Wikipedia:コメント依頼/寝ず見 20090316

これはこのページの過去の版です。寝ず見 (会話 | 投稿記録) による 2009年3月28日 (土) 14:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (被依頼者が一度入れたコメントを除去したことに対して: 修正)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

利用者:寝ず見会話 / 投稿記録 / 記録氏についてのコメントを求めます。なお、氏は2007年9月にも、Wikipedia:コメント依頼/寝ず見で、コメント依頼が出されています。そのときは氏がウィキブレイクしていることを理由に2008年3月に終了しました。

依頼理由

  • 基本方針を遵守しないことの正当化
    • 邪魔なルールは破っても良いとの発言。[9]
    • 基本方針の努力義務を必ずしも守る必要はないとの発言。[10]
  • 氏の編集除去
    • Wikipedia:編集方針で「他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」とありますが、氏は有益な解説にまで過剰な除去を行う傾向が見られます。合意を得ずに強行して、問題視されたこともありました。[11]
      • ルパン三世 カリオストロの城について、同作品の理解に役立つ記述が除去されました。[12]
      • 書誌情報まで除去する必要があったか疑問です。[13]
      • コメントアウトせず、修正してあげれば済むと思いました。[14]
      • 氏は検証可能性を満たした記述を「間違っているから」と編集除去を主張。[15]その際、除去側は説明責任のための出典は示す必要はないとしてます。[16]
  • 百科事典の役割についての理解。氏は、作品の歴史的位置付けの解説を、その作品の項目で解説する必要はないとしている。
    • カリオストロの城とロリコンブームについては、ロリコンのページだけに書けばよいという理由で除去。[17]
    • ジャングル大帝のレコードが日本コロムビアに与えた影響は、日本コロムビアかアニメソングの項目だけに書けばよいと主張。[18]

以上。かつて氏はWikipedia:コメント依頼/寝ず見で「コミュニティの疲弊を招くユーザー」と指摘されていましたが、同意します。自明のことも納得いただけなくて、疲れます。

氏の編集は有益なものも多いとは思いますが、ときに除去の行き過ぎがあること、他者と意見の対立が生じると自説への固執のあまり、他者への攻撃的な言動をしており、共同作業を行うWikipediaにおいて問題だと思われます。

あと、他者にはやたらと「要出典」「検証可能性」「独自の研究」と厳しいのに、氏が立項した項目には、参考文献の一つもないのはどんなもんかなあ、と。

当方は、ノート:ジャングル大帝で氏とは当事者になってますので、第3者の方の意見を求めます。

以上の署名の無いコメントは、203.91.164.37会話/Whois)さんが 2009-03-16T10:47:06 に投稿したものです(--miya 2009年3月16日 (月) 11:28 (UTC)による付記)。[返信]

被依頼者のコメント

依頼者により被依頼者の発言が故意にねじ曲げられているので少しだけ。というか、ウィキブレイク(2008.1.5から2008.8.26まで)してた以前の話まで蒸し返されても。依頼者が被依頼者の印象を悪くするためのあら探しに必死な印象を受ける。

  1. 「わざとと攻撃的な口調を使うとの宣言」→必要と感じた場合であればわざとと攻撃的な口調を使うこともある
  2. 「仲良しクラブに入るつもりはありません」→他の参加者と馴れ合っていいかげんな記事を許すつもりはない。
  3. 「要約欄での他のユーザーへの高圧的・挑発的なコメント」→要約欄は文字数が限られている(特に「取り消し」の場合は)ので、ある程度は仕方がない。また、高圧的・挑発的と依頼者が決め付けているだけ。
  4. 「邪魔なルールは破っても良いとの発言」→場合によっては邪魔なルールは破っても良い(公式方針の草案)。
  5. 「有益な解説にまで過剰な除去を行う傾向」→なんで依頼者本人の主張を使わないのか疑問。リンク先で挙げられている記事には(当時)除去した情報は記載されていない。という事は有益な情報ではなかった、という事では?
  6. 「コメントアウトせず、修正してあげれば済むと思いました」→該当の記述者は同時期に、大量に、いいかげんな出典情報を付けた記述を繰り返していた人物。「修正してあげる」よりも「書き方を教える」のが正しい。
  7. 「参考文献の一つもないのはどんなもんかなあ、と。」→直すなり「要出典」を貼るなりすればいいだけでは?
  8. ついで:前回もそうだったけど、意見が対立して相手の自説を私が認めないと対立相手は「コメント依頼」するが、別に目的があるような気がするのは私だけだろうか?

