日本レコード大賞
日本レコード大賞(にほんレコードたいしょう)とは1959年に始まった日本で最も有名な音楽に関する賞である。略称はレコ大(レコたい)。
輝く!日本レコード大賞 | |
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ジャンル | 音楽番組 / 特別番組 |
監督 | (舞台監督)岡本伸吾、田辺和弘 |
演出 | 平賀歩(総合演出) |
出演者 | 歴代授賞式司会者と視聴率を参照 |
製作 | |
プロデューサー |
片山剛、服部英司 利根川展(CP) |
制作 |
KRT→TBS (日本レコード大賞後援) |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送(1983年(第25回) - ) |
放送国・地域 | ![]() |
放送期間 | 1959年12月17日 - |
放送時間 | 毎年12月30日18:30 - 21:54(2007年現在) |
放送分 | 204分 |
回数 | 49 |
第49回輝く!レコード大賞 | |
特記事項: TBSラジオ(JRN)でも同時放送される。 第10回(1968年)まで放送日及び開催日は不定期。第11回(1969年)から第47回(2005年)まで毎年12月31日(大晦日)の放送(開催)。 |
主催は社団法人日本作曲家協会と日本レコード大賞制定委員会、後援はTBS(旧:KRテレビ)である。賞の種類として最高の栄誉であるグランプリ・日本一である大賞の他、最優秀新人賞、最優秀歌唱賞、ベストアルバム賞など様々な各賞がある。日本に於ける商業音楽の音楽賞としては最高の権威がある。なお歌手が受賞を辞退した場合又は歌手がその年に死去した場合、その楽曲は大賞受賞曲とはならない。
概要
各賞の種類と定義
現在贈られている賞
- 「日本レコード大賞」
- 対象年度に発売されたすべての邦楽シングルCDの中で「作曲、編曲、作詩を通じて芸術性、独創性、企画性が顕著な作品」、「優れた歌唱によって活かされた作品」、「大衆の強い支持を得た上、その年度を強く反映・代表したと認められた作品」、以上3点に該当する1作品に贈る。審査対象は、「優秀作品賞」に選ばれた作品とする。
- 「最優秀歌唱賞」
- 対象年度内の作品を最も的確に表現し、さらに高めた歌手に贈る。審査対象は「金賞」に選ばれた作品の歌手としていたが、第50回(2008年)からは11月下旬から12月上旬にかけて行われる選考委員会で決定されることになった(第50回は中村美律子(なかむら みつこ))。
- 「優秀作品賞」
- 大衆の強い支持を得て作品としても芸術性・独創性に優れ、その年度を反映したと認められた作品に贈る。「金賞」や「ゴールド・ディスク賞」という名称が使われていた時期もあったが、第50回(2008年)からは「優秀作品賞」に変更された。
- 「最優秀新人賞」
- 「新人賞」の中から最も優秀と認められた歌手に贈る。
- 「新人賞」
- 対象年度内に於いてデビュー(初めて芸能活動として歌う)し大衆に支持され、将来性を認められた歌手に贈る。
- 「作曲賞」「編曲賞」「作詩賞」
- 特に作曲・編曲・作詩の分野で独創的であると認められた作品・作者に贈る。
- 「企画賞」
- 独創的な企画意図をもって製作され、それによって成果を上げ大衆音楽に大きな貢献をした作品(ミュージックビデオを含む)に贈る。
- 「功労賞」
- 長年に亘りレコードやCDを中心とする音楽活動を展開し、日本音楽界に大きな貢献をした者に贈る。
- 「特別賞」
- 対象年度に於いて社会的に最も世の中を賑わせ注目された人、楽曲、作品、現象などに贈る。その他にも年によって特別な賞が設けられる場合がある。
- 「特別功労賞」
- 長年に亘り音楽活動・評論活動を展開し、音楽界に大きな貢献をした故人に贈る。
- 「日本作曲家協会奨励賞」
- 第48回(2006年)から新設された賞。日本作曲家協会が日本の心を伝え未来のある実力ある歌手に期待を込めて贈る賞。1回目は竹川美子が、2回目はあさみちゆきが受賞した。
- 「優秀アルバム賞」
- 対象年度に発売されたすべての邦楽アルバムCDの中で芸術性・独創性に優れ、その年度を強く反映・代表したと認められた作品に贈られる。
- 「最優秀アルバム賞」
- 優秀アルバム賞該当の中から最も優れた作品に贈られる。
過去に存在した各賞
- 「童謡賞」
- 第1回(1959年)から第15回(1973年)まで子供向けの童謡やアニメソングに与えられた賞だった。本来はレコード大賞を童謡が受賞した際には「歌謡曲賞」を設けることも想定されていた[1]が、結局「歌謡曲賞」が設けられることはなかった。ザ・テンプターズの『おかあさん』がヒットした際には、同曲も「童謡賞」の対象にすべきかという議論があったという[1]。第16回(1974年)にヤングアイドル賞(フィンガー5の『恋のアメリカン・フットボール』が受賞)の導入により廃止された。そのヤングアイドル賞も1回限りで廃止された。
- 「歌唱賞」
- 優れた歌唱によって活かされた作品に贈られる賞として定義され、文字通り歌手の歌唱力を評価したものである。作詩賞、作曲賞、編曲賞と共に第1回(1959年)から設けられた賞である。第11回(1969年)からは最優秀歌唱賞が設けられその候補としての位置付けとなり、さらに第19回(1977年)までは大賞の最有力候補としての位置付けでもあった(第17回(1975年)から第19回(1977年)までの3年間は大賞候補10組作品の中から歌唱賞5組作品が選出され、さらにその中から大賞と最優秀歌唱賞が決定された)。第20回(1978年)からは金賞の導入により廃止された。
- 「大衆賞」
- 第11回(1969年)から第19回(1977年)まで大衆に支持された歌手や楽曲に与えられた賞だった。当初は歌唱賞と同様に大賞候補としての位置付けだったが、第17回(1975年)からは大賞候補の枠外の位置付けとなった。第47回(2005年)に1度だけ復活した。
- 「特別大衆賞」
- 1980年に引退した山口百恵のそれまでの実績を称え与えられた特別賞。第29回(1987年)には中森明菜(『難破船』など)や瀬川瑛子(『命くれない』など)が受賞している。
- 「ゴールデン・アイドル賞」
- 第23回(1981年)から第25回(1983年)までデビュー2年目に顕著な活躍をした歌手に与えられた(受賞者は田原俊彦、松田聖子、近藤真彦、中森明菜など)。
- 「ベストアルバム賞」「アルバム大賞」
- 対象年度に発売されたすべての邦楽アルバムCDの中で最も芸術性・独創性に優れ、その年度を強く反映・代表したと認められた作品に贈る。第50回(2008年)からは優秀アルバム賞・最優秀アルバム賞として復活。
- 「吉田正賞」
- 作曲家・吉田正の偉大な業績を記念し伝統的な日本の歌を充実させ、前進させた作曲家に贈る。
- 「美空ひばりメモリアル選奨」
- 歌手・美空ひばりが戦後日本の社会、歌謡史に残した偉大な業績を称え、それを記念するに相応しい豊かな魅力と力量を持った歌手に贈る。
日本レコード大賞受賞曲一覧
各部門賞受賞曲
第1回(1959年)
- 歌唱賞:夜霧に消えたチャコ(フランク永井)
- 新人賞:なし(新人の水原弘が大賞を受賞したため)
- 作詩賞:フルート(サトウ・ハチロー)
- 作曲賞:夜霧に消えたチャコ(渡久地政信)
- 童謡賞:やさしい和尚さん(石井亀次郎とキングホオズキ会)
第2回(1960年)
第3回(1961年)
- 歌唱賞:硝子のジョニー(アイ・ジョージ)
- 新人奨励賞:川は流れる(仲宗根美樹)、団地のお嬢さん(山中みゆき(2代目))、白い花のブルース(平野こうじ)、湖愁(松島アキラ)、むすめ三度笠(藤野たつ恵)、さいはての唄(柳うた子)
- 作詩賞:白い花のブルース、磯ぶし源太(佐伯孝夫)
- 作曲賞:なし
- 作詩賞奨励賞:恋しているんだもん(市川昭介)
- 編曲賞:刑事物語 主題歌(広瀬雅一)
- 童謡賞:かかしのねがいごと(楠トシエ)
第4回(1962年)
- 歌唱賞:星屑の町(三橋美智也)
- 新人賞:なみだ船(北島三郎)、下町の太陽(倍賞千恵子)
- 作詩賞:月火水木金土の歌(谷川俊太郎)
- 作曲賞:遠くへ行きたい(中村八大)
- 編曲賞:恋の曼珠沙華(佐伯亮)
- 新人作曲賞:TBS『七人の刑事』主題歌
- 新人作詩賞:おべんとつけてどこいくの(若谷和子)
- 童謡賞:小さい秋みつけた(ボニージャックス)
- 特別賞:王将(村田英雄)、アカシアの雨がやむとき(西田佐知子)
第5回(1963年)
- 歌唱賞:赤ちゃんは王様だ(フランク永井)
- 新人賞:学園広場、高校三年生(舟木一夫)、島のブルース、私も流れの渡り鳥(三沢あけみ)
- 作詩賞:高校三年生(丘灯至夫)
- 作曲賞:見上げてごらん夜の星を(いずみたく)
- 編曲賞:恋のバカンス(宮川泰)
- 童謡賞:おもちゃのチャチャチャ(真理ヨシコ)
第6回(1964年)
- 歌唱賞:夜明けのうた(岸洋子)
- 新人賞:君だけを、十七才のこの胸に(西郷輝彦)、アンコ椿は恋の花(都はるみ)
- 作詩賞:ウナ・セラ・ディ東京、夜明けのうた(岩谷時子)
- 作曲賞:ウナ・セラ・ディ東京(宮川泰)
- 編曲賞:お座敷小唄(寺岡真三)
- 童謡賞:ワンツースリーゴー(音羽ゆりかご会)
- 特別賞:東京五輪音頭(三波春夫など)
第7回(1965年)
- 歌唱賞:ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー(越路吹雪)、
- 新人賞:女心の唄(バーブ佐竹)、愛して愛して愛しちゃったのよ(田代美代子)
- 作詩賞:おしゃべりな真珠(安井かずみ)
- 作曲賞:さよならはダンスの後に(小川寛興)
- 編曲賞:ノーチェデ東京(山屋清)
- 童謡賞:マーチング・マーチ(天地総子、音羽ゆりかご会)
- 特別賞:東海林太郎
第8回(1966年)
- 歌唱賞:絶唱(舟木一夫)
- 新人賞:空に星があるように(荒木一郎)、赤い風船(加藤登紀子)
- 作詩賞:逢いたくて逢いたくて、君といつまでも(岩谷時子)
- 作曲賞:星にフラメンコ、バラが咲いた(浜口庫之助)
- 編曲賞:君といつまでも、逢いたくて逢いたくて(森岡賢一郎)
- 特別賞:加山雄三
第9回(1967年)
- 歌唱賞:君こそわが命(水原弘)、小指の思い出(伊東ゆかり)
- 新人賞:恋人と呼んでみたい(永井秀和)、世界は二人のために(佐良直美)
- 作詩賞:愛のかなたに、恋のフーガ(なかにし礼)
- 作曲賞:霧の摩周湖、渚のセニョリータ(平尾昌章)
