ノート:南京大虐殺/ログ2011
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ログ
ローカルルール
この記事「南京大虐殺」では、本文を編集するにあたりローカルルールを適用することで合意を得ました。編集する際には、以下のルールを守るようにお願いします。
- 記事を編集する場合は、ノートにおいて問題を提起し合意を得ること(合意に関しては、「合意の基準と方法」を参照)
- ノートにおいて合意を得ずに記事を編集し、その内容をリバートされた場合、編集した者がノートにおいて合意を得る責任を負う 。ただし、編集して3日の間リバートされなければ、編集した内容に合意したものと見なす。
- 第1項、第2項における責任を果たさずに編集を強行した場合は、編集者の会話ページにおいて、本ルールの趣旨を説明し実行すること、及び自主的にリバートを実行することを勧告する
- 第3項の勧告を無視し編集を強行した場合は、対話の姿勢がないものとみなし、同編集者の投稿ブロック(最初は24時間)を要請する
合意の基準と方法
- 最初の問題提起から3日間、異論がない場合は合意されたものとみなす。
- 問題提起期間(提起から3日間)に異論が出された場合は、議論において合意を得なければならない。この場合、最後の発言から7日間異論が提示されなければ、最後の発言者の見解に合意したものと見なす。
- 最初の異論・反論から7日間で議論が決しない場合は、Wikipedia:論争の解決#ステップ1: 論争の相手と話し合うが不調に終わったことと見なす。
- コメント依頼が出されてから7日間で議論が決しない場合、Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 第三者を交えて議論するが不調に終わったことと見なす。なお、この期間中に投票の準備を行うことを認める。
※このルールは編集しないでください。ルールを編集する場合は、ノートにおいて合意を得る必要があります。
ローカルルールへの疑問
「編集」の意味が不明です。「掲載」への合意ルールであることはわかりますが、削除への合意も同一のようです。 それでは3日放置しただけで、「根拠の示されない微妙な表現が入り放題で、気付いて削ることには妨害が入る」、ことにもなりかねません。
「掲載すること」 「削除すること」 「中立表現に気をつけること」 は別々の要素・別々の議論とすることが必要でしょう。
いちいちルールに加えるかどうかは別としてその姿勢がないと悪用の元だと思います。
--如月の弥 2007年5月10日 (木) 10:05 (UTC)
この合意ルールは、あくまでも本来のwikipediaのルールに則ったものです。合意に至るプロセスを詳細化しただけのものですので、根拠や中立性に関しては本来のルールに依拠すべきだと思われます。
このローカルルールの制定は、今まで悪用されてきたルールの改善であり、今までのルールに示されなかった合意のプロセスを明確化した分、情況を改善できるものと思われます。--ちゃんこなべ 2007年9月15日 (土) 08:14 (UTC)
Awesome pictures?!
Hey, where the hell are the awesome pictures? There are several on Commons. Come on Japan, you can do better than this. Also, why is 2chan so mean? It won't let anyone out of Japan post to it. Quite silly really, I'm learning a spot of Japanase. How's this sound: いい! かわいいですね! ~にょお --71.113.224.92 2007年3月28日 (水) 07:52 (UTC)
定義文の変更
現在の定義文には、定義としては不必要な記述が多く見られますので、部分的に削除または移動をしたいと思います。
【1】定義部分は次のようにします。
- 南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)は、日中戦争(当時は日本側は支那事変と呼んだ)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都 南京市を占領した際、約6週間 - 2ヶ月にわたって多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件。
- 中国では南京大屠殺と呼び、欧米ではNanking AtrocitiesあるいはRape of Nankingと呼ぶ。日本では単に南京虐殺、南京事件とも呼ばれる。南京事件という呼び方は、不法殺害の他に暴行・略奪・放火も含めて事件全体を論じる場合によく使われる。
- なお、この問題は規模などを巡って現在でも議論が続けられている(南京大虐殺論争を参照)。
【2】項目「事件の背景」の新設して、次の文章を移動します。
- 事件の背景として、南京の前にも、日本軍は移動中に上海、蘇州、無錫、嘉興、杭州、紹興、常州のような場所でも捕虜や市民への虐殺・略奪を続けていたとされ、日本軍兵士・将校の従軍日記や回想録から、進軍中にそれらが常態化していたのではないかと疑われている。否定説では「中国軍が民間人を巻き込むため国際法で禁止されている便衣戦術(ゲリラ戦術)を採っていたため」などと虐殺の責任を中国側に転嫁する主張がみられる(註)。同様に、中国軍が後退する中で後に来る日本軍に何も与えない為に行った空室清野戦術によると見る向きもある。
【3】以下の記述を項目「事件の概要」に挿入します。
- この戦争犯罪としての責任を問われ、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)では、事件当時に中支那方面軍司令官であった陸軍大将 松井石根が起訴され死刑となった。南京で開かれた戦犯裁判軍事法廷では、第6師団長の陸軍中将 谷寿夫が起訴され死刑となった。松井は自ら抗弁しなかったが、谷は申弁書の中で虐殺は中島部隊(第16師団)で起きたものであり自分の第6師団は無関係と申し立てている。--Kitchener 2006年2月14日 (火) 12:07 (UTC)
- 上記の通り、本文を変更しました。--Kitchener 2006年2月17日 (金) 13:46 (UTC)
当時 日本政府は、中国との正式な参戦によって、米国との貿易に支障をきたすことを懸念したため中国との戦争は既成事実だけが進行する なし崩し的に中国との全面戦争に突入する結果を招いた。
南京大虐殺 当時の陸軍省から、南京入場式に皇族が安全に出席できるをことを目的に、市民、青年を逮捕し監禁するように命令書が各部隊に通達されていたが、入場式の開催二日前に 逮捕、監禁者の殲滅命令が公式文書で通達された。 この命令によって、市民を殲滅する いわゆる大量虐殺が実行された。
南京城で 防衛にあった国府軍は10万人おり、この殆どが投降後捕虜の身で虐殺され、市民も青年男子はすべて逮捕され虐殺の対象となった。また婦女子も逮捕されたり レイプされ、女性の膣、陰部に手榴弾を詰めて虐殺する行為が 遊びとして多数実行された。
当時の日本軍人の多くが農村出身で貧しくさらに教育に乏しい状態であり、道徳心も低かった。現在の農協 集団売春ツアーに通じる。
自作小説のプロットを発表する場所ではないのですけど。ノートが無駄に長くなるので遠慮頂けないでしょうかね。--219.164.86.123 2006年8月14日 (月) 02:32 (UTC)
◇↓これらは不適当・不十分と思います。
【1】定義部分 『南京事件という呼び方は、不法殺害の他に暴行・略奪・放火も含めて事件全体を論じる場合によく使われる。』
「南京‘大’虐殺」というのは、長年、「東京裁判で提出された約30万人が虐殺された事件」という意味で使われていたことがあり、南京大虐殺論争の始めにも大虐殺の否定とは、30万人の否定という意味で使われていたのですが、それを「100人でも大虐殺だ」といった意見が混乱させた経緯があります。 そういうことを避けて、南京事件という言い方がされることも多いわけです。
したがって、以下のように書き直しを提案します。
「「南京大虐殺」という呼び方は1990年代半ばまで犠牲者30万人説をさすことも多かった。対して、「南京事件」という呼び方は、事件の全体像を特定しない広い呼び方として使われることが多く、犯罪行為やその疑い全般をさす。」
【2】項目「事件の背景」 『「~」などと虐殺の責任を中国側に転嫁する主張がみられる』
これは事件の背景というには非中立的な表現です。以下のように追加も含めて提案します。 「「~」また、「国民党兵士が逃げ込まなかった地域では問題が起きていないので国民党兵士が疑わしい」などとされる」 --如月の弥 2006年9月10日 (日) 13:12 (UTC) (追記2007-2-3)
細かいのですが、【1】定義部分に関して、
- 多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件。
のうち、便衣兵の虐殺は不法ではありませんから区別が必要ではないでしょうか?
- 便衣兵の掃討及び多数の中国軍捕虜、敗残兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件。
はどうでしょうか。R-H 2006年11月30日 (木) 20:38 (UTC)
基本的な姿勢に賛同いたします。ただし「敗残兵」の扱いが揉めそうですけどね。--222.150.192.213 2006年12月1日 (金) 01:35 (UTC)
◇「虐殺」の定義はこの部分で決めるべきではないと思います。
国際法上の議論があるということは別に示すべきことで、この冒頭では南京「事件」の範囲が定義ができるのみだと考えます。
そういう意味でも、「南京大虐殺」という項目名は間違いだと思いますね。
。(前日の文を変更)----如月の弥 2007年2月4日 (日) 06:14 (UTC)
- 【1】『「南京大虐殺」という呼び方は1990年代半ばまで犠牲者30万人説をさすことも多かった』という記述は、私の知っている限りでは事実とは言えません。また、「南京事件」という呼称に関しては、歴史学者の間では「南京大虐殺事件」「南京暴虐事件」「南京大残虐事件」などの略称として用いてきた経緯がありますので、後半部分も事実に合致しているとは思えません。
【2】論争部分に関する記述は、「南京大虐殺論争」に移行すべきです。したがって、「否定説では」から後を削除することを提案します。
「多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件」に関しては、「多数の一般市民と中国軍将兵を不法に殺害した事件」とした方が妥当と思われます。--ちゃんこなべ 2007年2月20日 (火) 14:56 (UTC)
【1】 私は、あまりよく知らなかった一般人がときおり目に触れたときの記憶で書いているため、昔から論争に興味をもっていた人とは違うと思います。 30万人というのは中国主張の数字なので一般の目に触れやすかったのでしょう。それに「大」虐殺という表現についてのことですし。(数字のことはいいですが)
現在、南京事件と呼びたい人は、ほとんど「大虐殺(表現として)」を疑っている人だと思われます。つまり、「とにかく事件ではある」というときの日本語だと思いますが、この項目で「南京事件とは具体的により広い被害をさす」と定義すると、そういう表現が無視されます。 この辺は、学者用語の流れを中心にするべきか、それらはマイナー用語として止め、日本語の一般表現方法を重視すべきかということになります。おおまかな「南京事件」という語を封じることになれば、それは中立ではありません。
「南京事件・・他に暴行・略奪・放火も含めて・・という事件全体・・使われる。」の前に「学者間では」と加え、「これとは別に、実態を定めない形で南京事件と呼ぶ人も多い」と提案を変えます。
【2】 ちゃんこなべ氏は、ここは大虐殺「ということがら」を書く項目だと考えてられるようですが、この南京大虐殺項目の文にはそういう保留付きの感覚がありません。 南京虐殺論争という項目は現在保護がかかったままで、虐殺宣伝派(いわば)らしき人の仕上げた文章が目に付きます。 つまり、一方の意見を抹殺するだけです。 単純には賛成できません。
しかし以下のようにしっかり書くなら別です。 「この問題は事実存否や規模などを巡って現在でも議論が続けられている(南京大虐殺論争を参照)。この項目はとりあえず、南京大虐殺という用語についての解説(太字)であり、事件への疑問は省略してある。」 と。
その場合、全体の中立上、南京虐殺論争の項目には、南京大虐殺項目で書かれた項目への反論が反論者の文で書かれることが必要です。虐殺宣伝家とおぼしき人の手で反論文を含めてまとめられるのでは、封殺にしかなりませんから。 これが済んだあとなら、私は反対しません。--如月の弥 2007年2月22日 (木) 14:52 (UTC)
補足 ちゃんこなべ氏はウィキペディアを用語を検索する「辞典Dictionary」と考えてられるようですが、百科「事典Cyclopedia」とうたっているはず。用語解説よりも知識のスタンダードとして利用されることが多いと考えます。したがって、用語解説という姿勢を狭く堅持するなら、それなりの体系と宣言を明確にすることが必要と考えます。--如月の弥 2007年2月23日 (金) 03:37 (UTC)
南京「事件」としたいのは、南京攻略戦とその後の推移が「一連の戦闘行為」であったと解釈する立場でしょう。一方南京「虐殺」事件としたいのは、そもそもが計画的なジェノサイト(虐殺行為)であって、都市機能の破壊、中国人の虐殺、恐怖の伝播による早期降伏への誘導などの効果を期待したものであるといった立場ではないか。いずれの立場から「南京虐殺事件」を叙述するにせよ、中立的な立場を慎重にたどるのが宜しいのではないか。--58.95.141.91 2007年2月23日 (金) 03:43 (UTC)
