全国高等学校クイズ選手権

日本の日本テレビ主催のクイズ大会、およびその内容を放送するテレビクイズ番組

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全国高等学校クイズ選手権(ぜんこくこうとうがっこうクイズせんしゅけん)とは日本テレビとその系列局で、毎年1回(8月または9月)に放送されているクイズ番組である。

全国高等学校クイズ選手権
ジャンル クイズ番組
出演者 福留功男
福澤朗
鈴木崇司 ほか
放送
放送局日本テレビ
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1983年12月31日 - 放送中
日本テレビ

特記事項:
第6回(1986年)より、夏季の年1回開催・放送。
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英語表記は「ALL JAPAN HIGH SCHOOL QUIZ CHAMPIONSHIP」で、通称は「高校生クイズ」である。

番組概要

1982年12月31日、日本テレビ開局30年記念特別番組として、同局の看板番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』(1977年-1992年1998年)の特別版『ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦』が放送された。これが好評だったことに加え、参加制限により『アメリカ横断ウルトラクイズ』に出場できない高校生から参加への強い要望があったため、『史上最大の敗者復活戦』のノウハウを生かした高校生対象の大型クイズ番組が企画される。

そして『アメリカ横断ウルトラクイズ』の弟番組という位置付けで、1年後の1983年12月31日18時30分に『ウルトラスペシャル 全国高等学校クイズ選手権』が放送された。以降、1984年と翌1985年は夏と冬の年2回開催・放送[1]となり、1986年の第6回からは夏季の年1回の開催・放送となっている。「知力、体力、チームワーク」をキャッチフレーズとして独自の演出と壮大な規模で開催されており、「クイズの甲子園」として定着している。ギネス・ワールド・レコーズ(ギネスブック)には「世界一参加人数の多いクイズ番組」として記録されている[2]

基本的に日本テレビのアナウンサーが総合司会を務めているが、回によっては総合司会に加えて「スタジオ司会」(第1回、第3回、第5回)や「メインパーソナリティ」(第23回、第24回と第26回以降)として、他のアナウンサーやタレントを進行役に起用している。

番組の本編ともいえる全国大会は、毎年違った趣向で行われている。純粋なクイズで競うこともあれば、視聴者から見ても面白いクイズ形式、体力や発想力などといった知力以外の要素で左右される形式もあり、毎年試行錯誤が続いている。

  • 第23回(2003年)と第24回(2004年)で番組の刷新を目指し、予選方法から演出まで方針を大きく改めた。しかし従来の路線とかけ離れたこと[3]により、視聴者の批判が相次いだ。
  • 第25回(2005年)からは「都道府県代表制」を復活させて演出方針を見直したが、視聴率は9.7%であった。第26回(2006年)では高校生の喜怒哀楽や大会の規模を重視し、視聴率は13.6%を記録した。しかし第27回(2007年)ではさらに規模の拡大やスーパーオリラジチャンスなどの試みを行ったものの、視聴率は8.6%であった。
  • 第28回(2008年)は、地区大会では従来の予選を維持したが、全国大会ではこれまでの番組方針から一変し、“知力の甲子園”と銘打って難問をメインに置いた、知力のみが試される大会となった。結果、放送時間を早めたことも幸いし視聴率は14%に回復した。
    • しかしながら、この方針転換には視聴者の批判も相次いだ。また、日本テレビ放送番組審議会からも「地方にもう少しスポットを当ててほしい」「前のように、知識に運やスポーツなど加えると面白いのでは」「頭がいいとか進学校ということにとらわれているのでは」「編集上にも問題がある」といった苦言が多く呈され、同局『あなたと日テレ』でもとりあげられた。

福留がかつてTV情報誌「テレパル」で「局の都合で番組を終わらせたくない」と語っていたが、現在のところこの思いは守られていることになる。

  • 24時間テレビ 「愛は地球を救う」』、『鳥人間コンテスト選手権大会』(ytv°制作)と同様に、日本テレビ系列の夏の名物番組・看板番組である。
  • スポンサーライオンにとっても販売・PR活動に強力なコンテンツで、かつ文化活動の一環としており、番組スポンサーと運営スポンサーという二重のサポートがあること(実際に、各地方大会の開会宣言はライオンの幹部・支社長クラスが、優勝校へのライオンカップと研修費贈呈は代表取締役が行うケースが多くなっている)
  • このようなことから、大会および番組が現在に至って継続されている。2009年の第29回大会の開催も発表された。

なお、経済産業省日本立地センターの主催で2001年から2005年まで行われていた「高校生エネルギークイズ選手権大会」、ならびにNPO法人金融知力普及協会の主催で2007年から行われている「全国高校生金融経済クイズ選手権」はこの大会と一切関係がない[4]

放送日

※日本テレビでの全国大会の放送日を示す。

第1回 1983年12月31日 第11回 1991年8月23日 第21回 2001年9月7日
第2回 1984年8月28日 第12回 1992年8月28日 第22回 2002年8月30日
第3回 1984年12月31日 第13回 1993年8月27日 第23回 2003年9月12日
第4回 1985年8月28日 第14回 1994年8月26日 第24回 2004年9月3日
第5回 1985年12月31日 第15回 1995年8月25日 第25回 2005年9月2日
第6回 1986年8月27日 第16回 1996年8月30日 第26回 2006年9月1日
第7回 1987年8月28日 第17回 1997年9月12日 第27回 2007年9月7日
第8回 1988年8月26日 第18回 1998年9月4日 第28回 2008年9月5日
第9回 1989年8月18日 第19回 1999年9月3日 第29回 2009年9月4日
第10回 1990年8月31日 第20回 2000年9月1日
  • 冬の大会はすべて大晦日の特別番組として、第1回が3時間半、第3回と第5回が3時間の枠で放送された。
  • 夏の大会に関しては、地方大会・全国大会のテレビ放送は例年、8月下旬から9月上旬となっている。

出演者

ここでは、出場した高校生以外の出演者をあげる。

総合司会

  • 初代:福留功男 … 第1回(1983年) - 第10回(1990年)担当。「青春真っただ中、(みんな)燃えているか!!
    • 『ウルトラクイズ』の進行経験を活かしてこの番組でも第1回から支え(プロデューサーも兼務)、番組の爆発的人気を生んだ。
    • 第2回(1984年夏)では北海道・中部・中国・四国・岡山大会に行かず、第3回ではその北海道・中部・中国・四国・岡山に加えて日程が北陸と重なった近畿大会にも行っていない。これらの大会は、地元局のアナウンサーなどが代理司会を務めた。
    • 第21回(2001年)で、総合司会引退以来11年ぶりの再登場を果たし、東西に分けて行われた全国大会1回戦で東側の司会を担当した。「業界40年、高校生クイズ生みの親、クイズに24年の人生をかけた、人呼んで"留ジィ"とはオレのことだぁ!」との言葉で高校生の前に登場した。
  • 2代目:福澤朗 … 第11回(1991年) - 第20回(2000年)担当。「ファイヤー!!」「みんな、(青春の炎は)燃えているか!!
    • 彼の本来のキャッチフレーズは「ジャストミート」だが、番組の冠スポンサーであるライオンのライバル・花王が「ジャスト」という商品を販売していたため、ライオンに配慮する形で最初の収録前に掛け声を変更した(『ウルトラクイズ』では、放送枠の「木曜スペシャル」提供に花王が入っていたため「ジャストミート」を使用)。
    • 総合司会着任前には、第10回(1990年)の全国大会で体力コースの案内人を務めた(「日本テレビの明るい下積み」と自己紹介した)。
    • 第20回(2000年)の全国大会は日程の都合のため、日野春駅での1回戦および決勝戦だけを担当。他は羽鳥慎一アナウンサーが代理司会を務めた。
    • 総合司会引退後の第21回でも登場し、東西に分けて行われた全国大会1回戦で西側の司会を担当した。
  • 3代目:ラルフ鈴木(鈴木崇司) … 第21回(2001年) - 現在担当。「POWER!!
    • 総合司会着任前には第18回の事前番組『裏高校生クイズ』に出演し、運大王代表で上京した9チームに密着した。
    • 第21回(2001年)の全国大会1回戦は2人の先輩司会者が担当したため出番がなく、敗者復活戦からの担当となった。
    • 第26回(2006年)の沖縄大会は2006 FIFAワールドカップの取材のため、菅谷大介アナウンサーが代理司会を務め、「根性!」というかけ声を披露した。
    • 第27回(2007年)の中国大会と南東北大会は日程の都合のため、上重聡アナウンサーが代理司会を務め、「VICTORY!」というかけ声を披露した。
    • 第28回(2008年)の南九州大会、中国大会、北海道大会は日程の都合のため、右松健太アナウンサーが代理司会を務め、「ANSWER!」というかけ声を披露した。
    • 2006年秋より、深夜の帯番組『NEWS ZERO』へレギュラー出演するようになってからは、そちらを優先しているためか、第27回以降の地方大会で欠場するケースが、上記のように必ず発生している。それ以前は、当時レギュラーであった『スポーツうるぐす』が関東以外の地方大会と重なった場合、『うるぐす』を休んでいた。

メインパーソナリティー

2003年より採用されている(25回は除く)。総合司会(ラルフ鈴木)は地方大会・全国大会の全体の番組の進行とクイズの出題をするのに対して、メインパーソナリティーは基本的に高校生の味方(場合によっては関門)であったり、ラルフと一緒に番組を盛り上げる役割である。

