ホセ・フェルナンデス (1974年生の内野手)

ドミニカ共和国の野球選手(内野手、1974–)

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ホセ・フェルナンデスJose Mayobanex Rojas Fernandez, 1974年11月2日 - )は、ドミニカ共和国出身のプロ野球選手である。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。右投げ右打ちでポジション内野手(主に三塁手)である。背番号は17

J.フェルナンデス
Jose Mayobanex Rojas Fernandez
東北楽天ゴールデンイーグルス #17
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
生年月日 (1974-11-02) 1974年11月2日(50歳)
身長
体重
192 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手
初出場 MLB / 1999年
KBO / 2002年
NPB / 2003年4月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

千葉ロッテ時代の応援歌の原曲は『リパブリック讃歌』。

来歴

  • 1993年エクスポズと契約。1999年、エクスポズ傘下3Aで三塁手としてレギュラー出場し、7月にはケガをしたマイケル・バレットに代わってメジャー初出場。2001年にはエンゼルス傘下3Aで打率.338、30本塁打、114打点を記録。2年ぶりのメジャー出場も果たしたが目立った成績は残せなかった。メジャー通算成績は、21試合出場、49打数7安打0本塁打1打点、打率.143。メジャー唯一の打点は、1999年7月8日に当時メッツ吉井理人から打ったタイムリーヒットで挙げている。
  • 2002年韓国SKワイバーンズに入団し、打率.281、45本塁打、107打点を記録。その年の本塁打王・李承燁とは2本差だった。
  • 2003年シーズン途中に、その春季キャンプ途中に退団したロバート・ローズの穴を埋める形で、千葉ロッテマリーンズに入団した。入団初年度から打率.303、32本塁打、100打点の高成績を残したが、活躍する時期が遅過ぎたと指摘され、契約問題がこじれて自由契約となり、同年オフに西武ライオンズに移籍した。
  • 2004年のシーズンも打率.285、33本塁打、94打点をマークし、プレーオフでは8試合で満塁本塁打1本を含む4本塁打、日本シリーズでも中日の山本昌から本塁打を放つなど活躍し、日本一に貢献した。
  • 2005年も活躍を見せたが、球団の経済事情と守備面に不安が残ることからアレックス・カブレラとの同時契約をライオンズが断念。東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーすることになった。
  • 2006年楽天移籍1年目は、開幕からホームランを量産。交流戦での大爆発もあって常に本塁打ランキング上位に位置し、最終的には打率.302、28本塁打の成績を残した。そして、パ・リーグ三塁手部門にてベストナインを受賞。楽天球団発足以来初となるタイトル受賞者となった。
  • 2007年からは背番号を"42"から"17"に変更(ケビン・ウィットに42を譲ったため)。17番は祖国ドミニカ共和国ならびに米国でも付け続けいていた番号なので、思い入れが強いものであるという(ちなみに、西武時代に背負った背番号1は「何でも一番になれ」という伊東監督からの思い)。前半戦は打率が2割5分を下回り、夏場に入っても一向に調子が上がらず、自身も「人生最大のスランプ」と漏らすほどの低空飛行が続いた。しかしオールスター以降は11本塁打、43打点と復調し、8月には月間MVPを獲得し、8月以降の打率は3割5分を超えた。最終的には.270、22本塁打、79打点の成績を残し、来日以来5年連続20本塁打を記録した。
    • 4月1日、対オリックス・バファローズ戦(フルキャストスタジアム宮城)で吉井理人投手から満塁本塁打を放つ。その後山崎武司が同一イニング中に再び同投手から満塁本塁打を放った為、1イニング2満塁本塁打という記録が誕生した。これはセ・パ両リーグ合わせて史上3度目、パ・リーグでは1999年8月20日秋山幸二小久保裕紀が記録して以来の出来事である。また、小久保の本塁打はランニングホームランであったため、2本の柵越え満塁本塁打としてはパ・リーグ史上初となる。
    • この年、一塁手として12失策三塁手としても12失策を記録し、一塁手と三塁手の両部門で同時に失策数リーグワーストになるという不名誉な珍記録を作ってしまった。