- 編曲賞:レッツゴー運命ほか(寺内タケシ)
- 童謡賞:うたう足の歌(杉並合唱団)
- 特別賞:石原裕次郎
第10回(1968年)
- 歌唱賞:誰もいない(菅原洋一)、伊勢佐木町ブルース(青江三奈)、旅路のひとよ(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)、
- 新人賞:あなたのブルース(矢吹健)、くちづけが怖い(久美かおり)、恋の季節(ピンキーとキラーズ)
- 作詩賞:艶歌(星野哲郎)
- 作曲賞:恋の季節(いずみたく)
- 編曲賞:恋のしずく、花と蝶(森岡賢一郎)
- 童謡賞:ペケの歌(長谷川よしみ)
- 特別賞:吉田正、春日八郎、島倉千代子、ザ・フォーク・クルセダーズ
- 日本レコード大賞制定10周年記念賞:古賀政男、服部良一
第11回(1969年)
- 最優秀歌唱賞:港町ブルース(森進一)
- 最優秀新人賞:夜と朝のあいだに(ピーター)
- 歌唱賞:池袋の夜(青江三奈)、人形の家(弘田三枝子)、ひとり寝の子守唄(加藤登紀子)
- 大衆賞:365歩のマーチ(水前寺清子)、禁じられた恋(森山良子)
- 新人賞:風(はしだのりひことシューベルツ)、長崎は今日も雨だった(内山田洋とクール・ファイブ)、真夜中のギター(千賀かほる)、みんな夢の中(高田恭子)
- 作詩賞:禁じられた恋(山上路夫)
- 作曲賞:ブルー・ライト・ヨコハマ(筒美京平)
- 編曲賞:悲しみは駆け足でやってくる(寺岡真三)
- 童謡賞:うまれたきょうだい11にん(スリー・バブルス)
- 特別賞:佐伯孝夫、東芝音楽工業と制作グループ
第12回(1970年)
- 最優秀新人賞:もう恋なのか(にしきのあきら)
- 歌唱賞:噂の女(内山田洋とクール・ファイブ)、希望(岸洋子)、波止場おんなのブルース(森進一)、手紙(由紀さおり)
- 大衆賞:命預けます(藤圭子)、ドリフのズンドコ節(ザ・ドリフターズ)、人形の家(弘田三枝子)、ひとり寝の子守唄(加藤登紀子)
- 新人賞:経験(辺見マリ)、一度だけなら(野村真樹)、愛のきずな(安倍律子)、走れコータロー(ソルティー・シュガー)
- 作詩賞:昭和おんなブルース(なかにし礼)
- 作曲賞:真夏のあらし(川口真)
- 編曲賞:笑って許して(馬飼野俊一)
- 童謡賞:ムーミンのテーマ(玉川さきこ)
- 特別賞:日本コロムビアのスタッフ(日本流行歌の歩み)
第13回(1971年)
- 最優秀歌唱賞:おふくろさん(森進一)
- 最優秀新人賞:わたしの城下町(小柳ルミ子)
- 歌唱賞:よこはま・たそがれ(五木ひろし)、知床旅情(加藤登紀子)、さいはて慕情(渚ゆう子)
- 大衆賞:傷だらけの人生(鶴田浩二)、さらば恋人(堺正章)
- 新人賞:17才(南沙織)、燃える恋人(本郷直樹)、雨の御堂筋(欧陽菲菲)、恋人もいないのに(シモンズ)
- 作詩賞:戦争を知らない子供たち、冒険(北山修)
- 作曲賞:雨がやんだら、真夏の出来事(筒美京平)
- 編曲賞:花のメルヘン(服部克久)
- 童謡賞:じんじん(ひばり児童合唱団)
- 特別賞:淡谷のり子
第14回(1972年)
- 最優秀歌唱賞:あの鐘を鳴らすのはあなた(和田アキ子)
- 最優秀新人賞:芽ばえ(麻丘めぐみ)
- 歌唱賞:瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)、夜汽車の女(五木ひろし)、許されない愛(沢田研二)
- 大衆賞:子連れ狼(橋幸夫)、ひとりじゃないの(天地真理)
- 新人賞:太陽がくれた季節(青い三角定規)、男の子女の子(郷ひろみ)、雨(三善英史)、せんせい(森昌子)
- 作詩賞:終着駅(千家和也)
- 作曲賞:どうにもとまらない、涙(都倉俊一)
- 編曲賞:ハチのムサシは死んだのさ(土持城夫)
- 童謡賞:ピンポンパン体操(金森勢、杉並児童合唱団)
- 特別賞:越路吹雪、石本美由起
第15回(1973年)
- 最優秀歌唱賞:恋文(由紀さおり)
- 最優秀新人賞:わたしの青い鳥(桜田淳子)
- 歌唱賞:ちぎれた愛(西城秀樹)、なみだ恋(八代亜紀)、白いギター(チェリッシュ)
- 大衆賞:わたしの彼は左きき(麻丘めぐみ)、ロマンス(ガロ)、危険なふたり(沢田研二)
- 新人賞:赤い風船(浅田美代子)、涙の太陽(安西マリア)、コーヒーショップで(あべ静江)、草原の輝き(アグネス・チャン)
- 作詩賞:ジョニーへの伝言、じんじんさせて(阿久悠)
- 作曲賞:そして神戸、街の灯り(浜圭介)
- 編曲賞:若葉のささやき(竜崎孝路)
- 童謡賞:ママと僕の四季(大慶太)
- 特別賞:藤田まさと、渡辺はま子
第16回(1974年)
- 最優秀歌唱賞:みれん(五木ひろし)
- 最優秀新人賞:逃避行(麻生よう子)
- 歌唱賞:傷だらけのローラ(西城秀樹)、追憶(沢田研二)、積木の部屋(布施明)、愛の執念(八代亜紀)
- 大衆賞:二人でお酒を(梓みちよ)、なみだの操(殿さまキングス)、うそ(中条きよし)、ひと夏の経験(山口百恵)
- 新人賞:恋はダンダン(浅野ゆう子)、太陽の日曜日(荒川務)、イルカにのった少年(城みちる)空港(テレサ・テン)、あなたにあげる(西川峰子)
- 作詩賞:精霊流し(さだまさし)
- 作曲賞:甘い生活(筒美京平)
- 編曲賞:夕立(井上陽水)
- ヤングアイドル賞:恋のアメリカン・フットボール(フィンガー5)
- 特別賞:藤山一郎、田谷力三
第17回(1975年)
- 最優秀歌唱賞:千曲川(五木ひろし)
- 最優秀新人賞:心のこり(細川たかし)
- 歌唱賞:私鉄沿線(野口五郎)、人恋しくて(南沙織)、花車(小柳ルミ子)
- 大衆賞:十七の夏(桜田淳子)
- 新人賞:ロマンス(岩崎宏美)、夜の訪問者(小川順子)、美しい契り(片平なぎさ )、雨だれ(太田裕美)
- 作詩賞:乳母車(阿久悠)
- 作曲賞:下宿屋(森田公一)
- 編曲賞:空飛ぶ鯨(萩田光雄)
- 特別賞:島倉千代子、フランク永井、田端義夫、石原裕次郎
第18回(1976年)
- 最優秀歌唱賞:もう一度逢いたい(八代亜紀)
- 最優秀新人賞:想い出ぼろぼろ(内藤やす子)
- 歌唱賞:あばよ(研ナオコ)、針葉樹(野口五郎)、若き獅子たち(西城秀樹)
- 大衆賞:あなたがいたから僕がいた(郷ひろみ)
- 新人賞:雪ごもり(芦川よしみ)、嘘でもいいの(角川博)、嫁に来ないか(新沼謙治)、ペッパー警部(ピンク・レディー)
- 作詩賞:横須賀ストーリー(阿木燿子)
- 作曲賞:想い出ぼろぼろ(宇崎竜童)
- 編曲賞:メランコリー(萩田光雄)
- 特別賞:美空ひばり 、ダーク・ダックス
第19回(1977年)
- 最優秀歌唱賞:愛の終着駅(八代亜紀)
- 最優秀新人賞:帰らない(清水健太郎)
- 歌唱賞:秋桜(山口百恵)、思秋期(岩崎宏美)、津軽海峡・冬景色(石川さゆり)
- 大衆賞:ウォンテッド 他(ピンク・レディー)
- 新人賞:あずさ2号(狩人)、アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた(榊原郁恵)、硝子坂(高田みづえ)、Lui-Lui(太川陽介)
- 西条八十賞:雨やどり、秋桜(さだまさし)
- 中山晋平賞:思秋期、津軽海峡・冬景色(三木たかし)
- 編曲賞:勝手にしやがれ、旅愁-斑鳩にて-(船山基紀)
- 特別賞:小畑実、小林旭、フランク永井、春日八郎
第20回(1978年)
- 最優秀歌唱賞:LOVE (抱きしめたい)(沢田研二)
- 最優秀新人賞:かもめが翔んだ日(渡辺真知子)
- 金賞:かもめはかもめ(研ナオコ)、グッド・ラック(野口五郎)、しあわせ芝居(桜田淳子)、シンデレラ・ハネムーン(岩崎宏美)、たそがれマイ・ラブ(大橋純子)、故郷へ…(八代亜紀)、ブルースカイブルー(西城秀樹)、プレイバックPart2(山口百恵)
- 新人賞:失恋記念日(石野真子)、青葉城恋唄(さとう宗幸)、Deep(渋谷哲平)、東京ららばい(中原理恵)
- 西条八十賞:この空を飛べたら、しあわせ芝居(中島みゆき)
- 中山晋平賞:飛んでイスタンブール、東京ららばい(筒美京平)
- 編曲賞:Mr.サマータイム(前田憲男)
- 特別賞:淡谷のり子、藤田まさと
第21回(1979年)
- 最優秀歌唱賞:おもいで酒(小林幸子)
- 最優秀新人賞:私のハートはストップモーション(桑江知子)
- 金賞:おまえとふたり(五木ひろし)、カサブランカ・ダンディ(沢田研二)、関白宣言(さだまさし)、しなやかに歌って(山口百恵)、ビューティフル・ネーム(ゴダイゴ)、舟唄(八代亜紀)、万華鏡(岩崎宏美)、勇気があれば(西城秀樹)
- 新人賞:好きだから(井上望)、HOW!ワンダフル(倉田まり子)、September(竹内まりや)、おんなの出船(松原のぶえ)
- 西条八十賞:チャンピオン(谷村新司)
- 中山晋平賞:魅せられて(筒美京平)
- 編曲賞:アメリカン・フィーリング(坂本龍一)
- 特別賞:古関裕而、遠藤実
- ベストアルバム賞:栄光への脱出〜武道館ライブ(アリス)、10ナンバーズ・からっと(サザンオールスターズ)、夢供養(さだまさし)
- ロング・セラー賞:夢追い酒(渥美二郎)、花街の母(金田たつえ)、北国の春(千昌夫)、みちづれ(牧村三枝子)
第22回(1980年)
- 最優秀歌唱賞:大阪しぐれ(都はるみ)
- 最優秀新人賞:ハッとして!Good(田原俊彦)
- 金賞:あれから一年たちました(小林幸子)、銀河伝説(岩崎宏美)、恋人よ(五輪真弓)、酒場でDABADA(沢田研二)、サンタマリアの祈り(西城秀樹)、ダンシング・オールナイト(もんた&ブラザーズ)、ふたりの夜明け(五木ひろし)、私はピアノ(高田みづえ)
- 新人賞:あなた色のマノン(岩崎良美)、ヤング・ボーイ(河合奈保子)、青い珊瑚礁(松田聖子)、帰ってこいよ(松村和子)
- 西条八十賞:贈る言葉(武田鉄矢)
- 中山晋平賞:ダンシング・オールナイト(もんたよしのり)
- 編曲賞:TOKIO(後藤次利)
- 特別賞:市丸、佐伯孝夫、藤山一郎
- 特別大衆賞:山口百恵
- ベスト・アルバム賞:逆流(長渕剛)、ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(イエロー・マジック・オーケストラ)、MOONGLOW(山下達郎)
- ロング・セラー賞:別れても好きなひと(ロス・インディオス&シルビア)
第23回(1981年)
- 最優秀歌唱賞:すみれ色の涙(岩崎宏美)
- 最優秀新人賞:ギンギラギンにさりげなく(近藤真彦)
