ブラック・ジャック

日本の漫画、メディアミックス作品

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ブラック・ジャック』は、1973年11月19日号~1983年10月14日号にかけて『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に連載(1979年以後は読切掲載)された手塚治虫漫画作品。医療漫画の元祖かつ金字塔とされる。また、その作品に登場する主人公医師のニックネームである。略称はBJ

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概要

主人公は、黒いマント姿にツギハギの顔の天才無免許医師ブラック・ジャック。法外な料金を代償に、様々な怪我や難病を治療してゆく人間ドラマである。

本作は20ページ前後の一話完結型作品で、主人公のBJにまつわる話のほか、当時の医療現場の問題点、主人公の周囲の様々な人物の悲喜劇も描かれる。そのためBJが常に主役という位置づけではなく、狂言回しや端役となる事もある。

劇画を手塚流に消化し[1]、高い物語性が評価され、ロングセラーとなった。また、BJや、そのパートナー畸形嚢腫(きけいのうしゅ)から生まれたピノコ、対立するドクター・キリコなどの魅力的なキャラクター造形も支持を受け、様々な映像化や舞台化がおこなわれている。

本作には、医学的リアリティと大胆なフィクションが並存しているが、これは医学的事実よりも物語性を優先した、手塚の作劇術の一環である。異星人や幽霊、感情を持つコンピュータを手術するなどという無茶な設定の話も存在する。架空の病気も登場したほか、BJやピノコの医学的設定も現代の医療技術をも超越している(別作品『ミッドナイト』では、人間の脳交換手術についてBJ本人に「その様な事は漫画だから可能だ」と言わせている)。

逸話

医療漫画の元祖として著名な作品であるが、連載当初は主人公の容姿や手術シーンに人間の血や内臓などが描かれる事から、当時流行であった恐怖マンガ的作品として扱われ、秋田書店の少年チャンピオンコミックスでは「恐怖コミックス」に分類されていた。事実、初期の作品中には恐怖感を煽るようなシーンや演出が散見される。後に、チャンピオンコミックスの9巻から25巻の分類は『ヒューマンコミックス』に改められた。

かつてはトップクラスの人気を誇った手塚も、1960年代の終盤になると少年マンガの分野では既に過去の漫画家と見なされるようになり、大人マンガを描いたり、青年誌に進出するなど自らの方向性を模索していた。経営していた虫プロダクションの倒産もあり、少年マンガでのヒット作を生み出せず、手塚治虫はこの時期、最大の危機を迎えた状態だった[2]。どこの雑誌社も使おうとしなかったとも言われる[3]。当時の週刊少年チャンピオン編集長の壁村耐三が手塚の花道を飾ろうと、自誌に数回分[4]の連載枠を用意したのが連載開始のきっかけと言われる[5][6]。ただしこの通説に対して、当の壁村耐三は自分から持ちかけたのではなく、手塚自らが「これが最後」と持ち込んだ企画だったと証言している[7]。引退作品になる予定だったため、漫画家生活30周年記念作品として宣伝された[8]。読みきり形式にしたのは手塚治虫に限らず、当時の週刊少年チャンピオンの編集方針であった[9]が、読み切りでないと手塚が流す回をやるためそれを防ぐためという話もあった[10]。連載が開始されると読者の反応も良く、3週目で連載の続行が決定した[11]少年マガジンで連載した『三つ目がとおる』とともに手塚治虫の少年マンガにおける1970年代の最大の(そして少年漫画家としては最後の)ヒット作であり、[12]。本作のヒットによる復活がなければ、手塚治虫は国民的なマンガ家にならなかっただろうとも言わている[13]

漫画家生活の締めくくりの意味で、過去の作品群の登場人物が随所に登場する手塚が従来より取っていたスターシステムの集大成となっており、『鉄腕アトム』のアトム、『リボンの騎士』のサファイヤ、『ふしぎなメルモ』のメルモなど、他の手塚漫画の主役が本作では毎回のように患者やゲストキャラクターとして登場した。特にヒゲオヤジは列車のスリ、車掌など出演が多い。手塚治虫自身もBJの友人である医者や、架空の慢性シメキリ病により入院した本人そのままの漫画家として登場した事がある。テレビアニメでは『三つ目がとおる』の写楽や和登もレギュラー出演した(写楽は原作にもゲスト出演あり)。

