バラク・オバマ

アメリカの政治家、弁護士、第44代アメリカ合衆国大統領 (1961-)

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バラク・フセイン・オバマ・ジュニアBarack Hussein Obama, Jr.[1]1961年8月4日 - )はアメリカ合衆国政治家ハワイ州生まれ。第44代アメリカ合衆国大統領当選者(President-elect)。政党は民主党。選挙により選ばれたアメリカ史上3人目のアフリカ系上院議員(イリノイ州選出、2005年 -2008年)。2008年アメリカ大統領選挙で当選後、任期を約2年残して上院議員を辞任した。

バラク・フセイン・オバマ・ジュニア
Barack Hussein Obama, Jr.


アメリカ合衆国
44代 大統領当選者
任期 2009年1月20日(予定) –
副大統領 ジョセフ・バイデン

アメリカ合衆国
上院議員
任期 2005年1月3日2008年11月16日

アメリカ合衆国
イリノイ州上院議員
任期 1997年1月3日2004年1月3日

出生 (1961-08-04) 1961年8月4日(64歳)
ハワイ州ホノルル
政党 民主党
配偶者 ミシェル・オバマ
署名

アメリカ大統領としては初のアフリカ系・1960年代以降生まれ・ハワイ州出身者となる。

経歴

生い立ち

1961年8月4日ハワイ州ホノルルにある病院[2]で出生した。実父のバラク・オバマ・シニア(Barack Obama, Sr.)1982年没)はケニアニャンゴマ・コゲロ(Nyang'oma Kogelo)生まれのイスラム教徒(ムスリム)、母親はカンザス州出身の白人、アン・ダナム1995年没)である。2人はハワイ大学で出会い、1961年2月2日に周囲の反対を押し切って結婚した。

イスラム教の戒律(イスラム法)では「ムスリムの子は自動的にムスリムになる」とされているが、オバマ自身は現在キリスト教徒(プロテスタント)であると表明している。オバマは自伝で、「父はムスリムだったが殆ど無宗教に近かった」と述べている。両親は1963年に別居し、1964年に離婚した。1965年に実父はケニアへ帰国した。異父妹が1人、異母兄弟が8人(うち、4人死没)いる。なお、オバマ自身は1971年に一度だけ実父と再会している(実父は1982年に自動車事故が元で死亡した)。

その後、人類学者となった母がインドネシア人地質学者ロロ・ソエトロ(Lolo Soetoro)1987年没)とハワイ大学で知り合って再婚したことに伴い、1967年インドネシアジャカルタへ移住した。地元の学校に10歳まで通った[2]1970年に母と継父の間で異父妹のマヤ・カッサンドラ・ソエトロが誕生した。1972年、母がソエトロと一時別居して実家があるハワイのホノルルへ帰国した。1977年、母はオバマをハワイの両親に預け、人類学者の仕事でインドネシアに戻り、1994年まで現地に滞在した。この間、1980年に母のアンと継父のソエトロとの離婚が成立した。母のアンは1995年に卵巣癌で亡くなった。

以上のように、オバマはハワイにおいて白人の母親と母方の祖父母(共に白人)によって育てられたという出自である。母方の祖父母はスタンリー・ダナム1992年没)とマデリン・ダナム2008年没)である。オバマは1971年に地元の有名私立小中高一貫校のPunahou_School(w:Punahou_School)5年生として転入した。在学中はバスケットボール部に所属し、高校時代に飲酒や喫煙、大麻コカインを使用したと自伝で告白している。

青年時代

1979年に同高校を卒業後、カリフォルニア州ロサンゼルスの私立オクシデンタル単科大学に入学。2年後、ニューヨーク州コロンビア大学に編入し政治学、特に国際関係論を専攻する。

1983年に同大学を卒業後、ニューヨークで出版社[3]NPO[4]で勤務し、1年間を過ごした。その後、イリノイ州シカゴに転居した。シカゴでは教会が主導する地域振興事業(DCP)の管理者として3年間従事し、職業訓練支援などを行った。事業所の人員を1名から13名に増員させ、年間予算を当初の7万ドルから40万ドルに拡大させるなどの業績を残した。 1988年年央にケニアと欧州を旅行し、ケニア滞在中に実父の親類と初めて対面した。同年秋にハーバード大学ロースクールに入学。1990年2月にはアフリカ系として史上初の「ハーバード・ロー・レビュー」の編集長を務めた。1991年、法学博士の学位を取得、同ロースクールをmagna cum laudeで修了[3]シカゴ大学の法学フェローとなる。

