村主章枝
村主 章枝(すぐり ふみえ、ラテン文字:Fumie Suguri、1980年12月31日 - )は、日本の女性フィギュアスケート選手。神奈川県横浜市出身。血液型AB型。清泉女学院中学高等学校、早稲田大学教育学部卒業。エイベックス所属。妹はプロスケーターの村主千香。
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![]() 2003年NHK杯での村主章枝 | ||||||||||
生誕 |
1980年12月31日(44歳) 千葉県千葉市 | |||||||||
身長 | 157 ㎝ | |||||||||
選手情報 | ||||||||||
コーチ | ニコライ・モロゾフ | |||||||||
所属クラブ | エイベックス | |||||||||
ISUパーソナルベストスコア | ||||||||||
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ソルトレイクシティオリンピック5位、トリノオリンピック4位。世界選手権において獲得メダル3個(最高2位)。全日本選手権において3連覇を含む優勝5回。四大陸選手権優勝3回。2003年グランプリファイナルにおいて日本人選手初優勝。その表現力から「氷上の女優(アクトレス)」等と呼称されることが多い。大舞台に強い選手としては「土壇場の女」という異名も知られている。2025年現在、現役女子選手としては最年長の一人である。
人物
6歳でスケートを始める。[1]競技者としては厳格な性格で、自身について「試合になると自分の世界に入り込んでしまうため、周りからは怖いお姉さんだと思われてるみたい」と語る。普段はおっとりとしている。また、父の仕事の関係で海外でも暮らしていたため英語が堪能である。
演技中によく口が開いているが、これは癖であるため、直そうと思っても直せないという[2]。2004-2005シーズン終了後には表現力を高めることを狙い公開で恋人を募集したものの、反響が大きくなり過ぎて急遽中止したことがある。なお、演技後のキスアンドクライでよく「Chika! I love you!」と叫んでいるが、このChikaとは妹の村主千香のことである。
2007年6月まで日本オリンピック委員会選手強化キャンペーンのシンボルアスリート適用選手。トリノオリンピックが終わってからしばらくの間はテレビ出演が相次いだ。2006年5月にはヴィダルサスーンのヘアショーにモデルとして出演。また、同年5月上旬からははるやま商事(JOCのオフィシャルパートナーシップ企業)のCMに出演した。
アラスカに住んでいた当時、劇団ひとりが近所に住んでおり(因みに劇団ひとりの父親も日本航空の国際線パイロットで、母親も日航の客室乗務員だった関係で在住していた)、遊び仲間の1人でもあった。双方ともそのことをほとんど覚えていなかったが、当時の事情を覚えていた第三者に説明されたことをきっかけに、2006年にはアイスショーのアトラクションで共演している。
珍しい苗字であるため、「ムラヌシさん」や「ソンシュさん」と読み間違えられることが多いが、「訂正がいちいち面倒くさい」と普通に返事をしているのだという。
他のスケーターとの関係
オリンピック出場をかけて2大会連続で一騎打ちとなるなど、長年のライバルであった荒川静香とは確執が取り沙汰され、かつては関係者が「遠征先で相部屋になっても口を聞かない」と証言したり、2人の共通のコーチだった佐藤久美子が、「決して友達ではない。まるでタイプが違うので二人で行動しない」と語るほどであった。2004年世界選手権で世界女王となった荒川が引退を考慮していると聞いた際、村主は「理解できない」と関係者に語っていた。その一方で荒川も、村主について「取っつきにくい部分があり、どう話していいのか難しい」という印象を抱いていた[3]。
しかし、共に出場を決めたトリノオリンピックの日本代表合宿では、村主が荒川にドーナッツスピンについてアドバイスを求める場面が見られるようになった。このころお互いの人物評を求められて、荒川は村主を「努力の継続が尊敬できる」、村主は荒川を「才能がある人」と評し、当時の城田憲子強化部長は「お互いに大人になったということ」と語るなど、和解が報じられた[3]。その後プロ転向した荒川は、解説者として出席した2006年GPファイナル記者会見の席上において、村主のことを「一番長くお世話になっている人。毎年新しいものに取り組み、こつこつと努力しているのがわかる。そこが私が一番負けているところ」と語った。すると村主も「荒川さんが目指していた楽しんでスケートをするというのを、私もやりたい」と返した。
ソルトレイクオリンピックの演技直前、サーシャ・コーエンがタイツを忘れてしまい、村主がタイツを貸すということがあった。これはフィギュア界で一種の美談となり、新聞でも報道された。しかしコーエンはその後数年間経ってもタイツを返さなかったようで、村主は2006年にテレビ出演した際、「早く返してください」と冗談めかして語っていた[4]。
経歴
幼少期から1997-98シーズンまで
横浜市鶴見区で日本航空国際線パイロットの父と、元客室乗務員の母の間に生まれる。村主家は18代続く旧家であり、先祖は酒造職人だった。3歳から5歳までをアメリカのアラスカ州アンカレッジで過ごす。この時代、スケートをはじめとするウィンタースポーツに親しんだ経験が競技生活の原点といえる。
6歳でスケートを始める。1992年、小学6年生で全日本ジュニア選手権に初めて出場し、19位。1994年には初めての国際大会となるガルディナトロフィー(イタリア)で7位となる。1995年、全日本ジュニア選手権で2位となり、4度目の出場にして初の表彰台に上がる。続く世界ジュニア選手権でも初出場ながら4位に入賞し、その頭角を現し始める。