当時の『ドカベン』『がきデカ』『マカロニほうれん荘』といった超ヒット作には及ばなかったものの、10年間にわたり安定して柱となり、週刊少年チャンピオンの黄金時代を支えた[14]。連載終了後も読み切りが少年チャンピオン誌上で散発的に14本発表された。

作者の息子である手塚眞によると、誰にも立入りを許さなかった手塚の仕事部屋に担当編集者が無断で入ったことが原因で、怒った手塚が連載の終了を宣言したという[15]。これとは別の理由として、ロボトミーの描写に関する抗議事件の後、医学的な整合性について指摘を受けて描きづらくなったことを生前の手塚が書き残している[16]

単行本は秋田書店の少年チャンピオンコミックスにまとめられたのが最初で、その後も愛蔵版や手塚治虫漫画全集にも収められ、文庫版はミリオンセラーを達成し[17]、1994年から始まった1990年代のマンガ文庫のブームの火付け役になった[18][19]。 単行本は新書版・文庫版・ハードカバー等を含めた発行部数が日本国内で4564万部[20]、全世界で1億7600万部に達している[21]

アメリカでは1995年からVIZ社が発行した月刊マンガ誌『MANGA VISION』に連載された[22]

医学描写

手塚は漫画執筆のため、医療関係者に治療方法について取材した事もあったが、劇中で治療困難な症例として扱われているものが、実際には連載当時の医療技術でも治療可能な症例であるという指摘や[23]、医学用語のミスが指摘されている[24]。中でもロボトミーに関する描写では糾弾を受け、新聞に謝罪文を掲載、連載中止の話まで出た[25]

手塚は医師免許を持ってはいたが、医学的知識は昭和20年代(1945年から1954年)にとどまっており、外科医としての臨床経験がほとんどなかった[26]。十分な検証をしない手塚の執筆態度を疑問視する声もあった[27](同時期に発表された医療マンガでは、執筆時点での最新の知識を取り入れた『夜光虫』(柿沼宏篠原とおる)なども存在する)。しかし中には当時には問題視されていたものの後に再評価された手術方法が書かれている話もある[28]

年表

主な登場人物

本作の謎

BJが無免許である理由

劇中では明確に示されていない。

執筆の背景には、少年チャンピオン編集部から劇画っぽさを要求された手塚が、黒マントや初期のニヒルな性格、残酷描写など劇画の影響を受けたキャラクター造形にしたことが指摘されている。かつての貸本劇画には黒マントをまとった殺し屋が定番であった。BJがアウトローになった理由は劇画を取り込んだからだというのである[29]

しかし、長期連載になるにしたがい、無免許であることに理由が必要となり、以下の様な理由がつけくわえられた。

肩書きやルールに価値を見出さない
作中には「私はノーベル賞をとった人間なんかに興味はないんでね」「私は肩書きというものが苦手でね」「こんな立派な病院では、モグリの医者が作った資料なんか役に立ちませんよ」といった台詞が散見される。
医師免許をとり医師連盟に加盟すると、決められた料金しか請求できなくなる
現実にはこのようなことはない。保険診療ならば規定された料金しか請求できないが、自由診療(保険外診療、例、美容整形)のみ(日本では混合診療を禁じている)で医療を行うならば、理論的には自由に治療費を設定することも可能である。ただ本作では自由診療など現実の医療制度の説明は省かれており、ストーリーを明快にするために、あえてこの様に設定した可能性も否定できない。
BJがあちこちで患者を脅迫して、世界医師会連盟に苦情が殺到しているため
『獅子面病』では、「BJがあちこちで患者を脅迫して、世界医師会連盟に苦情が殺到しているので、医師免許を与えることは出来ない」と説明されているが、『報復』では日本医師会連盟会長自らが自身の息子の手術の依頼をするため、BJに免許状を手渡している(実際に医師免許を発行するのは厚生(労働)大臣)。ただし、その直後、BJは渡された免許状を破り捨てているため、BJはその後も無免許のままであった。
医師免許取得のための面接に出席できなかった
『ピノコ還る』で、特別に医師免許を交付される事になったが、失踪したピノコの捜索を優先したため、話は流れてしまった。BJは大変落胆しており、本心では正規の医師に憧れていたことがうかがえる。
ただしこの時の医師免許は「世界医師連盟」からのものであり、日本医師連盟との軋轢が否定されたものではない。
爆発事故のトラウマのため
少年時代に遭った不発弾の爆発事故の際気胸を発症し、その苦痛がトラウマとなって同症の手術の際、メスを持つ手が痙攣を起こすということがあった。手塚にそれを指摘された際、当人は「私がまともな免許が取れない理由が分かっただろう!」と発言している。但し、この症状は山田野教授の身を挺した治療により治っている。