--寝ず見 2009年3月16日 (月) 17:09 (UTC)[返信]

告知
  1. 除去された「一時的に追記した記述」は履歴から確認してください。
  2. 122.249.73.192Tmatsu、被依頼者のコメントを改ざんするのはヤメロ。
  3. 新規のIPユーザーが、関連ページに告知と称してココに誘導するページとは無関係な告知を貼りまくっているが、ページとは無関係な告知なので見つけ次第剥がさせてもらいます。Wikipedia:荒らしを参照。

--寝ず見 2009年3月28日 (土) 12:18 (UTC)[返信]

コメント

  • Wikipedia:井戸端からやってきました。寝ず見さんと対立したことがある自分では仲介はできないかもしれませんがコメントさせてもらいます。
    とりあえず自分が言われた分に関しては寝ず見さんの発言は挑発的・高圧的・暴言と感じました。
    昔の寝ず見さんの発言を読んでみましたが、昔は方針自体を守る気がない感じですね。それに比べると今は「場合によっては破る」になった分は良くなった気がします。ただ言動は今の方が悪くなっていると感じました。
    「保存するよう努めてください」は寝ず見さんの言う通り、必ず守る必要はないと思います。ただし寝ず見さんの編集姿勢が「保存するよう努めている」とは思えません。寝ず見さんが自分の記述を編集する場合は大抵ばっさり除去されています。おかげで少しやる気をなくしてしまった気がします。
    自分も寝ず見さんの態度は「どんなもんかなあ」とは思いますがWikipedia:腕ずくで解決しようとしないには「ウィキペディアは一貫性がないものであり、また許容しがたいものも見逃されているという点です」とあります。
    「コミュニティの疲弊を招くユーザー」に関して言えば自分も同意です。自分も疲れました。(寝ず見さんもお疲れだとは思いますが)。
    なるべく中立になるように注意しましたがやはり寝ず見さんに対して批判的になってしまいました。それでは失礼します。--Godsigma 2009年3月18日 (水) 12:38 (UTC)[返信]
  • 被依頼者の姿勢に大きな問題は認められない。逆に上で被依頼者が為した反論にたいして一定の説得性を認める。また、大幅な編集除去とか言うが、こんなのは「大幅」のうちには入りませんな。言わせてもらえば、むしろ依頼者の非寛容性の方が問題でしょう。Kojidoi 2009年3月18日 (水) 14:16 (UTC)[返信]
  • 分けて考えなければいけないのは、被依頼者が「雑草取り」と称する一連の活動の是非と、被依頼者の時として礼を失する態度の問題ですね。前者は正直なところ問題はないと言わざるを得ません。ただし、相手から不満があった場合は一定の配慮を見せる(例えば特筆性がないと思った場合でも脚注の形で『ちなみに』程度に残すとか)くらいの寛容さはあってもいいかと思います(ジャングル大帝の例がこれに当てはまるかと)。特筆性に関しては感じ方に個人差があり、頭ごなしに除去することで無用のトラブルを引き起こすのは得策ではないと思います。後者については明らかに問題だと思いますが、ただそれについては私も含め複数の指摘をすでに受けており、次に同様の態度を示したとしたらその時に改めて問題にすればよいかと思います。--ふくたろう 2009年3月18日 (水) 16:12 (UTC)[返信]
  • こんにちは。私が寝ず見さんを最初にお見かけしたのは削除依頼が出ていたノート:絶対領域で、その後サブカルチャー関係で何度か見かけている程度ですがその範囲でコメントさせていただきます。一言で言えば、大変に無駄なエネルギーを使っておられますね。ご本人にとっても無駄だし、コミュニティにとっても無駄な議論へわざわざ引き込んでいるように見受けられました。他人と議論しながら記事を作っていくということには御興味が無くて、相手を挑発しながら戦うことに御興味があるようにすら見えます。
議論のやり方次第では参加者達の労力をいくらでも軽減できるところを、議論相手の編集文の欠点や議論の瑕疵をことさらに攻撃し、時には「知識が無いのに口出しするな」という威嚇を加えてわざわざ議論を長期化させておられます。確かに、変だと思われる記事には出典を求めて裏付けがとれないなら是正するべきですし、間違った議論には間違えているというべきですし、百科辞典編集には向かない知識の無い人にはお引取りを願うべきでしょう。しかし、寝ず見さんのやり方はあまりにも議論が不器用と言わざるをえないのです。相手を説得する気が端からないのか、説得の方法を知らないのかはよく分かりません。ただ、ご本人には不本意でしょうけれど、今のままでは相手からは「わざと話を拗らせている」と見えていることは自覚された方が良いです。
こういうことを書くのも申し訳ないんだけれど、相手をやり込めるためのツールとしてしかWikipediaのルールや方針を見ておらず、良い記事をコミュニティで生み出していくための効率的方法としてルールを見られてないのではないでしょうか。Wikipediaのコミュニティは百科事典を編集するためのコミュニティなのであって、馴れ合いのためのコミュニティーでないことは当然なんですが、寝ず見さんのコミュニティ理解には歪なところがあります。たとえばノート:絶対領域では以下のような発言もありました。
