大和天神山古墳
概要
行燈山古墳の前方部の西方に、北向きの前方後円墳が本古墳である。1960年に県道拡張工事で後円部の一部が削られたのを機会に緊急発掘調査が行われた。。
本古墳は、伊射奈岐(いざなき)神社境内古墳として調査が進められたが、古墳名に人物名が混じらないという方針により、地元の呼称をとって天神山古墳とされたが、同名の古墳は各地にあるので大和をつけて命名された。
位置 北緯34度33分26.0秒 東経135度50分45.3秒 / 北緯34.557222度 東経135.845917度
規模・形状
台地上に立地する墳丘長113メートルの前方後円墳で、短めの前方部はわずかに撥形に開いており、その開きは後円部の直径を超えるものではない。葺石や埴輪がなかった。段築や周濠が不明瞭で、本来なかった可能性も指摘されている。
被葬者
木櫃の中央部が丹念に調査されたが、遺骸を埋葬していた形跡を認めることが出来なかった。
埋葬施設および副葬品
後円部のほぼ中央に長さ6.1メートルの竪穴式石室が検出された。石室の中央部には、現存の長さ2.6メートルの板材が残っており、その中央は仕切り板で区切って、内法1×0.5メートルの木櫃状になっている。、 本古墳には、合掌式つまり石室の両側へと持ち送って、特に天井石を設けない特異な竪穴式石室である。
石室の内部には、一見木棺のようであるが細部を検討すると木櫃(もくひつ)とした方がよい大きな木製容器が置かれて、約4キロの朱が納められていた。朱を大量に入手し使用している点で、3キロの朱を使用していた岡山県倉敷市の楯築古墳があり、東瀬戸内海との関連が考えられる。
この木櫃の底板は、長さ2.6メートル、幅75センチであるが、断面は緩やかなU字形を呈している。しかし、巨木を刳り抜いたものではなく、縦に長い三枚の板を合わせたものである。従って内部の底面は水平でなく、両端がカーブしてあがっている。
木櫃の内部に、20面の銅鏡が置かれていた。20面の銅鏡は木櫃の四周に連続して長方形に置かれていて、前期古墳にしばしば見られるように一面だけ中央に置いてあるという配列とは全く異なる。 また、木口板(こぐちいた)の外部にも北方で2面、南方で1面置かれていて、計23面の銅鏡が検出されている。
木櫃内の20面を種類別に見ると、方格規矩鏡5面、内行花文鏡4面、画文帯神獣鏡4面、斜縁変形神獣鏡2面、獣形鏡3面、画像鏡2面である。
前方部から二重口縁壺(布留Ⅰ式)から出土している。
関連項目