笑福亭吾竹
笑福亭 吾竹(しょうふくてい ごちく)は、上方落語の名跡。笑福亭一門の由緒名である。現在は空き名跡となっている。
初代
初代松富久亭松竹の弟子。文政から天保にかけて京都で活躍し、初代都喜蝶と実力を競い合った。また「松富久亭」の亭号を現在の「笑福亭」に改めた。遅くとも弘化3年(1846年)には、2代目に名跡を譲っている。
初め素噺、後に芝居噺に長じたと伝え、『こぶ弁慶』や『景清』を創作したという。
2代目
2代目 笑福亭吾竹(生没年不詳)は、本名、享年とも不詳。
初代吾竹の弟子。初代吾鶴を経て、2代目吾竹を襲名。嘉永3年(1850年)頃には竹我と改名。(『落語系圖』では、竹我を2代目吾竹門人としているが、誤りか?)
天保末に「ちゝㄑりちてんぶし」「とっちりとん」等の流行唄を残したのが、この吾竹だと思われる。
大阪で活躍し、芝居噺、滑稽噺に長じたという。弟子に初代笑福亭松鶴が現れる。
3代目
4代目
4代目 笑福亭吾竹(生没年不詳)は、本名、享年とも不詳。
5代目
5代目 笑福亭吾竹(? - 1919年頃)は、本名、享年とも不詳。
初め初代桂文團治の門下で初代桂歌團治を名乗る。後に初代桂米團治(7代目桂文治)と2代目文團治襲名を争って敗れたため、3代目笑福亭松鶴の門下に移り、5代目吾竹を襲名。1912年、更に笑福亭吉右衛門と改名。
出典
- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)