NISYANさんは「井戸端会議」とか「コメント依頼」を重く見ている感があり、その投稿内容等を理由に自分を正当化しているみたいだが、その辺は全体とは関係ない話なのでそんなモノを楯に編集や議論をされても困ります。(2008年12月17日 (水) 01:21(UTC)の編集)
これは「コミュニティ軽視」の最たるものでしょう。寝ず見さんの相手(NISYAN氏)は膠着した議論を解決すべくコミュニティの判断を仰いだのですが、寝ず見さんはそんなものは議論には関係ないと明らかに思っていらっしゃる。このままだと、早晩「コミュニティーを疲弊させるユーザー」という評価が固まってしまうと思われますが、それが果たして寝ず見さんにとって良いことなのか。開き直りともとれる発言をどこかで残しておられましたが、今一度考えていただきたいなと思いました。--おーた 2009年3月19日 (木) 15:34 (UTC)[返信]
  • 被依頼者の編集内容に関しては、問題はないと感じます。特に、書誌情報については記載者側がひどすぎます(何年何月号まで特定して書くべきものでしょう)。ただし、被依頼者のコメントの文体・態度に関しては、他者との無用な軋轢を招く行為が目につくなと感じます。被依頼者はWikipedia:ルールすべてを無視しなさいにも言及されておられますが、Wikipedia:五本の柱を尊重した行動は必要でしょう。被依頼者コメントの一部は五本の柱の中の「ウィキペディアには行動規範があります」に真っ向から喧嘩を売っているものだと私は考えます。編集内容が良くてもコミュニティ軽視・暴言などがないようにしていただかないと、ブロック依頼が提出されるのは時間の問題であると感じられます。--かげろん 2009年3月20日 (金) 01:10 (UTC)[返信]
  • 検証可能性中立的な観点独自研究を載せないと同様に、礼儀を忘れないこともWikipediaにおける「公式な方針」です。それを理解してもらえればあとは言うことはないかと。これを理解せず、実践しようとしないのは、寝ず見さんがIP氏に指摘している「公式方針にきっちり書いてある事より自説の解釈が正しいとする」のと同じ事を行なっているのではないかと僕は思います。「相手の編集は別に許さなくても良いので」、もう少し穏便な態度で臨まれるようお願いする次第です。--草薙 2009年3月20日 (金) 13:23 (UTC)[返信]
  • 利用者からの注意やお願いを、「被依頼者の印象を悪くするためのあら探し」や「投稿ブロックをするために根回しまでしている」としか受け取れないようでは、健全な話し合いは期待できません。まずここから直していただかなくてはどうにもなりません。今回のコメント依頼に際して、寝ず見氏は過ぎ去った昔のことを蒸し返されたと感じているようですが、Wikipedia:コメント依頼/寝ず見#close提案で明示されている通り、前回のコメント依頼は寝ず見氏がウィキブレイクに突入したから打ち切られただけであって、これで全て水に流そうとか、被依頼者の行動ははじめから正しかったという結論が出たのではありません。多くの利用者から繰り返し注意を受けてもなお、依然として参加の姿勢を改善する努力が見られないのですから、「まずは優しく対話を試みて……」という段階は既に過ぎ去ったと思惟します。なお、依頼理由に挙げられた[20][21]のような、方針とは無関係の除去が繰り返されていることを考えれば、被依頼者は礼儀さえわきまえれば優秀だとはとうてい思えません。過激な投稿を慎んでいただくと同時に、ウィキペディアにおける削除や除去の方針についても、改めて見直していただきたいと思います。--白文鳥 2009年3月20日 (金) 16:35 (UTC)[返信]
    • 少なくとも白文鳥さんが挙げた2点の編集については「方針と無関係の除去」とは言えないと思います。また、個人的には依頼者の物言いも被依頼者と五十歩百歩であるように思います。Kojidoi 2009年3月22日 (日) 12:23 (UTC)[返信]
  • 他の方もおっしゃられている通り、「寛容さを忘れない」というのと「礼儀を忘れない」の2点ですね。なんでこういう指摘をされる人は必ず「相手によってはそういう言い方をする場合もある」イコール「自分はそういう言い方ができるORしていい人間である」と主張するのか。そして、そういうご立派な方がどうして発言の結果が予想できないのだろうと思います。 --オラン・ペンデク 2009年3月22日 (日) 10:09 (UTC)[返信]
  • 「除去時は出典は不要」「自分が正しい」と、経緯を無視して編集を行い、また、対立する意見を持つ人には暴言を放つというのは、「コミュニティの疲弊を招くユーザー」と言われても仕方ないと思います。2007年のコメント時に指摘された内容を今でも繰り返しているので、変えるつもりもないのだと思います。--~超~ 2009年3月23日 (月) 08:35 (UTC)[返信]
  • ノート:天地無用!より 以下読むに耐えません。Wikipedia:礼儀を忘れない以前の問題でしょう。
