京華中学高等学校

東京都文京区にある中高一貫校

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京華中学校・高等学校(けいかちゅうがっこう・こうとうがっこう)は東京都文京区白山に所在する私立中学校高等学校

京華中学校・高等学校
過去の名称 京華中學校(旧制)
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人京華学園
校訓 得天下英才而教育之
設立年月日 1897年7月
共学・別学 男子校
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
学期 3学期制
高校コード 13567E
所在地 112-8612
東京都文京区白山5-6-6
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

1897年7月、磯江潤らによって本郷龍岡町(現文京区湯島4丁目)に京華中學校として創立。京華とは、東京の華という意味。創立当時の相談役品川弥二郎子爵(内務大臣)によって命名された。

創立時から旧制一高(新制東京大学教養学部の前身)への進学校として名高かった。[1]永年に亘って旧制一高合格者数上位校としての矜持を保持・形成してきた。

しかし、同時期の私立学校が多くそうであったように資金難にも陥り、改革も後手に回り進学面では徐々にであるがそのパワーを落としていくことになる。昭和40年代には大きく自由主義的な理想教育を志向して、挫折した反動で、厳格で管理主義的な側面が突出するなど迷走した時期があった。京華高等学校も私学人気を追い風に、昭和50年代後半から平成初めごろまでの期間に、受験生増加の影響で受験偏差値も難化したが黄金期には及ばず、その後は一進一退のままである。

京華中学校は、一時、募集停止に追い込まれていたが、昭和54年(1979年)から募集再開(1980年度入学生から受け入れ)となった。募集停止前は、中学校側では高校側が大学進学実績があげられないから優秀な生徒が集まらないと主張し、他方の高校側は、中学校で学ぶべき基礎学力すらついていない生徒を高校に送るとして、両者は対立していた。中学校から京華商業高等学校に進学することも認められていたので、京華中学校の生徒は100%大学進学希望者ではなく、京華中学校と京華高等学校は、完全な中高一貫教育体制を取ることができなかった。こうした反省に立って、募集再開後は、京華中学校は京華高等学校と共に中高一貫教育を行うこととした。

日本が生んだ世界の巨匠・黒澤明、日本画・前田青邨、歌舞伎俳優・2代目尾上松緑、国立がんセンター名誉総長・杉村隆など4名の文化勲章受章者をはじめとした多彩な人材を各界に輩出している。

沿革

  • 1897年7月 - 東京府本郷区龍岡町に京華中学校創立。創立者磯江潤
  • 1900年5月 - 本郷区東竹町に新校舎落成移転。
  • 1923年9月 - 関東大震災で東竹町校舎焼失。
  • 1925年12月 - 小石川原町の現在地に校舎第1期工事完成。翌年新学期より新校舎で授業開始。
  • 1929年3月 - 校舎第2期工事完成。
  • 1947年4月 - 戦後の学制改革により京華中学校・京華第二中学校設立。
  • 1948年4月 - 京華学園高等学校(普通科・商業科)設立
  • 1953年4月 - 商業科は京華商業高等学校として独立。普通科は京華高等学校として独立。
  • 1965年12月 - 長野県小海町に京華学園八ヶ岳校舎竣工。
  • 1971年4月 - 総合体育館竣工。
  • 1979年5月 - 京華中学校再開。
  • 1980年10月 - 京華中学校校舎・学園特別教室竣工。
  • 1983年8月 - 埼玉県浦和市に学園運動場竣工。
  • 1987年10月 - 京華中学・商業高校校舎増改築竣工。
  • 1989年11月 - 京華学園八ヶ岳校舎新館竣工。
  • 1995年8月 - 京華中学・高校4号館第2期工事完成。
  • 1997年7月 - 京華中学・高校5号館竣工。
  • 1997年7月 - 京華学園創立100周年。
  • 1999年8月 - 学園校庭全天候工事竣工。総合体育館改修工事竣工。
  • 2007年11月 - 京華学園創立110周年。

アクセス

校風

 
校訓

明治30年(1897年)の創立以来、精神のバックボーンとして「Never Say Die」の意味である「Never Die(ネバーダイ)」が使われている。これは、目的・目標に向かってやりぬく意志と行動力を示すと同時に、自分自身と闘い、克服する精神力を表したものである。

建学の精神は「英才教育」。これは孟子の「天下の英才を得て之を教育す」に基づき「英才」とは、いわゆる「秀才」ではなく社会を支えていく秀れた才能を意味する。 また教育理念の「尊敬と愛情」は、深い人間愛に基づく、人格形成を意味している。

 校則 

  •  在学中の自動車・自動二輪車・原動機付自転車の運転免許の取得及び運転禁止。
  •  在学中のテレビ・雑誌等に露出する事の禁止(間接的な芸能活動禁止)。
  •  耳に髪の毛がかからない。前髪は眉毛より上。襟足はYシャツにつかないようにする。などの頭髪に関する規定がある。

  定期的に(主要行事前)頭髪検査が実施される。

  •  アクセサリーを付けての登校、頭髪の加工の禁止。
  •  携帯電話の持ち込み禁止。 (許可を取れば学校へは持って来ていいが、担任に朝のホームルームで預けなければならない。)

著名な卒業生

文化界

芸能界

政界・官界・実業界

著名な在学生

  • 碓井将大 - 第4回D-BOYSオーディショングランプリ(自主退学)
    • 校則で芸能活動が制限されていたためとみられる。現在は日出高等学校芸能コースに在学中。

脚注

  1. ^ 特に明治40年には旧制一高(新制東京大学教養学部の前身)合格者数27名(7位)を誇り、また明治43年には当時の獨逸学協会学校(現獨協高等学校)、府立一中(現東京都立日比谷高等学校)、府立四中(現東京都立戸山高等学校)などに次いで合格者数14名(4位)となる。

関連項目

外部リンク