シカゴ・ベアーズ

アメリカンフットボールチーム

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シカゴ・ベアーズ(Chicago Bears)は、イリノイ州シカゴを本拠地としているアメリカンフットボール (NFL) チーム。ナショナルフットボール・カンファレンス北地区所属。1919年創設、1920年NFLの前身であるAPFA発足時に参加。1919年から1920年までは、デカータ・スティリーズ、1921年にシカゴ・スティリーズ。
現存するNFLチームの中でカージナルスに次いで2番目に古い歴史を持つ。愛称の由来は、1922年MLBシカゴ・カブスのカブス(小熊)と対比し、フットボール選手は野球選手より大きいという理由でベアーズに決まった。伝統的にディフェンスとランオフェンスによるボールコントロールを主体とした戦術を採用している。本拠地のソルジャー・フィールドは厳冬期はミシガン湖の上を吹き寄せる風によって大雪が降ったり、1988年のプレーオフ、フィラデルフィア・イーグルス戦(Fog Bowl)のように濃霧の中で試合が行われた試合もある。

シカゴ・ベアーズ
創設 1919年
所属地区

NFC北地区

チームデザイン
チームロゴ
オレンジの「C」
チームカラー
ネイビーブルー、オレンジ、白
ユニフォーム
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ホームタウン

イリノイ州シカゴ

ソルジャー・フィールド (2003-)
Memorial Stadium (2002)
ソルジャー・フィールド (1971–2001)
Dyche Stadium (1970)
リグレー・フィールド (1921–1970)
Staley Field (1919–1920)

永久欠番

{{{永久欠番}}}

獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン ({{{SB回}}}回)
カンファレンス・チャンピオン ({{{CC回}}}回)
地区優勝 ({{{DC回}}}回)
ワイルドカード
球団組織
オーナー
GM
ヘッドコーチ ロビー・スミス (2004-)


歴史

クォーターバック、シド・ラックマンを擁して1940年から1947年のうち、5回NFLチャンピオンシップゲームに出場、4回優勝を果たした。グリフィス・スタジアムで行われた1940年の試合ではNFL史上最もワンサイドゲームとなった、73-0ワシントン・レッドスキンズに勝利している。この試合は2007年シーズン終了時点でもNFL史上最も大差のついた試合となっている[1]。1950年代はチームはどん底の時期を過ごしたが、1963年に再びチャンピオンシップゲームを制した。しかし、その後スーパーボウル優勝まで20年以上遠ざかることになった。1960年代終わりにはディック・バトカスゲイル・セイヤーズブライアン・ピッコロらを擁した。1971年にはABCのテレビ映画「Brian's Song」が作られ、ピッコロをジェームズ・カーン、セイヤーズをビリー・ディー・ウィリアムズが演じた。ハラスを演じたジャック・ウォーデンエミー賞を受賞した。

ハラスは1967年にヘッドコーチを退任し、その後オーナーとなっていたが1970年のNFLによるAFLの吸収合併が行われた後に結成されたNFC(ナショナルフットボールカンファレンス)の代表に選ばれ1983年に亡くなるまで務めた。NFCチャンピオンシップゲームに勝利したチームに渡されるジョージ・ハラス・メモリアル・カップに名前が残されている。

1969年及び1970年は地区最下位に終わった。1975年のドラフト1巡目でジャクソン州立大学からウォルター・ペイトンを獲得した。ペイトンは1977年にシーズンMVPを獲得する活躍を見せて[2][3]1984年にはジム・ブラウンが持っていた通算ラッシング獲得ヤード記録を塗り替えて1987年に引退した。この記録は2002年にエミット・スミスに破られるまで保持された。[4]ペイトンはベアーズファンによって「Sweetness」と呼ばれ愛された。1999年に彼はガンのため亡くなった。

1961年から1966年にベアーズのタイトエンドとして活躍したマイク・ディトカが1982年にヘッドコーチに就任した。彼の下でディフェンス・コーディネーターだったバディ・ライアンの考案した46ディフェンスやペイトンの活躍でチームは1985年のシーズンは、マンデーナイトフットボールマイアミ・ドルフィンズに1敗した以外負け無しの15勝1敗でシーズンを終え、NFCのプレーオフではニューヨーク・ジャイアンツロサンゼルス・ラムズを無得点に抑えスーパーボウルまで勝ち上がった。翌1986年に行われた第20回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツを46-10で破りスーパーボウル初制覇を果たした。この試合では3サックをマークしたリチャード・デントがMVPに選ばれている。また、レギュラーシーズンの対グリーンベイ・パッカーズ戦でワイドレシーバーとしても起用されタッチダウンパスを捕球したウィリアム・ペリーがショートヤードを残したところでフルバックとして起用され、タッチダウンを獲得している。

スーパーボウルを制覇した後も地区優勝を続けるなど、NFCの強豪として活躍を見せたベアーズだが、ウェストコーストオフェンスを用いたサンフランシスコ・フォーティナイナーズにプレーオフで敗れるシーズンが相次ぎ現在46ディフェンスは使われなくなっている。1992年シーズン終了後、ディトカがヘッドコーチを解任された後はチームはプレーオフにわずか5回しか出場していない。

2004年からチームのヘッドコーチをしているロビー・スミス第41回スーパーボウルにチームを導きスーパーボウルに出場した初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチとなった。試合はデビン・ヘスターのキックオフリターンタッチダウンで開始14秒でベアーズが先制、第1Qにさらにレックス・グロスマンからムーシン・モハメドへのタッチダウンパスも決まり14-6とリードした。QBのグロスマンは28本中20本のパスを成功させたが2インターセプトを喫し、5点差だった第4Q初めにグロスマンのパスをインターセプトしたケルビン・ヘイデンが56ヤードのリターンタッチダウンを決められ[5]、最終的に17-29で敗れた。

歴代ヘッドコーチ

主な選手

永久欠番
殿堂入り選手
その他引退選手
現役選手

脚注

外部リンク

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