高額の手術料金

高額の手術料金を要求するのは、無免許であることと併せて、作品を面白くする為の設定と思われる。BJと言う名前から連想されるとおり、異端児であるが独自の倫理観を持つという主人公の二面性をこの2点で表現しているといえる。

義賊の如く「金持ちには高額な治療費を突きつけるが貧しい人には治療費をとらない」といったことはなく、貧しい人が依頼者であっても容赦なく高額な治療費を突きつける。BJが要求する手術料は、相手の支払い能力の限界を呈示することが多く、その額は数百万円から百億円以上にまで及び、ほとんどの場合元患者(金持ちの場合が多い)は債務を背負いこむ事になる(無論、支払いを拒む者もいる)。

しかし一方で「●月×日までに」といった支払期限を設けることは殆どない(特に依頼者が貧乏な場合)。その理由は作中に語られることはないが、恐らく患者の治療への意思の強さを試すためとみられている[30]。また、依頼者が「一生かかってでも」全部支払おうと努力する姿に、かつて瀕死の重傷から過酷なリハビリをして復帰を目指していた当時の自分を重ね、普段は隠されている人間の精神的な強さ(底力)を信じたい気持ちが表れているともいえる。あるいは単純に貧乏人から金を取らない義賊であるとすると、金持ちからも悪どく治療費をもぎとる際の障害になるため、ポーズとして守銭奴を装っているという面もあると思われる。

その一方、稀ではあるが治療費がタダ同然となる事もある(「千円負けてやろう」といって治療代がたった千円になったり、「手術料の代わり」として風車を受取るなど)が、特に理由がある訳でなく、単なる気まぐれである(むろん、内心の理由はあるのかもしれないが、守銭奴を装うために気まぐれで治療費をまけているように振る舞っているのかもしれない)。動物からは手術料を取ることはないが、「シャチの詩」の巻では診療所を設けて最初にBJのもとへやってきた患者(シャチのトリトン)に対して「特別サービスで治療費はまけてやるぜ」と言っている(しかしトリトンは数日後、海から真珠をくわえてきて治療費代わりにBJに渡している)。

宇宙人に高額の手術料を請求したときには、「金」の概念が伝わらなかった。見本として見せた「お札」をコピーされてしまい、同じ番号のお札が大量に作られた。これにはBJも苦笑するしかなかった。

受け取った金の使い道

治療費の使い道に関しては「無免許医は医療器具を正規ルートで買えないので必要経費が高くつくのではないか」との説がある[31]。作中でBJは自分のメスを名高い刀匠に手入れしてもらっており、数千万円の報酬を渡している。さらに、ガラス製のメスや緊急手術の為の閉鎖型透明テント(絶縁体製で「ビニールケース」と呼ばれている)、オリジナルの人工心臓など特殊な器具も多数所有している。 作中で判明している物では、以下が挙げられる。

  • 母親がらみ(過去の事故の復讐)
  • 自然保護(島嶼の買い取り・島は自分の観護をしてくれた人の墓になっている)
  • 本間丈太郎がらみ(本間血腫を治すための人工心臓の開発)
  • 自分に親切にした人への恩(無実の罪で捕まったときに助けてもらった人を数十億使って治した)
  • 老人ホームの維持(ダイアモンドの話でそれを寄付しないかと言う描写がある)

出版物

当時の少年チャンピオンの一話完結作品は、出版物ごとに或る話が抜けたり順番が変えられたりしていた(『マカロニほうれん荘』など)。また差別用語などの問題で、セリフが書き換えられていることもある(特に『恐怖菌(雑誌掲載時『死に神の化身』)」は、話の内容そのものがほぼ完全に変えられている。元々手塚漫画は書き換えが多い)。

