笑福亭吾竹

これはこのページの過去の版です。Ajcxx (会話 | 投稿記録) による 2008年4月10日 (木) 05:57個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

笑福亭 吾竹しょうふくてい ごちく)は、上方落語名跡。笑福亭一門の由緒名である。現在は空き名跡となっている。


初代

初代 笑福亭吾竹生没年不詳)は、本名、享年とも不詳。

初代松富久亭松竹の弟子。文政から天保にかけて京都で活躍し、初代都喜蝶と実力を競い合った。また「松富久亭」の亭号を現在の「笑福亭」に改めた。遅くとも弘化3年(1846年)には、2代目に名跡を譲っている。

初め素噺、後に芝居噺に長じたと伝え、『こぶ弁慶』や『景清』を創作したという。

2代目

2代目 笑福亭吾竹(生没年不詳)は、本名、享年とも不詳。

初代吾竹の弟子。初代吾鶴を経て、2代目吾竹を襲名。嘉永3年(1850年)頃には竹我と改名。(『落語系圖』では、竹我を2代目吾竹門人としているが、誤りか?)

天保末に「ちゝㄑりちてんぶし」「とっちりとん」等の流行唄を残したのが、この吾竹だと思われる。

大阪で活躍し、芝居噺、滑稽噺に長じたという。弟子に初代笑福亭松鶴が現れる。

3代目

3代目 笑福亭吾竹(? - 1891年8月8日)は、本名: 松本豊七。享年不詳。

後の2代目松鶴、2代目圓笑

4代目

4代目 笑福亭吾竹(生没年不詳)は、本名、享年とも不詳。

2代目吾竹門下。4代目吾竹を経て、1887年11月、上方5代目三笑亭可楽を襲名したという。

5代目

5代目 笑福亭吾竹(? - 1919年頃)は、本名、享年とも不詳。

初め初代桂文團治の門下で初代桂歌團治を名乗る。後に初代桂米團治7代目桂文治)と2代目文團治襲名を争って敗れたため、3代目笑福亭松鶴の門下に移り、5代目吾竹を襲名。1912年、更に笑福亭吉右衛門と改名。

出典

  • 『落語系圖』(月亭春松編)
  • 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)