1992年に、シカゴの弁護士事務所で知り合ったミシェル・ロビンソンと結婚し、1998年にマリア、2001年にサーシャの2人の娘をもうけた。1995年には、自伝”Dreams from My Father”(邦題:『マイ・ドリーム』 出版社: ダイヤモンド社 ISBN 9784478003626)を出版。

政界に

イリノイ州議会議員

ハーバード大学ロー・スクールを修了後、シカゴに戻り有権者登録活動(voter registration drive)に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務。またシカゴ大学ロースクール講師として合衆国憲法1992年から2004年まで講じていた。

人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して1996年イリノイ州議会上院の議員に選出され2004年1月まで務めた。なお、2000年には連邦議会下院議員選挙に出馬したがオバマを「黒人らしくない」と批判した他の黒人候補に敗れた。

合衆国上院議員

 
2006年連邦支出金透明化法案提出者として(左から2番目)

2003年1月にアメリカ合衆国上院議員選挙に民主党から出馬を正式表明し、2004年3月に7人が出馬した予備選挙を得票率53%で勝ち抜き同党の正式候補となった。2004年11月には、共和党候補を得票率70%対27%の大差で破り、イリノイ州選出の上院議員に初当選した。アフリカ系上院議員としては史上5人目(選挙で選ばれた上院議員としては史上3人目)であり[4]、この時点で現職アフリカ系上院議員はオバマ以外にいなかった。

2004年のアメリカ大統領選挙ではジョン・ケリー上院議員を大統領候補として選出した2004年民主党党大会マサチューセッツ州ボストン)の2日目(7月27日)に基調演説[5][6]を行った。ケニア人の父そしてカンザス州出身の母がハワイで出会い自分が生まれたこと、次いで「全ての人は生まれながらにして平等であり、自由、そして幸福の追求する権利を持つ」という独立宣言を行った国、アメリカ合衆国だからこそ、自分のような人生があり得たのだ、と述べた。そして「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ」「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓う“アメリカ人”なのだ」と語り、その模様が広く全米に中継されるとともに高い評価を受けた[7][8]

なお、ケリー上院議員のスタッフがオバマを基調演説者に抜擢したのは、オバマがアフリカ系議員であることからマイノリティーの有権者を惹き付けられるであろうこと、若くエネルギッシュで雄弁であること、また当時イリノイ州議会上院議員であったオバマが、同年の大統領選と同時に行われる上院議員選挙における民主党候補(イリノイ州選出)となることが決まっており、党大会の基調演説者としてアピールすることができれば上院議員選挙にも有利に働くであろうと民主党が期待したこと、などの理由からだった[9][10]2006年には、連邦支出金透明化法案の提出者の1人となっている。

2006年を通して、オバマは外交関係、環境・公共事業、退役軍人の問題に関する上院の委員会に課題を提出した。また2007年1月に、彼は、環境・公共事業委員会を出て、健康、教育、労働、年金、国土安全保障、および政府問題委員会に伴う追加課題を扱った。 また、彼はヨーロッパ問題に関する上院の小委員会の委員長になりました。

2008年11月4日に行われたアメリカ大統領選挙で勝利したオバマは、次期大統領として政権移行に向けた準備に専念するため、同月16日、上院議員(イリノイ州選出)を辞任した[11]。後任は、州法の規定によりブラゴジェビッチイリノイ州知事(民主党)が指名する。

合衆国大統領候補

大統領予備選

立候補

 
スプリングフィールドで立候補宣言を行うオバマ

2004年以降、2008年アメリカ合衆国大統領選挙の候補として推す声が地元イリノイ州の上院議員や新聞などを中心に高まっていった。本人は当初出馬を否定していたが、2006年10月にNBCテレビのインタビューに「出馬を検討する」と発言した。翌2007年1月に、連邦選挙委員会に大統領選出馬へ向けた準備委員会設立届を提出、事実上の出馬表明となった。そして2007年2月10日に、地元であるイリノイ州の州都のスプリングフィールドにて正式な立候補宣言を行った。