少年チャンピオンコミックス

ブラック・ジャック(1974-95年、全25巻、秋田書店)
新装版ブラック・ジャック(2004-05年、全17巻、秋田書店)※文庫版の内容を掲載順に再構成。そのため、収録内容が一部変更されている。

  • 内容・表現などの理由で『指』『植物人間』『快楽の座』『壁』『落下物』はこれらの単行本には未収録となっている。また、新装版は他に『血が止まらない』『しずむ女』『二人のジャン』『水頭症』『最後に残る者』『魔女裁判』も未収録。
    • 『落下物』は秋田トップコミックス(コンビニ売りの単行本)「ブラック・ジャック 医師の使命編」に収録。
    • 『壁』は2005年に「ヤングチャンピオン増刊ブラックジャックスペシャル」に、単行本未収録作品を収録という本書の目玉扱いで袋とじ掲載された。その後、2006年末に発売された秋田トップコミックスワイド「ブラック・ジャック 死にゆくものへの祈り編」に、単行本として初収録された。
    • 『指』は『刻印』として改作された。
    • 『植物人間』は少年チャンピオンコミックスの初期版(1977年頃までの版)には収録されていたが、後の単行本では『からだが石に…』に差し替えられた。『植物人間』や『快楽の座』などは、精神外科手術を取り扱っていたことから(ただし前者は正確には脳外科手術)精神科医や精神外科手術反対の市民団体からのクレームがあったためと見られる。

その後の再版

  • ブラック・ジャック(1977-96年、全22巻、講談社手塚治虫漫画全集
  • ブラック・ジャック(1987-2004年、全17巻+オールカラー版1巻、秋田書店、愛蔵版)
  • Black Jack(1993-2003年、全17巻、秋田書店、文庫版)※文庫版コミックス出版の火付け役とされる。構成は愛蔵版と同一(オールカラー版のみ未発売)だが、途中から文庫版が先に発売されるようになった。
  • DX版ブラック・ジャック(2003-05年、全22巻、講談社、手塚治虫漫画全集)
  • DX版、新装版、文庫版では『血が止まらない』『しずむ女』『二人のジャン』『水頭症』『最後に残る者』『壁』『魔女裁判』がいずれも未収録となっている(但し『二人のジャン』はDX版に収録)。これらは新書版の秋田書店少年チャンピオンコミックス版では3・4・6・13・17巻に収められているが、初出後の社会的見地の変化から、今後の収録は難しいと思われる。現在までに改作なども含め、全ての刊行物で未収録のものは『快楽の座』のみで、他の話はいずれかの単行本やコンビニコミックで購入可能といえる。
  • 『二人のジャン』のみはDX版に収録されていることもあってか、手塚治虫オンデマンドマガジンのサービスにおいても、自身でエピソードを選んで収録することが可能となっている。それ以外の作品については「なかったこと」とされているのか、掲載があった事実すら確認できなくなっている。
  • 『血が止まらない』はドラマ化されたが、血友病に対する差別的表現があったのを指摘されて、お蔵入りされたと思われる。その問題があったためか、この作品は「ほとんどの未収録作品」(「ブラックジャック病」後編)と共にアニメ化されなかった(ただし『しずむ女』はOVA化された)。

リメイク漫画

2004年10月のテレビアニメシリーズ放映開始に合わせ、秋田書店の各漫画雑誌にて、各漫画家による『ブラック・ジャック』 のリメイク作品が読み切り(『週刊少年チャンピオン』のみ月一連載)で掲載されている。以下、リメイク作品と執筆した漫画家を挙げる 。

漫画以外のメディア化

リンクのある作品の詳細については、リンク先を参照。

テレビアニメ

OVA

劇場用アニメ

上記「テレビアニメ」「OVA」を参照。

ブラック・ジャック/平安遷都

京都の駅ビルの中にある手塚治虫ワールド内のみで上映。

原作ストーリーからは『おばあちゃん』を採用。京都にまつわる歴史的なエピソードを紹介するアニメーションとの二本立てという形で 上映され、その二本を火の鳥がストーリー・テラーとなってつないで行く、という構成。