- 金賞:あなたひとすじ(川中美幸)、命あたえて(森進一)、哀しみ本線日本海(森昌子)、人生かくれんぼ(五木ひろし)、ス・ト・リ・ッ・パ・ー(沢田研二)、センチメンタルガール(西城秀樹)、街角トワイライト(シャネルズ)、もしもピアノが弾けたなら(西田敏行)
- 新人賞:てれてZinZin(竹本孝之)、父さん(祐子と弥生)、函館本線(山川豊)、はみだしチャンピオン(沖田浩之)
- 作詩賞:ルビーの指環(松本隆)
- 作曲賞:ルビーの指環(寺尾聰)
- 編曲賞:ルビーの指環(井上鑑)
- 特別賞:松島詩子
- ベスト・アルバム賞:We are(オフコース)、水の中のASIAへ(松任谷由実)、A LONG VACATION(大瀧詠一)
- ロング・セラー賞:ブランデーグラス(石原裕次郎)、みちのくひとり旅(山本譲二)、奥飛騨慕情(竜鉄也)
- ゴールデン・アイドル賞:風立ちぬ(松田聖子)、グッドラックLOVE(田原俊彦)、スマイル・フォー・ミー(河合奈保子)、ハロー・グッバイ(柏原よしえ)
第24回(1982年)
- 最優秀歌唱賞:シルエット・ロマンス(大橋純子)
- 最優秀新人賞:100%…Soかもね(シブがき隊)
- 金賞:越前岬(川中美幸)、花梨(柏原芳恵)、けんかをやめて(河合奈保子)、小麦色のマーメイド(松田聖子)、聖・少女(西城秀樹)、契り(五木ひろし)、夏をあきらめて(研ナオコ)、誘惑スレスレ(田原俊彦)、6番目のユ・ウ・ウ・ツ(沢田研二)
- 新人賞:ゆ・れ・て湘南(石川秀美)、アンサーソングは哀愁(早見優)、待ちぼうけ(堀ちえみ)、センチメンタル・ジャーニー(松本伊代)
- 作詩賞:小麦色のマーメイド(松本隆)
- 作曲賞:夏をあきらめて(桑田佳祐)
- 編曲賞:悪女(船山基紀)
- 特別賞:伊藤久男、渡辺はま子、「横浜銀蝿」とその仲間たち
- ベスト・アルバム賞:寒水魚(中島みゆき)、NUDE MAN(サザンオールスターズ)、PEARL PIERCE(松任谷由実)
- ゴールデン・アイドル賞:ホレたぜ!乾杯(近藤真彦)
- ロング・セラー賞:望郷酒場(千昌夫)、夫婦舟(三笠優子)
第25回(1983年)
- 最優秀歌唱賞:越冬つばめ(森昌子)
- 最優秀新人賞:きまぐれONE WAY BOY(THE GOOD-BYE)
- 特別金賞:細雪(五木ひろし)、きめてやる今夜(沢田研二)、浪花恋しぐれ(都はるみ)、冬のリヴィエラ(森進一)、日本海(八代亜紀)
- 金賞:家路(岩崎宏美)、エスカレーション(河合奈保子)、ガラスの林檎(松田聖子)、ギャランドゥ(西城秀樹)、そんなヒロシに騙されて(高田みづえ)、春なのに(柏原芳恵)、ピエロ(田原俊彦)、ミッド・ナイト・ステーション(近藤真彦)、め組のひと(ラッツ&スター)
- ゴールデン・アイドル賞:スターダスト・トレイン(石川秀美)、艶姿ナミダ娘(小泉今日子)、ZOKKON 命(シブがき隊)、禁区(中森明菜)、抱いてライラブ(早見優)、夕暮れ気分(堀ちえみ)、時に愛は(松本伊代)
- 新人賞:恋あなたしだい(岩井小百合)、ダンシング・レディ(大沢逸美)、よこはまチャチャ(小野さとる)、もしかして・ドリーム(桑田靖子)
- 作詩賞:夢芝居(小椋佳)
- 作曲賞:春なのに(中島みゆき)
- 編曲賞:SWEET MEMORIES(大村雅朗)
- 特別賞:遠藤実、ディック・ミネ、林伊佐緒、細川潤一、吉川静夫
- ベスト・アルバム賞:ユートピア(松田聖子)、綺麗(サザンオールスターズ)、REINCARNATION(松任谷由実)
- ロング・セラー賞:さざんかの宿(大川栄策)、ラヴ・イズ・オーヴァー(欧陽菲菲)、氷雨(佳山明生)
第26回(1984年)
- アルバム大賞:Triad(高橋真梨子)
- 最優秀スター賞:北ウイング(中森明菜)
- 最優秀歌唱賞:浪花節だよ人生は(細川たかし)
- 最優秀新人賞:恋 はじめまして(岡田有希子)
- 金賞:北の螢(森進一)、唇のプライバシー(河合奈保子)、最愛(柏原芳恵)、ピンクのモーツァルト(松田聖子)、星屑のステージ(チェッカーズ)、もしかしてPARTII(小林幸子・美樹克彦)、ワインレッドの心(安全地帯)
- 新人賞:前略、道の上より(一世風靡セピア)、サマーアイズ(菊池桃子)、モニカ(吉川晃司)、バージンブルー(SALLY)
- 作詩賞:桃色吐息(康珍化)
- 作曲賞:ワインレッドの心(玉置浩二)
- 編曲賞:TAKAKO(星勝)
- 特別賞:芦屋雁之助、木村友衛
第27回(1985年)
- アルバム大賞:9.5カラット(井上陽水)
- 最優秀スター賞:ジュリアに傷心(チェッカーズ)
- 最優秀歌唱賞:波止場しぐれ(石川さゆり)
- 最優秀新人賞:「C」(中山美穂)
- 金賞:男船(神野美伽)、そして…めぐり逢い(五木ひろし)、タッチ(岩崎良美)、デビュー(河合奈保子)、PASSION(早見優)、望郷じょんがら(細川たかし)、悲しみにさよなら(安全地帯)、Romanticが止まらない(C-C-B)
- 新人賞:Temptation(誘惑)(本田美奈子)、恋におちて(小林明子)、雨のハイスクール(芳本美代子)、さよならと言われて(松本典子)
- 作詩賞:夏ざかりほの字組(阿久悠)
- 作曲賞:いっそセレナーデ、飾りじゃないのよ涙は(井上陽水)
- 編曲賞:Romanticが止まらない(船山基紀)
- 特別賞:小林明子
第28回(1986年)
- アルバム大賞:SUPREME(松田聖子)
- ベストアーチスト賞:DESIRE -情熱-など(中森明菜)
- 最優秀歌唱賞:北の漁場(北島三郎)
- 最優秀新人賞:仮面舞踏会(少年隊)
- 金賞:熱き心に(小林旭)、天城越え(石川さゆり)、さだめ川(細川たかし)、Dance Beatは夜明けまで(荻野目洋子)、ツイてるねノッてるね(中山美穂)、時の流れに身をまかせ(テレサ・テン)、浪花盃(五木ひろし)、Baby Rose(近藤真彦)、My Revolution(渡辺美里)、
- 新人賞:CHA-CHA-CHA(石井明美)わたし、ドリーミング(西村知美)、夢飛行(真璃子)、乙女日和(水谷麻里)
- 作詩賞:熱き心に(阿久悠)
- 作曲賞:時の流れに身をまかせ(三木たかし)
- 編曲賞:天城越え(桜庭伸幸)、100%男女交際(山川恵津子)
- 特別賞:石井明美
第29回(1987年)
- アルバム大賞:LICENSE(長渕剛)
- ベストアーチスト賞:君だけに(少年隊)
- 最優秀歌唱賞:女の駅(大月みやこ)
- 最優秀新人賞:キミはどんとくらい(立花理佐)
- 特別大衆賞:命くれない(瀬川瑛子)、難破船(中森明菜)
- 金賞:追憶(五木ひろし)、濡れた髪のLonely(池田聡)、MARIONETTE (マリオネット)(BOØWY)、無錫旅情(尾形大作)、夫婦善哉(石川さゆり)、六本木純情派(荻野目洋子)
- 新人賞:ノ・レ・な・い Teen-age(酒井法子)、あばれ太鼓(坂本冬美)、人見知り(畠田理恵)、I Don't know(BaBe)
- 作詩賞:人生いろいろ(中山大三郎)
- 作曲賞:愛しき日々(堀内孝雄)、雪國(吉幾三)
- 編曲賞:愚か者(戸塚修)
- 特別賞:石原裕次郎、喜多郎
第30回(1988年)
- アルバム大賞:FLOWERS for ALGERNON(氷室京介)
- 最優秀歌唱賞:人生いろいろ(島倉千代子)
- 最優秀新人賞:DAYBREAK(男闘呼組)
- 金賞:あぁ、グッと(近藤真彦)、祝い酒(坂本冬美)、ANGEL(氷室京介)、乾杯(長渕剛)、ストレンジャーTonight(荻野目洋子)、TATTOO(中森明菜)、BEYOND THE TIME(TM NETWORK)、北緯五十度(細川たかし)、乱れ花(大月みやこ)、港の五番町(五木ひろし)、MUGO・ん…色っぽい(工藤静香)、You're My Only Shinin' Star(中山美穂)、You Were Mine(久保田利伸)
- 新人賞:ABコンプレックス(相川恵里)、雨酒場(香西かおり)、89番目の星座(仲村知夏)、JUST ONE MORE KISS TO SEARCH(BUCK-TICK)、王将一代小春しぐれ(大和さくら)
- 作詩賞:ガキの頃のように(荒木とよひさ)
- 作曲賞:乾杯(長渕剛)
- 編曲賞:彼女とTIP ON DUO(佐藤準)
- 特別賞:五木ひろし
第31回(1989年)
- アルバム大賞:CIRCUIT OF RAINBOW(杏里)
- 最優秀歌唱賞:風の盆恋歌(石川さゆり)
- 最優秀新人賞:ふりむけばヨコハマ(マルシア)
- 特別栄誉歌手賞:川の流れのように(美空ひばり)
- アルバムニューアーチスト賞:BO-GUMBOS(BO&GUMBO)
- 金賞:男の情話(坂本冬美)、風の盆恋歌(石川さゆり)、北国へ(細川たかし)、TIME ZONE(男闘呼組)、太陽がいっぱい(光GENJI)、ユア・マイ・ライフ(荻野目洋子)、酔いどれて(桂銀淑)、リゾ・ラバ(BAKUFU-SLUMP)
- 新人賞:恋やどり(尾鷲義人)、夢だけみてる(川越美和)、男同志(香田晋)、真剣(田村英里子)
- 作詩賞:好色一代女(吉岡治)
- 作曲賞:川の流れのように(見岳章)、DIVE INTO YOUR BODY、ドリームラッシュ(小室哲哉)
- 編曲賞:維新の女(川口真)
- 日本作曲家協会特別功労賞:古関裕而
第32回(1990年)
歌謡曲・演歌部門
- アルバム大賞:真夜中のシャワー(桂銀淑)
- 演歌ゴールド・ディスク賞:恋舟(香西かおり)
- 最優秀歌唱賞:蛍(松原のぶえ)
- 最優秀歌謡曲新人賞:愛されてセレナーデ(ヤン・スギョン)
- 最優秀演歌新人賞:一円玉の旅がらす(晴山さおり)
- 作詩賞:花束(阿久悠)
- 作曲賞:恋唄綴り(堀内孝雄)
- 編曲賞:愛されてセレナーデ(若草恵)
- 特別賞:北島三郎
- 美空ひばり賞:坂本冬美
ポップス・ロック部門
- アルバム大賞:ケダモノの嵐(ユニコーン)
- ロック・ゴールド・ディスク賞:真夏の果実(サザンオールスターズ)
- 最優秀ポップス・ボーカル賞:告白(竹内まりや)
- 最優秀ロック・ボーカル賞:真夏の果実(サザンオールスターズ)
- 最優秀ポップス新人賞:お祭り忍者(忍者)
- 最優秀ロック・新人賞:さよなら人類(たま)
- 作詩賞:告白(竹内まりや)
- 作曲賞:真夏の果実(サザンオールスターズ)
- 編曲賞:壊れかけのRadio(瀬尾一三)
- 特別賞:石井好子
- 外国アーティスト賞:マドンナ
第33回(1991年)
歌謡曲・演歌部門
- アルバム大賞:GENTS(堀内孝雄)
- 最優秀歌唱賞:火の国の女(坂本冬美)
- 最優秀新人賞:やせがまん(唐木淳)
- ゴールド・ディスク賞:流恋草(香西かおり)、悲しみの訪問者(桂銀淑)