人物・エピソード

  • 愛称は、ミドルネームからとったマヨ。ファンには「ホセ」と呼ばれることが多い。
  • 打率と長打力を兼ね備えた打撃が最大の持ち味。各年、打率を超える得点圏打率を残すなど、勝負強さも大きな武器である。他方、守備には打って変わって難点を抱えている(後述)。また、米マイナー時代にシーズン29盗塁を記録したこともあって、コーチ陣からも意外と脚が速いとの評を得ており、2007年シーズンは8盗塁を記録するなど、走塁への意欲はある方だ。
  • 温暖なドミニカ生まれのためか寒さを非常に苦手にしており、春先は不調を弄することが多い。また、それゆえ夏場に集中的な活躍を見せる傾向がある。
  • 性格は非常に気さくで明るく、ムードメーカー的な選手でもある。ファンサービス精神も旺盛であり、ホームランの後にはテレビカメラの前でチームメイトと一緒にパフォーマンス(通称アギリータダンス - アギリータとはスペイン語でイヌワシの意)を披露するなど、プレイ以外でもファンからの人気は高い。勝利への執着心というものは非常に強く同じ外国人選手のリーダー的存在を買って出るなど信頼は厚い。
  • 2007年から殊勲打を放った後に、メッセージ性の強い、哲学的なコメントを発表するようになった。それらはキリスト教の教訓や読書で得た知識を基にしており、周囲を元気づけようという意識から始めたのだという。その後、東北楽天球団のモバイル公式サイトに、発表されたコメントを集めた専用のコーナーが設けられた。
  • 2007年7月13日、チームを激励するため、また自分を奮い立たせるために、チームメートに以下のメッセージが入ったTシャツを贈った。
" WINNING IS AN ATTITUDE.IF SOMEONE HAS TO WIN,WHY NOT US! "[1]
(勝つこととは心の持ちよう。誰かが勝たなければならないのなら、それは我々ではないのか!)
  • これまで在籍した千葉ロッテ、西武の両球団ではいずれもシーズン30本塁打超えの経験があり、3球団目となる楽天で30本塁打を記録すれば、レオン・リーに次ぐ史上2人目の「3球団で30本塁打を記録した外国人選手」となる。楽天移籍1年目には28本塁打を放つなど可能性は高く、快記録が期待されている。
  • 趣味は日本語研究。日本に居る期間が長いためか、簡単な日本語の会話は通訳無しでも話せるらしい。

背番号

  • 42 (2003年、2006年)
  • 1  (2004年~2005年)
  • 17 (2007年~)

年度別打撃成績

年度 チーム 試合 打席 打数 得点 安打





塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振

打率 失策
2003年 ロッテ 126 537 478 83 145 30 1 32 273 100 4 0 2 54 3 106 16 .303 19
2004年 西武 131 580 513 87 146 23 1 33 270 94 5 0 6 53 8 117 9 .285 23
2005年 120 473 420 60 123 26 1 26 229 84 5 0 3 46 4 91 12 .293 10
2006年 楽天 132 552 490 72 148 33 0 28 265 88 2 0 6 53 3 75 18 .302 15
2007年 132 503 444 52 120 15 1 22 203 79 8 0 4 49 5 94 16 .270 24
通算成績 641 2644 2345 354 682 127 4 141 1240 445 24 0 21 255 23 483 71 .291 91

獲得タイトル・表彰・記録

守備について

フェルナンデスの守備はお世辞にも上手いとは表現できない。2003年オフに千葉ロッテを自由契約になったのも、守備難が大きな要因であると言われている。2004年三塁手として109試合、一塁手として21試合に出場したが、三塁手としては19失策で守備率.934。守備率は規定試合数(93試合)に到達した4選手の中で最低であり、また19失策は千葉ロッテや大阪近鉄バファローズの三塁手全体の失策数より多い(千葉ロッテは14、近鉄は15)。

さらに一塁手としては4失策で守備率.976。この数字はオープン戦で骨折したために59試合にしか出場できなかった正一塁手・アレックス・カブレラにも劣るものである(カブレラは3失策で守備率.994)。

また、2004年に三遊間でコンビを組んでいた中島裕之の失策数は17であり、フェルナンデスと中島の合計失策数40はこの年のセ・リーグ覇者中日ドラゴンズのチーム総失策数45に匹敵する数値であった。もっとも、これは前半戦に捕球の上手なアレックス・カブレラ一塁手が骨折で欠場しており(本職が一塁手ではない貝塚政秀が守る試合が多かった)、ワンバウンド送球がエラーになる例が多かった。

西武時代の2005年は当初、三塁手として出場していたが中村剛也の台頭と石井義人の好調、さらにカブレラが一塁手として定着していることもあり、交流戦では、指名打者を使えないセ・リーグの本拠地での試合の際は代打での出場が主となった。交流戦以降は指名打者としての出場が増えた。

2006年に東北楽天移籍後は開幕から三塁手として出場。一時期、一塁手や指名打者での出場があったが交流戦以降は完全に三塁に定着した(指名打者は山崎武司が定着していること、他の三塁手候補であるリック・ショート山下勝充らの守備がやはり心もとないことなどが理由として考えられる)。

2007年は、開幕から三塁手として出場。しかし、失策が多く一塁へ回されるも、危うい守備が続いた。最終的にリーグワーストの24失策(一塁手として、三塁手としてそれぞれ12失策)を記録してしまった。

グラブ捌きやフットワークの悪さが守備難の原因であるが、意外にも打球反応は良く、痛烈なライナーにはよく反応してファインプレーにすることもある。反面簡単なゴロを捌けず、転がってきたボールを蹴飛ばしてしまうこともある。

登場曲

  • 『Fernando Villalona』Dominicano Soy

脚注

  1. ^ 楽天イーグルスオフィシャルサイト「Featured Players,vol.29」掲載 2007年9月11日

外部リンク


先代
山崎武司
東北楽天
ゴールデンイーグルス
歴代4番打者
第6代
次代
リック・ショート
先代
T.ローズ
成瀬善久
パ・リーグ月間MVP(野手)
2007年8月
ダルビッシュ有(投手)
次代
稲葉篤紀
成瀬善久