- 【1】少々、文意が読み取れない部分があります…。「南京事件」という呼称に関しての如月の弥さんの個人的な見解は理解しましたが、笠原十九司氏や秦郁彦氏の新書本のタイトルが「南京事件」であり、昨年出版された笠原氏や吉田裕氏、井上久士氏などの共著も『現代歴史学と南京事件』であることなどから鑑みて、如月の弥さんの個人的な見解は現実と一致しないと考えられます。なお、提案された記述は、特に後段の部分は文意が読み取りづらく、また、それほど必要性があるとも思えないので載せる必要はないと考えます。
【2】如月の弥さんの個人的な意見は別として、この問題に関してはすでに議論が行われ、合意の基に進められたことです。なお、提案されている文章は、現在ある文章において十分にその役割を果たしていると考えますので、掲載する必要はないと思います。--ちゃんこなべ 2007年2月24日 (土) 06:04 (UTC)
>南京事件という呼び方は、不法殺害の他に暴行・略奪・放火も含めて事件全体を論じる場合によく使われる。 この記述は事実と反します。一般に中道派や一部の否定派がこの事件を指す場合に用いる単語です。「○○虐殺」「○○の虐殺」と紹介される事件においても、略奪や放火などの行為を含む事が一般的です。その上で、「南京事件」と表す場合は不当な殺人行為や組織的な殺戮を否定した見解を持つときに使用されています。上でちゃんこなべさんが仰っているのは本や著作物のタイトルであって、南京事件という単語の説明にはなっていません。南京大虐殺論争の項もよくお読みになってください。--Fishman 2007年3月7日 (水) 19:21 (UTC)
- 「南京事件という呼び方は、不法殺害の他に暴行・略奪・放火も含めて事件全体を論じる場合によく使われる。」という見解は、洞富雄をはじめ、藤原彰、笠原十九司ら一般的な歴史学者が踏襲している考え方です。したがって、定義文としては特に問題ないかと思われます。
なお、私が「南京事件」という言葉が使われている書名を挙げたのは、「現在、南京事件と呼びたい人は、ほとんど「大虐殺(表現として)」を疑っている人だと思われます」という主張に対する反論のためです。--ちゃんこなべ 2007年9月16日 (日) 12:57 (UTC)
失礼しました。 まだ、二日目なもので、問題提起の場所を間違えたみたいですわ。 やりなおします。
こんにちは、美人記者です。 美の少ない二十代の娘です。シクシク。
さっそくですが、問題提起しますわ。
当時、戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残している。
と、現在ではなっていますね。
このような話は、よく聞きますが、裏の取れた試しは一例もありませんわね。 せめて、一例は挙げるべきではありませんか。 せめて、一人 所属部隊と姓名を明らかにし、誰から命令を受けたのか、 そして、実際に殺害を行ったのかどうか、実例をあげるべきだと思いますわ。
今まで、一例も裏の取れた事例がないのですから、 ここの部分は以下のように、書き換えるべきだと思いますわ。
戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残したという話は聞くが、裏を取ってみるとその度にホラ話であった。 東史郎日記、曽根一夫日記などいずれも嘘であった事が確認されています。 また、 陣中日誌の本では最大ともいえる、南京大虐殺を記録した行軍兵士達は、 文字通りの兵士の日記を多数収録した兵士の日記としては、最大の資料ですが、その中で女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたとの記録は一つもありませんでした。
…--利用者:美人記者 2007年4月5日 (木) 00:38 (UTC)
【1】定義文
『『「南京大虐殺」という呼び方は1990年代半ばまで犠牲者30万人説をさすことも多かった』という記述は、私の知っている限りでは事実とは言えません』、 というのは視野がおかしい。 (念のため、「多かった」 というのは、少なくなかったということで、多数派だったというわけではありません) 30万人説は、南京軍事法廷の数であり、東京裁判の検事側の論告であり、現在までの中国の固定数です。 政治的話題としてこれが中心にくるのは明白。 一般人にとっての情報への解説が大事です。
『特に後段の部分は文意が読み取りづらく、また、それほど必要性があるとも思えないので載せる必要はないと』 ↓
たしかに、現在の本文の説明を削除して、「南京事件」の使用法を日本語一般の感覚に任せるなら、必要はないです。
問題は、現在の本文の南京事件の説明が日本語情報を歪め、思考の余地を奪っているということです。削除するならかまわないのですが。(それに賛同してもらえれば、以下の【1】の続きは読まなくていいです。)
『、「南京事件」という呼び方は、事件の全体像を特定しない広い呼び方として使われることが多く、犯罪行為やその疑い全般をさす』 がわかりにくいということですが、もちろん、事件全体がわからない――存否も含めて――人も使う表現だということです。
本文のように 「事件全体を論じる場合によく使われる」 というのは、特定の派やその学者の中だけの言葉を日本語全体に広げていると思えます。それでは、存否も含めた表現を誤解させます。 投稿「Fishman 2007年3月7日」 からすれば、なおそう言えます。 たとえば、「大」虐殺否定派のマスコミである産経新聞やそれに近い自民党議員が南京事件という言葉を使ったとき、東中野氏が何かの発表をしたとき、「殺人はもちろん略奪などに事件を広げて論議しようとしている」と解釈できるのでしょうか?
【2】1.5 事件の背景について
『如月の弥さんの個人的な意見は別として、この問題に関してはすでに議論が行われ、合意の基に進められたことです』 ↓
何の根拠にもなりません。 たった三日おいただけで(2006年2月27日)、しかも2月17日に編集された部分について3月19日以降に逆編集や抗議が来て、すぐ後にその人物をブロックしようとしています。 そのときに抗議する暇がなかっただけでしょう。
もともと、・・・「事件の背景」の現本文は、市民虐殺の背景だけを書いています。これでは数千人説でさえ市民虐殺だと思わせられ、偏向した文です。 あるいは、双方の言い分を未熟ながら並べた形と言えます。 中立表現のために挿入分を提案したわけです。 『現在ある文章において十分にその役割を果たしていると考えますので、掲載する必要はないと』 という理由は中立を歪めます。
それにしても中立表現は問題ではないのでしょうか。 この「南京大虐殺」項目全体が「大虐殺と言われている事柄」 を解説する部分で、事実としての項目は「南京大虐殺論争」に回すと決めているなら冒頭で断ってほしいですが、まだその形はできていないから無効でしょう。
--如月の弥 2007年5月10日 (木) 09:36 (UTC)
- 【1】(A)「南京大虐殺」が30万人説を指すという点に関して、日本の著作を見ても、そのような議論は行われてこなかった事実を指摘しています。南京法廷や検察側論告における30万人説(正確には南京法廷判決30万以上、検察側論告26万~30万)という数字は事実として解説する必要もあろうかと思われますが、それを「1990年代半ばまで犠牲者30万人説」という誤った説明で載せる必然性はありません。また、そのような内容を定義文として載せる必然性も理解できません。
(B)「南京事件」の一般的理解に関しては上述のとおりです。なお、国語辞典の『大辞泉』『大辞林』では、ともに1927年の南京事件の説明しか載っていないことを付記しておきます。
(C)私が解りにくいと書いたのは、文意としてのことです。なお私が念頭においている一般性は国語辞典や歴史辞典などを指標としています。他に指標があればそれも考慮しますが、個人的な見解を根拠に一般性を主張してもそれは「一般」とは言えません。
【2】(A)編集はルールに基づいて行われていると認識しています。
(B)私の見るところ、現在ある文章においても十分、両論併記されていると思われます。したがって、提案されている文章を加筆する必要性はないと考えます。--ちゃんこなべ 2007年9月16日 (日) 13:31 (UTC)
関連項目・外部項目の修正
現在の関連項目には、南京大虐殺という項目に直接関連しないような項目が含まれています。また、いまだ項目が存在しないものまで挙げられています。以下の項目を削除することを提案します。
- 南京大虐殺と直接的な関係性がない マニラ大虐殺・燼滅作戦・通州事件
- 項目が存在しない リバレンド・ジョン・マギー牧師・ティンパーリー
また、外部項目のうち以下のページは存在しなくなっていますので、削除したいと思います。
- 南京事件外部リンク集 (否定派サイト内のものだが、双方の立場の代表的なところへリンク)
--Kitchener 2006年2月17日 (金) 13:51 (UTC)
- 合意を得たため、本文を修正しました。--Kitchener 2006年2月21日 (火) 13:36 (UTC)
項目「事件の概要」の編集方針
「事件の概要」ですが、まとまりに欠く感があります。この項目を次のような方針で修正したいと思います。また、下記の方針の項目を、本文の中にコメントとして挿入すると共に、同方針に基づき、概要内の文章を移動することを提案します。
- 南京攻略戦について…南京大虐殺が起きた場面背景を記述する
- 残虐行為について…残虐行為に関する総論に続き、虐殺(市民、捕虜、便衣兵)、暴行、強姦、掠奪、放火についての各論を記述する
- 目撃者について…どういう目撃者が居たかを記述する。主に報道、外国人、日本人、中国人の目撃者に分けることが出来ると思われる。
- 被害者数について
- 事件背景について…項目「事件の背景」をこの部分に吸収し、同項目を削除する。--Kitchener 2006年2月18日 (土) 01:32 (UTC)
- 合意を得たため、本文を修正しました。--Kitchener 2006年2月21日 (火) 13:36 (UTC)
戦争裁判に関する記述の独立
「事件の概要」に書かれている戦争裁判に関する文章を、項目「戦争裁判」として独立させることを提案します。--Kitchener 2006年2月18日 (土) 01:34 (UTC)
- 合意を得たため、本文を修正しました。--Kitchener 2006年2月21日 (火) 13:37 (UTC)
==tkjinです==== 素人のご意見でウイキペデイアが創られていることを知りました。 プロの歴史家にまかせるべきでしょうネ。 どうみても素人の欲求不満のハケグチですネ。
何を今さら。せっかくなのだから、あなたも迷惑をかけない程度で楽しめば宜しいのです。どうしても真剣になりたいのなら、この匿名で無償の百科辞典の下では、きっと何の甲斐もないでしょうね。--220.220.7.133 2006年10月21日 (土) 15:01 (UTC)
概要のレイアウト変更、加筆・修正(終了)
項目「概要」で、(1)コメントとしていた部分を節に変換すること、(2)「南京攻略戦」「残虐行為」の内容を下記のように加筆・修正すること、(3)コメント「目撃者について」を節「報道」に変更することを提案します。--Kitchener 2006年2月24日 (金) 08:14 (UTC)
===南京攻略戦===
1937年8月9日から始まった第二次上海事変の戦闘に破れた中国軍は撤退を始め、当時、中華民国の首都であった南京を中心として防衛線(複郭陣地)を構築し、抗戦する構えを見せた。日本軍は、撤退する中国軍に対し追及を始めたが、兵站が整わない、多分に無理のある進撃であった。日本軍は、中国軍の複郭陣地を次々と突破し、12月9日、南京城を包囲し、翌日正午を期限とする投降勧告を行った。中国軍がこの投降勧告に応じなかったため、12月10日より日本軍の総攻撃が始り、12月13日、南京は陥落した。
===残虐行為について===
日本軍は、南京への進撃中から諸種の残虐行為を行ったと言われている。その為、南京周辺の町村において、被害の報告が挙げられている。また、1937年12月13日の南京陥落の翌日から約6週間にわたって行われた南京城の城内・城外の掃討でも、大規模な残虐行為が行われたと言われている(城内は主に第16師団(師団長:中島今朝吾)が掃討を行った)。
;市民への虐殺
:市民への虐殺については、そのことを直接指示する命令書は確認できないが、当時、戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残している。
:被害者側である中国人の証言からも、理由もなく暴行を受けたり、家族や周辺の人々が殺害されたことが多く確認できる。
:当時南京に残留して南京国際安全区委員長を務めていたジョン・ラーベは、安全区の警護のために残されていた警察官全員や発電所の技術者が、日本軍によって大量殺害されたことを記録に書き残している。
;捕虜・投降兵の虐殺
:第16師団長である中島今朝誤中将は、日記において、捕虜を取らず、殺害する方針であることを書いている。この方針に基づいて、南京城内外での掃討で、多くの捕虜や投降兵が殺害されたのではないかと見られている。
:南京の北方に位置する幕府山では、山田支隊(第65連隊基幹、長・山田栴二少将)が捕虜約14,000名を殺害したと言われている。山田少将は、この処置は上部組織からの命令であったことを日記に書いている。
:南京北部の下関では、捕虜が収容された後に殺害され長江に捨てられたことが、日本側、中国側、そして残留外国人の記録や証言に示されている。
:第114師団第66連隊第1大隊の戦闘詳報では、旅団命令によって捕虜を殺害したことが記録されている。
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◇不要な疑問を自己消去しました。
関連項目の追加(終了)