作画監督、演出、共に西田正義監督。プロデューサーもOVAと同じ。音楽はOVA版KARTE6と劇場版より参加した川村栄二で、OVA版のサントラを使用。

上映後は『平安遷都(へいあんせんと)』という京都の歴史を紹介したアニメが流れる。

キャスト

インターネットアニメ

『ブラック・ジャック』
ピノコ役を宇多田ヒカルが演じたことで有名なブロードバンド用のアニメ。有料。全12話。
BJ役はOVA・テレビアニメ版と同じく大塚明夫
アニメーションの製作とネット配信はコンテンツジャパン社が担当した。
現在は配信を終了している。

その他のアニメ

アメリカでもAZN TVで放送されている。しかしBJ21とは違うバージョンで、こちらは約45分。絵も内容やストーリーもすべて大人向きになっている。

実写版

ゲーム

ラジオドラマ

『ブラック・ジャック』
ラジオ劇画傑作シリーズの一作品として、昭和52年(1977年10月31日から11月25日まで、全20話をTBSラジオで放送。
BJ役は岸田森。ピノコ役は松島みのり
台詞以外のナレーション、効果音等は「ブラックジャックギャング団」という子供達の団体が担当。
『ブラック・ジャック』
1993年10月4日から1994年4月1日まで全130話をTBSラジオの番組「若山弦蔵の東京ダイヤル954」の1コーナー「手塚治虫ワンダーランド」で放送。その後、新潮社の「新潮カセットブック」のレーベルで全3巻のカセットテープに収録されて発売された。
BJ役は時任三郎。ピノコ役は山田妙子(川田妙子)。

舞台

朗読劇

『ブラック・ジャック おばあちゃん』
1999年5月13日放送「ダウンタウンDX」の一コーナー「泣きメンタリー三分間劇場」で『おばあちゃん』が取り上げられる。
紙芝居のように漫画を映し、その日のゲストが声を吹き込んだ。
BJは高橋英樹、おばあちゃんは小林幸子、息子は関根勤がそれぞれ声をあてた。

その他

  • また台湾香港でもアメリカとは違い、アニメ版だけではなくテレビドラマ版(本木版)も放送された。

影響・受容史

医療漫画という新ジャンルを開拓し、アウトローの天才的プロフェッショナルを主人公とする一話完結の職業漫画のスタイルを確立した[32]。手塚自身も『七色いんこ』(演劇界)という類似スタイルの作品を発表している。代表的な作品を以下に挙げる。

医療漫画というジャンルの代表作とされ、強い影響下にある漫画も多い。また、現実に愛読者が医師を志した例も数多いという。

漫画『ブラックジャックによろしく』(2002年-)でタイトルに使われる(BJは内容には直接関係しない)、実在する優秀な外科医にブラックジャックの愛称が用いられるなど、近年では作品の知名度の高さからBJのキャラクター自体が一人歩きし、神業の天才外科医の代名詞となっている。

1998年、ドクター・キリコを称した男が自殺志願者にネット上で青酸カリを密売した通称「ドクターキリコ事件」が発生、社会問題となった。

2003年、一読者が過去未発表の話を集めて自作した、架空の少年チャンピオンコミックス版26巻をネットオークションに出品して摘発され有罪判決を受けた[34]

