かわいそうなぞう

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『かわいそうなぞう』土家由岐雄作のノンフィクション童話絵本紙芝居として出版されている。

第二次世界大戦中の上野動物園を餓死させた実話を元にした小学校低学年向けの童話である。童話集の『愛の学校』で発表された後、1951年金の星社より絵本として出版され、1998年に100万部を達成。2005年までの発行部数は220万部を超える。

1968年から2002年の35年に渡り、毎年8月15日の終戦記念日にTBSラジオ秋山ちえ子の談話室」で秋山ちえ子により朗読された。また、学校図書社と教育出版社が小学校2年生向けの国語教科書に採用し、1974年から1986年まで使用された事で広く知られている。


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


あらすじ

第二次世界大戦が激しくなり、東京・上野動物園では空襲で檻が破壊されて猛獣が街に逃げ出したら大変だということで、猛獣を殺すことを決定する。ライオンや熊が殺され、残すはのジョン、トンキー、ワンリーだけになる。

象に毒の入った餌を与えるが、象たちは餌を吐き出してしまい、その後は毒餌を食べないため殺すことができない。毒を注射しようにも針が折れて注射が出来ないため、餌や水を与えるのをやめ餓死するのを待つことにする。象たちは餌をもらうために必死に芸をしたりするが、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく。

背景

戦前、上野動物園東京)・天王寺動物園大阪)・東山動物園名古屋)などでは、それぞれ多くの動物が飼育されていた。しかし戦争の激化により、空襲時に逃げ出したら危険ということで陸軍の判断に基づき地方行政から猛獣たちを殺処分する命令が出された。本作を含め、多くの物語で直接の軍の命令とされているが正確ではない[1]

各動物園の職員達は反対したが、食糧事情の悪化などもあり、結局戦争が終わったときには殆どの動物は死を迎えていた[2]

東京が都政を敷いて間もない昭和18年(1943年)の出来事であり、東京都として最初期におこなった動物園行政が飼育動物の殺処分命令であった。上野動物園にはこの象舎のすぐそばに動物慰霊碑が建立され、この戦争で命を落とした動物たちに対しての慰霊の行事は、終戦後60年を経た2007年現在も続いている。

書籍

脚注

  1. ^ 小森厚『もう一つの上野動物園史』丸善、1997年、p61-p62。
  2. ^ 詳しい事情については象列車も参照のこと。また猛獣以外の多くの動物たちも殺処分されるなどした他、動物園以外の動物にあっても競馬の第13回東京優駿競走(1944年)の優勝馬であるカイソウ軍馬として徴用されるなどしている。これらの事からも真の目的は危険防止の観点によるものではなく、敗色が濃厚になる中での動物さえも利用した国民に対する戦意高揚の意図にあったと考えられている

関連項目