関連項目に百人斬り競争を追加することを提案します。--Kitchener 2006年2月24日 (金) 08:16 (UTC)
- すでに修正されていましたが…--Kitchener 2006年2月27日 (月) 11:38 (UTC)
こんにちは、美人記者です。
美の少ない二十代の娘です。シクシク。
さっそくですが、問題提起しますわ。
当時、戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残している。
と、現在ではなっていますね。
このような話は、よく聞きますが、裏の取れた試しは一例もありませんわね。 せめて、一例は挙げるべきではありませんか。 せめて、一人 所属部隊と姓名を明らかにし、誰から命令を受けたのか、 そして、実際に殺害を行ったのかどうか、実例をあげるべきだと思いますわ。
今まで、一例も裏の取れた事例がないのですから、 ここの部分は以下のように、書き換えるべきだと思いますわ。
戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残したという話は聞くが、裏を取ってみるとその度にホラ話であった。 東史郎日記、曽根一夫日記などいずれも嘘であった事が確認されています。 また、 陣中日誌の本では最大ともいえる、南京大虐殺を記録した行軍兵士達は、 文字通りの兵士の日記を多数収録した兵士の日記としては、最大の資料ですが、その中で女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたとの記録は一つもありませんでした。
「戦争裁判」の編集
「戦争裁判」を、下記のように編集することを提案します。--Kitchener 2006年3月1日 (水) 12:16 (UTC)
- この事件は第二次世界大戦後、極東国際軍事裁判と南京軍事法廷で審判された。
- 極東国際軍事裁判では、事件当時に中支那方面軍司令官であった松井石根(当時、陸軍大将)が、不法行為の防止や阻止、関係者の処罰を怠ったとして死刑となった。
- 南京軍事法廷では、当時、第6師団長だった谷寿夫(当時、陸軍中将)が起訴され死刑となった。谷は申弁書の中で虐殺は中島部隊(第16師団)で起きたものであり、自分の第6師団は無関係と申し立てを行っている。その他、百人斬り競争として報道された野田毅(当時、陸軍少尉)と向井敏明(当時、陸軍少尉)、非戦闘員の三百人斬りを行ったとして田中軍吉(当時、陸軍大尉)が死刑となった。
- 一方、上海派遣軍の司令官であった朝香宮鳩彦(当時、陸軍中将)については訴追されなかった。これは朝香宮が皇族であり、天皇をはじめ皇族の戦争犯罪を問わないというアメリカの方針に基づいている。
Kitchenerさんへ
日本で南京大虐殺の「事実存否が論争」されている事実を無視してなぜその編集を改竄したのか説明してもらえますか?[1]他についても実質上議論が行われていない状況では従来からの編集者の記述を一方的に改変しているのと同じです。「事実存否論争記述の改竄」についてKitchenerさんのノートページでお答えがないので(あなたの多重アカウントとされている「ユーザーネームHermeneus」へはまだ問い合わせていません)近日中に議論を要する版に一旦差し戻して合意を探る為の推敲議論したいと思います。ちょびひげ 2006年3月20日 (月) 18:32 (UTC)
- 否定派の板倉由明も、研究が進んだ結果として、虐殺否定説を主張する研究者はほとんどいなくなった(『本当はこうだった南京事件』P8)と述べていますので、論点は規模ということに絞られていることになります。また、事実の存否が争われることを書くと、「犠牲者30万でなければ大虐殺ではない」というような否定説を一方的に肯定することとなりますので、POVに違反する可能性も出てきます。したがって、2006年3月4日 (土) 12:46の版に差し戻すことにします(数日中の頃合を見計らって)。--Kitchener 2006年3月22日 (水) 10:38 (UTC)
確かに「南京大虐殺」肯定説を主張する研究者がほとんどいなくなったのと同じく「虐殺」否定説を主張する研究者はほとんどいなくなりました、しかし「虐殺」肯定説を主張する研究者や「南京大虐殺」否定説を主張する研究者はいなくならないですよ。Kitchenerさんが存在しないとしている「虐殺」の「事実存否の論争」は「南京大虐殺」の「事実存否の論争」が存在している事実を削除する理由にはなりえません。「南京大虐殺」の事実の存否が争われる事実を書かないと、「中国が30万人(最近は40万人)とする「南京大虐殺」は事実だった」というトンでもプロパガンダを 信じてしまう虞があります。「南京大虐殺」は無かったが、少なくても当時の戦争ではどこの国でもあり得る程度の、もしくはそれ以上の「虐殺」は有った、という事実をありのままに編集すべきです。ちょびひげ 2006年3月22日 (水) 17:32 (UTC)
- 学説が存在するか否かに関しては、もちろん、存在することを否定しているわけではありません。ちょびひげさんは理解できていないようですが、問題となるのは、そのような非常に稀な学説、または学術上の意義がほとんど失っている学説の存在を、「南京大虐殺」の「定義」部分に載せる必要性があるか、ということです。板倉氏が説明から考えても、否定説というものを「南京大虐殺」の定義で説明すること自体が不必要だと思われます。不必要なものをわざわざ取り上げることは不自然であり、NPOVに反することだといえるでしょう。したがって、「事実存否が論争」となっていることを「定義」部分と取り上げるべきではありません。--Kitchener 2006年4月27日 (木) 12:29 (UTC)
ちょびひげ氏の意見が現状を正直にあらわしたものですね。 Kitchener氏は歴史歪曲だけでは飽き足らず、現状までも歪曲してますね。 中共プロパガンダの担ぎ屋そのものじゃないですか。(笑)虐殺は否定しないがいわゆる中共プロパガンダ「南京大虐殺」を未だに肯定している学者は恐らく中国人学者以外にいないでしょう。者利便 2006年5月20日 (土) 09:11 (UTC)
「非常に稀」な学説であっても客観的に記載することが可能であれば、まずは記載しておくのが良いでしょう。また学術上の意義を失っているというのは価値判断であって、その判断に対して反駁がある以上は中立性の観点から両論併記するのが適当ではないだろうか?「虐殺はあった」「いや無かった」という両論が現れたとき、中立性の観点からは「虐殺はあったか、なかったかである」と記述するのが正しい。そして論争の存在について追記すると宜しいのでは。--隠者 2006年5月21日 (日) 03:51 (UTC)
このサイトの意義が「百科事典」と記されている以上、「あった」「なかった」の意見に偏る事無く、編纂され、残されていくのが 真の「辞典」ではないでしょうか? 少なくとも、公正な立場で物事は残していかなければいけないと思います。吉川仁衛 2006年6月22日 (木) 03:14 (UTC)
いや、有ったか無かったかがはっきりしないと、辞典としても残せないと思う。だって、他の辞典だって、事実を書いてるし。--利用者:金正目2006年6月30日(金)18:14(=211.19.220.1272006年6月30日 (金) 09:14 (UTC))
所謂「虐殺」があったか或いはなかったかを確定して一方のみを掲載してはいけないと思います。現在の論争をそのまま反映させる必要があると思います。つまり、所謂「虐殺」はなかったとする者や数百人程度、数万人、数十万人とさまざまあります。これをすべて掲載するのが辞典ではないでしょうか。ただ取り上げの軽重はあってもいい。
Please make a link to COMMONS
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commons:Category:Nanjing Massacre {{commonscat|Nanjing Massacre}}--Alex S.H. Lin (talk) .tw 2006年4月21日 (金) 17:38 (UTC)
「事件の背景について」の加筆・整理
「事件の背景について」を以下のように修正することを提案します。--Kitchener 2006年5月13日 (土) 14:10 (UTC)
===事件の背景について===
事件の背景として、いくつか指摘がされている。
;上海戦での苦戦
:上海戦(第二次上海事変)では、日本軍と中国軍双方において多数の死傷者を出すことになった。中国軍は、首都南京の危機と感じ、精鋭部隊を多数送り込んだ。日本軍は、戦力の逐次投入という戦術的なミスも重なり、苦戦を強いられる結果となった。中国人への蔑視観のあった日本軍将兵は、この苦戦により自尊心が傷つけらる結果となり、中国軍民への苛烈な対応へつながったと見られている。
;無理な追撃戦
:上海戦での勝利の後、軍中央の意向を無視し、現地軍(上海派遣軍・第10軍)は、南京へ撤退する中国軍に対し追撃戦を敢行した。しかし、この追撃戦は、兵の休養、軍の再編成、兵站の未整備など多くの問題を孕んだものであった。肉体的・精神的に疲れ、食糧に欠いた日本軍将兵のモラルは、極度に低下していたと見られている。
;中国軍のゲリラ戦術
:被侵略国の常套手段として、中国軍はゲリラ戦術を利用することがあった。この中国軍の戦術に対する日本軍の対応の誤りが、事件の背景にあるとも言われている。特に、ゲリラ兵の容疑者として捕らえた市民を、戦時国際法で定められている軍律裁判さえも経ずに殺害していた。
以上のような背景を基として南京大虐殺が行われたと言われているが、それ以前にも、日本軍は移動中に上海、蘇州、無錫、嘉興、杭州、紹興、常州のような場所も捕虜や市民への虐殺・略奪を続けていたとされ、日本軍兵士・将校の従軍日記や回想録から、進軍中にそれらが常態化していたのではないかと疑われている。
「中国人への蔑視観」「自尊心を傷つけられる」の記述方法に疑問があります。事件の背景として重要な要素であれば、「上海戦での苦戦」に関わらず別項目として理由立てするのが分かりやすいでしょう。上海戦で苦戦したにも関わらず中国人民を尊敬していたならば当該事件は生起しなかったはず、というならなおさらです。また将兵個々の心情が事件の重要な要素であったと叙述するのは、やや観念論的な歴史観という印象があります。--隠者 2006年5月20日 (土) 08:43 (UTC)
- 「独自の調査結果の発表の場ではありません。もしあなたがその事柄についての独自の調査結果をお持ちなら、その結果を通常の査読制度のある雑誌に投稿し、出版してください。それが人類の知識の一部となった時、ウィキペディアはあなたの業績について報告することになるでしょう。もちろん、査読がきちんと行われない雑誌から情報を持ってきてはいけません。 」(Wikipedia:ウィキペディアは何でないか)ちゃんと読もうね♪--32193(みにいくぞー) 2006年6月15日 (木) 15:21 (UTC)
- ご指摘の意味がよく分かりません。Kitchenerさんの修正提案が、Kitchenerさん独自の調査結果にのみもとづいた陳述であるという指摘でしょうか?--隠者 2006年6月27日 (火) 08:05 (UTC)
「背景」と銘うっているわけですから、「思われる。」や「疑われている。」、「見られる。」という主観的な文言は一切排除してください。これは他の箇所についてもそうですが、これだけ異論が多い記事を百科事典として纏め上げるのですから、客観的立場から事実のみを伝えることに専念していただきたい。
- 上海戦の箇所:「軽蔑意識があり自尊心を傷つけられた将校」というのが、一部の将校なのか(ほぼ)全ての将校なのか、記述が曖昧です。また「中国軍民への苛烈な対応」が、その将校主導で指揮下の兵を使い行われたのか、軍組織の意思として行われたかも曖昧です。検証と反証の非対称性に注意しながら、ある程度の証拠を持って検討しなおすべきです。
- 追撃戦の箇所:モラルではなく士気と表現するのが適切に感じます。
- ゲリラ戦術の箇所:ゲリラ戦術ではなく、それに関連した日本軍の対応が文の主体に
なっています。タイトルと内容のどちらかを変更すべきです。
- 市民の殺害について:容疑者として捕られているのに「市民」と断定していますが、この箇所について事実の確認が欲しいです。また、一部が行ったのか、軍が組織として行ったのかの記述も曖昧です。--Fishman 2007年3月7日 (水) 11:01 (UTC)
ついでに、
- 上海戦で苦戦ってソースは?はっきり言って攻撃側の要塞突破の中では損害は相当少ない方です。WW1では一日で数万が死傷してますから。もちろん日本の補充人員数から言えば少ない損害ではありませんが。
- ゲリラはハーグ陸戦規定では保護対象ではないはずです。軍服を着ていない人間が軍人に攻撃を行った場合それを排除するのは正当防衛です。
- 腹がへると凶暴化するんですか?日本人はライオンか。普通は動けなくなります。凶暴化しないとは言えませんが、本当に腹がへって凶暴化したなら食人等のもっと痛ましい行為が記録に残るはず。R-H 2007年3月7日 (水) 17:42 (UTC)
項目名について
「南京大虐殺」という呼称は、主に中国側が唱える「30万人」説等に立って、「大虐殺はあった!」というニュアンスを含むように思います。Wikipediaの方針上、中立性を期すために「南京虐殺事件(※)」等に変えて見てはどうでしょう?(※すでに別の件で「南京事件」の項目があるので)--Samine 2006年5月29日 (月) 19:41 (UTC)
上のコメント恥ずかしいね。たとえ100人の虐殺でも大虐殺だろよ。君の近所が100人虐殺される様を想像しなさいよ。
恥を知った方がいい。
君みたいな極端に疎い人間がいるから海外から突っ込まれるんだよ。恥を知れ!
http://www.nikkatsu.com/movie/sensoutoningen/index.html
日活の長大超大作 『戦争と人間』を見て 先ずは真実を知れ!