出典・脚注

  1. ^ 夏目房之介「手塚治虫の自己批判時代」『マンガの力 成熟する戦後マンガ』晶文社、1999年、p191
  2. ^ 夏目房之介「手塚マンガはやっぱり、すごい」『マンガの力 成熟する戦後マンガ』晶文社、1999年、p177-p179
  3. ^ 当時の手塚治虫の連載は小学館『ビッグコミック』での『ばるぼら』と潮出版社の『希望の友』での『ブッダ』の2作品。
  4. ^ 当初の予定回数については諸説ある。週刊少年チャンピオン編集長の壁村耐三は反応がなければ3回で辞める約束だったとしている(『別冊宝島288 70年代マンガ大百科 こんな名作・快作・珍作があったのか!』)。同誌に連載していた漫画家の石井いさみは10回だったと語り(『名作マンガの知られざる制作現場「ダメ!」と言われてメガヒット』)、評論家の呉智英は5回としている(『朝日ジャーナル臨時増刊 手塚治虫の世界』)
  5. ^ 安藤健二『封印作品の謎』太田出版、2004年、p196-p198
  6. ^ 宇都宮滋一『名作マンガの知られざる制作現場「ダメ!」と言われてメガヒット』東邦出版、2004年、p92-p93
  7. ^ 「週刊少年チャンピオン突然の黄金期! 元編集長壁村耐三氏インタビュー」『別冊宝島288 70年代マンガ大百科 こんな名作・快作・珍作があったのか!』宝島社、1996年、p125-p126
  8. ^ 実際には1946年デビューで28年目にあたる。
  9. ^ 「週刊少年チャンピオン突然の黄金期! 元編集長壁村耐三氏インタビュー」『別冊宝島288 70年代マンガ大百科 こんな名作・快作・珍作があったのか!』宝島社、1996年、p1246
  10. ^ 武居俊樹『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』文藝春秋社、2005年、p223-p224
  11. ^ 大下英治『手塚治虫 ロマン大宇宙 下』潮出版社、1995年、p160
  12. ^ 呉智英「『ブラック・ジャック』科学もヒューマニズムも信じない神の眼差し」『朝日ジャーナル臨時増刊 手塚治虫の世界』朝日新聞社、1989年
  13. ^ 夏目房之介「不死鳥のごとく復活した手塚治虫ー」『別冊宝島288 70年代マンガ大百科 こんな名作・快作・珍作があったのか!』宝島社、1996年、p74-p76
  14. ^ 西村繁男『まんが編集術』白夜書房、1999年、p346-347
  15. ^ 手塚眞『天才の息子 ベレー帽をとった手塚治虫』ソニー・マガジンズ、2003年、p136
  16. ^ 『手塚治虫ファンクラブ会報』1号、1979年7月(安藤健二『封印作品の謎』太田出版、2004年、p207-p208)
  17. ^ 藤原邦夫『出版幻想論』太田出版、1994年、p169
  18. ^ 竹内オサム『戦後マンガ50年史』筑摩書房、1995年、p173
  19. ^ 安藤健二『封印作品の謎』太田出版、2004年、p199-p200
  20. ^ 2007年8月現在。『毎日新聞』2007年8月20日夕刊
  21. ^ 2000年度末時点。全協・出版科学研究所「出版月報」
  22. ^ 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』日経BP社、2006年、p132
  23. ^ B・J症例検討会『ブラック・ジャック・ザ・カルテ』海拓社、2001年、p32-p35, p48-p51およびp58-p61
  24. ^ 安藤健二『封印作品の謎』太田出版、2004年、p165-p166
  25. ^ 安藤健二『封印作品の謎』太田出版、2004年、p176-p182
  26. ^ 手塚眞『天才の息子 ベレー帽をとった手塚治虫』ソニー・マガジンズ、2003年、p218
  27. ^ 手塚治虫自らが語る所によると、嘘を書くなと東大医学部の学生から抗議の手紙をもらったとの事である。それに対して手塚は、東大生ともあろうものが、漫画に嘘があることすら知らないのかとコメントしている。
  28. ^ 安藤健二『封印作品の謎』太田出版、2004年、p174-p175
  29. ^ 夏目房之介「変人ブラックジャックの解剖」『笑う長嶋』太田出版、1998年、p82-p85
  30. ^ 筒井康隆「ブラックジャック1~7」『みだれ撃ち涜書ノート』集英社集英社文庫、1982年、p48-p50
  31. ^ 『別冊宝島794 ブラック・ジャック完全読本』宝島社、2003年
  32. ^ ただし本作の構想には『ゴルゴ13』との構造の類似が指摘されている( 呉智英「『ブラック・ジャック』科学もヒューマニズムも信じない神の眼差し」『朝日ジャーナル臨時増刊 手塚治虫の世界』朝日新聞社、1989年)
  33. ^ 呉智英「『ブラック・ジャック』科学もヒューマニズムも信じない神の眼差し」『朝日ジャーナル臨時増刊 手塚治虫の世界』朝日新聞社、1989年
  34. ^ 『朝日新聞』2003年6月26日号

関連項目

外部リンク

講談社漫画賞少年部門
昭和51年度
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第1回 昭和52年度
第2回 昭和53年度