出馬の演説でオバマは「ここ6年間の政府決定や放置されてきた諸問題は、われわれの国を不安定な状態にしている」と述べ医療保険制度年金制度、大学授業料、石油への依存度を取り組みが必要な課題として挙げ、建国当初のフロンティア精神へ回帰することを呼びかけた。グローバル資本主義には懐疑的であり、アメリカ国内にブルーカラーを中心に大量の失業者を生んだとされ、新自由主義経済政策の象徴である北米自由貿易協定(NAFTA)に反対し、国内労働者の保護を訴えるなど、主な対立候補となったヒラリー・クリントンよりもリベラルな政治姿勢とされる。

予備選前半

 
ニューハンプシャー州で遊説を行うオバマ
 
アメリカン大学で遊説を行うオバマ

当初は知名度と資金力に勝る、元ファースト・レディのヒラリー・クリントンの優勢が予想されたものの、大統領予備選の第1弾が行われるアイオワ州の地元紙(電子版)により、予備選直前の2007年12月に行われた世論調査では、オバマの支持率がヒラリー・クリントンを上回りトップであった。2008年1月3日に行われたアイオワ州党員集会では、保守傾向にある下位の他候補の支持者や20代の若者など幅広い層からの支持を集めて、ジョン・エドワーズヒラリー・クリントンジョセフ・バイデンら他の候補者を10ポイント近い大差で破りオバマが勝利した。

同年1月8日に行われたニューハンプシャー州予備選ではヒラリー・クリントンに僅差で敗北。しかし本人は「私はまだまだやりますよ」と今後の選挙戦勝利に意欲をのぞかせた。同月26日に行われたサウスカロライナ州予備選で、アフリカ系や若い白人及びヒスパニック層などから圧倒的な支持を受けてヒラリー・クリントンに圧勝した。CNNでは投票締め切りと同時に「オバマ勝利」と報じるほど他候補を圧倒した。なおこの頃よりエドワーズやバイデンなど他の候補が次々と予備選からの撤退を表明し、事実上ヒラリー・クリントンとの一騎打ちとなっていく。

「スーパー・チューズデー」

その後選挙戦から撤退したエドワーズやバイデンがオバマ支持に回った他、ジョン・F・ケネディ元大統領の娘で、民主党内に一定の影響力を持つとされるキャロラインニューヨーク・タイムズ紙でオバマに対する支持を表明したが、2月5日に22州で行われた「スーパー・チューズデー」ではオバマが13州を抑えたものの、ヒラリー・クリントンが大票田のカリフォルニア州や地元のニューヨーク州を抑えるなど、ヒラリー・クリントンとの決定的差はなかった。

しかしスーパー・チューズデー後はミシシッピ州ワイオミング州ケンタッキー州オレゴン州を抑えるなど予備選で9連勝し、一気に指名争いをリードした。

クリントン陣営の混乱と「失言」

 
ミネアポリスで遊説を行うヒラリー・クリントン

これに対しヒラリー・クリントン陣営は、2月10日にパティ・ソリス・ドイル選対主任が「選挙戦の長期化」を理由に辞任した(実際は選対内の意見対立が原因とも言われている)他、ヒラリー・クリントン本人が、2月23日にオハイオ州シンシナティで行われた集会で、オバマ陣営が配布した冊子の中でヒラリー・クリントンが進める国民皆保険計画について「国民に強制的に保険を購入させる内容である」と記載していたことに対して「恥を知れ、バラク・オバマ」と、オバマを呼び捨てで非難した。これに対して多くのマスコミや民主党内からは「理性を失っている」との批判が沸き起こった[12]

なおヒラリー・クリントンは、この様な失点があったにもかかわらず、3月4日には大票田のテキサス州オハイオ州で勝利をおさめたが、各種調査の結果、「完全に劣勢に立たされた」との評価を受けることが多くなった。この様な状況を受けてヒラリー・クリントンと夫で元大統領のビル・クリントンが、「クリントン大統領、オバマ副大統領」の政権構想を民主党内やマスコミに対して一方的に喧伝し始めた。これに対してオバマは「なぜより多くの支持を得ている私が副大統領にならなければいけないのか理解できない」と拒否した。