上の訳の分からないコメントをしている人は、まずは署名をしてください。きちんと署名をして投稿しているSamineさんに失礼ではないですか。 戦争(戦闘)の最中において、100人が殺害された出来事が仮にあったとして、それを「大虐殺」と呼称するのが適切だと、あなたは何故考えるのですか?近所で100人虐殺される様、と書いていますが、平時に100人もの人が殺されるのと、戦闘状態において100人殺されるのでは全く意味合いが異なるでしょう。現在のイラクでは、100人規模で人が死ぬ事件が頻発していますが、これらの出来事の一つ一つを「大虐殺」と名付けて報道しているメディアは皆無だと思います。 私は、支那の中共政権が喧伝している数十万人説は、全く根拠のない捏造だと確信していますが、専門の研究者でも無い訳で、正確な人数が数千人なのか、あるいはそれよりも少ないのかといったことは、分かりません。 ただ、当時の南京において、当時の支那側が日本軍に対してゲリラ戦を試みていた事実に鑑みれば、数千人の死者であっても、「大虐殺」という名称を用いるのは不適切ではないかと考えます。--219.100.25.157 2006年8月24日 (木) 17:47 (UTC)
「南京大虐殺」というのは、形容ではなく、長年、「東京裁判で提出された約30万人が虐殺された事件」という意味で使われていたことがあり、南京大虐殺論争の始めにも大虐殺の否定とは、30万人の否定という意味で使われていたのですが、それを「100人でも大虐殺だ」といった意見が混乱させた経緯があります。 事典の用語としては、「南京(大)虐殺(南京事件)」「南京事件(南京(大)虐殺)」が適当かと。 大はもちろん、()付きではなくて、付けるか外すかどちらかですが。 現在の中立感では、大は外した方がいいかな。--如月の弥 2006年9月10日 (日) 13:16 (UTC)
まず「大」をわざわざつけるのが中立性に欠けると思われます。しかも殺害された人数の説が余りに沢山あることで存在自体があやしいと思われます。
- http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog015.htm (先入観を打破する定量的検証を)
- http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog028.html (平気でうそをつく人々)
- http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog060.html (南京事件の影に潜む中国の外交戦術)
- http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog079.html (事実と論理の力)
- http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog455.html (「南京大虐殺」の創作者たち)
以上に完全否定説(捏造事件説)を説く国際派日本人養成講座のリンクを提示しました。参考にして下さい。--16toki 2006年9月14日 (木) 08:26 (UTC)
- 「南京虐殺」よりも「南京大虐殺」の方が立場を問わず圧倒的に多く使われています。検索してみれば明らかなことです。最も一般的に認知されている言葉を使うのが適切であり、変更の必要は無いでしょう。--わたあめひみつ 2006年9月18日 (月) 09:11 (UTC)
どちらが頻出か、という根拠は、よほどの数字を元に発言しないと水掛け論になるだけですよ。一般的に「大」「小」などという形容詞をつけると「ではどこからが大で、どこからが小なんだ?」という不毛な議論になるだけで、固有事件を特定するラベルに形容詞句を含めるのは躊躇するべきものです。関東大震災についての事例などが面白いと思いますよ。地震そのものは「関東地震」、それによって発生した災害については「関東大震災」と呼んでいるようです。参考まで。--222.150.197.171 2006年9月23日 (土) 08:19 (UTC)
定義の項目でも書いたのですが、定義できる事件としては「南京事件」であり、「虐殺」は評価、「大虐殺」はイメージ表現です。どんな項目名にしろ、そのように取り扱うことが重要でしょう。項目名に引きずられるなら、本名「南京事件」とすべきです。--如月の弥 2007年2月3日 (土) 12:08 (UTC)
- 「南京大虐殺」という名称に関しては、この名称自体がすでに固有名詞化しているのですから、特に問題があるとは思えません。まずは「南京大虐殺」の記事において、この事件がどういう物なのかを書くべきです。その上で、「南京大虐殺論争」において規模の問題について紹介すればよいでしょう。この項目に於て論争点を取り上げることは、記事の主旨に反します。--ちゃんこなべ 2007年2月20日 (火) 15:04 (UTC)
現状、南京事件、南京虐殺のどれを引いてもいいわけですが、一般人には「大」は宣伝表現だと感じます。 より問題なのは、内容文の姿勢ですが。 言われる管理構想はわかりますが、現在、南京大虐殺論争が保護中であることからして、ちゃんこなべ氏のビジョンは実現していないか、特定の人々に有利にこの項目を固めてしまうだけかもしれません。(定義文の変更に詳述)
また、ウィキペディアでは、「虐殺」→転送→「大量虐殺=ほぼジェノサイド」と流れます。 これでは、南京大虐殺というのがジェノサイド=民族減少を意図した行為の結果、のように取れてしまえます。 ウィキペディアの姿勢として固有名詞だから問題ないとは言えないでしょう。 いちおう、「虐殺」→転送→「大量虐殺」のリンクは消しましたが、大虐殺→ジェノサイドという流れはそのままで、それは自然な一般語感でもあります。--如月の弥 2007年2月22日 (木) 16:33 (UTC)
南京大虐殺というのが固有名詞化するのは、ひとつは歴史上に南京大虐殺と言われる事件が多すぎるからでしょうね。そのバランス上もあるのでしょうが。 百科事典としてはそれも注意書きしておく必要があります。なにしろ、清末期にも50万100万とうたわれる大規模なのがあって、それと混同する利用者もありえます。(参考http://nya-nya.iza.ne.jp/blog/entry/86409/ --如月の弥 2007年2月23日 (金) 08:13 (UTC)
- 「一般人には「大」は宣伝表現だと感じます」ということですが、普通の一般的な感覚からすれば、「大」であるか否かを問わず、固有名詞であれば固有名詞として受け取ると思います。例えば「東京大空襲」や「関東大震災」などを「宣伝表現」と受け取る人は居ないでしょう。
「大量虐殺=ほぼジェノサイド」ということがwikipediaで書かれている主旨の発言をされていますが、どちらの記事を読んでも、そのような記述は存在しません。如月の弥さんの見解は、だいぶ強引な論理展開だと思われます。
なお、どういう「バランス」なのかは分かりませんが、誰も知らないような清朝時代の事件と、日本軍が起こした大暴虐事件である南京大虐殺とを混同する人も居ないでしょう。それは、記事の定義にも明記されていることですし。--ちゃんこなべ 2007年2月24日 (土) 06:05 (UTC)
<表現について>
中国の公式が30万人で、実際には各説に大幅な差があると知れば、そのとき「大」を名にすることに宣伝を感じて自然だと思います。また、「大虐殺派」「中虐殺派」という呼び方が'90年代からネット外であります。「論争」項目では書かれてないですが。
<ジェノサイド>
南京ジェノサイド論議は世界的には消えていないので、神経質なぐらいに注意すべきという気で見たので、うかつだったです。
ただ、本文には 「戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残している。 」 などと確定的に書いてある部分が多いので、結果的な数字以外、事件の性質はジェノサイドに近いものとして揺れたことがなく、結論済みというように読めます。 それは、この項目がジェノサイドを支持し、そういう名前で呼んでいると見てしまう人は多いでしょう。
(いっそ、googleによって呼び名を決めた、と宣言文があれば、固有名詞だと個人的に判断したような部分がなくなってすっきりするかも。)
<清朝時代の事件>
十分中国近代史に入っています。いわゆる南京事件後の20世紀後半の激動を考えても、古過ぎとは限りません。現地で伝説を集めるときには関係しそうです。世界のあらゆる知的好奇心に対しての百科事典ですから、定義とは別に「他に同名の事件がいくつもある」と示すべきだということです。
--如月の弥 2007年2月25日 (日) 15:17 (UTC)
- <表現について> 中国の説も「南京大虐殺」に関する一つの説に過ぎません。肯定説も中間説も否定説も同じように「南京大虐殺」に関する説だと言えるでしょう。もし、各種の説が存在することを知っているのであれば、すでに宣伝としては意味を持ちませんし、各種の説の存在を知らないのであれば、宣伝したところで意味を持ちません。したがって、「南京大虐殺」と表記することが宣伝にあたるという主張は、論理的に成立しません。また、如月の弥さんの論理からすれば、仮に「南京事件」と表現したとしても、南京事件を否定する立場から見るならば、「南京事件」の存在を肯定的に宣伝しているということにも成りかねません。この意味からしても、如月の弥さんの主張は妥当性がないと思います。
<ジェノサイドについて>「戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残している。 」という記述は事実です。これをもってジェノサイドだと感じる人は、ジェノサイドの意味を理解できていない人だと思われます。
<清朝時代の事件> 古いか否かを論じているのではなく、その事件と日本軍の大暴虐事件とを混同する人は居ないということです。そのような事件を知っているほど博学な人であれば、日本軍の大暴虐事件と混同することもないでしょう。もちろん、そのような事件を知らないのであれば、混同する以前の問題です。--ちゃんこなべ 2007年3月1日 (木) 12:05 (UTC)
<宣伝>というのは、議論の混乱に関することなので、後述。ただ、これが問題ですが。
<ジェノサイド>については、項目名で説明するには不適当と思うのでべつの機会に。項目名の理由としては余分だったかとは思えますが。
<博学>ならば、混同しないというのは百科事典の取る態度ではありません。注意を書いて害はないでしょう。
<議論>
ちょっとまとめ直していました。
固有名詞であるという方針は、益が無さそうに思え、wikipedia頁外での日本語議論を混乱させる害があるはず。たとえば、論争項目では、「虐殺肯定派」と「否定派」がありますが、この言葉が一般に流れていくと、虐殺肯定派の主張とは中間派の主張も含むようで混乱しますし、逆に否定派は大虐殺否定派にとれます。
じっさい、「南京大虐殺は全くなかった」という表現に対して、それが固有名詞かどうか見分けにくいことは多く、また、「いわゆる南京大虐殺」という言い方にしても、固有名詞としてでなく、「大虐殺として言われている事件」というまぎらわしい感覚が多く使われています。これは通常の日本語の言い回しです。
大虐殺を固有名詞として固定化させず、「南京虐殺」か「google基準の見出しとしての南京大虐殺です」ならば、それらの議論用語を縛らなくて済みます。
言葉の用法で考えると、大震災なら論争がないから、大を付けることで固有名詞を表せますが、論争において大を付ければ、表現になります。
歴史上の南京大虐殺との「バランス上」と書いたのは、中国中心に見ると「南京大虐殺」は慣用句みたいなものだから、というつもりでしたが、単にMassacreの訳にすぎないのかも。虐殺項目→中国でいう「大屠殺」も含めて。 とすると、--一般英語表現のMassacreの機械的翻訳が多いのでしょう。
以上のように考えます。
ただ、項目名にあまり労力を集中したくはないです。
他の書き込みについても、ゆっくり冷静にやっていきたいと思います。--如月の弥 2007年3月1日 (木) 12:54 (UTC)
間違いなく慣用的には大虐殺なのでそれを採用して良いと思います。その上できちんと論争へのリンクを導入に作っておけばすむのでは。まぁ、「これらを中国による誇大な宣伝と捉え南京事件又は南京虐殺と呼称する人もいる。詳しくは論争を参照のこと」くらいでは。
ジェノサイドの方の話
最初如月の弥氏が何を言っているのか良くわからなかったのですがページを見に行ってやっと分かりました。確かにジェノサイドと民族浄化と大量虐殺は入り混じり方がひどい。
というか自分もジェノサイドと民族浄化はイコールじゃないのかと思っており、調べたところオンラインの他言語向け英英辞典ではジェノサイド>エスニッククレンジングとはなっていました。意味の違いとしては殺すかどうかの差のようですね。これも、「(大量)虐殺であってジェノサイドではない」という論が大勢であればそれを追記、出なければこれまた論争にリンクをまわすしかないと思われます。R-H 2007年3月1日 (木) 18:53 (UTC)
English 版のNanking MassacreのノートのNAME?小項を見ましたが、単に最も広く使われている、と理由にあります。このMassacreの訳として説明しておくならいいのですが。なんとなくただ項目名になると、感情的なひっかかりもあって、議論の読解の混乱や拘束が起きそうで、気になる所です。 --如月の弥 2007年3月2日 (金) 11:23 (UTC)
- 私が学生の頃は「南京虐殺」として学びました。また最近見た教科書では「南京事件」と記載されていましたし、そうでないものもありました。このような事情を踏まえると、上のほうで如月の弥さんが仰ったように(2006年9月10日 (日) 13:16 (UTC))いくつかの名称を並列して表示するのが妥当であると思います。--Fishman 2007年3月7日 (水) 19:04 (UTC)
- R-Hさんの2007年3月1日 (木) 18:53 (UTC)のご意見で、ある程度、議論は集約されているかと思われますが、いかがでしょうか?ただし、「これらを中国による誇大な宣伝と捉え南京事件又は南京虐殺と呼称する人もいる」というのは、あくまでも個人的な如月の弥さんの個人的な見解の域を出ないようですので、書き込むべきではないでしょう(Wikipedia:ウィキペディアは何でないか>「個人の随筆や論文ではありません」を参照のこと)。この点に関しては、ある程度の書くべき必然性を示す根拠が提示されるまで、保留すべきだと思います。
その他、如月の弥さんの2007年3月1日 (木) 12:54 (UTC)のご意見は、正直、何を主張されているのか理解できませんでした。もう少し、論点をまとめ直していただけると助かります。
Fishmanさんの2007年3月7日 (水) 19:04 (UTC)の記述に書かれている主旨は、すでに定義文に明示されているのでは?--ちゃんこなべ 2007年3月17日 (土) 03:59 (UTC)- わたしもちゃんこなべ氏のご意見に同意で妥当だと考えます。--Tears for Asia 2007年3月17日 (土) 05:42 (UTC)
- >>ちゃんこなべさん、確かにその通りですね。項目名に括弧が入る記事も無いようですし、申しわけありませんが前文を撤回します。--Fishman 2007年3月19日 (月) 02:20 (UTC)
- わたしもちゃんこなべ氏のご意見に同意で妥当だと考えます。--Tears for Asia 2007年3月17日 (土) 05:42 (UTC)
- R-Hさんの2007年3月1日 (木) 18:53 (UTC)のご意見で、ある程度、議論は集約されているかと思われますが、いかがでしょうか?ただし、「これらを中国による誇大な宣伝と捉え南京事件又は南京虐殺と呼称する人もいる」というのは、あくまでも個人的な如月の弥さんの個人的な見解の域を出ないようですので、書き込むべきではないでしょう(Wikipedia:ウィキペディアは何でないか>「個人の随筆や論文ではありません」を参照のこと)。この点に関しては、ある程度の書くべき必然性を示す根拠が提示されるまで、保留すべきだと思います。
もともとが欧米のNanking Massacre報道として始まったようなので、項目名としてはやむをえないでしょう。むしろ定義文でそのように解説を入れるべきだという問題ですね
他を整理しておくと、 「これらを中国による誇大な宣伝と捉え南京事件又は南京虐殺と呼称する人もいる」というのは、私の書いた部分ではありませんし、「人もいる」のは事実でしょう。「人」とは「無視できない数の一般人・報道・政治家・専門の学者でなくとも研究者」という意味で。 また、「これをもってジェノサイドだと感じる人は、ジェノサイドの意味を理解できていない人だと思われます」と一般人の受け取り方を無視するのは、百科事典の姿勢として問題だと思っています。 --如月の弥 2007年5月10日 (木) 09:36 (UTC)
元軍人の皆さんを引き来めないかな?
