吉田勝彦
吉田 勝彦(よしだ・かつひこ、1937年2月14日 - )は、ダートプロ所属の競馬実況アナウンサー。園田競馬場、姫路競馬場で競馬実況を担当している。大阪府大阪市出身。
来歴
ラジオ声優を志し、関西芸術アカデミー放送研究科に入学。同アカデミー在学中の1955年に春木競馬場、長居競馬場でアルバイトとして競馬の実況を行い、翌1956年に兵庫県競馬組合の嘱託として場内実況を担当して以来、半世紀に渡って競馬実況を担当している。
その他、サンテレビの『園田・姫路競馬ダイジェスト』の解説、ラジオ関西の『競馬レポート』にも出演している。
エピソード
馬券を一切買わない主義
本人は馬券を一切買わない主義である。実況をしている職務の立場上、馬券を買うことで私情が入りレースの実況に影響が出ることを避けるためである。
杉本清との対談
かつて、兵庫県競馬の発行の広報誌「Dash」誌上で同学年の杉本清アナウンサーとの対談で、「もし、兵庫県の騎手がワールド・スーパー・ジョッキーズ・シリーズで総合優勝することがあれば、そのときには私に優勝インタビューをさせてもらえないだろうか」と語っていた。2005年、ついに兵庫の岩田康誠が総合優勝を果たしたが、彼による優勝インタビューは実現しなかった。
ファンにサインをするファンサービス
レース後の表彰式の時など、ファンの前に出てくる機会も多く、サインを求めると「私でいいんですか?」と言いつつも応じてくれ(後のレースの時間が迫っているなど、時間に余裕が無い場合を除く)、「そのだひめじ 実況ひとすじ 吉田勝彦 20xx年x月x日」と書いてくれる。
印象に残る騎手
実況人生の中で出会った印象に残る騎手として、岩崎良蔵、田中道夫を挙げている。
その他
- 自らについて、標準語を話せずニュースも読めないという理由からアナウンサーではなく競馬の表現者でありたいとしている。
- ラジオ関西「遊児・笑児のおはようさん」内では、長らく「レースダイジェスト」を担当。レース情報の“マクラ”で披露される「吉田劇場」は主婦の涙を誘い、ついには吉田あてにファンレターが届く事態となった。
実況
実況の特徴
レース道中の流れを的確に捉えた語り、直線に入るにつれテンションが上がり、最後は裏返った声でゴールを伝える実況は「吉田節」として知られ、ファンも多い。真摯に兵庫県競馬の魅力を伝えようとする姿に心を打たれる人も多く、2ちゃんねるの競馬板においては「吉田神」と形容されている。
兵庫県競馬組合に就職した当初は、利国寅雄厩舎の厩務員としても働いた経験がある。吉田自身はそのことで競走馬や騎手の性格や思考を学んだことが実況中にレース展開を予測することに役立っていると述べている。
42歳の時に右目を失明し、左目だけで実況する練習を行う中で馬や騎手の動作からレース展開を読む技術を習得した。
本人曰く、実況の手法は我流であり師匠はいない。
声は上田敏也さんに、似ている。
弟子格・実況体制
弟子格として竹之上次男アナウンサーがおり、現在は2人体制での実況であるため、実況するレースは半分程度である。ただし、JRAとの交流競走(条件交流・ダートグレード共)での実況は第3回兵庫ゴールドトロフィーを最後に行なっていない。
南関東や金沢競馬場で場内実況を担当する及川暁アナウンサーはデビュー当初、吉田の下で修業を積んでいたが、吉田は及川に対して「常に客人をもてなす心で実況しろ」とだけアドバイスを送ったという。及川アナウンサーの実況も「サトル節」として人気が高いが、そのベースは吉田節であると考えてよい。
主な名実況
- 「もう兵庫県の馬でどうしようもない」(1994年楠賞全日本アラブ優駿 優勝馬コノミテイオー)
- 「小牧兄弟!!・こまききょーだい!!」(1995年1994年楠賞全日本アラブ優駿 優勝馬キタサンオーカン)
- 「第4コーナーを曲がってケイエスヨシゼンが先頭に立ったーーーー!! もう、他の馬に勝ち目はない!!(しかもその後数十メートル進む間、無言になる)」(1996年六甲盃 優勝馬ケイエスヨシゼン)
- 「益田の馬が来たーーーー!!」(1997年楠賞全日本アラブ優駿 優勝馬ヤングメドウの時の3着のニホンカイユーノスに対して)
- 「ここでハッコーディオスがつかまってしまったあーっ!!」(2000年中町けやき特別 当時9戦9勝だったハッコーディオスが逃げ粘れずに後続馬に差された瞬間)
- 「この馬はなんと強いのでしょうか」(2001年新春賞 3コーナーから先頭に立ったハッコーディオスに対して)
- 「大外からローードバクシン、ローードバクシン、小牧太ィーーーー!!一気に先頭に立ったぁぁぁぁぁ!!・・・あっぱれ兵庫の馬!」(2001年兵庫チャンピオンシップ 優勝馬ロードバクシン)
- 「あっぱれアラブのサンバコール」(2002年兵庫大賞典 優勝馬サンバコール)
- 「『もし、このレースに負けるようなことがあればそれは神様のいたずらでしょう』とそう言い残して田中学がこのレースに挑んだこのサンクリントが一気に3コーナーで先頭に並びます」(2003年楠賞兵庫アラブ優駿 優勝馬サンクリント)
- 「チャンストウライ3馬身差もがいている・・・その差は2馬身から1馬身半 ぐぅーーーんと伸びてくる!!・・・チャンストウライプラス29キロでも強いー!!」」(2007年チャンストウライ4歳休養明け初戦ベストタイザンを交わす)
- 「また馬体が合った!馬体が合ったっ!木村だ!木村だ!しかし、下原かーーーっ!」(2007年兵庫大賞典 優勝馬チャンストウライ)
- 「そしてその外から2番のバンブーーーーーーっジーーーーーーコ!!そしてもう一度4番のアグネスミストリー2着でゴールです」(2008年新春賞 優勝馬バンブージーコ、2着アグネスミステリー)
- 「166戦目のエリザベスクイーンが、わずかにクビだけ差をつけてゴーールイン!!初優…初勝利です!」(2008年7月29日園田第6競走 日本記録165連敗のエリザベスクイーンが初勝利の際に)
- 「そのだけいばは明日も開催します。明後日も開催します。今日だけではありませんのでそのだけいば、どうぞまたお越しください。(観客の拍手に対して)ありがとうございます。(観客爆笑)」(2008年11月3日、JBCの日の最終競走にて)
- (残り1周のときに)「各馬マイクロホン前を通過して」
- (とくにこのレースとはないのだが先頭が接戦のとき)「ここが(で)ゴールです」
- (先頭がダントツ押し切ってゴールのとき)「ゴ~ルイン」のルがとても高い声になる。
- (馬が追い込んでくるとき)「グゥーーーーンと伸びる!!」
- (向正面から仕掛けると)「外からスーーーッとあがっていきます・・・いい手ごたえです」等