小坂誠

日本の元プロ野球選手、プロ野球コーチ

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小坂 誠(こさか まこと、1973年7月2日 - )は宮城県山元町出身のプロ野球選手読売ジャイアンツ所属の内野手遊撃手)。

小坂 誠
読売ジャイアンツ #6
基本情報
出身地 宮城県亘理郡山元町
生年月日 (1973-07-02) 1973年7月2日(52歳)
身長
体重
168 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1996年 ドラフト5位
初出場 1997年4月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

  • 2005年
  • 12月21日 巨人に金銭トレードで移籍。背番号2
    • 報道によると、契約更改交渉予定だったが予定時間が二転三転し、交渉は行われたものの、その場で金銭トレードでの巨人移籍が通告され、その数時間後に巨人で入団会見をするという急な移籍となり、オフには小坂の加入により巨人の正二塁手仁志敏久が追われるようなかたちで横浜ベイスターズへ移籍。
      こうした両球団の対応には両球団のファンからの非難の声が数多く上がったが、ファンの感情的な憶測とは裏腹に『「バレンタイン流マネジメント」の逆襲(高橋徹・著、講談社・刊)』によれば、金銭トレードは自身が主導したもので巨人1球団に対してというものでもなかったようである。不要な選手を放出して資金を捻出しただけとバレンタイン監督自身はMLB出身の監督らしく極めて冷静に振り返っている。
      一方巨人側は「1年前から狙っていた選手」とコメントしている。2005年は一塁手に退団が規程路線となっていた清原和博(その後李を獲得)、二塁手に仁志、三塁手に小久保、遊撃手二岡智宏。当時の監督堀内恒夫が守りの野球を掲げており、1つ枠が空いた一塁三塁に、足に不安があるものの2割8分20本塁打を望める二岡をコンバート、二遊間を巧守の選手で固めるという構想があった可能性、その延長上で小坂を獲得した説もある。
      数年続いた投手力低迷の低下の元凶を「すべて野手の守備能力低下のせい」と決め込んだ場合、攻守の選手をショートに固定すべきだが、投手自体の能力、ショートを小坂・さらに二岡が一塁三塁を守ることにより打撃力が著しく低下すること、他の選手の守備力などを総合的に天秤にかけると、少なくとも当時は新監督として復帰した原辰徳監督の「内野で守備機会がもっとも多く、巨人の野手で最も打撃力が低いセカンドの控えという位置に置く構想」が一番損失が少なかったと思われる(実際この年巨人はチーム防御率が1点以上向上しているが、怪我人続出による打撃力不足で低迷している)。
  • 2006年 巨人でのキャンプではセカンドサードの守備にとりくんでいたが、正二塁手仁志の絶不調もあり開幕2番セカンドのスタメンを勝ち取る。二岡が交代時や三塁に回った時にはショートについた。チーム内にケガ人が続出するなかで、守備・走塁のスペシャリストとしての地位を築き李承燁や二岡と共にシーズンを通じて一軍に定着し続けた。小技などに千葉ロッテ時代よりも進歩も見せるが、打率1割台と極度の不振に陥ってしまう。シーズン終了後には大幅減俸を受け入れ、10月には若手とともにフェニックスリーグに参加した。
  • 2007年小笠原道大の入団もあり背番号を6に変更。シーズンはショートは二岡で固定され、セカンドは木村拓也脇谷亮太が起用されることが多く、出場機会は二岡と交代での守備固め、もしくは代走がほとんどだった。打撃でも目立った活躍はできず、肩を痛め8月3日の出場を最後に1軍登録を抹消された。**3月30日 セントラル・リーグ開幕戦の対横浜(横浜スタジアム)で史上10人目の通算250犠打を達成。前年の選手で1番最後に越年契約。
  • 2008年2007年まで一度しか守ったことがなかった三塁を守ることも多くなった。故障の後遺症もなく、その三塁でも堅実な守備を見せている。

プレースタイル

守備の評価

  • 遊撃手としては現役第一人者の呼び声高く、俊足と肩の強さ、安定した送球、柔らかなグラブ捌きに加え、ポジショニング、打球勘などその全てが高水準である。守備範囲の広さは「小坂ゾーン」とまで形容され、小坂自身は「平成の牛若丸」とも一部で呼ばれた。千葉ロッテ時代での二塁手・酒井忠晴とのハイレベルなコンビネーションは鉄壁と称され、マリーンズファンの誇りであった。
  • 千葉ロッテマリーンズに入団して以来、千葉ロッテの1軍では2004年に一度だけ三塁手を守った以外は9年間遊撃のレギュラーを守り続けた。2軍やオールスターでは二塁手なども経験しているが移籍時に一部スポーツ紙で「2005年に二塁を守った」という記事が掲載されたのは誤りである。千葉ロッテ在籍時の小坂はショートのみを守る選手、「ショートの達人」と解釈できる。巨人に移籍後の2006年シーズンは、主に二塁手として起用されたが、持ち前の守備力を生かして遊撃手以外の守備も無難にこなしユーティリティープレイヤーとして活躍の幅を広げている。