いまだに爺さん連中は軍人時代の縦階級に基づいた 連絡網や軍人会や集まりみたいなのを維持しているのがいるんだけど これなんとかWikiの執筆に引き込めないだろうか? といっても南京は年齢から行ってちょっとぎりぎりだよな。
結局南京に関しては信頼できるのかどうか分からない怪しい資料を寄せ集めて 継ぎ接ぎしては勝手に積み上げているだけの状態なんだし。 資料だけじゃますます混乱が酷くなると思うし。 そうやって積み上げれば積み上げるほどもっともらしくみえるデマ資料が どんどん混じっていくだけだもの。 だから当時の生の証言手に入らないかな?
- 署名をお願い致します。証言は記憶に頼る物ですし、客観的証明としてはいささか不十分な点があると思います。CL4 2006年8月20日 (日) 08:23 (UTC)
そもそもこのWIKIはそういう調査活動を企画、実施する場所ではないはずだが。スペース的にも全く不十分だろう。やりたいなら自分でBLOGなど立ち上げてそこでやるべきかと。あるいは2chなぞでね( ´_ゝ`) --60.42.248.114 2006年8月20日 (日) 15:25 (UTC)
そういうのを集めても恣意的な結果しか出てこないので意味はないですね。 純粋に証言や資料を集めた本は刊行されているので、内容精査が目的なら、そこから紐解けばいいでしょう。 偕行社「南京戦史」、「南京戦史資料集I」、「南京戦史資料集II」 --211.3.173.177 2007年2月23日 (金) 08:11 (UTC)
誤字訂正など
1.2 残虐行為について 誤)第16師団長である中島今朝誤中将は、 正)中島今朝吾。 他に、より利用しやすく、本文中の「兵站」などwikipedia内に項目があるものについては青リンクを開いてもいいのではないでしょうか。--わたあめひみつ 2006年9月18日 (月) 09:29 (UTC)
映画『南京の真実』
中国の外交戦略に関して
南京事件が戦時中に中国側のプロパガンダとして利用された事についての記述が、この項にはありません。また戦後の南京事件を用いた中国の国内向け・国外向けの戦略についても述べられていません。この事件が単なる歴史的事象として扱われていない以上、こうした政治戦略としての側面も、自明なものに関して記述すべきだと思います。いかがでしょうか。--Fishman 2007年3月7日 (水) 18:57 (UTC)
- 一つの記事の中に、その記事名に関する「基礎的な情報」と「周辺の情報」を入れる場合。
後者、「周辺の情報」が記事の主要部分になっては意味が無いと私は考えます。 プロパガンダがあったかどうかについては、私は存じ上げませんが、 未だに結論が出ていない歴史的案件について取り扱う以上、編集合戦等の意見の対立が考えられます。 よって、プロパガンダの内容が詳細かつ明確である場合は、この「南京大虐殺」と言う項目ではなく、 「南京大虐殺論争」と言う項目に加筆することが望ましいと私は考えます。 ただ、残念ながらこちらの項目も保護状態ですが。CL4 2007年3月8日 (木) 11:43 (UTC)
- 基礎的情報と周辺情報の定義がよく分からなかったのですが、つまり記事の「主体である情報」と「付随・関連する情報」という認識で宜しいでしょうか。
- >プロパガンダがあったかどうかについては、私は存じ上げませんが プロパガンダがあったかどうかという表現は、単語の意味から適切でないように思います。プロパガンダであったかどうかではないでしょうか?それと、南京事件がプロパガンダに使用されることと、南京虐殺の論争には直接関係はありませんよね。南京虐殺の議論は、南京でおきた事件の真相を巡っての論争です。殺害人数が30万なのか数万なのかゼロなのかという議論と、この事件が政治的・戦略的に利用された経緯とは別の土俵の話ではないでしょうか?上でも申し上げたとおり、南京虐殺という事件が単なる歴史的事象でない限り、このような背景を伝える事は記事の主体内容のうちに含まれると考えます。含まれるか含まれないかでご意見が聞きたいです。--Fishman 2007年3月8日 (木) 14:51 (UTC)
- 基礎的情報と周辺情報については、「主体である情報」と「付随・関連する情報」の認識で良いです。文意が伝わり辛い点があった事については申し訳ありません。プロパガンダについては「南京大虐殺」のページではなく、「南京大虐殺論争」の「プロパガンダ説」の項目に記述することが適切だと考えます。プロパガンダがあったかどうかについてと言う文言は、その存在があったかどうかについて、私は存じ上げないと言う意味です。南京事件がプロパガンダに使用されたと言う事と、南京大虐殺論争は関係があります。該当ページに「プロパガンダ説」と言う項目があります。ここに加筆すれば良いと私は考えます。真相を巡っての論争であれば、そこにプロパガンダが含まれると私は考えます。また上記のページは、殺害人数に関する議論だけではありません。該当ページをご覧下さい。あと「南京虐殺と言う事件が単なる歴史的事象で無い限り」が何を言いたいのか良く分からないです。それから Fishman様の 2007-03-08T14:51:50 の投稿についてですが、「中国政府自身がプロパガンダであると明言したようなことはないと思いますが、国内向けの宣伝に使用されているのは疑いようがないと思いますし」について、その根拠となった物の説明を求めても宜しいでしょうか。現段階だと上記の記述では、Fishman様の主観であると読めてしまいます。Wikipedia:検証可能性もご覧下さい。また「否定派中道派が認め、そして一部の肯定派もそれを認めるような発言をしています」否定派、中道派、肯定派がそれぞれ何を意味し定義されているのか私には分かりませんが、「否定派中道派が認め」と断言されているのですから、Wikipedia:検証可能性に従い南京大虐殺論争に加筆して頂ければと思います。「そして一部の肯定派もそれを認めるような発言をしています」についても、「認める」と「認めるような」の差異がどれ程の物かは存じ上げませんが、具体的な発言内容も沿えて加筆して頂ければと思います。「年表的な記述しか許されないとしたら、話は別ですが。」については、「論争」に関しては「南京大虐殺論争」に移すことが適切と考えます。なぜなら、プロパガンについては論争の対象で「南京大虐殺論争」と言う項目に加筆することが適切だと考えるからです。年表的な記述しか許すか許さないかは私の判断する所ではありません。追記、自分の以前の投稿のインデントを修正しました。CL4 2007年3月16日 (金) 12:49 (UTC)
- >>否定派、中道派、肯定派がそれぞれ何を意味し定義されているのか私には分かりません南京大虐殺論争の肯定派、中間派、否定派のことです。
- >>南京虐殺と言う事件が単なる歴史的事象で無い限りは、つまり、南京虐殺という記事が現在進行形で更新される内容を含んでいると言う事です。そしてそれが単なる真偽の検証でなく国際問題にまで飛躍しかけており、こうした問題を百科事典として取り扱うのに、バックボーンとして少しでも多く自明な記述を増やすべきではないかということ言いたかったのです。
- >>真相を巡っての論争であれば、そこにプロパガンダが含まれると私は考えます。真相を巡っての議論と言うのは、どの部分を指して仰られているのでしょうか?私がこのノート記事で提起したいのは「政治戦略としての側面も、自明なものに関して記述すべきだと思います。」という部分です。「政治宣伝に活用されたこと」がイコール「虐殺の否定」ということではないですから、東京裁判における南京事件の扱いや、その後の中国における南京大虐殺記念館等の国内向け宣伝の様子を記述する事は何も問題がないと思います。中国の宣伝戦略がプロパガンダと言える程度のものか、ソコを議論するのなら別の記事を作りますが。
- >>Fishman様の 2007-03-08T14:51:50 の投稿についてですが…すみませんが、これは議論に矛盾があったので自分で削除したものです。巻き戻せばよかったのですがそのまま履歴に残してしまいました。しかし、一応返答しておきます。>>「中国政府自身がプロパガンダであると…中国で反日デモが起こったときだったと思いますが、TVの討論番組で中国高官の一人が「南京虐殺の30万人は誇張を意図して使った」という趣旨の発言していました。南京大虐殺論争の項にも同じような発言がありますが、恐らく同じ番組を指していると思います。>>「一部の肯定派もそれを認めるような発言を…これは新しいもので2007年2/25の報道2001など見ていただければ分かると思います。(以上、検証可能性の具体例。)--Fishman 2007年3月19日 (月) 02:05 (UTC)
- >肯定派、中間派、否定派
- 理解しました。しかし、それら 肯定、否定、中間とそれぞれ立場が別れる事はそれらは論争の対象で、こ「南京大虐殺」のページではなく「南京大虐殺論争」に記すことがより適切であると考えますが、どうでしょうか。
- >バックボーンとして少しでも多く自明な記述を増やすべきではないかということ言いたかったのです。
- >「政治戦略としての側面も、自明なものに関して記述すべきだと思います。」という部分です
- プロパガンダが「自明な記述」であるかどうかは現在のところ私は不透明と考えます。南京大虐殺論争の記事にも、プロパガンダと言う項目があるので、その論争の類は論争の記事に誘導する程度で良いでしょう。南京大虐殺論争記事に書かれている事を、南京大虐殺でさらに書く必要は無いと考えます。
- >真相を巡っての議論と言うのは、どの部分を指して仰られているのでしょうか?
