アリ・ダエイ

イランのサッカー選手

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アリ・ダエイ(アリー・ダーエイー、 ペルシア語 علی دائی Alī Dā'eī1969年3月21日 - )は、イラン出身の元サッカー選手、指導者。

アリ・ダエイ
名前
カタカナ アリ・ダエイ
ラテン文字 Ali_DAEI
ペルシア文字 علی دایی‎
基本情報
国籍 イランの旗 イラン
生年月日 (1969-03-21) 1969年3月21日(56歳)
出身地 アルダビル
身長 192cm
体重 80kg
選手情報
ポジション FW
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

人物

イランスポーツ界の英雄的存在であると共に1990年代のアジアを代表する名ストライカー。149試合に出場した国際Aマッチにおける通算109得点(2025年10月17日現在)は世界記録である。「ベルシアン・タワー」の異名を持ち、恵まれた体格と高い跳躍力で高い打点から打ち下ろすヘディングは脅威であった。

アゼルバイジャン国境近くの町アルダビルに生まれ、少年時はディフェンダーとしてもプレー。フォワードへ専念後1993年6月6日にイラン代表デビューを果たすと、1994年アメリカワールドカップ予選や1996年アジアカップ(得点王)において活躍、1997年からはドイツブンデスリーガへ移籍。フランスワールドカップでも予選・本戦を通して活躍し、1999年にはアジア年間最優秀選手賞を獲得した。

ワールドカップ予選において日本人に与えたインパクトは強烈で、1993年のワールドカップアジア最終予選・対日本戦では決勝点となる2点目の得点。1997年のフランスワールドカップアジア最終予選・第三代表決定戦では一時日本を1-2とリードする得点。また、1999年9月の親善試合ではゴール正面のフリーキックを直接決める等、1990年代を通じて何度も日本の前に立ち塞がってきた。

2006 FIFAワールドカップでもアジア予選得点王の結果を残し、イラン代表を2大会ぶり、自身2度目のワールドカップ出場に導いたが、スピード、スタミナの不足を露呈し、本大会では不本意な結果に終わった。

2007年5月28日選手兼任監督として所属するサイパFCのイラン・リーグ優勝が決定した日の試合後に、選手としては現役を引退することを正式に表明した。

2008年3月2日、イラン代表監督への就任が決定。

エピソード

1994年の広島アジア大会で負傷し入院するが、その際に医師看護師を始め多くの日本人が親切だったことに甚く感激して以来、大の親日家。好きな映画に「七人の侍」を挙げ、また2005年6月8日にイランがアジア最終予選通過を決めた際の「私は初めからイランと日本が(予選を)突破することを信じていた」とのコメントからもその親日家振りが伺える。

2005年6月、突然長かった独身生活にピリオドを打つ。

スポーツ用品店「ダエイ」を経営しており、イラン代表のユニフォームは彼の店のブランドである。

少年時代、父親が教育熱心であり、学業を優先するように言われていたが、母親にこっそりサッカーボールを受け取り練習に行っていたという。

所属クラブ

外部リンク


先代
中田英寿
アジア年間最優秀選手賞
1999
次代
ナワフ・アル・テミヤト