- 新人賞:想い出の九十九里浜(しじみとさざえ)
- 作詩賞:火の国の女(たかたかし)
- 作曲賞:恋挽歌(市川昭介)
- 編曲賞:悲しみの訪問者(川村栄二)
- 特別賞:山本リンダ、五木ひろし
- 美空ひばり賞:雨夜酒(藤あや子)
ポップス・ロック部門
- アルバム大賞:ARTISAN(山下達郎)
- 最優秀ボーカル賞:はじまりはいつも雨(ASKA)
- 最優秀新人賞:想い出の九十九里浜(Mi-Ke)
- ゴールド・ディスク賞:あなたに会えてよかった(小泉今日子)、SAY YES(CHAGE&ASKA)、ラブ・ストーリーは突然に(小田和正)
- 新人賞:赤い花束(中嶋美智代)、どんなときも。(槇原敬之)、伝説の少女(観月ありさ)
- 作詩賞:あなたに会えてよかった(小泉今日子)
- 作曲賞:はじまりはいつも雨(ASKA)
- 編曲賞:あなたに会えてよかった(小林武史)
- 特別賞:オルケスタ・デ・ラ・ルス
- 外国アーティスト賞:マライア・キャリー
第34回(1992年)
歌謡曲・演歌部門
- アルバム大賞:男惚れ(坂本冬美)
- 最優秀歌唱賞:夜桜(山川豊)
- 最優秀新人賞:大阪すずめ(永井みゆき)
- ゴールド・ディスク賞:都会の天使たち(堀内孝雄&桂銀淑)、花挽歌(香西かおり)
- 新人賞:女…ひとり旅(田川寿美)
- 作詩賞:夢一秒(荒木とよひさ)
- 作曲賞:花挽歌(三木たかし)
- 編曲賞:こころ酒(前田俊明)
- 特別功労賞:松尾和子、関沢新一
- 美空ひばり賞:中村美律子
ポップス・ロック部門
- アルバム大賞:世に万葉の花が咲くなり(サザンオールスターズ)
- 最優秀ボーカル賞:きっと、また逢える…(松田聖子)
- 最優秀新人賞:You're the only…(小野正利)
- ゴールド・ディスク賞:決戦は金曜日(ドリームズ・カム・トゥルー)、何も言えなくて…夏(J-WALK)、涙のキッス(サザンオールスターズ)、はがゆい唇(高橋真梨子)
- 新人賞:DA・KA・RA(大黒摩季)、今度私どこか連れていって下さいよ(加藤紀子)、もう一度逢いたくて(高橋洋子)
- 作詩賞:部屋とYシャツと私(平松愛理)
- 作曲賞:Woman(中西圭三)
- 編曲賞:愛は時を越えて(重実徹)
- 特別賞:小林靖宏
- 外国アーティスト賞:Bobby Caldwell
第35回(1993年)
- アルバム大賞:Quiet Life(竹内まりや)
- ヒットシングル賞:ロード(THE虎舞竜)
- ベストソング賞:島唄(THE BOOM)
- 最優秀歌唱賞:別れ曲でも歌って(前川清)
- 最優秀新人賞:Get Along Together(山根康広)
- 新人賞:ポケベルが鳴らなくて(国武万里)、Passing Love(シュー・ピンセイ)
- 作詩賞:心凍らせて(荒木とよひさ)
- 作曲賞:無言坂(玉置浩二)
- 編曲賞:Make-up Shadow(佐藤準)
- 特別賞:オルケスタ・デ・ラ・ルス、りんけんバンド
- 美空ひばりメモリアル選奨:谷村新司
- ベストアルバム賞:島唄(THE BOOM):ACCESS II(access)、The Swinging Star(ドリームズ・カム・トゥルー)
第36回(1994年)
- アルバム大賞:孤独の太陽(桑田佳祐)
- 最優秀歌唱賞:あえるじゃないかまた明日(川中美幸)
- 最優秀新人賞:海峡恋歌(西尾夕紀)
- 優秀賞:月(桑田佳祐)、花のように鳥のように(桂銀淑)、夜桜お七(坂本冬美)、恋しさと せつなさと 心強さと(篠原涼子)、survival dAnce 〜no no cry more〜(trf)、めおと酒(長山洋子)、今を抱きしめて(NOA)、花のワルツ(藤あや子)、愛が生まれた日(藤谷美和子/大内義昭)
- 新人賞:憧夢~風に向って(Be-B)、土佐のおんな節(水田竜子)
- 作詩賞:花のように鳥のように(阿久悠)
- 作曲賞:夜桜お七(三木たかし)
- 編曲賞:恋しさと せつなさと 心強さと(小室哲哉)
- 特別賞:オルケスタ・デ・ラ・ルス、りんけんバンド
- 美空ひばりメモリアル選奨:島倉千代子
- ベストアルバム賞:Atomic Heart(Mr.Children)、BILLIONAIRE(trf)
- ミュージックビデオ賞:ROSIER(LUNA SEA)、神様の宝石でできた島(MIYA&YAMI)
第37回(1995年)
- アルバム大賞:清河(チョンハー)の道~48番(新井英一)
- 最優秀歌唱賞:夢街道(山本譲二)
- 最優秀新人賞:桃と林檎の物語(美山純子)
- 優秀作品賞:愛すること(辛島美登里)、碧いうさぎ(酒井法子)、KANSHAして(SMAP)、シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜(Mr.Children)、捨てられて(長山洋子)、ズルい女(シャ乱Q)、旅まくら(天童よしみ)、TRY ME~私を信じて~(安室奈美恵withスーパーモンキーズ)、ロビンソン(スピッツ)
- 新人賞:I BELIEVE(華原朋美)、春の足音(矢吹春佳)
- 作詩賞:愛すること(辛島美登里)
- 作曲賞:捨てられて(桧原さとし)
- 編曲賞:ズルい女(たいせー&シャ乱Q)
- 特別賞:心の糸(香西かおり/伍代夏子/坂本冬美/長山洋子/藤あや子)
- 美空ひばりメモリアル選奨:さだまさし
- ベストアルバム賞:dAnce to positive(trf)、ハチミツ(スピッツ)
- アジア音楽賞:テッド伊藤
第38回(1996年)
- アルバム大賞:globe(globe)
- 最優秀歌唱賞:珍島物語(天童よしみ)
- 最優秀新人賞:アジアの純真(PUFFY)
- 優秀作品賞:バンザイ 〜好きでよかった〜(ウルフルズ)、I'm proud(華原朋美)、DEPARTURES(globe)、螢の提灯(坂本冬美)、いいわけ(シャ乱Q)、そばかす(JUDY AND MARY)、倖せにしてね(長山洋子)、アジアの純真(Puffy)、紅(藤あや子)
- 新人賞:Body & Soul(SPEED)、Baby baby baby(dos)
- 作詩賞:螢の提灯(阿久悠)
- 作曲賞:バンザイ 〜好きでよかった〜(トータス松本)
- 編曲賞:いいわけ(シャ乱Q)
- 特別賞:喜納昌吉
- 美空ひばりメモリアル選奨:北島三郎
- ベストアルバム賞:SWEET 19 BLUES(安室奈美恵)、バンザイ(ウルフルズ)
第39回(1997年)
- アルバム大賞:BELOVED(GLAY)
- 最優秀歌唱賞:人生桜(中村美津子)
- 最優秀新人賞:precious delicious(知念里奈)
- 優秀作品賞:Dear My Friend(Every Little Thing)、HOWEVER(GLAY)、夫婦みち(オーロラ輝子)、Glass(河村隆一)、すき(香西かおり)、WHITE LOVE(SPEED)、珍島物語(天童よしみ)、Give me a Shake(MAX)、ひだまりの詩(Le Couple)
- 新人賞:岩出和也、猿岩石
- 作詩賞:PRIDE(布袋寅泰)
- 作曲賞:もののけ姫(久石譲)
- 編曲賞:すき(若草恵)
- 特別賞:エルトン・ジョン
- 美空ひばりメモリアル選奨:大月みやこ
- ベストアルバム賞:川本真琴(川本真琴)、恋(古内東子)
- アジア音楽賞:ファンキー末吉
第40回(1998年)
- アルバム大賞:Time to Destination(Every Little Thing)
- 最優秀歌唱賞:龍神(鳥羽一郎)
- 最優秀新人賞:抱いてHOLD ON ME!(モーニング娘。)
- 優秀作品賞:哀愁港(田川寿美)、ALIVE(SPEED)、SOUL LOVE(GLAY)、Time goes by(Every Little Thing)、長い間(kiroro)、二輪草(川中美幸)、HONEY(L'Arc〜en〜Ciel)、Ride on Time(MAX)、Rhapsody in Blue(DA PUMP)
- 新人賞:鈴木あみ、tohko
- 作詩賞:竹とんぼ、カラスの女房(荒木とよひさ)
- 作曲賞:長い間、未来へ(玉城千春)
- 編曲賞:二輪草(前田俊明)
- 特別賞:セリーヌ・ディオン
- 美空ひばりメモリアル選奨:五木ひろし
- ベストアルバム賞:pure soul(GLAY)、Mother Father Brother Sister(Misia)
- アジア音楽賞:沢知恵
第41回(1999年)
- アルバム大賞:First Love(宇多田ヒカル)
- 最優秀歌唱賞:GOLDFINGER '99(郷ひろみ)
- 最優秀新人賞:SHOOTING STAR(八反安未果)
- 優秀作品賞:あの紙ヒコーキ くもり空わって(19)、Automatic(宇多田ヒカル)、北海岸(田川寿美)、君影草(川中美幸)、だんご3兄弟(速水けんたろう・茂森あゆみ)、津軽の花(原田悠里)、Boys&Girls(浜崎あゆみ)、ラストチャンス(Something ELse)、LOVEマシーン(モーニング娘。)
- 新人賞:太陽とシスコムーン、山本智子、和田青児
- 作詩賞:風に立つ(たかたかし)
- 作曲賞:LOVEマシーン(つんく)
- 編曲賞:君影草 ~すずらん~など(南郷達也)
- 特別賞:だんご3兄弟
- 美空ひばりメモリアル選奨:橋幸夫
- ベストアルバム賞:ark、ray(L'Arc〜en〜Ciel)、A Song for ××(浜崎あゆみ)
- アジア音楽賞:フェイ・ウォン
第42回(2000年)
- アルバム大賞:Duty(浜崎あゆみ)
- 最優秀歌唱賞:浮寝草(香西かおり)
- 最優秀新人賞:箱根八里の半次郎(氷川きよし)
- 優秀作品賞:あなたのキスを数えましょう 〜You were mine〜(小柳ゆき)、if...(DA PUMP)、恋のダンスサイト(モーニング娘。)、こぼれ月(田川寿美)、SEASONS(浜崎あゆみ)、Treasure(hiro)、孫(大泉逸郎)、夢ひとすじ(原田悠里)、LOVE 2000(hitomi)
- 新人賞:EARTH、チェウニ
- 作詩賞:SEASONS(浜崎あゆみ)
- 作曲賞:愛情、be alive(原一博)
- 編曲賞:恋のダンスサイト、なかったコトにして(ダンス☆マン)
- 特別賞:安室奈美恵、モーニング娘。
- 美空ひばりメモリアル選奨:小林幸子
- ベストアルバム賞:勝訴ストリップ(椎名林檎)、LOVE IS THE MESSAGE(MISIA)
第43回(2001年)
- 最優秀歌唱賞:海鳴り(田川寿美)
- 最優秀新人賞:Paradox(w-inds.)
