リアム・ブレイディ

アイルランドのサッカー選手・監督

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リアム・ブレイディ(Liam Brady、1956年2月13日 - )はアイルランド出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(攻撃的MF)。愛称のChippyとは、彼の好物であるフィッシュ・アンド・チップスに由来している[1]

リアム・ブレイディ
名前
愛称 Chippy
ラテン文字 Liam Brady
基本情報
国籍 アイルランドの旗 アイルランド
生年月日 (1956-02-13) 1956年2月13日(69歳)
出身地 ダブリン
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1973-1980
1980-1982
1982-1984
1984-1986
1986-1987
1987-1990
アーセナル
ユヴェントス
UCサンプドリア
インテル・ミラノ
アスコリ
ウェストハム・U
235 (43)
076 (15)
057 0(6)
058 0(5)
017 0(0)
089 0(9)
代表歴
1974-1990 アイルランドの旗 アイルランド 72 0(9)
監督歴
1991-1993
1993-1995
2008-
セルティックFC
ブライトン・アンド・ホーヴ
アイルランド代表(コーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

選手時代

ブレイディは1973年に17歳でアーセナルFCに入団し、同年10月6日のバーミンガム・シティ戦でリーグ戦デビューを飾った。アーセナルでは卓越したパスセンスでゲームメーカーを務め、デヴィッド・オレアリーらと共に1979年のFAカップ優勝に貢献、同年にPFA年間最優秀選手賞を受賞した。また1979-80シーズンのUEFAカップウィナーズカップでは準々決勝でイタリアユヴェントスを下し準優勝に貢献した(決勝でスペインバレンシアCFに0-1で敗退)。

この活躍が認められ1980年にユヴェントスに移籍すると、入団早々からスタメンの座を掴み1981年と1982年のセリエA連覇に貢献した。特に1981-82シーズンはフィオレンティーナと優勝争いが縺れ込んでいたが、最終節のFCカタンツァーロ戦において自らペナルティキックを決め、20回目のスクテッド制覇に導いた。

しかし1982年にフランスミシェル・プラティニの加入が決定すると入れ替わるようにユヴェントスを退団し、UCサンプドリアに移籍した。その後は1984年にインテル・ミラノ、1986年にアスコリ・カルチョといったイタリアのクラブを渡り歩き、1987年にウェストハム・ユナイテッドFCに移籍。1990年に現役を引退した。

アイルランド共和国代表としては1975年から1990年までに72試合に出場し9得点を記録した。しかしクラブチームでの実績にも関わらず、国際舞台での活躍とは縁がなく、1988年のUEFA欧州選手権1988は怪我により不参加。またFIFAワールドカップ・イタリア大会予選突破に貢献したものの、1990年の本大会直前に代表から引退したため、選手生活を通じてワールドカップへの出場は叶わなかった。

監督時代

引退後は指導者の道へ進み、1991年から1993年までスコットランドセルティックFC、1993年から1995年まではイングランドのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCの監督を務めた後、1996年7月からは古巣のアーセナルのユースアカデミーの監督に就任した。

2008年3月7日、アイルランド代表監督に就任したジョバンニ・トラパットーニのアシスタントコーチに就任した[2]。なおアーセナルの職務も兼任することとなっている。

エピソード

個人タイトル

脚注

外部リンク

先代
ピーター・シルトン
PFA年間最優秀選手賞
1978-79
次代
テリー・マクダーモット