- 「真相を巡っての議論」と言う発言は、2007年3月8日 (木) 14:51 (UTC) の Fishman様の書き込みの通りです。
- >東京裁判における南京事件の扱いや、その後の中国における南京大虐殺記念館等の国内向け宣伝の様子を記述する事は何も問題がないと思います。
- 現在「プロパガンダの記述場所」について話し合っております。論争の対象を「南京大虐殺論争」の記事に書き込む事については何も問題無いと考えます。南京大虐殺の記事と南京大虐殺論争と言う記事が別れている事について、考える必要があります。
- >中国の宣伝戦略がプロパガンダと言える程度のものか、ソコを議論するのなら別の記事を作りますが。
- Wikipediaは利用者間で、特定の事案に対してその存在の有無について議論をする為の記事を作成する場所ではありません。その様な趣旨で記事を作る事については反対です。また既に、「南京大虐殺論争」にプロパガンダの項目があります。そこに追記して行くのが良いと考えます。
- >これは新しいもので2007年2/25の報道2001など見ていただければ分かると思います。
- プロパガンダに関する検証可能性がある物として提示されるのは、その「報道2001」一件だけなのでしょうか。その「報道2001」で語られた内容の根拠となった情報(一次情報)があるはずです。信頼できる情報源の歴史の項目でもテレビに関して誇張表現の可能性について触れています。テレビ番組だけを一次情報とするだけでは情報の裏付けは出来ないと考えます。上記の信頼できる情報源の「情報源の評価」を見ると複数の情報源の提示と書いてありますが、上記「報道2001」の他にプロパガンダの検証可能性ある一次情報を確認出来る複数の信頼できる情報源、図書館、新聞、論文などで確認出来る一次情報はありませんでしょうか。また"中国高官の一人"と言われても、それが具体的に誰なのか分からない状況では、Wikipediaの利用者も一次情報を確認しようがありませんので、記述するには不適当に思われます。あと否定派、肯定派、中間派(中道派と上記ではありましたが、ここでは中間派と表記します)の具体的な発言内容の一次情報を検証出来る物はありますでしょうか。Fishman様の発言では「否定派中道派が認め」「そして一部の肯定派もそれを認めるような発言をしています」と断言されておりますが、それらの具体的な内容を提示して頂ければと考えます。その発言内容が上記「報道2001」の中だけの発言であれば、記述には不適当と考えます。その理由は、それら否定派、肯定派、中間派の発言のそれぞれの根拠が明確ではなく、テレビの一つの番組の情報源だけではプロパガンダの有無に関して信頼できる情報源として疑問があるからです。論争ではなく、これが確定的事実であると考えるならば、「南京大虐殺論争」のプロパガンダ項目については、Fishman様はどの様にお考えでしょうか。論争の記事のノートに関して、こちらに書く事は大変恐縮ですが、2007年3月7日のFishman様の書き込みでは「記事の加筆」と書いてありますが、「南京大虐殺論争」の記事のプロパガンダ項目に加筆して行くのであれば、こちらの「南京大虐殺」でさらに書く必要は無く、論争の対象として誘導する程度で十分であると考えます。あるいは論争の対象ではないとすれば、「南京大虐殺論争」の記事からプロパガンダの項目を削除し、こちらの記事に書き加えると言う事になります。もし「南京大虐殺論争」で書かれている、或いは書く事について、繰り返し「南京大虐殺」で書くことが必要と感じていらっしゃるのでしたら、内容が重複する事となりますが、それは二つの記事の統合を提案していると考えて宜しいのでしょうか。CL4 2007年3月25日 (日) 20:41 (UTC)
「プロパガンダという項目があるのだから~」とCL4さんは何度も言われてますが、上で書いた通り南京大虐殺論争のその項目と、私が提起した項目の追加の内容は全くの別物です。どうもCL4さんは”プロパガンダ”という言葉しか見ておられないような気がします。もう少しよく文をよく読んでいただけないでしょうか。他の部分に関してもそうです。肯定派、中間派、否定派の部分への反論ですが、私は自明な事実であるかどうかの検証のためにこの言葉を持ってきたのです。それをCL4さんはまた”肯定派、中間派、否定派は南京大虐殺論争の記述だから~”と、単語・言葉しか見ていません。これでは議論のしようがないですよ。
私が唯一読み取れたCL4さんの意見は”プロパガンダが「自明な記述」であるかどうかは現在のところ私は不透明と考えます。”という部分だけです。しかしこの意見に関して根拠などのフォローが何もありません。もしかしてCL4さんは、関係のない理由や根拠で誤魔化してこの意見を押し付けたいだけなんじゃないですか?違うのでしたらしっかりと論理的に筋の通った理由を提示してください。
それと検証可能性について書かれていますが、どれも議論が的外れに見えます。検証可能性とはその言葉の通り”検証が可能な事象”を指します。全てのソースについてwiki上で厳格な証明をすることが不可能なであることから、こういったガイドラインが立てられているのです。TVの信憑性がどうこう言われていますが、内容の確認も無いまま”TV”という言葉にだけ反応して上のような事を書かれては困ります。私は「否定派中道派が認め、そして一部の肯定派もそれを認めるような発言をしています」と書いたわけでして、つまりTV番組の中で中道派である人が(例に挙げた番組ではそうです)中国の宣伝工作を認める発言を討論中にしているのです。これに関しては信憑性だとか信頼性などという疑問は何もないのです。政府高官の話についても、「具体的に誰なのか分からない~」と仰ってますが、コレこそ正に”検証可能性”であって、実際にその番組を探して見れば発言内容も誰の発言なのかも一目瞭然なんですよ。CL4さんの方からWikipedia:検証可能性という発言がでたのに、ご自身がよく理解されていないというのはどういうことなんでしょうか?--Fishman 2007年3月30日 (金) 11:28 (UTC)
- >「プロパガンダという項目があるのだから~」とCL4さんは何度も言われてますが、
- >上で書いた通り南京大虐殺論争のその項目と、私が提起した項目の追加の内容は全くの別物です。
- 中国の外交戦略に関して項目の、一番最初の2007年3月7日 (水) 18:57 (UTC)のFishman様の書き込みでは
- >南京事件が戦時中に中国側のプロパガンダとして利用された事についての記述が、この項にはありません。
- と書いてありますが、プロパガンダに関する記述をするならば、
- 「南京大虐殺」ではなく「南京大虐殺論争のプロパガンダの項目に加筆するのが望ましい」と言うのが私の意見です。
- なので、Fishman様が提起した追加内容と、南京大虐殺論争のプロパガンダ項目が全くの別物だとは考えません。
- >肯定派、中間派、否定派の部分への反論ですが、私は自明な事実であるかどうかの検証のためにこの言葉を持ってきたのです。
- Wikipedia は自説を検証する為の場所ではありません。
- >私が唯一読み取れたCL4さんの意見は”プロパガンダが「自明な記述」であるかどうかは現在のところ私は不透明と考えます。”
- >という部分だけです。しかしこの意見に関して根拠などのフォローが何もありません。
- に関してですが、
- >政治戦略としての側面も、自明なものに関して記述すべきだと思います。
- 2007年3月19日 (月) 02:05 (UTC) Fishman様の書き込みです。
- プロパガンダに関する事について書くと言うことは、(2007年3月7日 (水) 18:57 (UTC) Fishman様の書き込み参照)
- 上記、自明なものと Fishman様が考えて記述していると私は考えるのですが、この場合 自明であることに関しての根拠などを提示するのは、
- 先に提案された Fishman様であり、私ではないと考えます。
- >もしかしてCL4さんは、関係のない理由や根拠で誤魔化してこの意見を押し付けたいだけなんじゃないですか?
- >違うのでしたらしっかりと論理的に筋の通った理由を提示してください。
- 以下、それぞれ答えます。
- >関係のない理由や根拠で誤魔化してこの意見を押し付けたいだけ
- 否定します。Fishman様、冷静に話し合いましょう。我々は共に Wikipedia の利用者です。
- 我々は Wikipedia をより良質な物へとして行く努力が必要です。
- 私はプロパガンダに関する記述は論争のページにあるプロパガンダへの項目への加筆が適切と考える立場です。
- また根拠の提示については、2007年3月7日 (水) 18:57 (UTC) の Fishman様の書き込みである
- >南京事件が戦時中に中国側のプロパガンダとして利用された事についての記述が、この項にはありません。
- と
- 2007年3月19日 (月) 02:05 (UTC) Fishman様の書き込みである
- >政治戦略としての側面も、自明なものに関して記述すべきだと思います。
- に関連し、それらが「自明であり、南京大虐殺論争ではなく南京大虐殺に書くべき理由」の根拠を提示されるのは Fishman様の責任と考えております。
- >TVの信憑性がどうこう言われていますが、内容の確認も無いまま”TV”という言葉にだけ反応して上のような事を書かれては困ります。
- >つまりTV番組の中で中道派である人が(例に挙げた番組ではそうです)中国の宣伝工作を認める発言を討論中にしているのです。
- 中国の宣伝工作が公に認められる物であれば、複数の信憑性ある情報源から確証を得られる物と考えられますが、
- 信憑性ある情報源として提示されるのはその TV一件のみなのでしょうか?文献情報等で確認できる信憑性ある情報源の提示を求めます。
- 一件のみの情報源で「自明なもの」とするのは無理があると考えます。
- また、信憑性ある情報源としてそれらの番組を提示されたのは Fishman様でありますから、誰の発言かについての問題は
- Fishman様がただ一言名前を教えて下さるだけでこの疑問は解決します。
- その名前に関連し、Fishman様の言うプロパガンダが自明であることを明らかにする資料が発見されるかもしれません。
- >これに関しては信憑性だとか信頼性などという疑問は何もないのです。
- これに関して信憑性や信頼性について、私は疑問があると考えます。
- 繰り返しますが、中国の宣伝工作がそのTV番組内で言われたよう公に認められた自明なものであるならば、
- 他にもそれらを裏付けする信憑性ある情報源が提示されるはずです。
- 一件のみの情報源で「自明なもの」として記述するには、強引と考えます。
- また TVを情報源とする事についても、私が以前記述した通り、Wikipediaの信頼出来る情報源の歴史の項目を参照して下さい。
- >実際にその番組を探して見れば発言内容も誰の発言なのかも一目瞭然なんですよ。
- 一目瞭然なのであれば、根拠としてこれを提示され、その方の名前を実際に見た Fishman様から教えて頂けると考えます。
- 私としても、他に信憑性ある情報源があるかどうか興味があるので、その方の名前で検索を掛けてみたいと考えます。
- >CL4さんの方からWikipedia:検証可能性という発言がでたのに、ご自身がよく理解されていないというのはどういうことなんでしょうか?
