国鉄キハ37形気動車

日本国有鉄道の一般形気動車

これはこのページの過去の版です。Kodama1975 (会話 | 投稿記録) による 2009年3月25日 (水) 18:31個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (配置: 要出典に変更)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

キハ37形気動車(こくてつキハ37がたきどうしゃ)は、1983年日本国有鉄道(国鉄)が製造した気動車である。

5両が製造され、1987年の国鉄分割民営化以降は東日本旅客鉄道(JR東日本)に3両が、西日本旅客鉄道(JR西日本)に2両が承継された。

概要

 
加古川線塗装のキハ37形
ファイル:Kururi-kiha37.JPG
久留里線塗装のキハ37形

本形式はキハ40系の後を受け、反省点を多分に盛り込んだ次世代車両として開発・製造された。

特にキハ40系では、幹線での長距離運用や連続高速運転などの必要性も要求され設計されたもののとてもそれらの目的には向かない構造となってしまった。その点からの再検討も行った結果が、地方線区の実情に合わせた必要十分な性能と製造・維持コストの低減に注力され、従来の国鉄スタンダードにとらわれないコンセプトが打ち出された。

1980年代前半まで国鉄の気動車は、戦前の基本設計で既に陳腐化していたDMH17系エンジン。また高出力化の要求に対してDMF15DML30系エンジンを使用していたが、性能的にも設計が不十分で熱問題を抱え、高コストが顕著になってきていた。そこで、重量の割に非力で燃費も優れない従来の機関に対し出力向上と省燃費を実現するため、国鉄の気動車として初めて直噴式ディーゼルエンジンを採用したほか、製造コスト削減の見地から廃車発生部品の再利用方針も採られた。

5両が量産先行車として製造されたが、直後に国鉄の特定地方交通線の廃止、もしくは第三セクター鉄道への転換が進んだため、大量のキハ58系やキハ40系が余剰となり、さらに国鉄改革にともなって設備投資が極度に抑制されたこともあって量産車が登場する機会はなかった。

本形式が製造されてしばらくが経過した、国鉄最末期の1986年1987年キハ38形キハ54形キハ185系等が登場したが、これらの車両の設計と製造にはキハ37形での経験が生かされておりコンセプトが実を結ぶことになった。

構造

本形式は、量産先行車として片運転台ロングシートで、トイレ付き車両とトイレなし車両が製造された。量産化の際には僅かな設計変更で両運転台式やクロスシートの装備、トイレの有無を選択できるよう配慮されていた。

車体

基本的にはキハ40系と同じ片側2扉、片引き戸となっているが、車体幅を車両限界ぎりぎりまで広げたキハ40系に対し、裾絞りを省略してやや狭幅とし車体長も20.8mから19.5mに短縮した結果、一回り小さい車体となっている。また、将来のワンマン運転を考慮して前位側の客用扉を運転台に隣接させるとともに後位側の客用扉は亜幹線での運用や乗客の流動に配意して車体中央に寄せられ、2両編成を組んだときに編成全体として扉が均等に配置されるようになっている。

前面は中央に貫通扉を配した構造である。キハ40形で使われていたパノラミックウインドウは廃止されて平面窓となり、助士席側窓上に手動の種別・行先表示器が備わる。前照灯は貫通扉上にまとめられ、前面窓下両端部に尾灯を備える。また細かいことだが、前面窓下部に補強板が張られており、その部分はやや見た目が東武8000系電車の修繕工事未施工車に類似している。

なお新造時の塗色は赤11号(急行形気動車の窓周りの赤と同じ色)一色で、一見しただけでは判別しにくいがキハ40系などの在来の一般形気動車に施されていた朱色(朱色5号)とは微妙に色合いが異なっていた。

主要機器

国鉄の気動車としては初めてとなる過給器付き直噴式縦型エンジンDMF13S (210PS/1,600rpm) を1基搭載しており、従来のエンジンに比して小型軽量で高出力かつ起動性にも優れたものとなっている。これは船舶用のエンジンを鉄道車両用に設計変更したもので、新規にエンジンを設計するのに比較するとコストは抑えられている。DMF13Sが搭載されたのは国鉄では本形式が唯一で、以降の直噴式エンジン搭載車はこれを横型にしたDMF13HSを採用している。しかし、本形式の登場時期は特定地方交通線を転換した第三セクター鉄道の草創期と一致するため、DMF13Sと同型の新潟鐵工所製6L13ASエンジンは、三陸鉄道36-100形・36-200形神岡鉄道KM-100形・KM-150形鹿島臨海鉄道6000形・7000形で採用された。特に、鹿島臨海鉄道用としては1993年まで製造され続けた点が特筆される。

台車は、在来車からの廃車発生品であるDT22E(動力台車)・TR51D(付随台車)液体変速機も同じく廃車発生品のTC2A・DF115Aを流用している。

車内設備

座席はキハ40系のセミクロスシートに対して本形式では全席ロングシートとし、定員はトイレ付きの0番台が138人(座席64人)、トイレなしの1000番台が146人(座席66人)である。

ワンマン運転を行う場合は運転席位置を客室と同レベルまで下げることが望ましいが、本形式では高運転台構造を踏襲した。それでもキハ40系に比較すると運転席位置は下がっている。

区分番台

トイレありの0番台が2両、トイレなしの1000番台が3両製造された。

  • 0番台 - キハ37 1・2
  • 1000番台 - キハ37 1001~1003

配置

1・1001の2両が大阪鉄道管理局管内の姫路運転区に、2・1002・1003の3両が千葉鉄道管理局管内の幕張電車区木更津支区に配置された。

2008年現在、3両が幕張車両センター木更津派出に、2両が後藤総合車両所に所属している。

木更津配置の3両は、久留里線および木原線で使用され、JR東日本に承継された。1988年に木原線が廃止され第三セクターいすみ鉄道に転換された後は久留里線のみで使用されている。久留里線内では基本的に本形式のみでの運用はなく、キハ30形・キハ38形とペアを組んで運行されている。1994年に機関をカミンズ製DMF14HZへ換装し、1998年にAU26形冷房装置の搭載を行なっている。塗色は2008年現在、2代目の久留里線専用塗色となっている。

姫路に配置された2両は加古川線で使用され、JR西日本に承継された。その後加古川鉄道部配置となり、1994年にAU34形冷房装置の搭載を行っているが、機関換装とワンマン改造は行われないまま1999年に後藤総合車両所に転属した。転属後は山陰本線境線で運用されたが、2003年10月の高速化で定期運用を失った。山口鉄道部への転属が検討されたものの実現せず[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。、一休車として米子駅構内での留置が続き、後藤総合車両所で解体された(2両ともに)[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。塗色はJR化後の加古川線における同線専用塗色を経て、後藤総合車両所への転属時に朱色5号の一色塗りとなっている。

関連項目