歴代ナレーター

初期は司会者である福留が兼任していた。同様に第18 - 20回では福澤が、第21、22回では鈴木がそれぞれ全編、もしくは大部分のナレーションを担当した。

歴代スタジオ司会・レポーター・メインパーソナリティ・ゲストなど

スタジオ司会・事前番組司会経験者
  • 徳光和夫(日本テレビ/スタジオ司会・第1、3回/レポーター・第1、2、6、7回/事前番組司会・第7回)
  • 小林完吾(日本テレビ/スタジオ司会・第1回/事前番組司会・第6回)
  • 深堀恵美子(日本テレビ/スタジオ司会・第1回)
  • 加藤明美(日本テレビ/前夜祭司会・第2回)
  • アグネス・チャン(スタジオ司会・第3回)
  • いかりや長介(スタジオ司会・第5回)
  • 三田寛子(同上)
  • 梶原茂(文化放送/スタジオ司会・第5回/ヘリコプター中継・第6 - 10回)
  • 所ジョージ(事前番組司会・第6回)
  • 高見知佳(同上)
  • 一節太郎(敗者復活戦司会・第6回)
  • 島田紳助(事前番組司会・第7 - 16回)
  • 向井亜紀(事前番組司会・第7回)
  • 熊谷真実(事前番組司会・第9回/事前番組ゲスト・第21回)
  • 小倉淳(日本テレビ/事前番組司会、レポーター・第9回)
  • 永井美奈子(日本テレビ/事前番組レポーター・第9回/事前番組司会・第13回)
  • 久本雅美(事前番組司会、レポーター・第12、13回)
  • 清水圭(事前番組レポーター・第15回/事前番組ゲスト・第21回)
  • 大神いずみ(日本テレビ/事前番組司会・第17回)
地区大会司会・レポーター経験者
その他の出演芸能人
同上・全国大会準決勝・東京下町コース:坂野比呂志佐藤蛾次郎
同上・全国大会コースMC:細川隆一郎(知力コース)、荒勢(体力コース)
同上・さよならパーティー司会:木村優子(日本テレビ)
同上・全国大会ゲスト:海老一染之助・染太郎
同上・敗者復活戦MC:吉村明宏
同上・全国大会コース別クイズ:細川隆一郎鈴木君枝(以上、知力コースMC)、吉村明宏堀敏彦(以上、運コースMC)、蔵間(体力コースMC)、アントン・ウィッキー(知力コースゲスト)
同上・全国大会準々決勝MC:水野晴郎
同上・全国大会サスペンスクイズ:荒井注(刑事役)、林キセ子(被害者役)、梅垣義明中村有志神田利則(以上、容疑者役)
同上・関東大会ナビゲーター:ダチョウ倶楽部
同上・全国大会2回戦:安岡力也(松尾芭蕉役、および出題)、オセロ(芭蕉の弟子役)、ラッシャー板前(金魚売り役)
同上・全国大会サスペンスクイズ:中山エミリ(被害者役)、峰竜太(刑事役)、立河宜子(犯人役)
同上・全国大会運大王ナビゲーター:海砂利水魚
同上・全国大会サスペンスクイズ:山口達也神田うの(以上、刑事役)、藤森夕子(被害者役)、光浦靖子大木凡人高知東急(以上、容疑者役)、東海林のり子(芸能レポーター役)
同上・全国大会1回戦:羽鳥慎一(日本テレビ/クイズ結婚式司会)、 矢島学(日本テレビ/クイズお葬式レポーター)、林家ペー林家パー子(クイズ結婚式ゲスト)
  • 第19回・ 全国大会スペシャルゲスト:石原慎太郎(東京都知事)
同上・全国大会1回戦・面接クイズ面接官:村野武範、つぶやきシロー、小川光明(日本テレビ)、井田由美(日本テレビ)
同上・全国大会2回戦レポーター:羽鳥慎一
同上・全国大会司会代行(準決勝他):羽鳥慎一
同上・事前番組レポーター:小倉久寛
同上・全国大会2回戦出題:鈴木啓介鈴江奈々森麻季
同上・全国大会準々決勝第1問出題:ASIMO
同上・全国大会準決勝面接官:豊田順子(日本テレビ)、河村亮(日本テレビ)、菅谷大介(日本テレビ)
同上・全国大会1回戦出題:菊川怜米村でんじろう木原実
同上・全国大会「知の壁」出題者:橋下徹平沢勝栄大槻義彦
同上・全国大会準決勝・面接官:猪瀬直樹テリー伊藤神田川俊郎
同上・全国大会その他:KABA.ちゃん(敗者復活戦MC、準々決勝1stステージ第2ラウンドデモンストレーション)、ジャイアント・シルバ(準々決勝2ndステージ第1ラウンドデモンストレーション)
  • 第25回・地区大会第1問出題:仲間由紀恵(沖縄大会)、谷亮子(九州大会)、宮里藍(関東大会)
同上・関東大会サポーター:長澤まさみ斉藤祥太斉藤慶太[7]
同上・全国大会2回戦・コース別クイズ:蛯原哲(日本テレビ/京都コース進行)、炭谷宗佑(日本テレビ/東京コース進行)、中村勘三郎(東京コースゲスト)
同上・全国大会1回戦解説:池上彰土屋秀宇永田喜彰
同上・全国大会準々決勝ゲスト:石田純一大桃美代子
同上・全国大会準々決勝解説:篠原菊紀長戸勇人
同上・全国大会準決勝ゲスト: 伊集院光パトリック・ハーラン
同上・全国大会準決勝解説:秋山仁、篠原菊紀
同上・全国大会準決勝出題:ピーター・フランクルトーマス・ベッカーマンFBIインストラクター)、渡辺正(東京大学教授)

音楽・効果音

メインテーマ曲

  • Hollywood』(トランペット奏者メイナード・ファーガソン) ※第1回(1983年)、第3 - 16回(1984年冬 - 1996年)、第18回(1998年)、第19回(1999年)、第26回(2006年)
    • 2004年6月には、この『Hollywood』を収録したファーガソンのLP「HOLLYWOOD」がCD化された(米国盤のみ)。
    • 同曲は男子プロゴルフ中日クラウンズ」のテレビ中継テーマ曲、岐阜放送ラジオ『電リク大行進』テーマ曲としても使われていた。
    • ファーガソンは、同局の番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』のメインテーマ曲も演奏している。
    • 第1、3 - 11回では、レイモン・ルフェーブルの『Rockey Train』と、ジェフリー・カウフマンの『A Dream of Victory』(映画『THE AMERICAN GAME』より)の2曲が、同曲とともにオープニングに使われた。後者は第27回で再びオープニングに使用された。
  • 『Hollywood』(1.の番組オリジナルアレンジ版) ※第20 - 22回(2000 - 2002年)、第25 - 27回(2005 - 2007年)
    • ファーガソンが逝去した2006年の第26回は、2.の前奏部分の後に1.の本編をつなげて放送した。
    •  第28回(2008年)は、本放送では『Hollywood』は使われなかったが、事前番組ではアレンジ版とオリジナル版の両方が使われた。

※上2曲はその年のエンディングテーマも務めた。

オープニング曲

エンディング曲

イメージソング・応援ソング

第8回、第12回、第15回は「イメージソング」

第22回、第25回以降は「応援ソング」

その他の音楽・効果音

  • YES-NOクイズ(現・○×クイズ)で考慮・移動する際のBGMは、大人数で移動する時と、少人数で走って移動する時の2種類が使い分けられていることが多い。第1回(1983年)と第3回(1984年冬)から第16回(1996年)までは同じBGMで、番組独自のものを使用していた。第17回(1997年)以降はほぼ毎回変わっており、回や地区によっては他の音楽作品から流用したBGM(例えば、2001年の第21回はアーケードゲーム『GUITARFREAKS』のサウンドトラックの曲『FIRE』だった)の場合もある。ただし第25回(2005年)は、現場では別の曲が使われていたが、放送では第16回以前のBGMに差し替えられた。
  • 勝ち抜けBGMは、長い間使用されているものからあまり使われないものまで数多くあり、場面に応じて複数の種類のBGMが使い分けられている。近年では第25回(2005年)から第27回(2007年)まで、アニメ『ロックマンエグゼ』の初代オープニングテーマ『ロックマンのテーマ〜風を突き抜けて〜』のイントロ部が勝ち抜け時に使用されていた。
  • 問題出題時のSEは、初期から第14回(1994年)まで基本的に同じであった。第15回(1995年)以降は、いくつかの新しいSEが登場している。また、場面に応じて複数の種類のSEが使い分けられていることもある。
  • 早押しボタンSE、正誤判定のSEは当初から変わらず、現在に至って使用されている。これらのSEは『アメリカ横断ウルトラクイズ』の後期と同じものである。日本テレビの番組で単発のクイズの企画をする時はこのSEを使うことが多く、収録時に別のチャイムを使っていながらアフレコでこのSEに差し替えている例も多々見られる。

スタッフ

この番組のスタッフは、チーフプロデューサーを筆頭に『24時間テレビ』も担当している傾向がある。

  • 例として、吉田真CPは2002年の24時間テレビを担当し2002年と2004年の高校生クイズを担当、高橋正弘CPは2004年の24時間テレビを担当し、2005年と2006年の高校生クイズを担当した(高橋CPは2007年より制作)。

全国大会では現場アルバイトとして、前年以前の全国大会出場者が働くことが多い。

第28回(2008年)

  • 構成:松井尚/山口克久、西本満博、今村良樹、田中利明、矢野了平、板垣悟司、藤本裕、加藤淳一郎、藤井靖大
  • 問題作成:吉本選江、古川弘子、郡司昌代、日高大介、佐々木康彦、木村圭太、舛舘康隆、穐田祐樹、村田旬作、川瀬吉宏、能松あゆみ、佐々木準也
  • 美術スタッフ:高津光一郎/星野充紀、栗原純二、海老沼浩二、斉木祐一、赤木直樹、中里昭博、溝口博志、斉藤賢、磯野公章、富田仁、伊藤伸朗、岩崎正樹、日テレアート
  • 技術スタッフ:新名大作/槇本悟、小池隆、田村好彦、今野克裕、大島草太、菅谷典彦、村松明、山田祐一、清水新太郎、NiTRO
  • 照明:内藤晋
  • 音効:江藤純、斉藤文一
  • 編集:宮下圭介、田中直人、オムニバス・ジャパン
  • MA:竹岡良樹
  • アーカイブ:小倉徹、稗田孝
  • CG:KENEK
  • 協力:札幌テレビ、テレビ岩手、ミヤギテレビ、テレビ新潟、静岡第一テレビ、中京テレビ、読売テレビ、広島テレビ、西日本放送、福岡放送、熊本県民テレビ、沖縄テレビ、読売旅行、株式会社ゼロスポーツ
  • 広報:村上淳一、鎌田淳平
  • リサーチ:堀内ゆみ
  • WEB:安蒜泰樹、門村隆美、suiteZERO
  • 制作協力:コスモ・スペース、カメヨ、ファランクス、ハテナス、AX-ON
  • デスク:北村佳子、永見知子、米山明李
  • アシスタントプロデューサー:樋口春香
  • ディレクター:池谷賢志、西川宏一、石村修司、高野信行、浜村俊郎、宮嶋輝彰
  • スタジオ演出:五歩一勇治
  • 演出:河野雄平
  • プロデューサー:小島友行、富田秀樹、遠藤英幸、岩崎都、本多里子
  • 監修:五味一男
  • 制作:高橋正弘

過去のスタッフ

  • 中澤俊雄安田穣萩原津年武福留功男プロデューサー/第1回(1983年)
  • 高橋洋二放送作家/第22回(2002年) -
  • YAS5000:同上
  • 中村元気:プロデューサー/第16、17回(1996、1997年)
  • 増田一穂:プロデューサー/第16回(1996年)、チーフプロデューサー/第18 - 20回(1998 - 2000年)
  • 原園明彦:プロデューサー/第18 - 20回(1998 - 2000年)
  • 篠崎安雄:総合プロデューサー/第6 - 15回(1986 - 1995年)
  • 吉岡正敏:チーフプロデューサー/第16、17回(1996、1997年)
  • 大澤雅彦:チーフプロデューサー/第21回(2001年)
  • 吉川圭三:チーフプロデューサー/第23回(2003年)
  • 吉田真:チーフプロデューサー/第22、24回(2002、2004年)
  • 黒岩直樹:プロデューサー/第25、26回(2005、2006年)、チーフプロデューサー/第27回(2007年)