 
セントポールで予備選の勝利宣言を行うオバマ

その後もオバマの優位は揺らぐことはなく、5月には特別代議員数でもヒラリー・クリントンを逆転した。完全に劣勢に立たされたヒラリー・クリントンは同月に「(敗北が確実視されているのに)選挙戦を継続する理由」として、かつて大統領候補指名を目指したものの、予備選最中の1968年6月に遊説先のカリフォルニア州ロサンゼルス暗殺されたロバート・ケネディ司法長官の例を挙げた。これが「オバマが予備選中に暗殺されることを期待している」と受け取られ大きな批判を浴び、その後ヒラリー・クリントンはケネディの遺族とオバマに対して謝罪を行った。

予備選勝利

同年6月3日に大統領予備選の全日程が終了し、全代議員数の過半数(2,118人)を超える2,151人の指名獲得を集めたオバマは、ヒラリー・クリントンを下し民主党の大統領候補指名を確定させた。なお、予備選の最中に、2006年に次いでグラミー賞朗読部門賞を受賞している。

大統領選挙本選

 
左からオバマと夫人のミシェル、バイデン夫人のジルとバイデン

オバマは2008年民主党党大会3日目の同年8月27日、民主党大統領候補の指名を正式に獲得し、副大統領候補に上院外交委員長を務め、予備選で戦ったもののその後オバマへの支持を表明したジョセフ・バイデン上院議員を指名した。

オバマは民主党党大会最終日の8月28日に、コロラド州デンバーアメリカンフットボール競技場「インベスコ・フィールド」において、84,000人を前に指名受諾演説を行った。オバマは「次の4年を(ブッシュ政権下の)過去8年と同じにしてはならない」、「未来に向けて行進しよう」と民主党内の結束を呼びかけた。外交問題については「粘り強い直接外交を復活させる」とし、「明確な使命がない限り、戦地にを派遣することはない」と表明した。ジョージ・W・ブッシュ政権下で行われたイラク戦争については、「責任を持って終結させる」とした。

オバマは共和党大統領候補として対決するジョン・マケインを、「ブッシュ大統領を90%支持してきた。残り10%に期待するわけにはいかない」と批判した。またオバマは、1963年のちょうどこの日にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが、ワシントン大行進においてアメリカにおける人種差別撤廃への夢について語った演説「I Have a Dream」を踏まえ、「われわれの夢は1つになることができる」と述べた。

同年10月29日プライムタイムには、全米4大TVネットワークのうちの3つ(CBSNBCFOX)およびユニビジョンヒスパニック向けのスペイン語ネットワーク)などで30分のテレビCM を全米に放映した。

当選

 
シカゴ市内のグラント・パークで大統領選勝利を宣言するオバマ

2008年11月4日に全米で行われたアメリカ合衆国大統領選挙(大統領選挙人選出選挙)においてオバマは、地元のイリノイ州や、伝統的に民主党地盤である大票田のニューヨーク州(クリントン元候補の地元)やカリフォルニア州ペンシルベニア州に加え、過去2回の大統領選で大激戦となったフロリダ州オハイオ州、さらには長く共和党の牙城とされてきたバージニア州ノースカロライナ州インディアナ州でも勝利した。

また近年ヒスパニック系住民の増加が顕著な南西部のうちマケインの地元であるアリゾナ州以外の3州(コロラド州ニューメキシコ州ネバダ州)でも勝利を積み上げ、選挙人合計365人を獲得[13]してマケイン(173人)を破り、第44代アメリカ合衆国大統領に当選した。 一般投票の得票率は52.5%(マケイン46.2%) だった。獲得選挙人数はクリントン(1992年370人、1996年379人)には及ばなかったものの、得票率が50%を越えたのは民主党候補では1976年ジミー・カーター以来だった。

現地時間11月4日午後10時頃、オバマの地元シカゴ市内中心部のグラント・パーク公園で約24万人の聴衆が見守る中[14][15]、スクリーンに「オバマ、大統領に当選」というテロップが流れると、会場は熱気と興奮に包まれる。約1時間後、家族とともに登壇したオバマは、歓声と拍手にどよめく会場で「アメリカに変革が訪れた」と勝利演説を行なった[16][17][18][19][20]。会場の一般観客席では、1984年1988年の民主党大統領候補で、初のアフリカ系アメリカ人候補であったジェシー・ジャクソンが感涙にむせぶ姿も映された[21]