- 金賞:fragile(Every Little Thing)、大河の流れ(川中美幸)、いつも何度でも(木村弓)、白い恋人達(桑田佳祐)、Steppin' and Shakin'(DA PUMP)、春が来た(天童よしみ)、三年ぶりの人だから(原田悠里)、大井追っかけ音次郎(氷川きよし)、IS IT YOU?(hitomi)、Your innocence(hiro)
- 新人賞:音羽しのぶ、ZONE
- 作詩賞:眩暈(鬼束ちひろ)
- 作曲賞:fragile(菊池一仁)
- 編曲賞:夢の涯て~子午線の夢~(若草恵)
- 特別賞:明日があるさ(Re:Japan)、ZERO LANDMINE(N.M.L.)
- ベストアルバム賞:Love Notes(ゴスペラーズ)
第44回(2002年)
- 最優秀歌唱賞:さとうきび畑(森山良子)
- 最優秀新人賞:WILL(中島美嘉)
- 金賞:亜麻色の髪の乙女(島谷ひとみ)、Eternal Place(hiro)、おんな坂(原田悠里)、貴船の宿(川中美幸)、きよしのズンドコ節(氷川きよし)、キヲク(Every Little Thing)、涙そうそう(夏川りみ)、女人高野(田川寿美)、Because of you(w-inds.)、LISTEN TO MY HEART(BoA)
- 新人賞:椎名佐千子、day after tomorrow、Lead
- 作詩賞:涙そうそう(森山良子)
- 作曲賞:はぐれコキリコ(聖川湧)
- 編曲賞:Free & Easy(HΛL)
- 特別賞:小澤征爾、Hello! Project
- ベストアルバム賞:ハイヌミカゼ(元ちとせ)
第45回(2003年)
- 最優秀歌唱賞:白雲の城(氷川きよし)
- 最優秀新人賞:もらい泣き(一青窈)
- 金賞:浮雲ふたり(神野美伽)、おんなの一生~汗の花~(川中美幸)、DOUBLE(BoA)、Together(EXILE)、鳥取砂丘(水森かおり)、Night Walk(DA PUMP)、Perseus-ペルセウス-(島谷ひとみ)、雪の華(中島美嘉)、Long Road(w-inds)、童神~ヤマトグチ~(夏川りみ)
- 新人賞:神園さやか、SHY、南かなこ
- 作詩賞:雪の華(Satomi)
- 作曲賞:月のしずく(松本良喜)
- 編曲賞:もらい泣き(武部聡志)
- 特別賞:女子十二楽坊、SPEED、山下達郎
- ベストアルバム賞:LØVE(中島美嘉)
第46回(2004年)
- 最優秀歌唱賞:愛よ愛よ(夏川りみ)
- 最優秀新人賞:さくらんぼ(大塚愛)
- 金賞:あかね雲(神野美伽)、あなたがいれば(華原朋美)、Carry On(EXILE)、QUINCY(BoA)、釧路湿原(水森かおり)、桜(河口恭吾)、Night Deluxe(Lead)、氷見(ひみ)の雪(原田悠里)、番場の忠太郎(氷川きよし)、胸焦がす...(DA PUMP)
- 新人賞:Jupiter(平原綾香)、片道切符(北山たけし)、おんな節(森山愛子)
- 作詩賞:番場の忠太郎(松井由利夫)
- 作曲賞:桜(河口京吾)
- 編曲賞:Jupiter(坂本昌之)
- 特別賞:マツケンサンバII(松平健)
- ベストアルバム賞:おんなの絵本(五木ひろし)
第47回(2005年)
- 最優秀歌唱賞:五能線(水森かおり)
- 最優秀新人賞:BLOOD on FIRE(AAA)
- 金賞:あたらしい季節へ(Lead)、十六夜の月(w-inds.)、Eventful(鈴木亜美)、ココロツタエ(夏川りみ)、桜(コブクロ)、沙(すな)の川(原田悠里)、初恋列車(氷川きよし)、プラネタリウム(大塚愛)
- 新人賞:あなたとならば(O's)、Whatever(中ノ森BAND)、PRIDE(HIGH and MIGHTY COLOR)
- 作詩賞:かざぐるま(一青窈)
- 作曲賞:金沢望郷歌、五能線(弦哲也)
- 編曲賞:天草かたぎ、雪簾(ゆきすだれ)(蔦将包)
- 特別賞:小林旭、O-ZONE
- ベストアルバム賞:ケツノポリス4(ケツメイシ)
第48回(2006年)
- 最優秀歌唱賞:夢のうた(倖田來未)
- 最優秀新人賞:三日月(絢香)
- 金賞 - Winter Love(BoA)、気分上々↑↑(mihimaru GT)、君という名の翼(コブクロ)、熊野古道(水森かおり)、ブギウギ66(w-inds.)、Fly High(中ノ森BAND)、ボクノート(スキマスイッチ)、恋愛写真(大塚愛)
- 新人賞:マイペース(SunSet Swish)、哀しみ模様(山本あき)、Ready Go!(WaT)
- 作詩賞:宙船(中島みゆき)
- 作曲賞:高瀬舟(五木ひろし)
- 編曲賞:指切り(小林武史)
- 特別賞:秋吉敏子
第49回(2007年)
「第49回日本レコード大賞」参照
第50回(2008年)
「第50回日本レコード大賞」参照
放送の歴史
発表の模様はテレビ(TBS系地上波全国28局ネット)とラジオ(JRN全国17局ネット)で生中継されている(第42回(2000年)から第47回(2005年)まではTBS系BSデジタル放送のBS-iでも放送されていた)。また、第44回(2002年)からCS放送・TBSチャンネルで過去に放送された回をその年の放送分につき1回限りではあるが毎年12月に再放送を行っている(TBSに現存している第10回(1968年)以降の放送分。CMはカットされるが、その部分には今年放送される回の5~15秒の番宣が挿入されている。)。この放送は『NHK紅白歌合戦』(NHK)、『新春かくし芸大会』(フジテレビ系列)と双璧をなす年末年始恒例大型番組の一つであり「国民的番組」としての地位を築いてきた。
草創期
番組の放送当初は本選と発表会とに分かれていた。第10回(1968年)まで開催日は固定されておらず、主に年末の昼間にモノクロで放送された。会場も神田共立講堂など小規模の会場で行われており、賞自体の知名度も極めて低かった。水原弘は第1回のレコード大賞を受賞した際に「レコード大賞って何だ?」と言ったという。また、美空ひばりが出演しても客席がガラガラだった事もあったという。
TBSに現存する映像はモノクロ放送の最後となった第10回(1968年。開催は大晦日ではない。開催会場は渋谷公会堂)が最古である(この模様は2008年12月にCS放送・TBSチャンネルで第27回(1985年)の模様とともに再放送された)。同年には開始10周年を記念した特別番組が放映され、それまでの各賞受賞者達が勢揃いした。この特番は鮮明なカラーのビデオ映像の完全版VTRが現存している(この模様も2008年12月にCS放送・TBSチャンネルで再放送された)。これ以前の本選の模様はニュース映像の一部、写真、ラジオの音声のみが現存している。
第11回(1969年)からは出場歌手の日程調整をつけ易くするため、大晦日の『NHK紅白歌合戦』(NHK)が始まる前の19~21時に本選を開催・生中継する様になった。会場も帝国劇場に移され、元NHKアナウンサーで人気司会者であった高橋圭三を司会進行役に起用した。また、カラーでの放送も開始された。レコード大賞授賞式が大晦日のTBSの定番プログラムとなる前は『オールスター大行進』という人気歌手・バラエティータレントが大量に出演するショー番組が恒例番組として放送されていた関係で第11回(1969年)の放送は「オールスター大行進」という副題が付されており、受賞歌手以外のタレント(美空ひばり・橋幸夫・ザ・ドリフターズ・コント55号など)も出演していた。
第11回(1969年)以降はすべて鮮明なカラーのビデオ映像の完全版VTRが現存しており保存状態も大変良く、今でもTBS(地上波)の番組で各年の模様が出演歌手の懐かしの映像などで紹介されている。
黄金期
1969年から1988年にかけての20年間、テレビ歌番組の隆盛と共に番組の最盛期を迎えた。テレビ中継の最高視聴率は第19回(1977年)の50.8%で紅白と並ぶ大晦日の「国民的行事」となり、また放送時間も次第に拡大し18時台のスタートとなった。中でも第27回(1985年)には会場が日本武道館となり、授賞式の華やかさは最高潮を迎えた。
第25回(1983年)からTBSの音声多重放送の開始に伴い、テレビでのステレオ放送が始まった。以降、すべてステレオ放送となる。
衰退期
1989年以降、紅白がそれまでの21時から19時20分と大幅に開始時刻を早めた事でバッティングが生じる事も多くなり出演者の移動がままならなくなる。その余波はテレビ放送にも現れ、第30回(1988年)まで30%~40%前後を維持してきた視聴率が一気に15%前後と大幅に下落した。そのため、紅白にも出場する歌手が慌しく移動する様子を生中継するのが風物詩の1つとなった(第47回(2005年)まではこのスタイルが続いていた)。
アイドル歌手が連続して大賞を受賞した事などからその打開策として第32回(1990年)から大賞を「ポップス・ロック部門」と「歌謡曲・演歌部門」に分割したが共に効果がなかったため、第35回(1993年)から再統一している。
第36回(1994年)から第45回(2003年)までは、会場を東京・赤坂のTBS放送センター(ビッグハット)で開催された。第46回(2004年)以降は渋谷のNHK放送センターから比較的近い距離にある新国立劇場に変更されたが、これは『NHK紅白歌合戦』(NHKホールが会場)や『年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京、新宿コマ劇場が会場)と掛け持ちするアーティストや演歌歌手の移動に配慮した事が理由である。
平成に入ると音楽に対する考えの変化から賞取りレースに左右されない音楽活動をしたい事などを理由に受賞そのものを辞退する一部有力J-POPアーティストが増えるようになり、権威は大きく低下した。大賞のMr.Childrenが授賞式に出席しないという異例の事態となった第36回(1994年)以降、授賞式に出席しないアーティストを受賞させない傾向が高まった。テレビ放送での生中継をメインにしている関係上、ミュージック・ビデオばかりを流す訳にもいかないというTBS側の意向が強く反映していると言われる。