1996-1997シーズン、全日本ジュニア選手権、世界ジュニア選手権でそれぞれ前季に続き2位、4位に入賞。全日本選手権ではショート3位からフリーで逆転優勝を飾り、2度目の出場で16歳にして全日本女王となる。シニアの世界選手権代表に初選出されたが18位にとどまった。10位以内に入れなかったため、長野オリンピックの日本女子シングル代表枠はわずか1つとなった。
1997-1998シーズン、長野オリンピックと世界選手権の出場権がかかった全日本選手権では、ショートプログラムで首位に立つも、フリースケーティングのジャンプで転倒してしまい総合2位に終わる。ショート2位から逆転優勝した荒川静香が両大会の代表に選出され、村主は補欠となった。
1998-99シーズンから2001-02シーズンまで
1998-1999シーズン、グランプリシリーズスケートカナダで2位、NHK杯では3位に入賞。グランプリファイナルに初進出したが5位にとどまった。冬季アジア大会では3位に入賞。2季ぶりに出場した世界選手権では20位に終わった。同4月、早稲田大学教育学部社会科社会科学専修に自己推薦入学する。
1999-2000シーズン、全日本選手権では3位に入賞、四大陸選手権では日本人選手最高位の4位に入ったが、世界選手権代表の座は同大会5位ながらフリースケーティングの内容を評価された恩田美栄にさらわれた。
2000-2001シーズン、全日本選手権で3季ぶり2度目の優勝を果たし、2季ぶりに世界選手権代表に選出される。四大陸選手権で初優勝を果たし、ISU国際大会において日本人選手として佐藤有香以来7季ぶりのチャンピオンとなった。世界選手権では7位に入賞した。
ソルトレイクシティオリンピックを控えた2001-2002シーズン、村主がNHK杯で7位に終わる一方で、グランプリファイナル進出を決めた恩田美栄が五輪代表に内定。全日本選手権は、事実上残り1枠をかけた荒川静香との一騎打ちとなった。ショートプログラムで首位に立つと、最終滑走となったフリースケーティングでは苦手の3回転サルコウ、3回転ループも決め、そのまま優勝。ついに念願のオリンピック代表に選出された。迎えたソルトレイクシティオリンピック本番、ショートプログラムでは7位となって最終グループ入りを逃したうえ、フリースケーティングでもくじ引きで早い滑走順になってしまった(当時は旧採点だったため滑走順が早いと不利な傾向にあった)。しかし、その悪条件を跳ね返し、最終的には5位入賞と好成績を残した。長野で開催された世界選手権では、出場4回目にして初めて表彰台に上がり3位に入賞した。
2002-03シーズンから2005-06シーズンまで
2002-2003シーズン、全日本選手権で3年連続4度目の優勝を飾った。冬季アジア大会では2位。2季ぶりに出場した四大陸選手権では2度目の優勝を果たした。また、この2大会を通じて荒川静香・中野友加里と共に日本人選手で表彰台を独占した。グランプリファイナルでは6位に終わったが、世界選手権では前季に続き3位に入賞、男子の本田武史と共に2季連続で日本人選手が銅メダルを獲得した。
2003-2004シーズン、NHK杯でグランプリシリーズ初優勝を遂げると、3度目の進出となったグランプリファイナルでは、ショートプログラム、フリースケーティング共に1位で日本人選手初制覇の快挙を成し遂げた。4連覇が期待された全日本選手権では2位、世界選手権では7位入賞にとどまった。
2004年4月にマンション販売大手のダイナシティと所属契約、ダイナシティ子会社のダイナミック・スポーツとマネージネント契約。5月にはダイナシティの援助を受けてシカゴに練習拠点を移し、コーチにオレグ・ワシリエフを迎える。しかし、指導が充分に受けられなかったため、12月に練習拠点を新横浜プリンスホテルスケートセンターに戻し、再び佐藤信夫コーチに師事することになった。
2004-2005シーズン、2季ぶりの四大陸選手権では、同大会最多優勝となる3度目の優勝を果たした。世界選手権では、予選Aグループで2位となり、ショートプログラムでは冒頭の3回転ルッツでの転倒が響いて10位と出遅れるも、フリースケーティングで追い上げて日本人選手トップの5位に入った。
2005年6月28日、ダイナシティ社長だった中山諭が覚醒剤取締法違反で逮捕されて即日解任、村主側はダイナシティ側と協議し契約解除することになった。7月に担当エージェントが前年2月に設立していたマネージメント会社AKグローバルエージェントとマネージメント契約、10月にエイベックスと所属契約した。
トリノオリンピックを控えた2005-2006シーズン、開幕直前の2005年9月に以前から痛めていた右股関節の故障が悪化し、グランプリシリーズ出場さえ危ぶまれた。10月のスケートカナダでは、ショートプログラムは無難にまとめて2位となったものの、フリースケーティングでは全くジャンプが跳べず総合8位に沈み、五輪連続代表入りは絶望的と思われた。続くNHK杯のショートでも3回転フリップで転倒し6位スタート。しかし、フリースケーティング1位と追い上げ、総合2位に入って復活の兆しを見せた。そして、五輪最終選考会の全日本選手権ではミスのない演技でフリー1位となり、グランプリファイナルで優勝していた浅田真央を抑えて3年ぶり5度目の優勝。選考ポイント最下位から大逆転でトリノオリンピック出場を決めた。同時に、全日本選手権において10季連続でメダリストとなった。