    それと、いいかげん出典の書き方を覚えろ。何度言わせる?--寝ず見 2009年2月24日 (火) 08:34 (UTC)
    まず最初に言っておく。ノートで議論の俎上に上がっている事を合意を得ずに書き加えたり差し戻したりするな。公式方針やガイドラインも守れないヤツが偉そうな事を言うな。人に礼儀がどうの言う前にガイドラインを守れ。--寝ず見 2009年2月25日 (水) 08:35 (UTC)
    だ・か・ら、お前がそうさせているって事を自覚しろ。(自分にしか通じない解釈を記述を有効にするために相手に押しつけようとする(中立性の欠如)ってのは置いとくとして、)議論中だってのに編集を強行する、何度言っても出典をいいかげんにしか書かない。そんな礼儀を守らないヤツが相手の礼儀について偉そうな事を言うなって言ってるんだよ。会話ページを見ても「酷い」としか言えんと思うが?--寝ず見 2009年2月25日 (水) 12:50 (UTC)
    もしかして、俺をキレさせようとわざとやってるのか? そうでないのなら、じっくり時間をかけて今までの議論内容を読み返し、内容を理解し、問題を理解し、その解決策を自分で見つけ出せ。俺はこれ以上同じ話を続けるのはお断りする。--寝ず見 2009年2月27日 (金) 07:16 (UTC)
    文章の一部を切り出して全く違う意味の事を書いてもOKだと思ってるのかオマエは?/アンタの姿勢の何が問題なのかも具体的に書いてあるんだがなぁ(呆--寝ず見 2009年3月3日 (火) 01:15 (UTC)
    ところでオマエ、「Wikipedia:五本の柱」って知ってる? たぶん知らないだろうから、読め。オマエが各所でまさにやっている事が『単なる情報やデータを無差別に収集する場所でも、雑学集やトリビアコレクションでもありません。』と完全に否定される文章が載ってるから。/で、オマエが説明不足だってのは具体的に何だよ? 言ってみ?--寝ず見 2009年3月7日 (土) 16:47 (UTC)
    --124.155.108.103 2009年3月23日 (月) 13:14 (UTC)[返信]
  • (コメント)まあ、どっちもどっちかなあ。寝ず見さんの主張には、特に瑕疵は見つかりませんでした。ノート:ジャングル大帝でのやりとりは、情報源を適切に読解し、百科事典の文章として意味を曲げないように書くことを、詳細に例を挙げながら、投稿者に求めているものでしょう。書き手に求めるものとしては的確であり、根気強く対応していると思います。
    他方、依頼者さんは、広く情報源を求め、出典を示しながら百科事典的な記述を試みていらっしゃると思います。助言をすることで、このような執筆者さんの記述を、よりよいものとすることも大切ですが、やりとりがこうじてウィキペディアから離れてしまうようでは困ります。今回の依頼者さんは、不快であろうとはいえ、執筆を投げ出さないで、指摘にあわせて書き改めようとされているのですから、どこかで、指摘の妥当性は理解されているのではないかとも思いますが、結果として、被依頼者の厳しさの加減は、間違っていなかったのかもしれません。しかし、できれば、コメント依頼が出ないようなところを落としどころとしてほしいなと思います。
    依頼者・被依頼者の間で、ある程度情報源となる資料を共有しているのですから、よりよい文案を示すことも出来たと思いますし、「ジャングル大帝」以外の項目で、検証可能性を満たし、適切な記述で投稿したものがあれば、反発はいくらか抑えられたかもしれません。Wikipedia:エチケット#ウィキペディアにおけるエチケットの原則も、いくらか参考になるでしょう。執筆能力を推し量ることは、同等程度の執筆能力がなければ難しいところもありますし、自分自身の記述に対する指摘については冷静な判断ができなくなることもあります。執筆者が百科事典の執筆を当然にすることができるような専門家ではない、専門家であったとしても無条件に専門家として扱われることはないのと同様に、なされた記述や文献の読みなどについて意見をする人も、無条件に優秀な編集者・査読者と扱われることはないでしょう。編集者のような位置でウィキペディアに関与する方は、あまり多くありません。その意味では、被依頼者は貴重な存在とも思います。他方、百科事典を書く上で必要な水準での読み/書きの技術は、それほど共有されているものではありませんから、意図がなかなか伝わらないことも、あると思います。そのような場合に、できるだけ反発を受けないようにすることも大事だと考えます。現状では、ウィキペディアにおける信頼を獲得するには、対話する上での丁寧さや執筆能力を示すことは避けられないのかもしれないと思うところもあります。難しい要求をしていると受け取られているのでしょうから、それが実際に可能であることを示すことも必要でしょう。
    結局のところ、それぞれに不満はあると思いますが、方針や態度などを持ち出すのではなく、よりよい記述にするためにはどうすればいいか、その理由を述べたり、わからないところを質問したりしつつ、それぞれが具体的に文章を示しながら作業を進めていくしかないんじゃないかなあ。--Ks aka 98 2009年3月23日 (月) 18:17 (UTC)[返信]