スポンサー面では第47回(2005年)になると常連だったスポンサーの多くが降板。さらに他番組のスポンサー枠の確保でスポンサー枠が縮小された。それらの事情で第41回(1999年)以降、テレビ放送の視聴率は低落を続け第47回(2005年)まで低迷、先述のように受賞アーティストがエイベックスばかりに偏るようになったことや裏番組に2003~2005年には格闘技イベント「PRIDE男祭り」の中継に視聴率を奪われることが影響してその回では過去最低の10.0%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)を記録する事態にまでなってしまった(問題点も参照)。ちなみに「PRIDE男祭り」は2006年も実施したが制作局の諸事情で最低視聴率回の2005年を最後に地上波での放送は打ち切りになった。
放送日変更
第48回(2006年)、放送日を大晦日から12月30日に変更した。放送時間は前年より30分拡大した18:30 - 21:54となった。この変更は視聴率の長期低落傾向の打破が主な理由だが大晦日の紅白歌合戦出場やライブを行うアーティストの出演辞退を食い止める事、紅白出場歌手とのダブルブッキングを避けること、格闘技番組『Dynamite!!』の放送時間拡大を望む声などもあった。会場は前年同様に新国立劇場。また、歴代の受賞曲VTRも前年より長めに放送された。視聴率は17.0%と前年を7%上回り、長年続いた視聴率低迷に歯止めをかけた。17%越えしたのは第40回(1998年)以来実に8年振りだった。因みにその翌日の大晦日に拡大放送された『Dynamite!!』も高視聴率(最高視聴率は第2部の19.9%、第1部と第3部も2桁をキープ)を記録し『レコ大』30日放送、『Dynamite!!』大晦日長時間放送が成功を収めることになった。
第49回(2007年)は前回と比べほぼ横ばいの16.8%と安定。また、一方の関西地区(MBS)は20.0%(19:00 - )と関東より高かった。視聴者に30日開催が定着したことをうかがわせ、放送日変更の成功を印象付けた。第50回(2008年)は記念回の為、放送時間を90分拡大し23時30分前後までの5時間放送となる。ただ、同じTBS系列の5時間半の特番『オールスター感謝祭』などで行っている中断のニュースが入るかは未定。
2005年までの大晦日は渋谷区神南(原宿)のNHKホール(『NHK紅白歌合戦』)、渋谷区初台の新国立劇場(『日本レコード大賞』)、新宿区歌舞伎町の新宿コマ劇場(『年忘れにっぽんの歌』)相互の大移動を短時間でこなす出場者のスケジュールの余裕のなさがあったが、2006年以降はレコード大賞を1日ずらしたことでそれがある程度緩和された。
歴代授賞式司会者と視聴率
司会者は第11回(1969年)から第25回(1983年)まで高橋圭三(故人)が長く務めていたがその後は幾度か司会者が変更され、第38回(1996年)からは堺正章が務めている。アシスタントにはその年に最も輝いているタレントや女優、キャスター、その当時のTBSの最も人気のあるアナウンサーなどが選ばれている。また、最近は番組の途中で司会者全員衣装を変えるのが恒例となっている。審査会場や他のライブ会場からのリポート担当、曲ナレーションのみのために声だけ出演をするアナウンサーなども回によっては存在する(第24~30回(1982~1988年)の生島ヒロシアナや第27回(1995年)の鈴木史朗アナなどがこれにあたる)。
第11回(1969年)の浅丘と第12回(1970年)の佐良直美は厳密には「特別ゲスト」扱いとしての出演だが、実質的には高橋のアシスタント役的な役割を番組内では務めた。また第12回(1970年)の堺・加藤、第13・14回(1971・1972年)の沢田雅美、第24回(1982年)の松宮一彦アナ、第19回(1977年)の小島一慶アナについては観客へのインタビュー役を担当するための司会補佐として出演した。
第19回(1977年)より高橋圭三は授賞式の進行一切を統括する「総合司会」として別のMC席から式全般の進行統括、最優秀歌唱賞・大賞・最優秀新人賞等の受賞者発表等を行い、総合司会者の高橋の下に更に総合司会の下に「司会」としてもう1人の男性司会者と女性司会がコンビとなって歌手へのインタビュー、各部門賞受賞者発表等を行う形となっていた(第19・20回(1977・1978年):黒柳徹子・久米宏アナ、第22回(1980年):渡辺謙太郎アナ・中田喜子、第23回(1981年):渡辺アナ・竹下景子、第24回(1982年):児玉清・竹下)。なお、それ以外の年(第21・25回(1979・1983年))についてもMC席は高橋1人が常在し女性司会はインタビューなどのある際にその都度登場するパターンで授賞式が進行され、厳密には一般的な男女ペア形式での司会スタイルとは異なる形となっていた。
TBSラジオでは別に中継実況アナウンサーがいる。第40回(1998年)までは松宮一彦が、翌第41回(1999年)から第49回(2007年)までは小島一慶が務めた。第50回(2008年)は向井政生アナが担当する予定。
回数 | 年 | 男性 | 女性 | 補助 | 視聴率 (関東地区) |
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第1回 | 1959年 | 芥川隆行 | |||
第2回 | 1960年 | ||||
第3回 | 1961年 | ||||
第4回 | 1962年 | 10.8% | |||
第5回 | 1963年 | 20.7% | |||
第6回 | 1964年 | 14.6% | |||
第7回 | 1965年 | 三木鮎郎 | 14.2% | ||
第8回 | 1966年 | 13.5% | |||
第9回 | 1967年 | 12.5% | |||
第10回 | 1968年 | 10.3% | |||
第11回 | 1969年 | 高橋圭三 | (浅丘ルリ子) | 30.9% | |
第12回 | 1970年 | (佐良直美) | (堺正章) (加藤茶) |
36.7% | |
第13回 | 1971年 | 山本陽子 | (沢田雅美) | 36.3% | |
第14回 | 1972年 | 森光子 | (沢田雅美) | 46.5% | |
第15回 | 1973年 | 玉置宏 | 44.1% | ||
第16回 | 1974年 | 小川哲哉 | 45.7% | ||
第17回 | 1975年 | 43.0% | |||
第18回 | 1976年 | 41.9% | |||
第19回 | 1977年 | 高橋圭三 久米宏 |
黒柳徹子 | (小島一慶) | 50.8% |
第20回 | 1978年 | 42.9% | |||
第21回 | 1979年 | 高橋圭三 | 檀ふみ | 43.3% | |
第22回 | 1980年 | 高橋圭三 渡辺謙太郎 |
中田喜子 | 34.3% | |
第23回 | 1981年 | 竹下景子 | 35.3% | ||
第24回 | 1982年 | 高橋圭三 児玉清 |
(松宮一彦) | 31.3% | |
第25回 | 1983年 | 高橋圭三 | 松宮一彦 | 32.7% | |
第26回 | 1984年 | 森本毅郎 | 30.4% | ||
第27回 | 1985年 | 倍賞美津子 | 31.4% | ||
第28回 | 1986年 | 竹下景子 | 29.8% | ||
第29回 | 1987年 | 関口宏 | 三雲孝江 | 29.4% | |
第30回 | 1988年 | 27.7% | |||
第31回 | 1989年 | 板東英二 | 楠田枝里子 | 14.0% | |
第32回 | 1990年 | 和田アキ子 | 12.5% | ||
第33回 | 1991年 | 布施明 石田純一 |
黒柳徹子 | 山本文郎 | 14.7% |
第34回 | 1992年 | 神田正輝 | 黒柳徹子 | 15.1% | |
第35回 | 1993年 | 宮本亜門 | 牧瀬里穂 | 13.3% | |
第36回 | 1994年 | 15.3% | |||
第37回 | 1995年 | 西田敏行 中山秀征 |
渡辺真理 | 17.2% | |
第38回 | 1996年 | 堺正章 | 飯島直子 | 雨宮塔子 | 16.6% |
第39回 | 1997年 | 草野満代 | 16.5% | ||
第40回 | 1998年 | 江角マキコ | 18.5% | ||
第41回 | 1999年 | 黒木瞳 | 進藤晶子 | 14.1% | |
第42回 | 2000年 | 14.0% | |||
第43回 | 2001年 | 米倉涼子 | 安住紳一郎 小倉弘子 |
14.0% | |
第44回 | 2002年 | 菊川怜 | 13.3% | ||
第45回 | 2003年 | なし | 12.7% | ||
第46回 | 2004年 | 伊東美咲 | 安住紳一郎 小林麻耶 |
10.4% | |
第47回 | 2005年 | 綾瀬はるか | 10.0% | ||
第48回 | 2006年 | 蛯原友里 押切もえ |
17.0% | ||
第49回 | 2007年 | 16.8% | |||
第50回 | 2008年 | 上戸彩 松下奈緒 |
- 視聴率はビデオリサーチ調べ。赤数字は最高視聴率で、青数字は最低視聴率。
- 通常アナウンサーは同授賞式では進行役となる事が一般だが第29・30回(1987・1988年)の三雲孝江アナについては進行役という扱いでなく男性司会と同等の位置付けがなされていたため、ここでは女性司会の欄に記載する事とする。
放送スタッフ
- 第49回(2007年)
ネット局
放送番組名は「輝く!日本レコード大賞」。民放では数少ないテレビ・ラジオの同時放送番組でもある。
テレビ
JNN系列で第47回(2005年)まで12月31日にネットして来た番組であるが以前はクロスネット局が多く、JNN系列でも曜日によって他系列を同時ネットしている局も多くあった。その反面、JNN系列以外でも曜日によってJNNを同時ネットしている局もあり、番組をネットした局もあった。先発局でJNN系列局が以前金曜日の19:30~21:00枠で日本テレビを同時ネットしている局が多数あったり水曜日の20:00~21:30(その後19:30~21:00)の枠、土曜日の19:30~22:00枠、日曜日の19:00~21:00枠が日本テレビ同時枠だったりした局があった。
今分かっている事は放送日が金曜日だった第13回(1971年)に静岡放送が番組をネットせず、日本テレビ系の番組を同時ネットした事である。また南海放送が木曜日にJNNを同時ネットしていたので、その年だけは番組をネットしたりしていた。TVネットワーク腸捻転時代(1974年まで)はABCにてネット。
スポンサーについて