2009年1月20日大統領就任式を以てオバマが正式に第44代大統領に就任すると、建国以来初めてのアフリカ系アメリカ人(アフリカ系と白人との混血)の大統領、ハワイ州生まれの初の大統領、初の1960年代生まれの、また、建国以来5番目に若くして就任した大統領[22]となる。

当選後の11月7日に、大統領就任後の最重点課題として、サブプライム問題表明後の金融危機による信用収縮や、国内の雇用情勢の悪化を阻止するため「必要な全ての手段を取る」と表明し、信用収縮の緩和と勤労世帯の支援、経済成長の回復などの経済対策に注力すると表明した。

なお、オバマが大統領当選後、アメリカ国内で銃器の売り上げが一時急増したという。これはオバマや副大統領候補のバイデンが銃規制に前向きであると見られていたからであり、政権発足後の銃規制強化を懸念した人々からの注文が増加しており、ライフル自動小銃の売り上げが伸びているという[23]

政策

  • 気候変動に関する協議に積極的に参加すると述べ、主要企業に二酸化炭素排出量の上限(排出枠)を設定する「キャップ・アンド・トレード」方式の排出量取引を開始し2020年までに温室効果ガスの排出量を大幅に削減する意向をカリフォルニア州地球温暖化関連の会合に寄せたビデオ演説で表明した。

安全保障

ブッシュ政権以降の敵対する国家に対する強硬政策を転換し、イラン北朝鮮などのこれまで敵対していた国々との対話路線を重視している。第41代大統領のジョージ・H・W・ブッシュ湾岸戦争を評価しており、アメリカ主導の国際協調を理想としている。

  • 一貫してイラク戦争に反対しており、イラク開戦直前の2003年3月16日にブッシュ大統領がサダム・フセインに対して48時間以内のイラク撤退を求める最後通牒を出した際、シカゴでの反戦集会で聴衆に対して「まだ遅くない」と開戦反対を訴えた。就任後は段階的な撤退を目指すとしている。
  • 「イラクに拘ればアフガンで泥沼にはまる」と述べ、治安が悪化しているアフガニスタンパキスタンアメリカ軍の増強を検討。州兵に頼らない10万人の正規兵を増派するとしている。
  • 「国際的な核兵器禁止を目指す」とも発言しており、ロシアと協力し双方の弾道ミサイルを一触即発の状況から撤去し、兵器製造に転用可能な核分裂性物質の生産を世界的に禁止、更に米ロ間の中距離弾道ミサイル禁止を国際的に拡大することを目指すとしている。

政権スタッフ

また選挙後の11月には、民主党予備選挙で戦ったヒラリー・クリントン上院議員をオバマ政権の国務長官候補として検討しているという報道が流れた。なお同時に、前回の民主党大統領候補のジョン・ケリー上院議員やビル・リチャードソン国連大使なども検討していると報じられている。

人物

名前

 
ケネディ上院議員とオバマ

名前を「オサマ」と呼び間違えられることがある。過去にCNNやテッド・ケネディ上院議員、2007年10月にはミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事アメリカ同時多発テロの首謀者のオサマ・ビンラディンを説明中にうっかり言いまちがえている[24]。主に共和党などの政敵から[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。は、ミドルネームのフセインとサダム・フセインをかけて「フセイン氏」の蔑称で呼ばれている。

これに対して、2008年6月頃から主に若者のオバマ支持者の間でメールアドレスFacebookなど一部のSNSや会員制サイトのハンドルネーム、また買い物の会員カードなどその他名前を登録するあらゆる機会においてミドルネームにフセインと入れる、いわゆる「フセイニアック現象」が起こり、選挙前にはその盛り上がりがピークを見せた。元々イスラム教に由来するこの名前は、イスラム教徒に限らずあらゆる人種や家系や宗教の若者の間でオバマへの支持を表明する手段となった[25]

福井県小浜市では市名にちなみ観光協会のメンバーを中心として「オバマ氏を勝手に応援する会」を発足させ、親書と市名産の「めおと」を送るなどしている[26][27]。また長崎県雲仙市小浜町小浜温泉でも同様に勝手連が発足し、応援活動を行っている[28][29]。この活動についてはオバマも承知しており、2008年アメリカ合衆国大統領選挙後に麻生太郎総理大臣との電話会談にて、「小浜市については知っている」と述べた[30]