上記被依頼者のコメントに、右記の新たな表明を書き込んでいるのだが、 追記:ウィキペディアは世界一信頼できない百科事典である。百科事典を編集するのが目的ではなく、自分が書きたい事を百科事典(っぽい何か)に載せるのが目的で参加している執筆者が少なくないからだ。以下略。 --寝ず見 2009年3月24日 (火) 01:49 (UTC)」 
これは私たち編集に参加しているウィキペディアンに対する宣戦布告?氏の利用者:寝ず見には 「なので、私はできるだけ「百科事典」に近付くように、問題ある記事を修正する事を(偉そうに)宣言する。」 どっちもどっちじゃないですね、こう宣言されたら。--122.249.224.233 2009年3月24日 (火) 03:02 (UTC)[返信]

追記:「どっちもどっちかなあ。寝ず見さんの主張には、特に瑕疵は見つかりませんでした。」 この問題は主張(編集内容)の瑕疵ではなく、参加態度の不遜の問題でしょう。相手を「オマエ」呼ばわりした時点でコミュニティへの参加資格はないものと考えられます。「編集者のような位置でウィキペディアに関与する方は、あまり多くありません。その意味では、被依頼者は貴重な存在とも思います。」 寝ず見氏のどこが編集者の立ち位置なのでしょうか、相手との対話を計っているという意味で私には依頼者の方がよほど編集者の立ち位置に思われます。--122.249.224.233 2009年3月24日 (火) 03:42 (UTC)[返信]

