伊東祐崇

日本の江戸時代前期~中期の武士。交代寄合(表向御礼衆)旗本伊東祐春長男で、日向飫肥藩5代藩主伊東祐実養子。飫肥藩世嗣。従五位下駿河守

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伊東祐崇(いとう すけたか、寛文9年- 延享4年11月10日)は江戸時代武士は祐崇。通称は駿河守。従5位下。父は江戸幕府交代寄合伊東祐春。母は土岐頼泰(縫殿助)の娘。同母弟は江戸幕府交代寄合伊東祐連。正室は分部信政の娘で、継室は松平義昌の娘。継室との娘が祐実養女として伊東祐永の正室となり、伊東祐之を生む。叔父で飫肥藩主伊東祐実の養嗣子となるが、病気により廃嫡となる。しかし、結局は外孫の祐之よりも長生きし、享年79歳で死去。


経歴

  • 天和2年;旧暦12月26日徳川綱吉に初お目見え。
  • 元禄6年;旧暦3月2日叔父祐実の養嗣子となり、旧暦12月18日に従五位下、駿河守となる。
  • 宝永4年;旧暦6月14日に病により飫肥藩世子を辞し、廃嫡。

参考文献

  • 「寛政重修系図 第1輯」