演説

 
ヒューストンで遊説を行うオバマ

かつては知名度で元大統領夫人であるヒラリー・クリントンに差をつけられていたが、演説の巧さと人を惹きつけるカリスマ的魅力があり、遊説を続けるごとに支持者を獲得した。

政策は具体性に欠け抽象的・理念的な話が多いという評価がある一方、演説の説得力はケネディの再来とも形容される。演説の巧みさには定評があり"we"(我々)、"you"(あなた)を多用した短いフレーズを重ねていく手法を採用している。とりわけ「Change」(変革)と「Yes, we can.」(私たちはできる)の2つのフレーズは、選挙戦でのキャッチコピーとして多用された。

懸念材料

オバマは「アメリカ史上初の黒人大統領」となる(ただしケニア人(奴隷制時代を経験した訳ではない)の父と白人の母親の間に生まれた混血)。1964年ジョンソン政権時に成立した公民権法が施行されてから40年以上が経過しているが、未だにアメリカは南部を中心に深刻な人種差別問題を引きずっており、今回の「黒人のアメリカ大統領」誕生が与えるイメージ変化は計り知れず、そうした面から当選を願う声も多かった。しかし「人種差別の過激派(KKKなど)が暗殺を企てるのではないか」と指摘されたこともあり、当選後も厳重な警護がなされている。

また予備選においては意識的に自らの人種を強調しない戦略をとったにもかかわらず、オバマ一家と関係の深いジェレミア・ライト牧師が白人を敵視するかのような発言を繰り返すなど選挙戦でも人種問題と無関係ではいられない状況にあった。

なお20世紀以降に大統領となった人物の多くが知事か副大統領としての行政経験を持ち、若さを売りにしたケネディでさえも上下院あわせて10年以上も連邦議員を経験してから大統領となっている。州議会議員の他は上院議員1期だけという政治経歴は例外的に短い。このことは「既成の体制から自由である」という清新なイメージを与える点で大きな強みとなるが、一国の大統領として国家を運営していけるかという根強い懸念を生んでおり対抗馬による攻撃対象の一つとなっていた。

ジェレマイア・ライト牧師

 
ジェレマイア・ライト牧師

選挙の盛り上がりとともに、かつて家族とともに20年間にわたって所属したトリニティー・ユナイテッド教会に関して、長き時を私淑したことで多大な影響を受けていると言われているジェレマイア・ライト牧師についての論争がしばしば活況を呈した。その過程でライト牧師の人種差別的かつ反政府的な様々な説教の内容が取り上げられている。

例えば、

『アメリカ合衆国政府は彼ら(アフリカ系アメリカ人達)にドラッグを与え、より大きな刑務所をつくり、三回重罪加重懲役法を成立させたくせに、我々(アフリカ系アメリカ人)に「神よアメリカに祝福を(God bless America)」と唱わせようとする。とんでもないことだ。このようなことをする国に対して聖書は「神よアメリカに断罪を(God damn America)」と唱えよと教えている。我が市民(アフリカ系アメリカ人達)を人間以下に扱っているアメリカに神よ断罪を。自分があたかも神であるかのように、かつ至上の存在であるかのようにふるまっているアメリカに神よ断罪を』

なかでも最も大きな論争を起こしたのが、アメリカ同時多発テロ事件の直後に発していた次のような説教であった。

『・・・我々は広島を爆撃した。我々は長崎を爆撃した。そして我々は核爆弾を落とし、このたびニューヨークとペンタゴンで殺された数千人よりもはるかに沢山の人々を殺害した。我々はこのことから目を背け続けている』

予備選最中の2008年3月には、オバマとトリニティー・ユナイテッド教会、そしてライト牧師との決裂が伝えられた。上記のような過激な発言がABCニュースに報道されたのが原因とされている[31][32]。報道直後、オバマはシカゴのアフリカ系アメリカ人社会に対する貢献を挙げてライト牧師を弁護しようとしたが、その後も人種差別的な発言を続けたことを理由にライトと絶縁した[33][34]。その一環として「もっと完璧な連邦(A More Perfect Union)」と題するオバマの演説が人種問題に言及した[35][36][37][38]