- Fishman様、冷静になって下さい。そして、互いに尊敬を持ってこの問題を乗り越えましょう。
- 自明であるなら情報源は単一ではないはずです。
- また、査読制度がある媒体の情報源がより信頼性があると言えると多くの人は考えるでしょう。
- しかし、査読制度がある媒体の情報源を絶対視するわけではありません。
- 査読制度がある媒体での情報源が存在するなら、Fishman様にはぜひ提示して頂きたく、
- 査読制度が無くても、他に情報源があるなら、それも提示して頂きたいと考えております。
- もう一つ、Fishman様が南京大虐殺論争のプロパガンダ項目に加筆する意志(南京大虐殺論争のノートのプロパガンダに関するFishman様の書き込み参照)があるのであれば、
- さらに南京大虐殺のページにプロパガンダについて書き込む理由と矛盾しませんでしょうか。
- Fishman様。
- 貴方の提起は素晴らしい物です。だからこそこうやって他者を交えて話し合うことでより良き物となります。
- 我々は問題解決に向けて話し合っております。
- 貴方が考える自明なものとしてのプロパガンダは、それが自明であるならば多くの信憑性ある情報源に記載されていることでしょう。
- Wikipediaは百科事典です。冷静になり、互いに尊敬し合ってこの問題を解決し、Wikipediaをより良き物としましょう。CL4 2007年4月17日 (火) 03:01 (UTC)
行のひとつひとつにレスを返すのはやめて下さい。文が長くなりすぎて読むのも大変ですし見栄えも悪くなります。自分の主張を中心に簡潔に文をまとめるようにしてください。
ソースに関しては、TVの情報であっても信憑度に問題があるわけではありません。問題はそのTV内の発言でどのソースを元に使われたかです。
確かに田嶋洋子のように否定された事項を今も真実のように語る人間がいますから、TVで取り上げられても真実であることは 証明できませんね。 で、中国の歴史がここ20年ほどで3.000年から4.000年に変更になりました、またこの件での中国の示す虐殺者数も20万人から 30万人を越え40万人に達しました。このまま言い分を聞いていると50年後には日本がなくなってるか100万人突破も夢ではなさそうです。まあ、日本人的な譲歩をしめすと付け込んで来るのがあの人たちですから。彼らの言ってることの信憑性のなさは良くお分かりと おもいますが。
- その後、私なりに図書館で情報のソースとなる文献を探して見ましたが、見つかりませんでした。
- 文章の長さについては今後気をつけたいとは思いますが、誤解を生まない為にも詳細な返事を必要とした、と言う事もご理解頂ければ幸いです。
- それとノートに書く場合は誰であるかを明確にする為、署名をお願い致します。CL4 2007年10月17日 (水) 21:37 (UTC)
描いた作品について
リスト中の『太陽待ち』て何?映画データベースにないので削除したい。
また以下を追加したい。 未完の対局(日中合作映画、南京陥落を祝う行列を背景に30万人殺されたと語るシーンがある) /パープルバタフライ(中国映画、ラストは南京虐殺) /山河燃ゆ(NHK大河ドラマ、虐殺を報告)--OzuYasu3rou 2007年3月23日 (金) 14:37 (UTC)
事件の概要の中の市民への虐殺についての中の誤りについて
ごめんなさい、投稿の仕方を何度も間違えて。 もう一度やりなおします。 ああ、私ってバカ。
こんにちは、美人記者です。 美の少ない二十代の娘です。シクシク。
さっそくですが、問題提起しますわ。
当時、戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残している。
と、現在ではなっていますね。
このような話は、よく聞きますが、裏の取れた試しは一例もありませんわね。 せめて、一例は挙げるべきではありませんか。 せめて、一人 所属部隊と姓名を明らかにし、誰から命令を受けたのか、 そして、実際に殺害を行ったのかどうか、実例をあげるべきだと思いますわ。
今まで、一例も裏の取れた事例がないのですから、 ここの部分は以下のように、書き換えるべきだと思いますわ。
戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残したという話は聞くが、裏を取ってみるとその度にホラ話であった。 東史郎日記、曽根一夫日記などいずれも嘘であった事が確認されています。 また、 陣中日誌の本では最大ともいえる、南京大虐殺を記録した行軍兵士達は、 文字通りの兵士の日記を多数収録した兵士の日記としては、最大の資料ですが、その中で女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたとの記録は一つもありませんでした。
…--利用者:美少女記者 2007年4月5日 (木) 13:32 (UTC)
私がこの部分で気になっているのは、南京城攻略と連続した戦闘であり、つまりは市民皆殺しにしろという命令が出たとしか読めないことです。
掃討の場面で市民を一緒に撃てという命令が出されたり、軍服を着ていなくても怪しければ殺せとか、特定の範囲を作戦区域としたときの行動として殺せとか、――とかでなく、あらかじめ市内全域に対して皆殺し命令を出したとしか読めません。
安全区があったことも順序では後回しなので、皆殺し命令に受け取ったイメージで読み進めてしまいます。
そういう意味と美少女記者さんの指摘も含め、出典とその中の表現も求めたいと 思います。 書き込んだのはKitchener氏で、ちゃんこなべ氏も出典を知っているということで、どちらでもいいです。
また、美少女記者さんも文を提案されている格好ですが、これは現在の本文中ではもっと簡略にすべきなので、ノート用の表現なのでしょうね。今のところ議論の中心は、現在の本文の根拠と受け取りますが。
--如月の弥 2007年5月10日 (木) 03:39 (UTC)
えーとこんばんわ、六十六連隊第一大隊の皆殺し命令については命令書の文章や旅団命令なのに第一大隊以外の部隊には命令が出ていないなどの不明な点があることも書き加えるべきではないでしょうか? また少なくとも「捕虜を命令による殺した」と書くのは明確な間違いです。 旅団命令を受け大隊長が「旅団命令に反して」逃がそうとしたあげく、捕虜の暴動を誘発したのが事実である以上それは直すべきでしょう。間違いなのですから。 それと、「ラーベがうわさ話を書き留めた」と言うのを載せるのなら、少なくとも「ラーベ自身は忙しかったので日本軍の蛮行については目撃していない」という「事実」も書き加えてください。 南京で「当時認識されていた処理遺体数」である5万弱という数字が中国兵の死亡数にほぼ一致する点も載せるべきではないのですか?
あと「安全区設置」は「市内掃討」よりも前の話ですよ。 て言うか「陥落」した後でなければ「掃討」なんて出来ませんし、「戦闘に巻き込まれないために設置」した安全区が「陥落」後に設定されても意味がないです。
- 今晩は。安全区の設定時期ではなく、「文を読み進める順」が後になってしまうため、南京市民皆殺し命令として読み進めるという――中立表現の問題です。--如月の弥 2007年5月18日 (金) 09:19 (UTC)
一般市民の虐殺に関しては、研究としては古くは洞富雄『南京大虐殺の証明』P316-などが挙げられます。ネット上で確認できる資料は下記のとおりです。--ちゃんこなべ 2007年9月15日 (土) 07:59 (UTC)
『民間人殺害命令』
http://www.geocities.jp/yu77799/minkanjin.html
『一般市民虐殺命令』
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/gyakusatu.html
ちゃんこなべ氏の出されたソースはよく批判される「裏づけの無い証言」の典型ですね。 やはり美少女記者さんの言う通り、目撃証言が無いことと、一部の証言が虚偽であると指摘されていることを付け加えるべきだと思います。 なにせ”市民への虐殺”はこの事件で最も論争の激しい部分ですから、この部分の記述が偏向してるのは大きな問題だと思います。 …--利用者:mobius774 2007年10月8日 (月) 16:28 (UTC)
中立性に関して
昨日署名もせずに書き込んだものです。 アカウントを作ってきました。正式に修正の提案をしたいと思います。 ラーベが記録しているのはあくまで「うわさ話」に過ぎず、自分で確認した日本軍による不法殺害はないこと、また外国の記者が、うわさ話に基づく大虐殺を報道したために外務省が抗議した点、追加するべきです。 六十六連隊第一大隊の受けた虐殺命令について、軍の命令文書としての書式がおかしいなども加えなければ著しく中立性を欠くことになります。
直ちに変更するべきと考えます。
南京事件と南京大虐殺の関係について
この二つの呼び方の間で混乱があるようですので南京事件 (1937年)の方に図示してまとめました。本当はこちらに書きたかったのですが、保護がかかってますので書き込めません。同意が得られましたら図示説明をコピーして持ってきていただいても宜しいかと思います。少なくとも冒頭部分には間違ったことは書いてないと思います。
背景
中国軍敗残兵の処刑場所が主に下関埠頭において行われたところから別名「下関虐殺」と呼ばれることもある。下関虐殺は一つの事件を示すものではなく、一連の事件を言う。南京大虐殺の初期のモデルともされる。 --Hare-Yukai 2007年6月2日 (土) 11:29 (UTC)===複数の南京大虐殺概念===
- アイリス・チャンの著作による、ザ・レイプ・オブ・ナンキン(The Rape of Nanking)に記述される概念であり、主として民間人の虐殺についてそれを南京大虐殺と呼んでいる。本件については英文ページNanking Massacreを参照。なお、南京大虐殺における、日本語ページと英語によるページには全く整合性がないのはこれが原因である。
なお、本記事の南京事件は1927年の方にリンクしていますので、これを[[南京事件 (1937年)|南京事件]]とした方が宜しいかと思います。1927年の南京事件の方にも改名提案を出しておきました。--Hare-Yukai 2007年6月1日 (金) 04:44 (UTC)
初めまして 。
工夫されているようでご苦労様です。
私としては、固有名詞としては、東京裁判などで紹介された経緯からして、Nanking Massacreの和訳という意味づけでいいかとも思いますが、 ご提示の二つめの概念分けとして、南京事件と呼ぶことを 『「事件」と読んでイメージを矮小化させようとしている』 というのは、片方の派の罵声を紹介しているだけだと思います。
「正体不明として大虐殺の用語を避けて事件と呼ぶ」 とだけして、 矮小化とする批判の紹介は、別の箇所ですればいいこと。 --如月の弥 2007年6月1日 (金) 12:56 (UTC)
- 始めまして如月の弥様。私としてはこの混乱をどう整理するかについて腐心しているわけでして、なるべく中立的な立場に努めたいと思います。実際に議論にあった話題ですのでそのまま書きましたが、民間大虐殺存在派が「イメージを矮小化させようとしている」と言っているのか、実はその逆なのか微妙なところです。多少、批判派よりの書き方をしておかないと、最初の分類の時点で議論が始まってしまいますのでそれだけは避けたいところです。
- しかし、日本のページを除くと他は全てThe Rape of Nankingをベースにした記述になっていますね。そのベースだとそのまま日本語訳というわけにはいかないと思います。これは中立性の立場や情報の不正確さに問題がありますので指摘しておくべきではないかと思われます。一度英語ページをご覧いただきたいと思います--Hare-Yukai 2007年6月2日 (土) 11:29 (UTC)
- 結局こういうことです。南京大虐殺も南京事件も同じものだとして矮小化説を続けますとこういう結果になることだってあり得るということです。この意味はわかりますでしょうか。つまり、批判派にとってもリスキーではないですかということです。同一視説、または矮小化説は双方にとってあまり利益になりそうもないので、きちっと分類して議論していった方がよろしいのではないか、というのが私の考えです。--Hare-Yukai 2007年6月2日 (土) 13:52 (UTC)
- 中立への腐心であることは理解しています。
- あなたの文を中立表現のために推敲すると、 「(「南京事件」は)イメージを矮小化」- 評価用語 =「(「南京事件」は)イメージを曖昧化」= 「明確な表現を避けている」→ 虐殺は根拠不足の不明であるという主張 という式になるでしょう。
- 「同一説、(またはまぼろし説と矮小化説)」 とするのが妥当では。
- 同一説は危険とか、英語版を見て欲しいというのは、「同一説では、事件=大虐殺の意味であると吸収されてしまい、別の主張として存在するということが、消されてしまいかねない」 という意味なのですね。 そういう意味からは、「南京事件」 は、その事件を示す固有名詞であることを止めて、「南京事件説」 にすべきであると。
- しかし、どのみち英語圏でわざわざ「南京事件説」と訳してくれるとも思えないし、「南京事件」を限定された意味だとしたら、大きな部分を否定できずに無視して逃げようとしている、と取られるだろうと思いますが。
- また、南京事件と大虐殺の意味する範囲を、具体的範囲として「きちっと分類して議論」ということについても、今までに多くの議論が存在していて 新しい人にそれを誤解させないように用語を説明するのが事典の使命でしょうから、かなり制限があると思います。 もちろん、錯誤した(あるいは感情的な)議論は切り捨てざるを得ないでしょうが。
- 私は、あなたのとくに後半について、きっちり理解できてないのかも知れません。 それへの異見というより、質問という意味で書いています。 いますぐどう編集するという話でもないですしね。 たまたま連続のように書いていますが。
- --如月の弥 2007年6月3日 (日) 05:20 (UTC)
- WIKIPEDIA上で独自に新規の整理や分類をおこなうのも独自の研究に相当するので難しいですね。出典を求められれば耐えられないでしょう。--58.95.142.253 2007年6月3日 (日) 06:19 (UTC)
- 南京事件の呼称をこれ以上いじられると定義の分類さえできなくなると思いましたので、「南京事件」という立派な本が出ている以上、その記述に基づいてこれを1937年の南京事件として分類していった方がいいかと思うわけです。これには異論が少ないでしょう。「南京大虐殺」が即ちThe Rape of nankingという書籍に基づくものだとするのであれば「南京事件」の呼称が日本の書籍に基づいているとするのは平等な分類ではないでしょうか。--Hare-Yukai 2007年6月3日 (日) 06:25 (UTC)
- 南京大虐殺論争というものはWikipediaの中に存在していますから、それ自体を題材にして新たな整理や分類を行うことは何ら問題はないですね。出典は投稿された各記事内容ではなく、論争そのものを分析するというものです。Wikipediaは「国語辞典ではなく百科事典です」とあるように、項目名の方は内容を反映しにくいと思ったら説明調の項目名でもいいとされています。--210.209.207.32 2007年6月3日 (日) 11:15 (UTC)
- Wikipediaページ構成上の整理という話題であれば異論はありません。便宜上であることと説得的にならない工夫は必要でしょうね。難しい。--58.95.142.253 2007年6月3日 (日) 12:16 (UTC)
- ちょっと書いてみました。
1)事典として: どう呼ぼうとも、事典の項目対象範囲は変わらず、いろんな内容を含んだ意味になると思います。 ただ、時間と空間の範囲が問題だと思いますが、これは、年月によって変化した主張が出ている、というところでしょう。これは、変に決まった書き方をしなければいいこと。