年度別野手成績

年度 球団

























1997年 千葉
ロッテ
00 135 595 499 66 130 14 7 1 161 30 56 16 38 5 49 4 49 4 .261 14
1998年 1 124 527 430 51 100 12 8 3 137 33 43 11 48 6 40 3 48 3 .233 16
1999年 130 586 482 64 135 18 10 3 182 40 31 15 42 2 57 3 59 2 .280 13
2000年 135 559 462 57 110 17 4 1 138 30 33 11 23 5 69 0 69 4 .238 11
2001年 140 657 550 79 144 16 8 1 179 35 32 9 22 7 77 1 70 8 .262 16
2002年 93 380 334 35 82 13 6 1 110 15 11 3 18 0 26 1 54 2 .246 3
2003年 134 592 516 67 133 21 7 3 177 40 27 7 19 3 53 1 84 5 .258 8
2004年 89 300 242 33 61 9 3 1 79 26 6 8 21 3 31 1 37 1 .252 8
2005年 118 367 321 64 91 14 6 4 129 31 26 11 10 1 29 6 47 3 .283 3
2006年 巨人 2 92 255 218 24 40 5 2 0 49 12 4 4 8 2 22 5 41 3 .183 4
2007年 6 56 31 24 13 3 1 1 0 6 3 2 0 1 1 4 1 8 0 .125 1
通算 1246 4849 4078 553 1029 140 62 18 1347 295 271 95 250 35 457 26 566 35 .252 97

年度別守備成績

位置 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
97 135 197 459 14 86 .979(4)
98 123 236 417 16 106 .976(3)
99 130 230 421 13 84 .980(1)
00 135 226 489 11 98 .985(1)
01 140 252 492 16 99 .979(3)
02 93 175 298 3 57 .994(1)
03 134 226 483 8 86 .989(1)
04 88 148 275 8 65 .981(3)
1 1 0 0 0 1.000
05 112 142 290 3 64 .993(1)
06 76 114 196 4 34 .987
27 14 21 0 5 1.000
07 2 0 2 0 0 1.000
51 22 41 1 10 .984
  • 2007年シーズンまで
  • 表中の太字はリーグ最高

タイトル・表彰・記録

個人記録

エピソード

  • ロッテのアイスモナカモナ王」のコマーシャルに、初芝清篠原ともえと共に出演した。
  • 新聞などによると好きな女優は伊藤かずえ。夫人は伊藤とはタイプが違う小柄な一般人女性。
  • 笑う事が少ないと言われ、踊る!さんま御殿!!に出演した際には「小坂さんの笑った顔を初めて見た」と他球団選手に言われたほど。2005年お立ち台の際、4安打目となる二塁打を放ったときに見せた笑顔について聞かれ、「まあ、たまには見せないといけないでしょう」と答えた。
  • ホームランが2007年までの通算でも18本と少ない方であるが、2000年3月26日オープン戦の対横浜戦で1イニング2本塁打を記録している。この試合は千葉ロッテのかつての本拠地であり狭いことで有名であった川崎球場の取り壊し記念の最終戦で、両軍合わせて10本塁打が飛び出し、スコアも22-6(千葉ロッテ勝利)という乱打戦であった。パワーが無いと思われがちだが、広い福岡ドームで本塁打を放ったこともある。
  • 2002年2003年には千葉マリンスタジアムで、「小坂スチール弁当」が販売された。弁当の呪いによって2002年のホークスとの開幕カード3試合目で併殺を阻止しようとしたランナー・バークハートのタックルにより右足を骨折した。
  • 2000年、2001年とオールスターに出場した際、TV中継のアナウンサーが小坂を「ロッテオリオンズの小坂」と紹介。その他の選手は「ロッテマリーンズの○○」と呼ばれていた中、一人だけオリオンズとされていた。
  • 2000年ナゴヤドームで行われた「オールスター大運動会」において俊足の小坂に対し、恰幅良く鈍足と思われる阪神中込伸と二人で100m徒競走を行うという企画が行われた。中込には半分の50m地点から同時に走るというアドバンテージがつけられ、差は縮まったものの、大方の予想に反し中込の圧勝だった。
  • 芸人に守備のうまさをネタにされることが多い。上田晋也リチャードホールのコントで、「なんであんたそんな拾いづらいとこ拾うんだよ!ロッテの小坂か!?」や、石橋貴明とんねるずのみなさんのおかげでした食わず嫌い王での、「ロッテ(巨人)の小坂並に守備範囲広いですね~」など。

背番号

関連項目

先代
金子誠
パ・リーグ新人王
1997年
次代
小関竜也
先代
松井稼頭央
パ・リーグ盗塁王
1998年
松井稼頭央
次代
松井稼頭央
先代
松井稼頭央
パ・リーグ盗塁王
2000年
次代
井口資仁