トリノオリンピック選手団結成にあたっては副将を務めた。競技ではほぼノーミスの演技を披露したものの、成績はショートプログラム、フリースケーティングともに荒川静香、サーシャ・コーエン、イリーナ・スルツカヤに次ぐ4番手で総合でも4位入賞。フリーの3回転フリップからのコンビネーションジャンプが2回転-2回転となった以外特に大きなミスはなかったが得点が伸びず、前回のソルトレイクシティオリンピックから順位を1つ上げたが、メダル獲得には至らなかった。夢であったオリンピックに2度出場したことからメディアでは競技引退も囁かれたが、「今回トリノで魔法をかけられた。次のバンクーバーまで解けないと思う」との独特の表現で現役続行を表明した。
世界選手権では、予選Aグループで1位となり、ショートプログラムではパーソナルベストを僅かに更新してサーシャ・コーエンに次ぐ2位スタート。フリースケーティングでもパーソナルベストに迫る演技をしたものの、村主の直前に滑走したアメリカの新鋭キミー・マイズナーが逆転優勝。結果、自己最高の2位に入賞し、世界選手権において日本人選手最多の3個目となるメダルを獲得。しかし、スルツカヤや荒川が不在の世界選手権で佐藤信夫コーチも「なかなかないチャンスで金メダルを獲らせてあげたかった」と語り、村主も「一番高いところに行きたかった。表彰台に多く乗っても、やはり色(が大事)だと思う。本当に思うようにいかないシーズンでした。人生は凄く難しいと思うようになった。今後はメダルの色にこだわりたい。失敗を恐れずにチャレンジしていきたい」とシーズンを締め括った。
2006-07シーズンから現在まで
自ら「リセットの年」と語った2006-2007シーズン、村主は東京で開催される世界選手権を見据え、ショートプログラムにはボレロを、フリースケーティングには以前から暖めていたという“一大プロジェクト”、女性ヴォーカルを楽器の一つとして取り入れた曲のメドレーを使用。もしジャッジがヴォーカルを歌詞と判断すれば規定により減点されるが、このシーズン初戦となるスケートカナダ以降減点されたことはは一切なく、新たな試みは成功となった。10回目の出場となったNHK杯では浅田真央に次いで2大会連続2位となり、4度目のグランプリファイナル進出を決めた。しかし、ファイナルではジャンプにミスが出て4位にとどまった。
全日本選手権では、最終滑走のショートプログラムで3回転フリップが回転不足・両足着氷となってしまい5位と出遅れる。フリースケーティングでも同じミスを繰り返し、曲の終了に締めくくりの高速スピンが間に合わなくなってしまった。その結果、総合4位に終わり、世界選手権代表には選ばれなかった。冬季アジア大会では、フリースケーティングの中盤にジャンプミスを重ね、再び締めくくりの高速スピンを演技に入れられず、中野友加里に逆転優勝を許した。四大陸選手権では、ショートプログラムのジャンプで相次いで転倒し、12位と大きく出遅れてしまう。さらに転倒の際に臀部を強打、首もむち打ち状態となり、痛みがひかなかったためフリースケーティングを滑ることなく途中棄権を余儀なくされた。
2007-2008シーズン、環境の変化を求め、7月に練習拠点をモスクワに移した。コーチも長年師事してきた佐藤信夫から、前季フリースケーティングの振り付けを手がけたアレクサンドル・ズーリンに変更し、イゴール・パシケビッチの指導の下、ジャンプのテクニックを変えてシーズンに臨む。グランプリシリーズ中国杯ではショートプログラムでジャンプのミスを連発して大きく出遅れたが、フリースケーティングで巻き返して4位となった。ロシア杯ではショートプログラムでシーズンベストを更新したものの5位に終わった。全日本選手権では、ショートプログラムで3位と好スタートを切ったものの、フリースケーティングでは3つの3回転ジャンプが2回転になってしまい、結果4位にとどまった。四大陸選手権の代表には選出されたが、目標にしてきた世界選手権出場権は得られなかった。四大陸選手権ではショートプログラムで大きく出遅れ、フリースケーティングではシーズンベストを僅かに更新したもののジャンプミスが続いて総合10位となり、一度も表彰台に上がることなくシーズンを終えた。ジャンプの不振から成績が低迷したシーズンとなったが、ジャンプ以外の要素では、トリノオリンピックでの敗因ともいえるレベルの取りこぼしはほとんどなく、ほぼ全ての要素でレベル4の評価を得るなど、その点では十分な成果の見られたシーズンだったともいえる。
2008-2009シーズン、「ここ2シーズン結果を残せず、大きな変化が必要と感じた」とコメントし、7月にコーチをニコライ・モロゾフに変更。練習拠点も強化拠点のあるアメリカのニュージャージー州に移した。初戦の東京ブロック大会ではフリースケーティングでジャンプミスがあったものの、ショートプログラムともに1位で3季ぶりに優勝した。グランプリシリーズスケートカナダではショートプログラムで技術点の自己ベストを更新して2位、フリースケーティングでは締めのスピンをフライングから入り忘れたため重複して点数にならなかったものの、2季ぶりに表彰台に上がる総合2位となった。ロシア杯ではショートプログラムで首位スタートを切ったものの、フリースケーティング後半にジャンプミスが続いて総合3位にとどまった。結果、グランプリシリーズの総合成績で総得点差により7位となり、グランプリファイナルへの進出は逃したが、2大会連続表彰台に上がるなど復調を印象付けた。
スケート技術
ジャンプ
高難度のルッツやフリップ、アクセルを得意とする。しかし一方でループやサルコウは不得意であり、3回転ループはここ数シーズン跳んでいない。3回転-3回転のコンビネーションジャンプは跳べないが、2007-2008シーズンからは3回転-2回転アクセルのジャンプシークエンスを取り入れている。また、長らく3連続のコンビネーションジャンプを取り入れてなかったが、2008-2009シーズンから3回転ルッツ(またはフリップ)-2回転トウループ-2回転ループのコンビネーションジャンプを取り入れている。