また、初期の問題を泉麻人が作っていたことを福留が明かしている。

スポンサー

第2回(1984年夏)と第4回(1985年夏)、そして第6回(1986年)から現在まで番組の冠スポンサーは大手生活用品メーカー・ライオンとライオングループ各社である。第11回(1991年)までは独占提供していた(第6、7、8回では、フジテレビ系『いただきます』のものよりも豪華なアニメーションを使った、当番組オリジナルのスポンサークレジットが使われていた)。なおライオンが冠スポンサーになったきっかけは、第1回の放送を見た当時の社長の妻の進言だったという。

冬の大会に関しては、第1回(1983年)は「ウルトラスペシャル」と題され、レギュラー放送枠のスポンサーが中心(このときは、ライオンも複数社として提供)であった。第3回では日産自動車とレギュラー放送枠のスポンサーの一部、第5回(1985年冬)も日産自動車と日産グループを中心とする提供であった。年2回開催はスタッフの負担が重く、年1回へ統一するにあたり、日本テレビは各地区ごとの景色が変わる冬季開催を希望した。しかし、メインスポンサーのライオンが独占提供できる枠の確保をするため、1986年以降は夏季開催のみとなった。

第12回(1992年)以降は、ライオンと複数社の体制となっている。なお、第16 - 26回(1996 - 2006年)には準筆頭スポンサーもついていた。

過去の協力企業

マスコットキャラクター・ロゴマーク

  • ライオンちゃん … 冠スポンサーであるライオンのマスコットキャラクター。第2回(1984年夏)より夏の大会に登場。各地区大会では着ぐるみも登場する。
  • QUIZRA(クイズラ) … 帽子をかぶって首をかしげる、怪獣型の番組オリジナルキャラクター。第1回(1983年)より登場。

当初の番組ロゴマークは、冬の大会ではクイズラだけが、夏の大会ではライオンちゃんとクイズラが描かれたものだった。現在は「?」の中に「高校生クイズ」と書かれた新しいロゴマーク(1996年の第16回から登場)を使うのが主流である。第17回(1997年)ではすべてのセット・美術で新ロゴマークに置き換えたため、全大会通してクイズラが一度も使用されなかった。

しかし、翌第18回(1998年)からは再び使用されている。現在でも、大会内で用いられる緑色の折りたたみ式解答テーブル(現行のデザインは、1994年の第14回から使用)などで旧ロゴマークが使われている。また地区大会におけるアドバルーンや参加者に送られる参加規定書のイラストなどにも、ライオンちゃんとクイズラが使用され続けている。

特に、緑色の折りたたみ式解答テーブルは、関東大会(または東京大会)の早押しクイズで毎回使用されている(第17回・第20回を除く)。また、関東以外の地区大会や、全国大会の一部でも使用されることがある。

大会概要

同じ学校に通う高校生および3年生以下の高専生で3人1組でチームを結成し、全国各地で行われる予選に参加する。そこで大会によっては数千 - 数万に及ぶ参加者の中から全国大会へ出場する代表校を決定。全国全ての予選が終了した後全国の高校生が一堂に会し、高校生のクイズの頂点を決める。

出場資格は、同一高校または高専(高等専門学校)に通う3人1組チームであること。同じ学校であれば男女・学年・学科が混合したチームでも構わない。また予選は一つの学校から何チームでも出場可能であり、部活動などにも原則的には関係なく参加できる[8]。例外として、第22回で実施されたアメリカ大会を勝ち抜いた生徒3人は、いずれも違う高校である。

ただし年齢・学年による制限は存在する。毎年公式サイトには年齢制限にほとんど触れられていないことが多いが、全日制通信制は18歳までで、定時制に限り年齢の制限がない。また修業年限5年の高専生については、1 - 3年生のみ出場可能。

  • 第19回(1999年)では、当時東京都内の定時制高校に通っていた元プロレスラー・大仁田厚が、他の成人高校生らと共に予選の関東大会に出場。なお同大会には東京都立園芸高等学校から最年長として70歳の女性も参加した。
  • 第23回(2003年)では、高知県立中村高等学校が定時制で初めて全国大会進出を果たした。
  • 第27回(2007年)の岩手県代表・岩手県立杜陵高等学校(定時制)のチームに24歳で1児の母親である高校生がおり、1回戦のスタジオに子供を連れて参加したため初の「子連れ」全国大会出場となった。
  • 第28回(2008年)の滋賀県代表・ECC学園高等学校は通信制高校で初の全国大会出場校。
  • また第2回(1984年夏)では、日本語がほとんど話せない外国人留学生のいる埼玉県立上尾高等学校が、全国大会に進出した。

また高校生であっても、家族や親類の誰かが日本テレビ並びに系列局に勤務している場合は、出場できない。

予選

ここでは、全国大会へ出場する前段階の大会を総称して「予選」と呼ぶこととする。

全国大会出場チームの選出方法

全国大会に出場するには「地区大会」に参加して勝ち抜く必要がある。また、年によっては地区大会とは別に全国大会への出場が設けられることがある。

  • 地区大会
    全国を都道府県単位でいくつかの地区にわけ、1地区1会場で行われる(よって多数の県の高校生は別の県に移動して地区大会に参加する)。参加のための交通費は参加者負担。
    全国大会への出場校の選定方法は「都道府県代表制」と「地区代表制」の2つがあり、年度によって変わる。
    • 都道府県代表制
      • 各都道府県ごとに出場枠(例年東京都と北海道が2枠、その他45府県が1枠)が設定され、県単位で出場枠を争う。そのため複数の都道府県が集まり行われる地区でも、敗者復活などの場合を除いて別の県のチームと対戦することはない(複数の県の「県大会」が同じ会場で同時進行していると見ることができる)。すべての県から代表が生まれるが、開催地までの距離や人口によって参加チーム数が大きく変わるため、同じ地区内でも全国大会へ行ける倍率に著しい不均衡が生じる形式である。
      • 第22回の中国大会では島根県からは8チームしか参加しなかった。この回では予選1回戦勝ち抜けチームが8チームに設定されていたため、島根県全チームが無条件で次のステージに進出した。これは同県の教育委員会が、大会を妨害する目的で予選の日に全県模試を行ったためだといわれている。第26回の四国・岡山大会でも同様に1回戦勝ち抜け枠8チームに対し高知県の参加数が6チームだったので○×は免除、次のステージを6チームで行った。これは同日に実施された進研模試という全国規模の模試の影響による。ちなみに、進研模試を主催するベネッセコーポレーションはこの回の番組スポンサーであったが、配慮はなかった。第28回の中国大会では島根県が6チームしか参加せず、再び無条件で○×を通過する事態になった。
    • 地区代表制
      • 地区全体に対して出場枠(2 - 12枠)が設定され、地区全体で出場枠を争う。参加者を各都道府県ごとに分けないため競争率は地区内の都道府県で一律になるが、県単位で見ると複数のチームが出場する県と出場枠を得られない県が発生する。よって都道府県代表制と比べると、人口の少ない県には不利な形式となる。
      • 第23回、24回では地区大会数の減少により、地区によっては会場から遠い県の参加者が同時期に行われたケータイ予選に流れ、参加人数が激減した(主に地区大会がなくなった北陸中国地方)。
  • その他の予選
    地区大会とは別に行われるため、「特別大会」などと呼ばれることが多い。毎年開催されるわけではなく、形式も回ごとに一定していない。過去の主な形式として以下のものがある。
    • 「インターネット予選」(インターネットからクイズに挑戦する)
    • 「『島』特別大会」(参加困難な離島の高校を対象にFAXを利用して開催)
    • 「○○高校大会」(特定の高校に予め参加枠が与えられ、校内で出場枠を争う)