スポンサーセールスは1990年代初期まで大晦日が該当する曜日の19・20時台のレギュラースポンサー(例えば月曜日が大晦日に当たった場合19時台前半はライオン・YKK、19時台後半はブラザー→雪印乳業、20時台は松下電器・松下電工(現:パナソニック・パナソニック電工)が提供。水曜日が大晦日に当たった場合20時台は水曜夜8時枠連続刑事ドラマ→『わくわく動物ランド』に提供していたスポンサー各社(=江崎グリコ・牛乳石鹸共進社・大正製薬・メナード化粧品・積水ハウス他1社)の提供)だったが、1995年頃以降は特定の企業がスポンサーでCMを流すケースが増えている(主に外資系レコード会社やエイベックストラックスグループ・ソニーミュージックなど)一部電機メーカーや食品メーカーが年末年始の特別編成による休止振り替えでスポンサーにつくことが多い(1995年~1997年はスポンサーの中に牛乳石鹸共進社、2002年・04年は大正製薬、2003年~2005年はライオン、2005年はメナード化粧品も提供していた))。
2007年のスポンサーでは『さんまのSUPERからくりTV』から花王、伊藤園(以上60")、マツダ、生涯学習のユーキャン、クリナップ、小林製薬(以上30")、武田薬品(通常だと60"だがこのときは30")、『どうぶつ奇想天外!』から日産自動車(60")、サンスター、AEON、味の素、NTT東日本・NTT西日本、ロッテ(以上30")、「日曜劇場」から花王(90")といった通常番組の筆頭スポンサーがほぼ丸々入った。そのうちスポンサーでは昨年のスポンサーだった(例・ヤマザキナビスコ、日本グッドイヤー、KDDI(主にau中心)キリンビール、キリンビバレッジなど)のが数社あった。
ラジオ
JNN(TV)とJRN(ラジオ)との兼営局(一部のNRNとのクロスネット局除く)では、一部の放送局でTVとラジオで同時放送している。なおRABラジオではかつて『JRNナイター』を放送した曜日のみ途中飛び乗り放送していたが、現在は放送していない。
問題点
現在の日本レコード大賞は15人の審査委員の審査により賞が決定される。この審査基準の長所としては売り上げだけでなく楽曲の内容、詞の奥深さなどを加味し総合的にその年の最優秀楽曲を決定できるという点にある。しかし審査基準は明確ではなく特定の審査委員と特定の芸能事務所やレコード会社との癒着疑惑、世間が支持する「その年を代表する曲」との乖離など多くの問題点がある。また賞の対象は楽曲であるにも関わらずテレビ中継の演出が年々過剰になって来たため、楽曲よりも歌手のみが注目される傾向にある。
近年は音楽そのものに対する考えの変化から、賞取りレースに左右されない音楽活動をするアーティストが増えた事により出演やノミネートそのものを辞退するアーティストが増えている。1990年代後半以降になると低迷に追い討ちを掛ける様に大物アーティストの大晦日から元旦に掛けてのカウントダウンライブや各種格闘技イベントなどが隆盛し、賞の注目度そのものが低下している。とりわけ浜崎あゆみの受賞以降は総合的な音楽業界への貢献度(全体のセールス)やTBSでのタイアップの高さなどが評価された「歌手」に授与される傾向となっており、「楽曲」に授与するというレコード大賞の本来の目的から外れている状況である。国民的に支持される楽曲が生まれにくい現状も、こういう事態を招いていると考えられている。
「レコード」大賞というタイトル自体が時代遅れとする指摘もある。しかし時代の主力音盤の媒体が変わる毎に名前を変えると、これまでの伝統が失われるという理由で今後もこのタイトルで行われる(「レコード」のもう1つの意味合いとして「記録」にもかけているとされる)。また業界内では記録媒体の総称をレコードとするため、特に気にする向きも無いようである。
癒着疑惑・事件・騒動・秘話など
第6回(1964年)
この年は村田英雄の『王将」が同名の映画の主題歌として大ヒットし翌1965年に掛けて150万枚を越える大ヒットを記録したが、大賞受賞曲は売り上げでは『王将』に遥かに及ばない青山和子の『愛と死をみつめて』であった。これは、映画『愛と死をみつめて』の主演・吉永小百合がレコード大賞創設に大きく貢献した作曲家・吉田正の弟子であったためと言われている。
第8回(1966年)
この年は加山雄三の『君といつまでも』が自身が主演した映画の挿入歌として300万枚を越える大ヒットを記録し、その中の歌詞「幸せだなあ」が流行語になるほどの大ヒットを記録した。当時のマスコミもこの年の大賞は「加山で決まり」と評していた。しかし、売り上げも少なくヒット曲とは言えない橋幸夫の『霧氷』が受賞した。橋も吉田正の弟子である。
第14回(1972年)
この年は上半期の大ヒット曲である小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』が大賞の最有力候補だったが、9月に発売されヒットチャートを急上昇し始めたちあきなおみの『喝采』が大賞候補に急浮上し両曲が歌唱賞を受賞。2曲がデッドヒートを繰り広げる形となり、大逆転で『喝采』が大賞を受賞した。最優秀歌唱賞は『あの鐘を鳴らすのはあなた』で和田アキ子が受賞。ヒット曲ではなかったこともあり物議を醸す。また最優秀新人賞は激戦となり、日本歌謡大賞の放送音楽新人賞の森昌子、三善英史に加えて人気の高かった郷ひろみの争いになると予想されていたが決選投票の末にセールス面で一歩リードしていた麻丘めぐみが逆転受賞した。
第21~24回(1979~1982年)
ジュディ・オングの『魅せられて』、細川たかしの『北酒場』が各々初の受賞を果した第21回(1979年)と第24回(1982年)には共に日本歌謡大賞の大賞を受賞して有力であった西城秀樹の『YOUNG MAN』(1979年)、岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』(1982年の日本テレビ『火曜サスペンス劇場』テーマ曲)が外国人の作曲であることを理由にノミネートを見送られたというエピソードがある。西城は『勇気があれば』という別の楽曲でのノミネートになり事実上大賞レースから外れ、さらに岩崎はこの年ノミネートさえされない事態になり様々な論議を呼んだ。
第27・28回(1985・1986年)
中森明菜が第27回(1985年)に『ミ・アモーレ』で、第28回(1986年)に『DESIRE -情熱-』で2年連続の大賞を受賞し史上初の女性歌手の2年連続大賞を受賞した。なお1986年のオリコン年間売り上げ第1位になった石井明美の『CHA-CHA-CHA』は外国人の作曲だったが、石井が新人賞にノミネート[2](最優秀新人賞は逃している)されると同時に特別賞として外国音楽賞が授与された。これまでとは異なり、外国人の作曲に一時的ではあるが門戸が開かれたケースである。なおこの楽曲は、TBSで放送された大ヒットドラマ『男女7人夏物語』の主題歌だった。
第29・30回(1987・1988年)
第29回は近藤真彦が『愚か者」で念願の大賞を受賞した。『命くれない』が1987年の年間レコードセールス1位になり2つの有線大賞を受賞した瀬川瑛子、『難破船』で史上初の3連覇を狙った中森明菜は急遽新設された特別大衆賞で配慮された。近藤の授賞式直前に近藤の母親の遺骨が盗難され、「レコード大賞を辞退しろ」などと書かれた脅迫状がレコード会社に送り付けられるという事件が起こった。翌年の第30回(1988年)も光GENJIが『パラダイス銀河』で大賞を受賞し、ジャニーズ事務所所属の歌手が2年連続の受賞となった。しかしながら、男性アイドルの大賞受賞は第30回を最後に現在まで生まれていない。
第31回(1989年)
同年の日本有線大賞の大賞を受賞し、2曲がオリコンの年間1位と2位を占めて最有力候補とよばれていたプリンセス・プリンセス、工藤静香、長渕剛などの辞退で賞の形骸化が顕著となった。もっとも、その中で同年に死去した美空ひばりの『川の流れのように』、前年からの2連覇を狙った光GENJIの『太陽がいっぱい』、年間ベスト10に3曲を送り込むなど一世を風靡したWinkの『淋しい熱帯魚』が3つ巴になり混戦した。そんな中、美空ひばりが最有力視されたがマスコミなどの大方の予想を裏切り土壇場になってレコード大賞をテレビ中継するJNN系列の各テレビ局が持つ票が俄然Winkに流れ、Winkが大賞を受賞した。第27回(1985年)の中森明菜以降、5年連続でのアイドル歌手の大賞受賞であり演歌界や演歌ファンの不満が増大することになった。そのため、翌第32回(1990年)から演歌界の枠として「歌謡曲・演歌部門」が創設されることになった。ちなみに、女性アイドルの大賞受賞は第31回を最後に現在まで生まれておらず、女性アイドルデュオが大賞を受賞したのは第20回(1978年)のピンク・レディー以来11年ぶりの大賞受賞である。
第32~34回(1990~1992年)
第32回(1990年)に設けられた「歌謡曲・演歌部門」大賞は堀内孝雄の『恋唄綴り』が受賞、第33回(1991年)に長らく無冠の帝王であった北島三郎が悲願の大賞を受賞した。また翌第34回(1992年)も「大物」大月みやこが受賞した。日本レコード大賞から離れてしまった演歌ファンの心を引き戻すために創設された「歌謡曲・演歌部門」ではあったが大物が容易に大賞を獲得できる弊害を早々に露呈してしまい、視聴者に明確な存在意義を示せないまま創設後3年で廃止されることになった。
第35回(1993年)
前年まで続いた「ポップス・ロック部門」と「歌謡曲・演歌部門」を再統一し、その年の最優秀楽曲1曲に大賞を贈るスタイルに戻した。この年はヒット曲が多く、CHAGE and ASKAの『YAH YAH YAH』やTHE 虎舞竜の『ロード」や井上陽水の『Make-up Shadow』などの名曲が多く世に出た。しかし、これらの曲を歌っていたアーティストの辞退などがあって結局オリコン年間101位だった香西かおりの『無言坂』(市川睦月作詩・玉置浩二作曲)が大賞受賞曲となり、「歌謡曲・演歌部門」が3年で廃止された翌年に歌謡曲が受賞することになった。
第36回(1994年)
この年は審査・授賞式共に空転したが、Mr.Childrenの代表曲でこの年の年間シングル売り上げ1位だった『innocent world』が受賞した。表面上は問題がないように思えるこの曲の受賞は、「審査委員が審査をストライキする」という異常事態によるものであった。これは前年の「香西受賞」で危機感を抱いたある大手芸能事務所がある歌手を受賞させるよう審査委員に圧力をかけ続けたため、これに嫌気が差した審査委員がこぞってMr.Childrenに投票したのである。さらにMr.Childrenがミュージック・ビデオ撮影を理由に授賞式を欠席したために生演奏が行われず、TBSの音楽番組『COUNT DOWN TV』の収録で同バンドが演奏した際の映像を流すのみという形となった。Mr.Childrenは、「自分達の楽曲が正当に評価された訳ではない」と受賞後も不信感を抱くことになる。その後、審査制度とノミネート方法は大きく変貌を遂げた。