スピン
アップライトスピンの回転の速さには定評があり、高速スピンが代名詞になるほどである。新採点システムにおいてスピンの速さは得点にあまり反映されないため、報道陣から「高速スピンを止めるのか」と質問されることがあるが、村主は「私らしいスピンなので出来る限り取り入れていきたいです」と話している。
体が硬めでかつ股関節の故障も抱えているため、他の選手に比べるとポジションに制限があり、今のところビールマンスピンは取り入れていない。それでもI字スピンやA字スピンは継続して取り入れており、2007-2008シーズン以降はレイバックスピン以外で安定してレベル4を獲得している。2008年ロシア杯のフリースケーティングでは出場選手中唯一、スピン・スパイラルでレベル4(ステップでもレベル3)の評価を揃えた。
スパイラル
トリノオリンピックまでの競技会で、スピンやスパイラルの点数が伸びなかったことを反省し、近年では体の硬さを目立たせないようにしたり、表情の出し方を工夫するようにしている。
主な戦績
2001年以後
大会/年 | 2001-02 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 | 2006-07 | 2007-08 | 2008-09 |
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冬季オリンピック | 5 | 4 | ||||||
世界選手権 | 3 | 3 | 7 | 5 | 2 | |||
四大陸選手権 | 1 | 1 | 棄権 | 10 | ||||
全日本選手権 | 1 | 1 | 2 | 3 | 1 | 4 | 4 | |
冬季アジア大会 | 2 | 2 | ||||||
GPファイナル | 6 | 1 | 4 | |||||
GPロシア杯 | 5 | 3 | ||||||
GPスケートカナダ | 4 | 2 | 4 | 8 | 2 | 2 | ||
GP中国杯 | 3 | 4 | ||||||
GPNHK杯 | 7 | 4 | 1 | 2 | 2 | |||
GPエリック杯 | 4 | |||||||
GPボフロスト杯 | 2 |
2001年以前
大会/年 | 1992-93 | 1993-94 | 1994-95 | 1995-96 | 1996-97 | 1997-98 | 1998-99 | 1999-00 | 2000-01 |
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世界選手権 | 18 | 20 | 7 | ||||||
四大陸選手権 | 5 | 4 | 1 | ||||||
世界Jr.選手権 | 4 | 4 | |||||||
全日本選手権 | 4 | 1 | 2 | 2 | 3 | 1 | |||
全日本Jr.選手権 | 19 | 9 | 10 | 2 | 2 | ||||
冬季アジア大会 | 5 | 3 | |||||||
GPファイナル | 5 | ||||||||
GPロシア杯 | 7 | ||||||||
GPスケートカナダ | 2 | 3 | |||||||
GPNHK杯 | 6 | 5 | 3 | 8 | 5 | ||||
GPエリック杯 | 7 | ||||||||
ネーベルホルン杯 | 4 | ||||||||
ガルデナスプリング杯 | 7 |
シニア
2008-2009 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2008年11月20日-11月23日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | - | 1 58.30 |
3 103.74 |
3 162.04 |
2008年10月30日-11月02日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(オタワ) | - | 2 57.92 |
3 105.94 |
2 163.86 |
2008年10月11日-13日 | '08 東京フィギュアスケート選手権(東京) | - | 1 64.90 |
1 96.61 |
1 161.51 |
2008年08月22日-24日 | モランメモリアル(ハッケンサック) | - | - | - 98.52 |
- |
2007-2008 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
2008年02月11日-17日 | 2008年四大陸フィギュアスケート選手権(高陽) | - | 9 50.24 |
9 94.82 |
10 145.06 |
2007年12月26日-28日 | 第76回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | - | 3 63.50 |
6 98.29 |
4 161.79 |
2007年11月22日-25日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | - | 4 56.18 |
6 91.97 |
5 148.15 |
2007年11月08日-11日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(ハルビン) | - | 11 44.76 |