第28回(2008年)は13の地区大会から49チーム(都道府県代表制)、インターネット予選から1チームを選ぶ。

過去の全国大会出場枠の変遷

  • 「地区大会」の枠は、第1 - 5、23、24回は地域代表制、第6 - 22、25 - 28回は都道府県代表制
  • 第1回・第2回では関東大会から全国大会を辞退したチームがあり、また第2回の四国・岡山大会も辞退が出ている。このため、第1・2回の全国大会に実際に出場したチームは37である。ただし第1回の近畿・山陰大会、第3回の北陸大会でも辞退チームがあったが、補欠チームが繰り上げ出場している。番組でその事実が放送されたのはこの2チームだけで、これ以降も辞退による補欠は存在するようである(第15回の島根や第22回の京都など)。
全地区大会終了後に、九州地区を対象とした敗者復活戦が開催された(理由は「ハプニング・エピソード」参照)。この関係で、九州地区の枠は当初の3枠に加えて新たに2枠を確保した。
  • 第2回 - 40枠 特別大会なし
    • 地域代表 40枠:北海道(3)・東北(4)・関東(13)・中部(5)・近畿・北陸(5)・中国(3)・四国・岡山(3)・九州(4)
主催者から指定された2校に対して、特別大会を実施た。学校全体でクイズを行い、その中から代表3名が全国大会へ出場。
  • 第4回 - 40枠 特別大会なし
    • 地域代表 40枠:北海道(3)・東北(4)・北陸(2)・関東(12)・中部(4)・近畿(5)・中国(3)・四国・岡山(3)・九州(4)
主催者から指定された2校に対して、特別大会を実施。学校全体でクイズを行い、その中から代表3名が全国大会へ出場。
  • 第6回、7回 - 49枠 特別大会なし
    • 都道府県代表 49枠:各府県1枠、東京都と北海道が2枠
  • 第8回 - 50枠 特別大会なし
    • 都道府県代表 50枠:各府県1枠、北海道2枠、東京都3枠
この回は全国大会1回戦(1対1の対戦形式)を考慮してか、東京都の出場枠が通常の「2」から「3」になり、合計が偶数になっている。関東大会の決勝ではこの事情に配慮し、従来の早押しクイズではなく決勝に進出した各都県10チームによるノックアウト方式の三択クイズで代表を決めた。
  • 第9 - 16回 - 49枠 特別大会なし
    • 都道府県代表 49枠:各府県1枠、東京都と北海道が2枠
  • 第17回 - 56枠
    • 都道府県代表 49枠:各府県1枠、東京都と北海道が2枠
    • 特別大会 7枠:「運大王」(7) 関東2枠、他の9地区は「0.5枠」=北陸・中部・近畿・九州・沖縄から出場
「運大王」は地区大会のクイズ終了後に、クジ引きや名前ビンゴなど完全に運だけの勝負で行われた敗者復活戦で選出されたチーム。勝ち残るチーム数の期待値が各ブロックで0.5になるようなゲームが行われ、各ブロックから0ないし1チームが選ばれた。(関東のみ無条件で2枠確保。)
なお、「運大王」の全国大会の扱いは他の代表校と大きく異なる。(詳しくは、後述の全国大会を参照。)
  • 第18回 - 59枠
    • 都道府県代表 49枠:各府県1枠、東京都と北海道が2枠
    • 特別大会 10枠:「運大王」(10) 10地区から1チームずつ
この年の「運大王」は各ブロックから1チームずつ選出。選出方法は17回とおなじ。
第3回、第5回と同様。
  • 第20回 - 50枠
    • 都道府県代表 48枠:和歌山県以外の44府県1枠、東京都と北海道が2枠
    • 特別大会 2枠:和歌山大会(2)
和歌山大会が近畿大会とは別に開催され、和歌山県代表が2チーム全国大会に進出した。その代わり、和歌山県のチームには近畿大会の参加資格が無かった。
  • 第21回 - 50枠
    • 都道府県代表 49枠:各府県1枠、東京都と北海道が2枠
    • 特別大会 1枠:21世紀枠(1)
「史上最大の敗者復活戦」と称し、全国の地区予選敗退チームを対象にくじ引きでの大抽選会を実施。当選した1チームは「21世紀枠」として、全国大会へ進出した。
  • 第22回 - 50枠
    • 都道府県代表 49枠:各府県1枠、東京都と北海道が2枠
    • 特別大会 1枠:アメリカ大会(1)
    • アメリカ・ニューヨークで現地在住の高校生を対象に予選を開催。個人戦で戦い、そこで選ばれた代表3名が「アメリカ代表チーム」として全国大会へ進出した。
  • 第23回 - 30枠
    • 地域代表 21枠:札幌(2)・仙台(3)・東京(5)・名古屋(4)・大阪(4)・福岡(3)
    • 特別大会 9枠:新聞クイズ予選(1)・インターネット予選(6)・一芸予選(2)
「新聞クイズ」は、新聞に掲載された爆笑問題の時事漫才の穴埋めをいち早く完成させる(使用する数百の文字が示されていて、漫才として矛盾のない様に当てはめていく)。他にクイズの実力は未知数ながら一発芸に秀た高校生を募集する「一芸予選」、携帯電話を用い5日間連続で出題されるクイズに挑戦する「インターネット予選」が導入された。
  • 第24回 - 30枠
    • 地域代表 25枠:札幌(3)・仙台(3)・東京(6)・名古屋(4)・大阪(5)・福岡(4)
    • 特別大会 5枠:ケータイ予選(3)・一芸予選(2)
第23回と同様の「一芸予選」と、第23回のインターネット予選に該当する「ケータイ予選」が開催された。
  • 第25回 - 49枠 特別大会なし
    • 都道府県代表 49枠:各府県1枠、東京都と北海道が2枠
  • 第26回 - 50枠
    • 都道府県代表 49枠:各府県1枠、東京都と北海道が2枠
    • 特別大会 1枠:「島」特別大会(1)
第26回と第27回では、全国の離島の高校を対象にFAXを通じてペーパークイズ100問に挑戦する「島」特別大会が開催された。
  • 第27回 - 51枠
    • 都道府県代表 49枠:各府県1枠、東京都と北海道が2枠
    • 特別大会 2枠:「島」特別大会(1)・スーパーオリラジチャンス(1)
「スーパーオリラジチャンス」は、各地区大会の決勝で負けたチームで敗者復活のクイズを行い、13地区から1チームずつの「準優勝」チームを選出。13チームは8月13日の『ズームイン!!SUPER』生放送中に早押しタイムレースを行い、そこで最も高いポイントをあげた1チームがその日に収録が開始される全国大会に合流した。「準優勝」決定戦の方法は地区によってペーパークイズ(決勝前に実施)、サドンデス三択、決勝の延長戦(1問先取制)などさまざま。ちなみに高校生クイズにおける生放送でのクイズは、20年以上ぶりのことだった。
  • 第28回 - 50枠
    • 都道府県代表 49枠:各府県1枠、東京都と北海道が2枠
    • 特別大会 1枠:インターネット特別大会(1)
「インターネット特別大会」は全地区大会の終了後に開催。地区大会にエントリーしたチームのうち、すでに全国大会への出場を決めたチーム以外を対象にインターネットでクイズを行い、代表を決定した。

地区大会

最初に行われる予選。都道府県代表制、地区代表制、いずれの場合でも予選内容自体には大きな差はない。日本全国47都道府県をいくつかの地区に分割して行われる。特別大会が開かれることもあるが、大半の高校生は最初にこの「地区大会」に挑み、全国大会出場を目指すことになる。

全体的な流れはおおむね最初に○×クイズ(かつては「YES・NOクイズ」)で人数を絞り込み、2回戦以降は各地区にちなんだ形式のクイズになることが多い。最初の○×クイズから決勝まで1つの会場内で行う場合とバスを利用して違った場所で決勝を行う場合とがあるなど、地区や回によって内容はバラバラである。

なお地区大会は原則として各地のNNS系列各局(クロスネット局福井放送=北陸、テレビ大分テレビ宮崎=九州含む)が主催・協力するが、沖縄大会については沖縄県に現在NNS系列がないため日テレ系の番組の多くをネット受けする沖縄テレビ放送が主催する(これは『24時間テレビ』や全国高等学校サッカー選手権大会でも同じ)。

主な予選形式

本項では、地区大会で行われる代表的なクイズ形式について述べる。

○×クイズ

各地区大会の予選1回戦は○×クイズを実施し、出場チームを急速に絞り込む。基本的には1問不正解で即失格。規定のチーム数に絞り込まれるまで、延々と問題が出題されるノックアウト方式である。第1 - 20回(1983年 - 2000年)はYES-NOクイズという名称だったが、否定の質問(問題文が「…ではない」と否定で終わっているもの)に対する回答が紛らわしくなるため、第21回(2001年)からは○×クイズに変更された。

  • 第17回(1997年)と第18回(1998年)ではチーム数ではなく問題数を限定し、全問正解したチームは無条件で次のクイズに進めた。ただし第18回の中国大会では第1問で大多数が不正解の答えを選んでいたため、スタッフは急遽問題数限定から規定チーム数が決定するまで出題する以前のルールに戻した。また、規定した最小限のチーム数を割り込んだ場合(特に第18回の中部大会では、問題数が消化される前に全チームが脱落した)は抽選&当選チームに対する一問必答クイズでの敗者復活で2回戦進出チームを決定した。
  • 第19回(1999年)ではノックアウト方式を取りやめて、参加全チームが7問限定のクイズに挑戦し、その正解数の上位チームから順に規定数のチームが2回戦進出を決めるルールで行った。ボーダーライン上にいたチームについては勝者決定戦(3択クイズ、近似値クイズなど)を行って、規定数と同数になる様に調整した。
  • 第28回(2008年)でもノックアウト方式ではなく、参加全チームが7問限定のクイズに挑戦し、その正解数の上位チームから順に準決勝(2回戦)進出を決めるルールで行った。ただし第19回と異なる点として、ボーダーライン上にいたチームもすべて勝ち抜けとなった(例えば、規定数8チームの県で8位タイが5チームいた場合、規定数を超えようが、その5チームも勝ち抜け)。これにより規定数を大幅に超過し、50チーム以上が準決勝に進んだ県もあった。
  • 関東大会では、第1回(1983年)から第24回(2004年)まで長らくの間、全地区大会の中で最大の参加人数であることから、第1問と第2問を同時に発表した。当初、参加者は「第1問○・第2問○」「第1問○・第2問×」「第1問×・第2問○」「第1問×・第2問×」の中から、正しいと思う組み合わせの席に座っていた。第8回(1988年)以降は、最初から席を4分割するのではなく、(第2問を放送しない前提で)第1問は従来通り○×で席を分け、第2問については選んだ答えによって異なるカードを持たせることで○×の判別を行っていた。同大会での参加者が減少している第25回(2005年)以降では、2問同時発表自体が行われていない。
ペーパークイズ

予選・全国大会問わず多く行われる形式。基本的には、紙に印刷された3択問題100問を制限時間以内に解くもの。第6回(1986年)から第16回(1996年)までは、ほとんどの各地区大会の予選2回戦に全国統一問題を用いて実施された。第17回(1997年)以降、ペーパークイズを行う地区大会は大幅に減少している。ただし、参加人数が多く途中のクイズが放送されないことが前提となっている関東大会では、どの回でも準決勝はペーパークイズが定番になっている。

  • 回や大会によって問題用紙が巨大な風船や挑戦者に配られた弁当の底などに張られていたり、マークシート・記述式の代わりにスイカを食べて種を解答用紙に張り付ける、新聞から「1」「2」「3」という文字を切り取って解答用紙に張る、ステレオグラムや匂いの嗅ぎ分けなど、何らかの課題をクリアして初めて本編のペーパークイズに挑戦できるといったルールのアレンジが施されていた。
  • 第28回(2008年)では関東以外の12地区大会でも、準決勝でペーパークイズが復活。しかしほとんどの地区では、積まれた洗剤箱を数える、板の匂いを嗅ぎ分けるなど、五感それぞれの感覚を要するクイズに答える「五感クイズ」との2部構成であった。
  • ペーパークイズは全国大会に進出した際に、出場チームの力量を測るのにも用いられていた。中でも第10回(1990年)の北海道札幌西高等学校や第13回(1993年)のラ・サール高等学校など、地区大会のペーパークイズで全国1位を記録したチームが全国大会で優勝したケースも数多く存在する。
  • 不測の事態で予定のクイズができない場合に備えて、ペーパークイズは常に用意されている。最近では第27回(2007年)の北九州大会で台風で大幅にクイズ開始が遅れたため、時間短縮のため準決勝の企画をとりやめ、ペーパークイズにした。また、後のクイズの組み合わせや並び順などを決めるために、放送されないペーパークイズで実力を測ることもある。
前進3択クイズ
  • 出題された3択クイズの正解と思う番号札を挙げ正解すると1歩前に進むことができ、不正解ならばその場に留まる。早く規定問題数(ほとんどの場合は5問)を正解できたチームが、次のクイズに進出することができる。第17回(1997年)以降、上記のペーパークイズに代わる形で多くの地区大会の2回戦で行われるようになった形式である。関東大会ではそれ以前にも準決勝で行われていた。
  • 規定チーム数以上のチームが同時に規定正解数に達した場合、サドンデス方式の3択クイズ(1問不正解で即失格で、最後まで残り続ければ勝ち抜け)で延長戦を行う。現在では沖縄大会しか実施していないが、1対1の対決形式(第25回(2005年))や前述の○×クイズと同様のノックアウト方式(主に敗者復活戦)など、他の地方大会でもさまざまな形で3択クイズが用いられる。
  • 第28回(2008年)の沖縄大会ではペーパークイズ復活に伴う形で、恒例化していた前進3択クイズは行われなかった。その代わりに関東大会では、敗者復活戦で前進3択クイズがおこなれた。
書きクイズ

ボードに解答を記述して答えていく。第25 - 27回(2005 - 2007年)で、多くの地区大会の第2回戦で行われた形式である。

  • 第25回はチームで相談して答えていたが、第26回ではチームの3人がそれぞれ答えて、3人とも正解していないと正解として認められなかった。どちらも、1問不正解で即失格のノックアウト方式だった。第27回はあらかじめチーム内で解答順を決めて1人がクイズに挑戦し、正解なら次の人に交代して3番手が正解したチームが勝ち抜けというルールだった。
  • 1県ずつ行われ、地図記号や元素記号、漢字などの問題が出題される。漢字問題では、対象となる県出身の有名人の名前を漢字で書く問題も出題される。
地区大会決勝