第37~45回(1995~2003年)
大手レコード会社・エイベックスに所属する歌手が第41回(1999年)と第42回(2000年)を除いて大賞を受賞する状況になったため、「エイベックスの出来レース」という声も出た。その結果、業界、視聴者、双方から選考過程が不透明だという批判もあった。しかし、当時ブームだった小室ファミリーやエイベックス所属の歌手が積極的に参加したことで凋落の一途だったレコ大が息を吹き返したことは事実である。
第37回(1995年)の美山純子の最優秀新人賞受賞は、売上的にも知名度も圧倒的だった華原朋美を抑えてのことだった。美山は、1981年に加古川順子という名でレコードデビュー。その後、何度か改名を繰り返しつつ歌手活動を継続しており実質新人ではなかった上、オリコンに100位以内にも入ってなかったという。
そのような状況の中で美山が最優秀新人賞を受賞した背景には、もし華原が受賞すると大賞がTRFとなっていたので小室ファミリー独占となり、批判が出る状態が回避できないということと某審査員が美山受賞をごり押ししたことがあったと言われている。
この疑惑の受賞にかかわらず美山はその後1曲しかオリコンで100位に入ることが出来ず、結局鳴かず飛ばずの傾向が続いたことから最終的に1997年ごろに引退した模様。
一方、華原は翌年にミリオン連発で一層飛躍したりその後善かれ悪しかれマスコミなどの話題になるというように、まるっきり皮肉な結果となった。
第40回(1998年)のglobeの受賞は売上枚数を見る限り最有力と見られたEvery Little ThingやL'Arc〜en〜Ciel、GLAY、SPEED(当時、レコード会社はトイズファクトリー。現在はエイベックス)を抑えての受賞だっただけに波紋を呼んだ。この年から、楽曲に授与という本来の目的より歌手に授与という傾向が強くなった。
第43回(2001年)から第45回(2003年)までは浜崎あゆみが史上初の3連覇を達成する一方で、浜崎以外の有力歌手が軒並み辞退するという事態に陥った。特に第45回(2003年)はSMAPの『世界に一つだけの花』が記録的な売り上げを残して大賞確実と囁かれていた。しかし、日本レコード大賞審査会でのノミネート直前に受賞を辞退した。「ナンバーワンよりオンリーワン。どの歌が優れているということはない」とのコメントはあったが、とりわけ平成に入ってから軒並み賞レースを辞退している彼らが所属しているジャニーズ事務所の方針に従ったとの見方が強い。
第46回(2004年)
8月に発生したエイベックスのお家騒動に責任を感じていたという浜崎がノミネートを事前に辞退した。なお浜崎の辞退に関しては主催者側が辞退した話を全く聞いておらず、ノミネート曲があったものの落選したとしたため双方の「ノミネート」の認識に食い違いが起きる異例の事態となった。また年間1位のヒットシングルであり、TBSも制作に関わっていた映画『世界の中心で、愛をさけぶ』の主題歌平井堅の『瞳をとじて』が最有力と見られたが辞退した。結局、シングル2曲が年間2位と5位に入り売り上げ的に平井と遜色がなかったMr.Childrenが『Sign』(オリコン年間2位)で10年ぶりの大賞を受賞、今度は実際に出演した。出演の背景には、この曲がこの年TBSが放送した連続ドラマ『オレンジデイズ』の主題歌だったこと、主催者が10年前に起こった「内紛」をMr.Children側に謝罪したこと、主催者が桜井が所属する非営利組織「ap bank」を支持すること、さらに桜井が要求していた「受賞は今回限り」という条件を受け入れる約束をしたことなどが挙げられる。
第47回(2005年)
TBSの昼ドラマ『愛の劇場・コスメの魔法2』の主題歌だった倖田來未の『Butterfly』(オリコン年間売上85位)が受賞した。なお、この曲の売り上げ枚数は少なかったもののアルバムの高セールスや年間を通しての音楽業界への貢献度が高かったこと、TBSでのタイアップが評価されたことなどが大賞受賞理由と思われる。
また、倖田の『Butterfly』受賞は『ベストヒット歌謡祭』演歌歌謡曲部門グランプリと『日本有線大賞』の2冠の演歌歌手・氷川きよしの『初恋列車』(オリコン年間40位)、コブクロの『桜』など、有力候補を抑えた受賞となった。しかしながら最優秀新人賞を倖田の後輩であるAAAが受賞し倖田の大賞受賞を含めると、エイベックス寡占状態をこの年も食い止めることができなかった。
さらに授賞式直前に審査委員長の阿子島たけしが審査委員長をやめろ等と怪文書を流されたあげくに謎の死を遂げる事件が起こったため、賞の透明性が改めて問われることになった。これが視聴率史上最低の10.0%となる一因になったと言われている。
ちなみに、プレゼンターとして小池百合子環境相(大賞を発表)やライブドアの堀江貴文社長(最優秀新人賞を発表)といった話題の人物が登場した。
第48回(2006年)
長年大賞候補と言われていた氷川きよしが『一剣』で受賞した。金賞受賞曲の中で氷川(オリコン76位)よりも売り上げが多かった大塚愛(『恋愛写真』・75位)、倖田來未(『夢のうた』・26位)を押しのけての受賞。エイベックスによる寡占状態に一定の歯止めが掛かることになった。
第41回(1999年)から視聴率が10%台前半と低迷が続き1ケタへの転落は時間の問題、存続の危機とさえいわれていた。復活の起死回生策としてこの年から放送日を31日の大晦日から30日に移動させた。結果は17.0%で大成功に終わった。だが、出演歌手への注目というよりも過去のレコード大賞の大量のVTRで幅広い年代層の視聴者を引き寄せた結果だと思われる。とはいえ、この成功によりレコード大賞の存続の危機もひとまず脱した。
第49回(2007年)
コブクロが『蕾』で念願の初の大賞を受賞した。男性デュオとしては史上初。またTBS以外のドラマ主題歌が受賞したのは第39回(1997年)の安室奈美恵『CAN YOU CELEBRATE?』以来10年ぶり。最優秀歌唱賞にはEXILEが選ばれたが、グループ(ユニット)としての最優秀歌唱賞受賞においては史上初の快挙となった。
なお、最優秀新人賞には℃-uteが選ばれたもののテレビ局での18歳未満の21時以降出演自主規制、さらに児童福祉法や労働基準法の規定があるため[3]受賞シーンには出演できず[4]、代理として師匠でプロデューサーのつんく♂が賞を受け取るという異例の形を取った[5]。ちなみに、女性アイドルユニットおよび女性アイドルとしての最優秀新人賞受賞は第40回(1998年)のモーニング娘。以来9年ぶりの受賞となった。
この年のシングル売上第1位だった秋川雅史の『千の風になって』が大賞候補となる金賞ではなく、特別賞を受賞した。このようになった背景には発売がレコード大賞審査対象期間外の2006年5月で発売から1年半も経っており、審査対象年度の楽曲にならなかったことと第24回(1982年)の岩崎宏美『聖母たちのララバイ』などと同様に原詩が日本語でなかったことなどがあると言われている[6]。
放送が22時近くまであることから、上記の℃-uteのような18歳未満の歌手・アーティストが受賞した場合の対応も今後の課題である。
視聴率は16.8%と前回より0.2ポイント下がったものの、前回並みを獲得したことで50回目という大きな節目を迎える2008年も12月30日開催となった。
阿子島たけし焼死事件
2005年12月13日、同年の大賞審査委員長で音楽評論家の阿子島たけしに向けて「業界関係者との金銭授受があった」「阿子島はレコ大委員長を辞めろ」などという怪文書が出回るようになる。
阿子島は怪文書について、「全く根も葉もないこととまで言わないが、事実関係を捻じ曲げている」「出した人間は分かっている。詳しいことは後日話す」とコメントしていた。しかし2005年12月13日早朝、神奈川県横浜市の自宅が全焼。当初遺体が見つからず行方不明扱いとなっていたが3日後、突如自宅敷地内から遺体となって発見された。14、15日とさほど広くもない自宅敷地内を多数の警官が捜索していたにも関わらず突如16日に遺体が発見されたことについて警察は「16日に初めて屋外を捜索し始めた」としている。阿子島夫妻は頻繁に連絡を取り合っていたというが25日には実家滞在中の妻に連絡はなかった。警察は出火原因は放火ではなく失火と断定。死因は焼死と判定された。司法解剖では煙を吸い込んでいない、つまり火事が発生する前に死亡したと思われるが警察は事件性はなしと判断した[7][8]。
「業界関係者との金銭授受があった」「阿子島は委員長を辞めろ」などという阿子島への怪文書が出回っていた事で、大賞の審査過程と事件の関連性が注目された。審査委員長が死亡したため三木たかし実行委員長を審査委員長代行として審査が行われ、TBS以外のJNN系列基幹4局(MBS・CBC・HBC・RKB)の代表が審査委員として加わった。授賞式の放送の最後に追悼のメッセージが放映された。また、音声はモノラルに切り替えた。
脚注・出典
- ^ a b 長田暁二『昭和の童謡アラカルト―戦後編』ぎょうせい、1985年。ISBN 4324001243
- ^ 「日本レコード大賞」という賞は歌手ではなく楽曲に贈られる賞であるが、「最優秀新人賞」等は楽曲ではなく歌手に贈られる賞なので、外国曲でも問題なかったとも考えられる。
- ^ このようなケースはSPEED(1996年8月~2000年3月)が『NHK紅白歌合戦』に出演した時にも見られた。
- ^ 放送当時の彼女たちのメンバー全員の平均年齢は13.5歳。
- ^ しかし本人たちは仕事を終えて楽屋に待機していたところに小林麻耶アナが駆けつけ、驚嘆と感動の涙を見せる一幕もあった。また、つんく♂はシャ乱Qとして『ズルい女』を披露した。
- ^ 「CD売り上げ1位秋川雅史なぜレコ大を受賞できない?」 週刊朝日 2007年12月7日号。
- ^ 失踪レコ大委員長告発文書「金品を要求した」と非難 12日から連絡なし翌日には自宅が全焼 ZAKZAK 2005年12月15日
- ^ 焼死体発見、レコ大委員長か…自宅焼け跡から逃げ遅れ?2階から転落か ZAKZAK 2005年12月16日