3 92.37 |
4 137.13 |
2007年10月06日-07日 | 日米対抗フィギュアスケート競技大会2007(新横浜) | - | - | 2 90.15 |
団体2位 |
2006-2007 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
2007年02月07日-10日 | 2007年四大陸フィギュアスケート選手権(コロラド・スプリングス) | - | 12 46.09 |
棄権 | - |
2007年01月28日-02月04日 | 第6回アジア冬季競技大会(長春) | - | 1 58.50 |
3 103.55 |
2 162.05 |
2006年12月27日-29日 | 第75回全日本フィギュアスケート選手権(名古屋) | - | 5 58.56 |
4 114.00 |
4 172.56 |
2006年12月14日-17日 | ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) | - | 5 55.14 |
3 103.64 |
4 158.78 |
2006年11月30日-12月03日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(長野) | - | 2 61.92 |
2 117.39 |
2 179.31 |
2006年11月02日-05日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ビクトリア) | - | 2 58.52 |
2 110.24 |
2 168.76 |
2005-2006 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
2006年03月19日-26日 | 2006年世界フィギュアスケート選手権(カルガリー) | 2 28.47 |
2 62.12 |
2 119.15 |
2 209.74 |
2006年02月10日-26日 | トリノオリンピック | - | 4 61.75 |
4 113.48 |
4 175.23 |
2005年12月23日-25日 | 第74回全日本フィギュアスケート選手権(東京) | - | 2 67.30 |
1 126.86 |
1 194.16 |
2005年12月01日-04日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(大阪) | - | 6 52.60 |
1 105.88 |
2 158.48 |
2005年10月27日-30日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(セントジョンズ) | - | 2 52.12 |
9 79.88 |
8 132.00 |
2004-2005 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
2005年03月14日-20日 | 2005年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) | 2 27.19 |
10 56.28 |
5 112.54 |
5 196.01 |
2005年02月14日-20日 | 2005年四大陸フィギュアスケート選手権(江陵) | - | 1 61.44 |
1 117.22 |
1 178.66 |
2004年12月24日-26日 | 第73回全日本フィギュアスケート選手権(新横浜) | - | 2 65.18 |
3 101.36 |
3 166.54 |
2004年11月19日-21日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | - | 3 51.40 |
5 79.90 |
4 131.30 |
2004年10月28日-31日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ハリファクス) | - | 2 53.72 |
4 94.60 |
4 148.32 |
2003-2004 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
2004年04月06日 | マーシャル・国際チャレンジ(プロビデンス) | - | - | 7 | 7 |
2004年03月22日-28日 | 2004年世界フィギュアスケート選手権(ドルトムント) | 8 | 7 | 5 | 7 |
2003年12月25日-26日 | 第72回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | - | 3 | 2 | 2 |
2003年12月12日-14日 | ISUグランプリファイナル(コロラド・スプリングス) | - | 1 62.02 |
1 120.06 |
1 182.08 |
2003年11月27日-30日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(旭川) | - | 2 57.94 |
1 107.58 |
1 165.52 |
2003年11月05日-09日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | - | 1 60.28 |
5 83.39 |
3 143.67 |
2003年10月03日 | キャンベル国際クラシック(ニューヨーク) | - | - | 5 | 5 |