概ね、観光名所やその地区にちなんだの大道具や小道具を使用したクイズが多い。2都府県以上が参加する地区大会では決勝を1県ずつ実施する場合と、数県(全県の場合も)ずつまとめて実施する場合の2種類がある。かつてはまず全県を対象にした通常の早押しクイズを行い、そこで規定の問題数を正解したチームがさらに通過問題と称されたクイズに正解すれば、全国大会進出となる流れのクイズが多く行われてきた。しかし現在は、後述の体力系クイズを決勝に用いる地区大会がほとんどである。

  • 体力を要するクイズでは大声を出す、何かを叩いたり回したりする、走って目的物を奪取するなどして解答権を得て正解した人がクイズから抜けていき、最初に3人とも抜けたチームが全国大会進出決定となるルールが多い。
  • 東北大会では仮名で書かれた俳句の一部から全体を推理する「俳句クイズ」が2度行われたが、なぜか2度とも福島県立相馬高等学校の生徒が大ボケの解答を連発し一躍有名になった(第6回(1986年)のメンバーはこれがきっかけで、フジテレビ系『欽ドン!ハッケヨーイ笑った!』のレギュラー出演者になった)。
  • 北海道大会では、名産の馬鈴薯を使用したクイズが多く実施されている(規定の重さの馬鈴薯を解答席まで手押し車で運ぶ、荷カゴに積むなど。途中さまざまな障害物があり、転倒する挑戦者が全国大会放送時のオープニングを飾った)。
  • 九州大会では有明海を使用して、干潟の泥の中に埋められた早押しボタンへ飛び込む「干潟ドロンコクイズ」がよく行われる(収録時間が長引き、満潮時間を迎え“海水浴クイズ”と司会者が皮肉ったこともあった)。
  • 沖縄大会では砂浜が会場に指定されることが多く、その砂浜に特設されたプールの上を滑る「ウォーターヘッドスライディングクイズ」がよく行われる。
  • 関東大会は都県の数と参加者数が多いということもあり、大半は純粋な3ポイント先取の早押しクイズを行っている。ただし回によっては正解した人がクイズから抜けて残った人にしか解答権が与えられないもの(3人全員が抜ければ勝ち抜け)、早押しボタンの代わりにリーダーの頭を一定回数打つもの、2県ずつ同時に決勝を行い、1県の代表が決定した時点でもう1県は途中であっても空席に別の県を入れてクイズを続行するものなど、細かくルールを変えて実施することもある。また1ポイント獲得で通過席に立ち、そこで残りのチームと対戦してもう1問正解すると全国大会進出というルールで行った回も1度だけあった。
その他の形式
  • 第23回(2003年)はまず全チームがクイズに挑む「知力枠」を行って1チームだけ代表を選び、敗れた全チームは「バランス」「パワー」「ガッツ」の中から1コースを選んで、コースにちなんだ体力ゲームとクイズを合わせた関門に挑戦して各コースからも代表を選出した。
  • 第24回(2004年)は第23回を改変し、地区大会では先に頭脳・肉体バランス・肉体パワーといった趣向の異なる3種類のコースを選択した。まずは3コース共通で○×クイズに挑んで、そこを通過したチームがコースごとに異なるクイズに挑んで代表枠を争った。

地区大会の区割りの変遷

第1 - 5、23、24回は地区代表制、第6 - 22、25 - 28回は都道府県代表制

第23回、24回の「■■/▲▲」については「■■大会と▲▲大会のどちらか一方を選択して参加」をあらわす。

地区数 8地区 8地区 9地区 10地区 6都市 10地区 12地区 13地区
1 2 3-5 6-22 23,24 25 26 27-28
北海道 北海道 北海道 北海道 北海道 札幌 北海道 北海道 北海道
青森
秋田
岩手
東北 東北 東北 東北 仙台 東北 北東北 北東北
山形
宮城
福島
東北 東北 東北 東北 仙台 東北 南東北 南東北
1 2 3-5 6-22 23,24 25 26 27-28
新潟 北陸 関東 北陸 北陸 東京 北陸 北陸 北陸
富山
石川
福井
北陸 近畿・北陸 北陸 北陸 名古屋/大阪 北陸 北陸 北陸
栃木
茨城
群馬
埼玉
千葉
東京
神奈川
関東 関東 関東 関東 東京 関東 関東 関東
山梨 関東 関東 関東 関東 東京 関東 関東 富士山
静岡 中部 中部 中部 中部 名古屋 中部 中部 富士山
1 2 3-5 6-22 23,24 25 26 27-28
長野
岐阜
愛知
三重
中部 中部 中部 中部 名古屋 中部 中部 中部
滋賀
京都
大阪
奈良
和歌山
兵庫
近畿・山陰 近畿・北陸 近畿 近畿
(※)
大阪 近畿 近畿 近畿
1 2 3-5 6-22 23,24 25 26 27-28
鳥取 近畿・山陰 中国 中国 中国 大阪 中国 中国 中国
島根 近畿・山陰 中国 中国 中国 大阪/福岡 中国 中国 中国
広島 山陽・四国 中国 中国 中国 大阪/福岡 中国 中国 中国
山口 九州 中国 中国 中国 福岡 中国 中国 中国
香川
徳島
岡山
山陽・四国 四国・岡山 四国・岡山 四国・岡山 大阪 四国・岡山 四国・岡山 四国・岡山
愛媛
高知
山陽・四国 四国・岡山 四国・岡山 四国・岡山 大阪/福岡 四国・岡山 四国・岡山 四国・岡山
1 2 3-5 6-22 23,24 25 26 27-28
福岡
佐賀
長崎
大分
九州 九州 九州 九州 福岡 九州 北九州 北九州
(※)
熊本
宮崎
鹿児島
九州 九州 九州 九州 福岡 九州 南九州 南九州
沖縄 九州 九州 九州 沖縄 福岡 沖縄 沖縄 沖縄

※第20回の和歌山(単独県大会)と第27回の大分(台風により後日開催)はそれぞれの地区大会に参加せず。

ゼッケンとのぼり旗の色

都道府県代表制で地区大会が行われた場合、同じ会場で複数の都府県の代表を決定するためチームの属する都道府県(学校が所在する都道府県)を識別できるよう各都府県に特定の色が割り振られている。○×クイズで使用される都府県名の入ったのぼり旗や横断幕、1回戦を勝ち抜けたチームに配布されるゼッケンに使用されている。

この色分けは初めて県別代表制が行われた第6回(1986年)において全国10の地区大会で参加者の少ない都府県から順に緑→赤→黄→青→橙→桃→白→紫と決められたもので、以降の大会でも第6回の色がそのまま引き継がれた。

なお下表の地区大会名は第6回当時(第6 - 22、25回に行われたいわゆる「10大会制」)のものであるが、第26回(2006年。それまでの「東北」と「九州」が、「北東北」「南東北」「北九州」「南九州」に分割)および第27回(2007年。「関東」から山梨県が、「中部」から静岡県が分離し両県で「富士山」新設)でも、新設5ブロックの各県は以前の色を引き継いでいる。

大会名
東北大会 青森県 秋田県 福島県 山形県 岩手県 宮城県
北陸大会 石川県 福井県 新潟県 富山県
関東大会 山梨県 栃木県 群馬県 茨城県 千葉県 神奈川県 埼玉県 東京都
中部大会 長野県 静岡県 三重県 岐阜県 愛知県
近畿大会 和歌山県 滋賀県 奈良県 京都府 兵庫県 大阪府
中国大会 鳥取県 島根県 山口県 広島県
四国・岡山大会 愛媛県 高知県 徳島県 香川県 岡山県
九州大会 宮崎県 佐賀県 長崎県 鹿児島県 大分県 熊本県 福岡県

北海道大会沖縄大会は属する道県が1つずつのため、北海道と沖縄県には通例色は割り振られていない。他の都府県では2回戦以降、各チームがその都府県の色のゼッケンやビブスなどを着用するが北海道・沖縄県では他の都府県と異なり、各チームがそれぞれ異なる色のゼッケンをつける。北海道と沖縄県の決勝はどちらも概ね5チームで行われ、その時に使用されるゼッケンの色はの5色である。
全国大会で各都道府県ののぼり旗が使用される場合は北海道は、沖縄はが使われる(地区大会の会場でも飾りとして立てられることがある)。

色分けが決められた第6回(1986年)では東北大会の会場が岩手県だったため、岩手は人数の多い橙になっている。逆に愛媛はこの回だけたまたま、他の県も多数の参加者があったため緑になった。

のぼりと横断幕に書かれる文字の色は、地が黄と白の場合は黒でその他は白である。しかし第6回での山口だけは文字が黒ではなく、輪郭だけの袋文字になっていた(翌年からは直された)。

第17回(1997年)から、地区大会で使用されるゼッケンがサッカー選手が着るビブスの形になった。また東京都のチームが使用するビブスの色が「紫」から「水色」に変更され、のぼり旗も元々の赤みがかった濃い紫から青みがかった薄紫に変わった。

第8回(1988年)の北海道大会では以前から札幌のチームばかり勝ちすぎるという声があったため、YES-NOクイズの通過が札幌市内の学校から10チーム、札幌市以外の学校(番組では「全道(連合)」と称した)から10チームという趣向で行われた。この時は「札幌」という青ののぼりと横断幕、「全道」という黄ののぼりと横断幕を使った。

第28回(2008年)では、1回戦の○×クイズで使用したのぼり・横断幕は以前と同じであったが、その次の準決勝・ペーパークイズで使用されたビブスの色が、県ごとの規定の色と異なる色のものが配布された県があった。「橙色」の愛知県で橙以外に赤や白、桃色が使われたり、南九州では水色のビブスをつけた参加者が熊本、宮崎、鹿児島の3県に存在するなど、ゼッケンの色の不統一はほぼすべての県で見られた。さらに関東と近畿ではビブスすら配布されず、白紙に手書きで高校名やリーダー名を書いたものを服にテープでとめて代用した。これは、1回戦が規定数と同点だったチームも勝ち抜けることができるルールで、準決勝に参加したチーム数が例年より大きく増加し、特定の色のビブスでは足りなくなったものと思われる。なお、決勝で使用したビブスの色は、ほとんどの府県で例年と同じ色に直された。しかし、本来橙色の千葉県は緑のビブスを着用し、また中部大会の決勝では、着ぐるみを使ったクイズで競技中にはビブスを使用しなかったため、終了後などにビブスを着ている映像では、準決勝で各自が使用した色のものが引き続き使われている。

