度は“徴農”発言を陳謝 東国原知事、興奮の場面も 産経新聞 2007.12.4 17:11