2002-2003 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
2003年04月08日 | ABCスポーツ・国際チャレンジ(ブリッジポート) | - | - | 2 | 2 |
2003年03月24日-30日 | 2003年世界フィギュアスケート選手権(ワシントンD.C.) | 1 | 3 | 4 | 3 |
2003年02月28日-03月02日 | ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク)[5] | - | 5 | 6 | 6 |
6 | |||||
2003年02月10日-16日 | 2003年四大陸フィギュアスケート選手権(北京) | - | 1 | 1 | 1 |
2003年02月01日-08日 | 第5回アジア冬季競技大会(青森) | - | 2 | 2 | 2 |
2002年12月19日-22日 | 第71回全日本フィギュアスケート選手権(京都) | - | 3 | 1 | 1 |
2002年11月28日-12月01日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(京都) | - | 3 | 4 | 4 |
2002年11月07日-10日 | ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯(ゲルゼンキルヒェン) | - | 1 | 2 | 2 |
2002年10月31日-11月03日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ケベックシティ) | - | 2 | 2 | 2 |
2001-2002 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
2002年03月16日-24日 | 2002年世界フィギュアスケート選手権(長野) | 3 | 2 | 3 | 3 |
2002年02月08日-24日 | ソルトレイクシティオリンピック | - | 7 | 5 | 5 |
2001年12月21日-23日 | 第70回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | - | 1 | 1 | 1 |
2001年11月29日-12月02日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(熊本) | - | 6 | 7 | 7 |
2001年11月01日-04日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(サスカトゥーン) | - | 3 | 4 | 4 |
2001年10月06日-08日 | '01 東京フィギュアスケート選手権大会(東京) | - | 1 | 2 | 2 |
2001年09月05日-09日 | Good Will Games(オーストラリア) | - | 3 | 3 | 3 |
2000-2001 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
2001年03月17日-25日 | 2001年世界フィギュアスケート選手権(バンクーバー) | 5 | 7 | 7 | 7 |
2001年02月07日-10日 | 2001年四大陸フィギュアスケート選手権(ソルトレイクシティ) | - | 2 | 1 | 1 |
2000年12月08日-10日 | 第69回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | - | 1 | 1 | 1 |
2000年11月28日-12月03日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(旭川) | - | 3 | 5 | 5 |
2000年11月01日-05日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ミシサガ) | - | 3 | 3 | 3 |
2000年10月07日-09日 | '00 東京フィギュアスケート選手権(東京) | - | 1 | 1 | 1 |
1999-2000 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
2000年02月21日-27日 | 2000年四大陸フィギュアスケート選手権(大阪) | - | 4 | 5 | 4 |
1999年12月24日-26日 | 第68回全日本フィギュアスケート選手権(福岡) | 1 | 4 | 3 | |
1999年12月02日-05日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) | - | 6 | 8 | 8 |
1999年11月18日-21日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | - | 5 | 8 | 7 |
1999年10月09日-11日 | '99 東京フィギュアスケート選手権(東京) | - | 1 | 1 | 1 |
1998-1999 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
1999年03月21日-28日 | 1999年世界フィギュアスケート選手権(ヘルシンキ) | 6 | 19 | 21 | 20 |