2)辞典として: 「虐殺」とレイプ・略奪との関係ですが、もともと国際報道での虐殺というのは殺害に限らず結果的な多くの死も数字に入れられることが多いあいまいな言葉なので、論争している以上、「事件」との範囲の違いはないでしょう。
「南京事件」 と書く文と「南京大虐殺」 と書く文と、語っている範囲が違うと受け取れるものでしょうか? 特定の人達は分けているとしても、意味が違うと読者に教えていいとは思えません。 明確な統計的なデータでもあれば別ですが。
用語解説の目的は、読者が多くの議論を読むときに勘違いをして読まないようにするための知識を与えることだと思います。 誤解させる解説なら抜きにして、ただ「そういう語も使われる」 とだけすればいいのです。
3) ただ、「なぜ南京大虐殺と呼ばれるのか」 ということで、Nanking Massacreの和訳と紹介することは、当然必要だと思います。
4)「南京事件」と呼ぶ立場は多くは「大」虐殺否定ですが、しかし、 A「南京事件程度の性質・スケールのもの」 という意味なのか、 B「南京事件としか呼べない正体不明のもの」 という意味なのか、南京について同じ結論の人でも用語自体の意味は正確にはわからないでしょう。 多くの人は、論者の結論がAだとすれば、用語までAの意味で使われていると受け取るようですが、推論と結論は別です。 Aは結論であり、Bは推論の姿勢に近いです。 よって用語としてはBの「正体不明という意味での南京事件」 というのが、一般的により適当と思います。 Bの立場はAを含みますが、必ずしもでなく、BはAより広い集合なので適用範囲がずれないと思います。
6) ということで、「Nanking Massacreの和訳」 と 「正体不明」 という紹介で中立は保てると思います。 それ以外に、「大虐殺が常識だから」 「大規模な虐殺はなかった、いや虐殺といえるものはなかったから」 というのは、特定の立場の主張なので、用語説明としては省けばいいとおもいます。
--如月の弥 2007年6月5日 (火) 10:53 (UTC)
独自の研究は、wikipedia以外で行うべきだと思います。したがって、このような独自の研究の発表には反対します。--ちゃんこなべ 2007年9月15日 (土) 08:03 (UTC)
米国版について
米国版の方はなんとかならないものですかね。多少の手直しに挑戦してみましたがすぐにこういう人が現われて、差分版です編集してはいけません好きなように書き込むし、気に入らないものは消すし・・・(日本でも同じですが)。このen:User:Blueshirtsさんという人も投稿暦を見ると相当に強い思想的背景がおありだと推測されます。米国版を定義しますと、「南京大虐殺 deprnd on the book of The Rape of Nanking」ということになります。事件そのものを示すのではなく、本の中にある記述を紹介したページになってしまっています。--Hare-Yukai 2007年6月15日 (金) 08:06 (UTC)
- 米国版の状況については良く理解していませんが、お話を聞く限り、米国版が「正しい態度」だと考えられます。「南京大虐殺」と「南京事件」は日本語版においても別扱いです。「南京大虐殺=いわゆる中国のいう大虐殺・レイプオブナンキンなどにみられる説」「南京事件=日本側がおもに主張する南京攻略戦のさいの事件」です。このあたりは相当厳格に議論されてきているようなので、そこを踏まえた上で米国版の編集を検討してみてください。米国版にもNanjing Incident[2]の記事はあるようです。--125.205.9.64 2007年6月15日 (金) 09:03 (UTC)
- どこまでご存じで、『相当厳格に議論されてきているようなので』 と書いてられるのやら信用する気になれません。ご紹介の南京事件は、『March 21st 1927』 に起きた別の事件です。 (追加)つまり、国民党軍が南京の外国人を殺して資産を略奪したという内容で、南京大虐殺と混同するな、と始めに書いてあります。 125.205.さんのいう『正しい態度』 とは、日本語で誰かから受け取った知識によるものなのでしょう。 --如月の弥 2007年6月15日 (金) 10:06 (UTC) (追加)--如月の弥 2007年6月15日 (金) 11:51 (UTC)
- 申し訳ありませんが、何を問われているのか分かりませんので回答しようがないのですが・・・。何か回答が必要ですか?--125.205.9.64 2007年6月15日 (金) 14:59 (UTC)問いかけ表現ではなく、ただ感嘆(慨嘆)されているだけですか?--125.205.9.64 2007年6月15日 (金) 16:11 (UTC)
- 回答は求めていませんが、それはご自由に。 --如月の弥 2007年6月16日 (土) 08:24 (UTC)
- 僅かな読解力をもって英語版を読んでまいりましたが、Nanjing Incident[3]は1927年の事件のみ扱っているのですね。ワタクシの妄想の産物でありました。蒙昧な知識からの前投稿はすべて撤回させて頂きたく。--125.205.9.64 2007年6月17日 (日) 04:19 (UTC)
- ほっ!(^ ^)/ ごていねいにどうも。 --如月の弥 2007年6月17日 (日) 04:53 (UTC)
- >米国版の方はなんとかならないものですかね
- 私の方法案は二つ。
- 一つは、アメリカ版の書き込みは、ルールを歪めて解釈しているので、アメリカのルールの詳細な例などから、その真意を把握して、中立違反であることを書き込んでいくこと。 日本語資料を無視するという方針を主張していることも多いので、一応の公的なあるいはメジャーな組織のサイトから、詳しい該当箇所とその対訳を紹介すること。
- 二つは、日本版をまともにすること。 日本版がろくな資料紹介無しに、書き込まれています。 本来好ましくないとされる書き方です。 資料の該当箇所を調べれば、記述文が不適当だということがわかる例が多いだろうと想像します。 日本版の保護を解除して、資料の詳しい内容原文を開示しながら編集する、ということが必要だと思います。
- 慰安婦項目では、脚註を利用して、要約と詳細の記述を分けていたりしますし、やり方はいろいろあるでしょう。
--如月の弥 2007年6月16日 (土) 10:35 (UTC)
松井岩根の戦犯級
松井岩根は東京裁判ではB,C Class(本当はB,C類戦犯と訳すべきなんだが)戦犯でしたよね?--Hare-Yukai 2007年8月5日 (日) 23:57 (UTC)
長い間南京事件の写真として困ったイメージを植え付けていた画像:Nanjing1937 BabyOnTracks.jpegですが、ようやく上海において撮影された写真であるということを理解してもらい、改名とともに削除のはこびとなりました。今後は作者不詳ではなく、正しく撮影者王小亭、撮影場所上海として認識していただけることを望みます。--Hare-Yukai 2007年7月11日 (水) 14:23 (UTC)
削除した画像ってこれのことでしょ? 日本語版で消してもあまり意味ない。commonsでの対応が基本でしょ。つまり、commonsでこの画像が捏造写真であることを書いておかないと。ついでながら一言付け加えると削除よりも捏造写真の例として取り上げるのが良いかと思いますので、削除には反対です。--61.210.34.122 2007年7月21日 (土) 00:23 (UTC)
- たしかにそうですね。しかし、ファイル名がNanjingではなく、Shanghaiになっただけでも100倍はマシだと思われます。実際、Lifeの記事の写真を削除させ、NARAのアーカイブの写真に差し替えさせるとともに、ファイル名を変えさせたわけです。さらには正しくはcommonsの方に手を加えるべきなのですが、そこにはHong Qi GongとBlueshirtsという完全肯定論者が居て、記事に少しでも気に入らないことを書き加えると半狂乱になって排除にかかって来ます。Talk:Nanking Massacreでもこのとおり。Hong Qi Gongは現在、気が狂ったようにThe Rape of Nanking (book)の手直しに奔走しています。ところで私の投稿を見ていただくとわかるとおり、私は部分否定派または部分肯定派であって、完全否定派ではありません。事実分析派とでもいいましょうか、確実な一次資料があればどちらにも転ぶつもりです。しかし私はこの二人の完全肯定派にとっては排除対象になっているらしく、先日はありもしない罪を着せられてアカウント削除の罠にまで嵌められそうになりました(a rather complex and contentious DRV)。つまり、彼らのような被害妄想狂にとっては、部分肯定派(部分否定派)さえも敵にしか見えないのでしょう。参ったものです。このような状況ですから、Commonsへ書き込みに行く場合には余程慎重であるべきです。複数で事実を明確に示して周りに理解を得ながら修正をかける必要があるかと思われます。 --Hare-Yukai 2007年8月4日 (土) 13:07 (UTC)
米国のWikipediaにももう少し正直さがあると思っていましたが、ちょっと期待を裏切られましたね。 en:Wikipedia:Administrators' noticeboard/IncidentArchive280#Image upload of Image:Fake Photograph as BuriedAlive.jpg for review 明らかにレゾリューションの低い画像の方をオリジナルと見なし、レゾリュ-ションの高い中間調の良く出ている写真(当然よりオリジナルに近いでしょう)の方をfakeだと言っています。何人かでまとめて抗議をした方が良さそうですね。米国人ってもっと理論的な人が多かったはずではないですかね? --Yude-Tamago 2007年8月10日 (金) 12:43 (UTC)
- 全くですね。がっかりしました。もうちょっと理論的な主張をしておいた方が良かったのでしょうか。一応このように抗議をしておきました。(自然科学法則に反しますと)
- You did mistake again. You decided as a original image the low resolution image, and as a fake the high resolution image. Those decisions violate natural science theory. How do you think about it? --Hare-Yukai 2007年8月10日 (金) 12:49 (UTC)
- I don't completely understand what you are asking me. There was the image deletion discussion in which you participated (and you said yourself that the image should be deleted). I think it's clear that you want the originals to be deleted as well. I think it's very unlikely for that to happen though. Sorry, IronGargoyle 20:17, 10 August 2007 (UTC)'
- I was disappointed in your un-honesty. It's the argument of the extremely low level. I participate and say my opinion, too. And no one participates in the argument in the level of admin. You have the duty, which it answers again about the viewpoint of the resolution. --Hare-Yukai 21:48, 10 August 2007 (UTC)
- 自然科学の摂理に素直に従えないやつって最低ですね。いつからアメリカ人はこういう卑怯者になったのでしょうか? --Hare-Yukai 2007年8月10日 (金) 21:58 (UTC)
Japan Needs to Grow Up
Japan needs to grow up and accept the fact that wrong and inhumane things were committed by the Japanese military during World War II. If the American can face Hiroshima & Nagasaki (http://en.wikipedia.org/wiki/Atomic_bombings_of_Hiroshima_and_Nagasaki), if the German can face The Holocaust (http://de.wikipedia.org/wiki/Holocaust), then Japan can/should be able to do the same thing --- The Nanking Massacre. You can only face the future after you have acknowledged your past.
Google Translates
日本は育ち、間違った事が第二次世界大戦の間に日本の軍隊によって託されたという事実を受け入れる必要がある。ドイツ人がホロコーストに直面できればアメリカ人が広島及び長崎日本缶に直面できたりまたは同じ事をされれば --- 南京の大虐殺。あなたの過去を認めた後だけ未来に直面できる。--以上の署名のないコメントは、68.15.26.62(会話/Whois)さんが 2007年8月17日 (金) 17:18 (UTC) に投稿したものです。
国会での質問
民主党松原仁は2007年5月25日での外務大臣に対する国会質問にて「中国側には証言しかなく物証が一つもない。あるとすれば捏造写真だけであり、すべて反論できる。しかし日本側には物証が多くある。米国には客観的に調査する機関があり、そうした第三者にしっかり調査してもらうよう日本からお願いしてもらいたい。そうすれば南京大虐殺など濡れぎぬであることがはっきりするだろう」と当時の麻生外務大臣に提案した。--Suginamin 2007年12月5日 (水) 09:13 (UTC)
- 166回衆議院外務委員会ですね。国会会議録検索システムを使えば討議の議事録が読めます。[4]--125.205.189.66 2008年1月11日 (金) 01:01 (UTC)ちょっと調べてみたんですが、「」書きで抜粋形式に投稿されている箇所(「中国側には~はっきりするだろう」というのは要旨をSuginaminさんが要約された、という事で宜しいですね?ほぼそういった趣旨の発言はありますが、従軍慰安婦問題と同時に討議していますので。--125.205.189.66 2008年1月11日 (金) 01:13 (UTC)
[思ったこと]オースペ君は三日以内に悔い改めること
お兄さんとの約束だ。いいね。
http://d.hatena.ne.jp/yousanotu/20080103 にコメントしてきた。*1
予言しよう。ここで平謝りのエントリーを載せれば、オースペ君は大人気間違い無しさ。まさに分裂勘違い君の完璧なパロディーの完成だ。
そもそも、それを狙ってるんじゃねーの?だから悔い改めろ。っていうか、悔い改めたよな!あー、答えは聞いてないから。三日後楽しみにしてるからな!