地区大会の放送

  • 基本的に地区大会の模様は、各地区のローカル放送局で放送される(北海道大会は北海道で放送、中国大会は中国地区で放送など)。
  • 関東大会においては、地区大会の放送がないことが多い。「関東大会」と称した番組があっても、全国各地の高校生のドキュメンタリーだったりする。全国大会放送時に関東大会の第1問が毎年放送されているが、第26回(2006年)では後述の赤坂御用地墜落事件のため史上初めて全国放送で関東大会の第1問が放送されなかった。
  • 地区大会のダイジェストが、全国大会放送時の最初の10 - 30分くらいを割いて放送されている。以前は全国大会が1時間程度で残り全部が地区大会に割り当てられていた(1985年冬の第5回までは、全国放送で必ずすべての地区大会を放送することになっていた)が、第12回(1992年)からディレクターの方針変更により全国放送のほとんどが全国大会になった。第28回(2008年)は放送時間すべてが全国大会にあてられ、初めて地区大会がまったく放送されなかった。
  • 第27回(2007年)では、『ズームイン!!SUPER』(同局系)で「高校生クイズームイン」というコーナーとして各地区の予選の様子や大会直前の様子と第1問のヒントを放送した。主に上重アナウンサーが担当したが、場合によってはエンディングでヒントを出す程度だったり地区大会開催地の地元アナが担当したり、放送のないこともあった。また地区大会のローカル放送後にそれらの番組を第2日本テレビによってネット配信し、全国での視聴が可能だった。

地区大会の問題点

  • 地区大会の日程が、1学期の期末試験に重なる地区においては参加者が激減する。
  • 一部の私立進学高校では受験生も出場できる本大会を嫌っており、校則で本大会には参加しないことを明文化している学校もある。
  • 大雨や台風などの悪天候の場合、参加者が来られないことがある。
  • 予選第1回戦の○×クイズでは強豪校のチームをマークして、行動を合わせるような便乗手段を用いるチームも数多く存在する。
  • 予選会場が遠く1泊または始発で出発が必須となり、高校生の小遣いレベルでは会場に行く交通費すらままならない県においては参加校が極端に少なくなり、無条件で次のラウンドへ勝ち進めたり、参加していた全チームが失格となり県レベルで全チームが敗者復活となるなど参加の多い県と少ない県で格差が大きい。
  • 地方大会では勝ち進むためには知力勝負以上に、体力や運も必要となってくるが、関東では知力勝負のみで全国大会出場を決めるため、地方に比べて偏差値の低い高校の全国大会の出場が非常に難しいといった状況にある。
  • 後述する「どんでん返し」において敗者となったチームが笑い者扱いにされて、待遇がひどいと批判する視聴者も少なからずいる。

全国大会

地区大会を勝ち抜いたチームによって、全国大会が行われる。主として東京で開催される(全国大会出場校数は地区大会欄を参照されたい)。全国大会は例年、お盆で都内があまり混まない時期に収録が行われる。日数は4 - 7日間くらいが多い。クイズは東京都内を中心に、第1回戦→第2回戦…と勝ち残り方式で行われる。大会の内容は毎回異なるため、下記の項目を参照。

決勝戦

決勝戦は基本的に毎回3チームによる10ポイント先取早押しクイズ(1問正解1ポイント、不正解は1ポイントマイナス)で行われる。この際出場者の家族や同級生、応援団などと中継を結んだり、会場に招いて行う場合がある。

10ポイント先取のルールにアレンジが加えられた回
  • 第6回では10ポイント先取であることに変わりはないが、2位と3位のポイント差が5ポイントになった時点で3位チームは失格・3位確定となった。
  • 第14回では開始前に地元中継の応援団にYES-NOクイズを1問出題。応援団が正解したチームに、1ポイントが加算された(正解はどこか1チームが5ポイントに達した時点で発表)。
  • 第17回では開始前に香港の観光地を巡ってクイズを行い、そこで獲得したポイントを持って早押しクイズに挑んだ。
  • 第21回では10ポイント獲得で「アドバンテージ」となり、その状態でもう1問連続正解しなければならなかった。(他チームが正解した場合は9ポイントに戻ってしまう。)
  • 第22回では最初の数問は英語で出題され、オーストラリアの高校生が答えられなかった場合のみ解答権が得られる形式であった。解答は日本語でよいが、英語の問題文だけで解答を考えなければならなかった。
10ポイント先取以外のルールで行われた回
  • 第3回では生放送で行われ、まず中継先から2問出題した後、7分間のタイムレースクイズを実施した。
  • 第18回と第19回では2チームによる「ホーム&アウェー」形式(各チームの高校、またはその高校がある都道府県の名所でクイズを行う)で、20ポイント先取のルールで行った。(前半戦はどちらかのチームが10ポイントになった時点で終了。)
  • 第28回では2チームによる5ポイント先取のクイズを3セット行い、先に2セット取った方が優勝となった。(ただし、放送では最終の第3セットしか放送されなかった。)
歴代決勝戦会場

各回の概要

優勝校には優勝旗賞金・副賞(世界研修旅行など)が授与され、後日学校に優勝レリーフ(富士山が描かれている)が授与される。レリーフは、第7回(1987年)以降授与されるようになった。

回数 優勝校 概要
第1回 県立山形南高校(山形) 参加人数77,781人(関東31,380人)。敗者復活・九州再予選実施。(京王プラザホテルでの全国大会1回戦(第2次予選)まで放送ライブラリーで視聴可能)
第2回 県立第一女子高校[9](宮城) 夏の大会を初開催。全員参加による早押しクイズが初登場。女子チーム初制覇。
第3回 都立江戸川高校(東京) 100人以上が一斉に参加できる早押しクイズが初登場。決勝戦を生放送。
第4回 県立加納高校(岐阜) 地区大会の番組がローカル放送で始まる(一部はそれ以前から)。
第5回 県立仙台第二高校(宮城) 最後の冬の大会。
第6回 私立東大寺学園高校(奈良) 都道府県別代表制導入。初の富士山頂決戦。
第7回 県立山形東高校(山形) 参加人数は過去最多の133,086人(関東49,962人)。3人バラバラクイズ実施。本放送視聴率20%越え。
第8回 県立静岡高校(静岡) 各地区大会第1問を全国統一問題で実施。東軍が札幌から、西軍が福岡から寝台列車で上京。
第9回 県立宇都宮高校(栃木) 伊豆大島で敗者復活戦。
第10回 道立札幌西高校(北海道) 福留功男最後の司会。2度目の3人バラバラクイズ実施。
第11回 県立高志高校(福井) 2代目司会・福澤朗初登場。最後の富士山決勝。
第12回 県立水戸第一高校(茨城) 全国大会出場校による入場行進の実施。大観衆の前で決勝戦。
第13回 私立ラ・サール高校(鹿児島) 初のヴァンテアン号船上決勝。
第14回 県立石橋高校(栃木) 10年ぶり2度目の女子チーム優勝。
第15回 県立米子東高校(鳥取) 前年の準優勝者が悲願の全国制覇。
第16回 県立西条高校(愛媛) 現在のタイトルロゴマークが初登場。
第17回 県立弘前高校(青森) 運大王制度(翌年まで)。初の海外・香港へ(決勝のみ)。
第18回 国立筑波大学附属駒場高校(東京) 関東大会と全国大会の第1問が共通。ホーム&アウェー方式の決勝(翌年まで)。
第19回 道立札幌南高校(北海道) 石原慎太郎がゲストで登場。
第20回 県立川越高校(三重) 福澤朗最後の司会(途中から羽鳥慎一アナが司会代行)。貸切列車特Qファイヤー号で勝ち抜き戦。(放送ライブラリーで視聴可能)
第21回 県立宇部高校(山口) 3代目司会・ラルフ鈴木初登場。東軍VS西軍。福留・福澤が東軍・西軍それぞれのゲスト司会。
第22回 道立旭川東高校(北海道) 5年ぶりの海外進出で豪州初上陸。成田でジャンケン。初の男女混成チーム優勝。
第23回 私立栄光学園高校(神奈川) "メインパーソナリティ"に爆笑問題。地区大会が6地区に、各地区代表制復活、新予選方式(翌年まで)。
第24回 県立岐阜高校(岐阜) 高校生VS芸能人・著名人。地区大会に芸能人サポーターを起用。
第25回 県立浦和高校(埼玉) 都道府県別代表制復活。15年ぶりに3人バラバラクイズ実施。
第26回 県立浦和高校(埼玉) "メインパーソナリティ"にオリエンタルラジオ。地区大会が12地区に。島特別大会実施(翌年まで)。史上初の2連覇&2大会制覇。10年ぶりヴァンテアン号決勝。韓国「奨学クイズ」(EBSテレビ)優勝校・春川高と世界決戦。
第27回 私立ラ・サール高校(鹿児島) 地区大会が13地区に。スーパーオリラジチャンス制度。2校目の2大会制覇。
第28回 私立東海高校(愛知) 各地区大会の第1問を参加チームから公募。インターネット特別大会実施。知力重視の全国大会。9年ぶり3回目の2チーム決勝。