1999年03月04日-07日 | ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) | - | 6 | 5 | 5 |
1999年02月21日-28日 | 1999年四大陸フィギュアスケート選手権(ハリファクス) | - | 5 | 5 | 5 |
1999年01月30日-02月06日 | 第4回アジア冬季競技大会(江原道) | - | 3 | 3 | 3 |
1999年01月15日-17日 | 第67回全日本フィギュアスケート選手権(新横浜) | - | 2 | 2 | 2 |
1999年01月09日-10日 | ジャパンオープン1999 | - | 5 | 5 | 5 |
1998年12月02日-06日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(札幌) | - | 5 | 3 | 3 |
1998年11月05日-08日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(カムループス) | - | 1 | 2 | 2 |
1998年10月02日-04日 | 1998関東フィギュアスケート選手権(千葉) | - | 1 | 1 | 1 |
1997-1998 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
1998年1月 | 第53回国民体育大会スケート・アイスホッケー競技(盛岡) | - | - | - | 1 |
1997年12月12日-14日 | 第66回全日本フィギュアスケート選手権(神戸) | - | 1 | 2 | 2 |
1997年11月27日-30日 | ISUチャンピオンシリーズ NHK杯(長野) | - | 7 | 5 | 5 |
1997年10月03日-05日 | 1997関東フィギュアスケート選手権(栃木) | - | 1 | 3 | 3 |
ジュニア
1996-1997 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
1997年03月16日-23日 | 1997年世界フィギュアスケート選手権(ローザンヌ) | 10 | 24 | 16 | 18 |
1997年01月19日-23日 | 第46回全国高等学校スケート選手権 | - | - | - | 1 |
1997年01月13日-15日 | 第65回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | - | 3 | 1 | 1 |
1996年12月12日-15日 | ISUチャンピオンシリーズ ロシア杯(サンクトペテルブルク) | - | 4 | 7 | 7 |
1996年12月05日-08日 | ISUチャンピオンシリーズ NHK杯(大阪) | - | 5 | 6 | 6 |
1996年11月24日-12月01日 | 世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ソウル) | - | 3 | 4 | 4 |
1996年11月03日 | 第65回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(新横浜) | - | 4 | 2 | 2 |
1996年08月27日-30日 | ネーベルホルン杯(オーベストドルフ) | - | - | - | 4 |
1995-1996 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
1996年02月04日-11日 | 第3回アジア冬季競技大会(長春) | - | - | - | 5 |
1996年01月12日-14日 | 第64回全日本フィギュアスケート選手権(新横浜) | - | 3 | 4 | 4 |
1995年11月24日-12月01日 | 世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ブリスベン) | 1 | 3 | 4 | 4 |
1995年11月03日 | 第64回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(京都) | - | 2 | 2 | 2 |
1995年10月 | ブラオエン・シュベルター杯(ケムニッツ) | - | - | - | 3 |
1992-1995 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
1994年10月02日 | 第63回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(神戸) | - | 7 | 10 | 10 |
1994年03月 | ガルディナスプリングトロフィー(オルティゼーイ) | - | - | - | 7 |
1993年11月 | 第62回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(広島) | - | 6 | 10 | 9 |
1992年11月 | 第61回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(前橋) | - | 19 | 19 | 19 |
プログラム使用曲
シーズン | SP | FS | EX |
---|---|---|---|
2008-2009 | ファンファン 映画『恋人たちのアパルトマン』より 作曲:ニコラ・ジョレル |