更に5月25日にはトリニティー・ユナイテッド教会に招かれたマイケル・フレガー神父[39]が説教中にヒラリー・クリントンを人種主義者とみなし、クリントンの泣真似をして喝采を浴びる件があった[40]。オバマはこの件について失望の意を表し、31日に「私は教会を非難しないし、教会を非難させたがる人々にも関心が無い」が、「選挙運動によって教会が関心に晒され過ぎている」として、教会から脱退する[41]

問題点と疑惑

オバマに対してはイリノイ州上院議員時代からいくつかの疑惑が報道された。それらを大きく分類すると、腐敗関連問題や極左活動家(テロ前歴者を含む)及び人種間の衝突を扇動する個人や団体との関係が挙げられる。

  • 別件で政治関連の贈賄罪等で有罪判決が確定されたトニー・レズコの妻はオバマ夫妻が一戸建ての自宅を購入する際、隣接の土地を購入し後にその一部をオバマ夫妻に転売することにより、実質上の不正寄付を行ったと批判されている[42][43]
  • 2008年8月21日、元ペンシルバニア州検事補のフィリップ・J・バーグ弁護士がオバマその他の被告に対しての確定訴訟を提起した。同訴訟は「オバマの出生地はアメリカ領土であるハワイ州ではなくケニアである故、オバマが当時の法律に照らせば出生時点ではアメリカ国籍を有せずアメリカ憲法上の大統領となる資格を有しない」とし、連邦裁判所において禁止命令等の救済を求めたものである。一方オバマ側はオバマの元の出生証明書を公表しないまま2006年発行の出生証明書の一部の記載事項の抄書のみの発表をもって代えており、その点が疑問の根拠とされている[44]。2008年10月9日にはスティーブン・マークイスがワシントン州の選挙管理官を相手取り、同州の裁判所に於いて同様の根拠に基づいての訴訟を提起した[45]
  • オバマの大統領選時の選挙陣営は「ロビイストからの献金は受け取らない」と宣言していたが、市民団体の調査では606人のbundlerがおり、その内17人がプロのロビイストだと判明している[46]
  • 2005年12月に起こった原子力発電企業に関する公害問題で立ち上がり、原子力関連施設の規制強化を目指したが業界は反発しロビー活動を強化した。程なくしてオバマは修正に応じ法案を再提出したものの「業界には屈さなかった」とコメントした。しかし、修正法案の中身は業界に大幅に譲歩したものであった事が『ニューヨークタイムズ』紙に報じられ明るみに出た[47][48]。なお後に、問題を起こした原子力発電企業の取締役達は大統領選挙におけるオバマ陣営の最高額献金者リストに加わっている[49]
  • 大統領選挙期間にインターネットを経由しての少額献金から莫大な選挙資金を獲得したと信じられており、選挙責任者のDavid Plouffe[50]は平均献金額は100ドル以下と話したが、ワシントンポスト紙が連邦選挙管理委員会のデータを詳細に調査した結果、200ドル未満の少額献金者は全体の4分の1に過ぎないことが判明している[51]。これは2004年度の再選キャンペーン時にジョージ・W・ブッシュが獲得した比率よりも低い。
  • 大統領選挙期間中にかつてイラクのサッダーム・フセイン政権に武器を輸出していた軍需関連企業のトップと親密な関係であることが問題視された。この軍需関連企業のトップはオバマ陣営に献金も行なっていたとされる[52]

脚注

  1. ^ World Biography: Barack Hussein Obama, Jr.
  2. ^ 保守系フォックス・テレビイスラム神学校で教育を受けたと報じたが、後にCNNの現地取材によってこれは否定された(新潮社「Foresight」 3月号)。
  3. ^ ハーバード・ロー・スクールではトップ10%の成績の者に与えられる。Harvard Law School grading system
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  12. ^ クリントンはオバマ陣営のパンフレットが根拠を欠き不当であると冷静な口調で長々と筋道立てて説明した後に「恥を知れ」と発言したのだが、テレビ報道では時間枠の都合やテンポの問題もあり、説明の部分が大幅にカットされて「恥を知れ」発言に焦点を合わせた映像が繰り返し放映された。
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関連項目

外部リンク

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その他
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アメリカ合衆国大統領
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