各回の全国大会の形式

第1回
(1983年・冬)
100問ペーパークイズ 37→12
準決勝・コース別クイズ
  • 夜の東京コース-東京タワー最下位脱落クイズ(早押しクイズ七問。4→3)→走れ!立ち読みクイズ(3問の答えから共通するキーワードを当てる。3→1)
  • 東京下町コース-男の子はつらいよ 柴又・早押し篇(早押しクイズ。4→1)
  • 東京新名所コース-ピコトン早押しクイズ(早押しクイズ。4→3)→スーパージャンボ激写クイズ(キーワードに合う写真を撮ってくる。3→1)
12→3
決勝戦(早押し。1問正解で10ポイント獲得、100ポイント先取) 3→優勝
第2回
(1984年・夏)
100問ペーパークイズ(ディズニーランドで結果発表) 37→20
準々決勝・史上初 20チーム早押しクイズ 20→10
準決勝・学校指名チャンスクイズ 10→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第3回
(1984年・冬)
120人早押しクイズ 40→20
ジャンル別早押しクイズ 20→9
大東京空中散歩クイズ(ヘリコプターに乗ってペーパークイズ) 9→5
学校指名クイズ 5→3
決勝戦(早押し。7分間クイズを行い、トップが優勝) 3→優勝
第4回
(1985年・夏)
上京ペーパークイズ→準々決勝・七転び八起き20対1早押しクイズ(ペーパークイズの上位20チームが通過側、下位20チームが阻止側の通過クイズ。下位20チームは阻止した回数が最も多かった1チームが敗者復活。) 40→5+1
準決勝・オンライン電話クイズ(6→4)→大東京空中散歩クイズ(オリエンテーリング。4→3) 6→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第5回
(1985年・冬)
猫の手も借りたい宅Q便ペーパークイズ&東京お泊まり300問ペーパークイズ 40→10
オーケストラ音楽クイズ 10→4
日本列島グーニーズ宝探しクイズ(バラマキ) 4→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第6回
(1986年)
究極のジャンル早押し通過クイズ
[敗者復活・カラオケのど自慢(41→2)→決戦アミダクジ(2→1)]
49→8+1
富士山おじゃま無視!新バラマキクイズ 9→4
近似値クイズ+一問必答YES・NOクイズ 4→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第7回
(1987年)
3人バラバラ東京迷子クイズ(ペーパー・減量・自動販売機による抽選) 49→15
1問勝ち抜け早押しクイズ(1チーム抜ける毎に抽選で敗者復活のチームが参加) 15+α→9
つぶし合いクイズ(早押し封鎖クイズ) 9→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第8回
(1988年)
上京戦 東西対決1vs1(ペーパー&早押し)[敗者復活] 50→10+5
ホップ・ステップ・ジャンプクイズ(早押し) 15→4
富士山9合7勺 YES-NOクイズ 4→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第9回
(1989年)
アメリカン激写ペーパークイズ[敗者復活・伊豆大島観光3択クイズ] 49→24+3
ウォーターフロント・アドバンテージクイズ(早押し) 27→8
アメリカンカートクイズ(連想クイズ) 8→4
YES-NOクイズ 4→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第10回
(1990年)
3人バラバラお宿ペーパークイズ 49→30
知力・体力・運トライアングルクイズ(新聞校正・減量・ジュークボックスによる抽選) 30→10
早押し連想クイズ 10→5
ドロンコクイズ 5→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第11回
(1991年)
7チーム分割・早押し通過クイズ[敗者復活・名前ビンゴ] 49→10+1
10,000本!ビデオショック 観まくり連想クイズ 11→4
準決勝・個人別YES-NOクイズ 4→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第12回
(1992年)
上京YES-NOクイズ[敗者復活・タイムアップ3択クイズ] 49→22+18
対決2チームクイズ 40→10
大東京見物ビデオクイズ 10→8
ジャンル多答大逆転マシンガンクイズ(早押し+多答) 8→4
準決勝・勝負の1分間クイズ(タイムショック&早押し) 4→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第13回
(1993年)
Qッキングクイズ(料理&YES-NOクイズ)[敗者復活・ボウリング] 49→40+1
満場一致YES-NOクイズ(早押しクイズ&YES-NOクイズ) 41→16
クイズ スーパーへ行こう!(しりとり買い物クイズ&通過クイズ) 16→4
準決勝・勝負の1分間クイズ&ラストチャンス!12問争奪早押しクイズ 4→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第14回
(1994年)
クイズスター誕生(替え歌制作)&音楽YES-NOクイズ 49→23+17
運命のルーレットクイズ[敗者復活・逆ババ抜き] 40→10+1
サスペンスクイズ(推理クイズ) 11→4
準決勝・勝負の1分間クイズ&12問限定早押しクイズ 4→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第15回
(1995年)
48問限定早押しクイズ 49→48
1回戦・クイズスタジアム(天国席でのVISUALクイズでボーダーラインを切ると地獄行きとなり、地獄でのクイズで天国席復帰を目指す)
  • 共食い地獄(早押しで2校が3択に挑戦。48→39+5)
  • フライング地獄(超長問早押しクイズ。44→34+2)
  • 電話ラッシュ地獄(キーワードを解読し、電話で回答。36→16+12)
  • YES-NO地獄(28→19+6)
48→25
王様クイズ(知力担当の「王様」と体力担当の「市民」のグループを作って早押しクイズ)
[敗者復活](放送されず、また全国大会放送では敗者復活がなかったことにされている)
25→12+1
1vs1対決クイズ
  • タイムショック
  • 泥バトル
  • ワニバトル(ワニワニパニック+クイズ)
  • 絶叫クイズ
  • 300問ペーパークイズ
  • 垂直落下クイズ
13→6
1vs1サドンデス筆記クイズ 6→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第16回
(1996年)
BATTLE LAND(48問限定早押しクイズ) 49→43
TIME LAND(5チーム限定多答早押しクイズ→ウイニングステージ)
  • タワーリング575(俳句を積み上げて完成させる。5→0)
  • FUCHIの字スポット 漢字て~クイズ(上下左右の漢字に共通して真ん中に入る漢字一文字を当てるクイズ。1→1)
  • 知っTELつもりテレフォンウォーズ(家族に電話をし、用意されたお題を答えさせる連想クイズ。2→2)
  • 2×××ウォーターワールド(5つのオブジェから金魚の妨害を退けて間違いを探すクイズ。5→5)
  • 回転文字盤クイズ(散らばり回転している文字の一片を推理し当てるクイズ。5→4)
  • 世界に挑戦 ジャストタイムクイズ(アトランタ五輪200mのマイケル・ジョンソンのタイムを早押しの時間で当てる。31→3)
43→15
SUSPENSE LAND(推理クイズ) 15→6
SUPER SHOCK LAND(単独最下位脱落リレークイズ) 6→3
CHAMPION LAND・決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第17回
(1997年)
「運大王」は、全国大会の1回戦終了後に49チームの中からスロットマシーンでランダムに1チームを指名(1回戦敗退チームを引き当てたらその時点で脱落)。2回戦以降は、指名したチームが勝ち残ると一緒に勝ち残れるルールで、準々決勝は指名チームが最も早く抜けた1チームのみが勝ち抜け。残った運大王1チームは、準決勝から正式に全国大会代表と合流。
BATTLE LAND(40問限定早押しクイズ) 49→36
(運)7→6
SHOCK LAND(早押し&一問多答クイズ) 36→10
(運)6→4
SUSPENSE LAND(推理クイズ) 10→6
(運)4→1
準決勝・単独最下位脱落リレークイズ(7→4)→出発直前サドンデスYES-NOクイズ(4→3) 7→3
決勝戦(香港市内観光クイズ+早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第18回
(1998年)
第18回も「運大王」の制度があったが、全国大会前で1チームに絞られ、その後は各都道府県代表49チームに合流、都道府県代表と同等の扱いで参加した。
運大王実力試し(サドンデスボード) (運)10→1
クイズ結婚式・お葬式
  • クイズ結婚式(結婚式でのマナーテスト。40→8)
    [敗者復活・ご祝儀早押しクイズ(32→4)]
  • クイズお葬式(推理クイズ。10→3)
50→15
誤答脱落サバイバルクイズ(サドンデスボード) 15→4
準決勝・15ポイント先制シャッタークイズ 4→2
決勝(ホーム&アウェー早押し。合計20ポイント先取) 2→優勝
第19回
(1999年)
面接クイズ石原都知事と語る会(知事への企画提案。51→1)&3人バラバラ面接クイズ(自己PR・豆つかみ・即興ダジャレに分かれて面接。50→14)[敗者復活ペーパークイズ] 51→15+10
15人斬りクイズ(多答地雷&対決クイズ) 25→4
準決勝・5ポイント先取UP DOWNオールリセットクイズ 4→2
決勝(ホーム&アウェー早押し。合計20ポイント先取) 2→優勝
第20回
(2000年)
品川駅→昼食弁当 記憶力クイズ(50→48。放送されず)→特Qファイヤー号 どっち!どっち?クイズ(2択クイズ。48→46)→日野春駅・3人バラバラ勝ち抜け出会い!発車まで1時間ちょっとよクイズ!(早押し。46→24)[敗者復活・絵画展] 50→24+6
新井駅〜おはようございます どっち!どっち?クイズ(2択クイズ。30→26)→鯨波駅・サバイバル綱引きクイズ(綱引きクイズ+1問3答。26→9)[敗者復活・魚釣り] 30→9+1
浦佐駅(宿舎探し→お宝捜し→中島誠之助による鑑定会)→ザ・越後・魚沼産 おむすび当てクイズ(10→5)[敗者復活・家族を早く笑わせた方が勝ち(放送されず。また放送では敗者復活がなかったことになっている)] 10→5+1
土合駅・ドキドキドッキン心拍数クイズ 6→4
準決勝・爆走700km思い出パノラマクイズ&1分間タイムショック 4→3
決勝(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第21回
(2001年)
東軍・西軍(各25)に分かれて東京を目指す。
  • 東軍・未来遺産フォトバトル(富山の世界遺産を写真と五七五で表現。25→5)[敗者復活・全チーム対抗書きクイズ](20→10)
  • 西軍・灼熱!大砂丘宝さがしクイズ(砂丘内で宝箱探し&クイズ。25→2)→鳥取砂丘バラマキクイズ(23→13)
50→30
東軍・西軍キーワードクイズ(○×・早押しクイズ+キーワード当ての東西対抗戦)→[敗者復活・15チーム対抗早押しクイズ] 30→15+3
準々決勝・QUIZどっちの料理!(空席待ち早押しクイズ&料理2択問題) 18→6
準決勝・1対1大筆記クイズ(対決ボード) 6→3
決勝(早押し。10+1ポイント先取…10ポイント到達の次の問題も正解で優勝。) 3→優勝
第22回
(2002年)
天国地獄カットライン変動サバイバルクイズ(早押し&○×クイズ。2セット行い、各セットの同点最下位すべてが失格。50→42→17)[敗者復活] 50→17+3
成田山新勝寺・盛り沢山隠れ文字厄をおとしてオーストラリアへ行こうクイズ(早押し+キーワード当て)[敗者復活・1,000枚大神経衰弱] 20→7+1
成田空港・組分けジャンケン→準々決勝・団体戦ゲレンデばらまきクイズ[敗者復活・羊の数数え] 8→4+1
準決勝・ワイルドLIFEゲストクイズ(ペンギンの生態に関する3択+早押しクイズ) 5→3
決勝(英語早押し5問+早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第23回
(2003年)
歴史クイズ(2つのラウンドの合計得点で争う。)
  • 歴史グルメクイズ(歴史にまつわる早押し)
  • 歴史ペーパークイズ(「大学レベルペーパー」or「中学レベルペーパー+知恵の輪」)

[敗者復活・料理対決]

30→20+1
2回戦・江戸幕府400周年 斬り捨て御免クイズ(江戸時代に関する通過クイズ) 21→12
3回戦・ドンジャラ神輿クイズ(チーム対抗の一問多答クイズ)[敗者復活・鯉のつかみ取り合戦] 12→8+1
準々決勝・アトム誕生記念ロボットクイズ(ロボットに関する○×&ボード→早押しクイズ) 9→5
準決勝・アナウンサーなりきり!!臨時ニュースクイズ(原稿を穴埋めして45秒以内で読み切る) 5→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第24回
(2004年)
バカの壁3択クイズ(三択前進クイズ)[敗者復活・バカとハサミは使いようクイズ(パズル問題)] 30→20+1
準々決勝クイズコロシアム・1stステージ(3つのラウンドの合計得点で争う。21→10)
  • 第1ラウンド・知の壁を打ち破れクイズ(映像3択クイズ&「知の壁」との対決早押し)
  • 第2ラウンド・落ちたらイヤ〜ン崖っぷちクイズ(2択クイズ&台に飛び乗り落下ギリギリを狙う)
  • 第3ラウンド・資格を身につけ大逆転!風船ばらまきクイズ!!(資格に関するバラマキクイズ)

2ndステージ(2つのラウンドの合計得点で争う。10→5)