被依頼者が一度入れたコメントを除去したことに対して

節を分けさせていただきました。--219.2.131.194 2009年3月28日 (土) 12:54 (UTC)[返信]

非依頼者の今回のコメントに対する行動については改めて触れますが、それとは別に今回非依頼者が一度発言したコメントを期間限定などと称して(当人のコメントであるとはいえ)除去する行動は、Wikipediaのルールとしてはどうなのでしょうか?発言を撤回するのなら打ち消し線を使えばいいでしょうし。この件に関しての皆さんのご意見をお聞かせいただきたいと思います。--Tmatsu 2009年3月28日 (土) 11:48 (UTC)[返信]

発言を撤回してるんじゃなくて一時的な告知に利用してるだけ。だから、必要がなくなったと判断すれば消す。被依頼者コメント専用の節の被依頼者の発言を、勝手な判断で改ざんしていいってルールはあるのか、Tmatsu氏?--寝ず見 2009年3月28日 (土) 12:01 (UTC)[返信]
一時的な告知だったら相手の会話ページを使えばいいのではないですか?それにこれは貴方が告知を行うためにあるのではなく、貴方の行動に対してのコメントを得るためのページのはずですが。貴方の解釈には問題があるでしょうから他の方のご意見が聞きたいです。--Tmatsu 2009年3月28日 (土) 12:08 (UTC)[返信]
全員に対する告知だから被依頼者のコメント節を利用した。被依頼者が一度入れたコメントを除去したことに対し意見が聞きたいなら、この節に上のコメントを入れるだけで済むので、被依頼者のコメント節を勝手に改ざんする必要はないはずですが? 除去せずに打ち消し線を使うというTmatsu氏の解釈の根拠および被依頼者以外が被依頼者のコメント節を勝手に変更することが許される根拠となる公式なルールを提示してください。--寝ず見 2009年3月28日 (土) 12:25 (UTC)[返信]
そういったことも不確かで疑問点ですから、他の方の意見も聞こうとしているんです。自分の解釈も違う可能性がありますし。そういったこともわからないとおっしゃられるならどうぞご自由に。もっとも前回も含め貴方の行動がコメント依頼上で悪印象となっていることをお忘れ無きよう。--Tmatsu 2009年3月28日 (土) 12:54 (UTC)[返信]
開き直りか。正直呆れる。公式なルールを根拠としない行為が許されると思っているとはレベルが低すぎ。--寝ず見 2009年3月28日 (土) 13:04 (UTC)[返信]
除去された記述をもとの文脈のまま復帰させただけであれば、「改竄」とはいえないでしょう。その意味で「改竄」はないようだと思いますが、もし、除去された記述をもとの文脈のまま復帰させたのではない「改竄」があるのであれば具体的にご指摘ください。
なお、正直な印象として、除去された記述をもとの文脈のまま復帰させただけでない本物の「改竄」があったのであればともかく、それがないであれば、「改竄」「被依頼者のコメントを妨害」[22]とおっしゃるとは、なんと軟弱な精神と思わざるをえません。その程度の覚悟でいらっしゃるのならば、「必要と感じた場合であればわざとと攻撃的な口調を使うこともある」などと大きなことはおっしゃらないほうがよろしかろうと思います。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月28日 (土) 13:54 (UTC)[返信]
被依頼者のコメントは(「コメント」節の複数人のコメントと違い)「被依頼者のコメント」節の全体をひとつとして機能します。つまり、被依頼者がわざわざ除去した内容を復帰させ、全体の印象を変える操作は「被依頼者のコメント」の改ざん以外のナニモノでもありません(『改竄(かいざん)は、文書、記録等の全部又は一部が、故意もしくは過失により、本来なされるべきでない時期に、本来なされるべきでない形式、内容に変更されることをいう。悪意の有無を問わない。』改竄より)。また、被依頼者のコメント内容を、被依頼者の望まない形に改竄する行為は「被依頼者のコメントを妨害する行為」以外のナニモノでもありません(参考:『他人のコメントに本人の許可なしに取り消し線をひいてはいけません。』『決して他人の言葉を、その人が考えていない内容に書き換えたり、削除してはいけません。Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まり#コメントの編集より)。--寝ず見 2009年3月28日 (土) 14:11 (UTC)[返信]

関連項目