秋によせて 作曲:ラウル・ディ・ブラシオ |
ウィンナ・ワルツ 作曲:アディエマス |
2007-2008 | テイク・ファイヴ 作曲:デイヴ・ブルーベック |
オブリヴィオン・タンゴ(カランブレ) 作曲:アストル・ピアソラ |
セル・ブロック・タンゴ ミュージカル『シカゴ』より 作曲:ジョン・カンダー |
月の光 作曲:クロード・ドビュッシー | |||
2006-2007 | ボレロ 作曲:モーリス・ラヴェル |
魂の歌 作曲:アディエマス +ファンタジア(オリジナル曲) 作曲:カール・ジェンキンス |
カルメン 作曲:ジョルジュ・ビゼー |
映画『ナルニア国ものがたり』より | |||
イパネマの娘 作曲:アントニオ・カルロス・ジョビン | |||
2005-2006 | 悲歌+トカ・オリージャ 作曲:ジェシー・クック |
ピアノ協奏曲第2番 第1楽章 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ |
オブリヴィオン 作曲:アストル・ピアソラ |
セイソーゾ シルク・ドゥ・ソレイユより | |||
2004-2005 | ピンク・パンサー(サウンドトラック) 作曲:ヘンリー・マンシーニ |
タンゴ・パラ・パーカッション 作曲:ラロ・シフリン +カルメン幻想曲 作曲:フランツ・ワックスマン +カルメン 作曲:ジョルジュ・ビゼー |
アダージョ ボーカル:ララ・ファビアン |
キダム シルク・ドゥ・ソレイユより | |||
2003-2004 | 黒くぬれ 作曲:ローリング・ストーンズ, 演奏:アンジェル・デュボー&ラ・ピエタ |
交響曲第40番 第1楽章+ピアノ協奏曲第23番 第2楽章・第3楽章 作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト |
浜辺の歌 ボーカル:スーザン・オズボーン |
2002-2003 | ピアノ協奏曲第2番 第2楽章 作曲:フレデリック・ショパン |
「白鳥の湖」より 作曲:ピョートル・チャイコフスキー |
サンクトゥス(パッヘルベルのカノンによる) ボーカル:リベラ |
2001-2002 | アヴェ・マリア 「エレンの歌第3番」より 作曲:フランツ・シューベルト |
ピアノソナタ第14番「月光」 第1楽章・第3楽章 作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン |
映画『エヴィータ』より ボーカル:マドンナ |
2000-2001 | 春の囁き 作曲:クリスティアン・シンディング |
木星 作曲:グスターヴ・ホルスト |
アヴェ・マリア 作曲:ジュリオ・カッチーニ, 演奏:シャルロット・チャーチ |
1999-2000 | トルコ風ブルーロンド 作曲:デイヴ・ブルーベック |
フルート協奏曲 (ニールセン)+霧が晴れてゆく 劇音楽「母」より 作曲:カール・ニールセン |
「マホガニーのテーマ」より ボーカル:マライア・キャリー |
嵐 演奏:ヴァネッサ・メイ +アヴェ・マリア 作曲:ジュリオ・カッチーニ, 演奏:シャルロット・チャーチ | |||
1998-1999 | 深き淵より+ワンダラー・ファンタジー 作曲:フランツ・リスト |
ここに神々が 作曲:ヘンリー・パーセル |
フローズン ボーカル:マドンナ |
トッカータとフーガ+G線上のアリア+無伴奏チェロ組曲 作曲:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ | |||
1997-1998 | レストレーション 「エキサイト」より 作曲:ジェイムス・ニュートン・ハワード |
四季 作曲:アレクサンドル・グラズノフ |
|
1996-1997 | ウォーム・エア+トッカータとフーガ 演奏:ヴァネッサ・メイ |
ヴァイオリン協奏曲 作曲:ピョートル・チャイコフスキー +愛の悲しみ 作曲:フリッツ・クライスラー +ラ・シルフィード 作曲:ヘルマン・フォン・ロヴィンショルド |
|
1995-1996 | ウエスト・サイド物語 作曲:レナード・バーンスタイン |
受賞・表彰歴
- 2002年
- 第19回 オリンピック冬季競技大会文部科学大臣賞
- 日本ゆかた大賞
- 2003年
- 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
- 2006年
- ネイルクィーン2006 文化・スポーツ部門
- 第55回 神奈川スポーツ賞・オリンピック賞
- 第55回 横浜文化賞(史上最年少受賞)
- 平成18年度財団法人横浜市体育協会横浜スポーツ表彰 優秀選手賞
- 2007年
- 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
出演
TV番組
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CM
関連CD
- MY FIGURE SKATE ALBUM(2006/3/15) - avex io
- Fantasia ~My Figure Skate Album Ⅱ~(2007/2/21) - avex io
関連項目
脚注
外部リンク
- Fumie Suguri Official website
- ISU Crystal Report - Fumie SUGURI
- 村主章枝 エイベックス・スポーツ
- AK GLOBAL AGENT INC. website - マネージメント会社
- Official fansite