四式二〇糎噴進砲

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四式二〇糎噴進砲(よんしき20せんちふんしんほう)とは、帝国陸軍第二次世界大戦末期に使用したロケット発射器(=「噴進砲」と和訳される)。硫黄島の戦い沖縄戦での使用が確認されている。簡易な造りで敵に大きな被害を与えられることから、本土決戦の切り札として期待されていた。

四式二〇糎噴進砲
靖国神社の展示
種類 ロケット砲
原開発国 大日本帝国
運用史
配備期間 1943-1945
配備先 大日本帝国陸軍
関連戦争・紛争 第二次世界大戦
諸元
重量 227.6kg
銃身 1.923m

砲弾 83.7kg
口径 203 mm
仰角 40° to +65°
旋回角 300°
初速 175 m/s
最大射程 2400m
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概要

「二〇糎(200mm)」と表記されるが、実際の口径は203mmである。一説によると、弾頭は海軍の重巡洋艦用主砲弾の在庫を流用しているという。ロケット弾には飛翔に際しての安定翼のようなものはなく、代わりに弾底にあるいくつかの噴射口個々に角度を付け、ライフル弾のように回転することによって真っ直ぐ飛ぶようにしてある(旋動(スピン)安定式と呼ばれる)。

「四式」の名称は、本砲が制式化された1944(皇紀2604)年から皇紀の下2桁を取ってそう呼ばれる。同時期により大型の四式四〇糎噴進砲も開発され、噴進弾500発が生産されているが、離島などへの輸送の便の関係上、小型の二〇糎型のみが南方で実戦使用された。

金属製のI型発射架は、二脚付きで大型迫撃砲のような形をしている。唯一違うのは発射時の後方噴流を逃がすため、砲身(筒型ロケットランチャー)の底が抜けていることである。右の写真は靖国神社内の遊就館に展示されているものであるが、残念ながら砲身しか残っていない。

なお実戦で主に使用されたタイプはこれとは異なり、三脚構造で木製、このうちの一脚が二枚の板で噴進弾を挟む形の発射レールで、破損するまで十数発が発射可能な簡易なものであった。噴進弾は支給されるが、発射台は交付された図面をもとに板材で現地で自作すべし、と通達されていた。また四〇糎型も同じく木製発射台を用いるようになっており、現地部隊が三連装にアレンジしたものもあった。海軍でも二〇糎噴進砲を参考に三種類の20cmロケット砲(実際の口径は210mm)を製作、最後の型は鋼管製発射器を載せた簡易な砲架に車輪付きの形状で、硫黄島で米軍に捕獲されている。

前述の通り、本砲は戦争末期の激戦地である硫黄島、沖縄に投入された。特に硫黄島では本砲を含め噴進砲70門が投入され、慢性的な火砲不足に悩む帝国陸軍にとって大いに助けとなり、また同様に簡易かつ大威力で既に前々から制式・配備されていた九八式臼砲と共にアメリカ軍に大きな損害を与え、畏怖の対象とされた。但し弾数が50発/門しか用意されていなかったため、あっという間に撃ち尽くされてしまった。また、ロケットの噴射炎と煙によって敵に位置を知られるため、撃ち尽くす前に制圧射撃を受けて破壊される恐れも大きかった。

関連項目