  • 第1ラウンド・ジャイアントバー根性3択クイズ(パイプスライダーで前進し、3択クイズに答える)
  • 第2ラウンド・こんな入社試験があるんだクイズ(入社試験に挑むペーパー+紙飛行機制作)
21→5
準決勝・超大物ゲストインタビュークイズ(原稿を穴埋めしてインタビューを行う) 5→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第25回
(2005年)
スリーアンサークイズ(早押し、1問3答クイズ)[敗者復活・敗者復活!大ボウリング大会] 49→15+1
3人バラバラクイズ(知床・東京・京都に分かれ自然・文化を体験、その問題にも答える)&100問ペーパークイズ 16→8
外国人記者クラブでのプレゼンテーション→準決勝・8文字を解読せよひらめきパズルクイズ 8→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第26回
(2006年)
50音バトルクイズ(早押し・通過阻止クイズ)[敗者復活・3人一致相性ビンゴ] 50→15+3
激流!ラフティングクイズ(ゴムボートに乗り、激流の途中にある問題に答える)[敗者復活・親子愛ホットライン復活キーワードクイズ] 18→5+1
準決勝・生き残りデッドラインクイズ(パズル問題中心の書き問題) 6→3
決勝戦(早押し・10ポイント先取) 3→優勝
世界決戦(韓国「奨学クイズ」で優勝した高校との対決。早押し+書き問題・15ポイント先取)
第27回
(2007年)
開け○×クイズシアター(○×+映像早押し)[敗者復活・お絵かき伝言クイズ] 51→15+3
真夏の!!カヌークイズ(カヌーに乗り途中にある問題に答える) 18→10
SLサバイバルクイズ 10→7
近似値クイズ→スリーアンサークイズ(1問3答問題) 7→6
準決勝・生き残りデッドラインクイズ(パズル問題中心の書き問題) 6→3
決勝戦(早押し。10ポイント先取) 3→優勝
第28回
(2008年)
50校対抗ジャンル別難問バトル50(書き問題) 50→8
準々決勝(2つのラウンドの合計得点で争う)
  • 第1ラウンド・1対1超難問ラリークイズ(多答問題)
  • 第2ラウンド・超難問早押しクイズ(合計5ポイント先取)
8→4
準決勝・世界からの挑戦状!!超難問ペーパークイズ(書き問題2問+サドンデス1問) 4→2
決勝戦・史上最強!超難問早押しクイズ(早押し。5ポイント先取で1セット獲得、2セット先取) 2→優勝

その他

  • 最近の回では、全国大会出場チームは収録開始前日に集合・受付する。
  • 会期中の宿は、東京都文京区の「機山館」がよく用いられる。
  • スタジオ収録のケースが多い第1回戦は、川崎市多摩区の生田スタジオで行われることがよくあるが、日本テレビの社屋移転後は麹町のスタジオが使われることが多い。
  • 全国大会では、出場チームの高校生は上から県名、学校名、名前が書かれた黄色地のネームプレートを着用している。ただし、体力系クイズの時は地区予選でも使用しているゼッケンを着用する。

エピソード・ハプニングなど

記録

複数回優勝校

  • 県立浦和高等学校(埼玉) - 第25回(2005年)、第26回(2006年)優勝
第25回では、準決勝で2度目の通過席の際に、自らの席にあたる一文字だけで正解を導き出し、決勝進出を決めた。決勝戦では金沢大附属高校(石川)との一騎打ちとなり、一時期は4ポイント差をつけるが、金沢大附属の追い上げで1ポイントにまで詰め寄られる。その後、浦和が意地の逃げ切りを決め、全国制覇を達成。
第26回の優勝で、番組史上初の複数回優勝を果たした。当然、2大会連覇も初の快挙である。
なお第26回で決勝進出した3チームは浦和高校のほかに、私立ラ・サール高校(第13回(1993年)優勝・鹿児島)、県立川越高校(第20回(2000年)優勝・三重)といずれも過去に優勝を経験した高校であり、どの高校が優勝しても初の複数回優勝の快挙であった。
この第26回ではその後に世界決戦として、韓国「奨学クイズ」(EBSテレビ)の優勝校・韓国代表の春川高校と対決しこれにも勝利し、史上初の世界制覇を成し遂げた。
第27回(2007年)も全国大会の決勝戦まで行ったものの、準優勝に終わり3連覇とはならなかった。
ほか、第15回(1995年)では2回戦敗退、第28回(2008年)では前年と同一チームで準決勝敗退。
第13回では、準々決勝でラスト抜け、準決勝で延長戦を制するなど苦戦が続いた。決勝では、準決勝トップ通過の千葉高校を振り切って(千葉7:松山南4:ラ・サール10)、九州勢初の全国制覇を果たした。
第16回(1996年)は、決勝で西条高校(愛媛)に一時7ポイント差(ラ・サール5:西条-2)をつけるも、ラ・サールがお手つきを連発、その間に西条高校が調子を取り戻し、9-10と逆転負けを喫した。
第26回では浦和高校(埼玉)に1ポイント差まで詰めたが(浦和8:ラ・サール7)、最終的には浦和高校に連覇を許した。その時のリーダーが「来年はここで日本一になります」と同一チームでの全国大会決勝進出・優勝を誓った。
第27回では、前年と同一メンバーのチームで出場。南九州大会決勝ではライバルチームに先に王手を掛けられるが、その後逆転して2年連続で全国大会に出場。全国大会でもほとんどのクイズを上位の成績で勝ち抜き、史上初めて同一メンバーでの2年連続の決勝進出という快挙を成し遂げた。決勝戦では、浦和高校(埼玉)との接戦を制して優勝。見事に2年越しの夢を果たした。
ラ・サール高校が決勝進出した大会の決勝戦の舞台は、すべてヴァンテアン号であった。ヴァンテアン号ではこれまで6回決勝戦が行われたが、ラ・サール高校はそのうち4回進出している(決勝進出していないのは第14回と第15回)。
ほか、第28回(2008年)では、前年に地区大会決勝で敗れたチームが出場したが、1回戦敗退。

2度目の優勝まであと一歩だった高校

第2回では、複雑なチーム結成(後述する岡田明子の項を参考)を経て、東北大会を勝ち進み、3チーム接戦の決勝戦を制し、女子チームとして初めて全国制覇を果たした。
その後、第4回(1985年夏)でも同一チームで全国大会出場を果たす。順調に準決勝まで進出するが、準決勝「宇宙⇔夢の国オンライン電話クイズ」で敗者となり、2度目の優勝を逃す(なお、この時のメンバーだった岡田明子は、この出場をきっかけに放送業界への就職を志願し、仙台放送のアナウンサーとなった)。
この回、仙台第二高校からは2チームが全国大会に出場。最後の冬の大会で見事に優勝を飾った。ちなみに肩にかけていた寄せ書きが書いてあったセーターは「お泊り300問ペーパー」を一緒に勝ち進み、準々決勝で敗れた弘前高校のもの。
第25回(2005年)の準決勝・ひらめき通過クイズでは、2度通過席に立つも、この年優勝した浦和高校(埼玉)に1文字のヒントで抜けられ、惜しくも決勝進出を逃した。
初めての1県1代表制の地区大会が行われた第6回の優勝校。高校生クイズ史上初の私立高校の優勝校である。
翌年の第7回(1987年)でも決勝に進み、一時は2位の山形東高校(山形)に5ポイント差をつけ楽勝ムードだったが、終盤追いつかれ9-10と1ポイント差で優勝を逃す。
第20回(2000年)の決勝においても、最大で6ポイント差(東大寺9:川越3)のあった川越高校(三重)に7ポイントを連取され、まさかの逆転優勝を許した。
また、第11回(1991年)と第22回(2002年)は準決勝敗退、第14 - 16回(1994 - 1996年)、第25回(2005年)は2回戦敗退、第23回(2003年)は1回戦敗退。
第7回で、当時2連覇を狙っていた東大寺学園と対戦。東大寺に大幅なリードを許すも東大寺の誤答をきっかけに逆転し、流れをつかみ優勝。東大寺2連覇を阻止した。
第27回では危ない場面もあったが、順調に勝ち進み決勝戦に進出。しかし、ラ・サール高校(鹿児島)と浦和高校(埼玉)の争いについていけず、3位に終わった。
第14回(1994年)の決勝で2ポイント差で石橋高校(栃木)に敗れ、準優勝に終わった直後にリーダーが「来年また来ます、スーパー八木橋研二になって」とコメント。そして、翌年の第15回で本当に全国制覇を果たした(後述も参照)。
第17回(1997年)決勝でも、主導権を握る弘前高校(青森)の自滅により一時逆転に成功するが、最後の最後で逆転され準優勝に終わった(その時の代表は、第15回で八木橋チームと中国大会決勝で争ったチームである)。
第10回(1990年)でも決勝戦まで進出し、3位の成績を残した。
余談として、第9 - 15回(1989 - 1995年)にかけての7年連続全国大会出場は高校生クイズ記録である。
また、全国大会出場3回連続(第14・15・17回)で決勝進出も高校生クイズ記録である。第27回でラ・サール高校が3人同一メンバーで2大会連続全国大会決勝に進むまで、同一人物の2大会連続決勝進出は八木橋ただ1人であった。
第17回・2回戦の地雷クイズでは、奇跡の26チーム切りでラスト抜けすると準決勝でも危なく敗退するところだった。決勝ではあっという間に9ポイントを獲得(いわき光洋2:弘前9:米子東3)するがお手つきを繰り返し、一時米子東高校にリードを許す。しかし4度目のリーチで見事頂点を射止めた。なおこの優勝メンバーに、映画監督の木村文洋がいた。
第9回(1989年)では、当時の決勝戦の舞台である富士山頂上まで進出するもチームリーダーが体調不良にて途中下山し、2人で決勝戦に挑むという緊急事態に。しかし、宇都宮高校(栃木)と互角に優勝争いを演じ、惜しくも準優勝に終わった。
第18回・本大会史上初の2校による決勝戦(HOME&AWAY)で、高校生クイズ史上初の国立高校優勝校となった。
第22回では東京2つの枠を独占し、2チームとも準々決勝進出(=オーストラリア上陸)を果たす。そんな中、中西チームが決勝進出を果たしたが旭川東高校(北海道)佐藤チームの独走を止められず、8-10で敗れ準優勝に終わる。
  • 県立川越高校(三重) - 第20回(2000年)優勝
第20回で途中下車1回戦はトップで勝ち抜け、途中下車2回戦は8位通過、3回戦でもトップ通過を果たす。準々決勝では4位とギリギリ通過だったが、準決勝でも11ポイントでトップ通過を果たした。3試合でトップ通過と、非常に優秀だった。
決勝戦では3チームのうち東大寺学園(奈良)が先に9ポイント獲得しV2まであと1ポイントとしたが、その時点で3ポイントだった川越高校が7連続ポイントで逆転勝利を収め、20世紀最後の全国制覇校となった(ちなみにこの年は本校の学校創立15周年だった)。
第26回では、2回戦のラフティングクイズで一度は敗退したものの、敗者復活戦で生き残り、その勢いで決勝まで進んだ。浦和高校(埼玉)、ラ・サール高校(鹿児島)を相手に史上初の優勝経験校のみによる決勝を行い、川越高校自身2度目、また第22回の旭川東高校(北海道)以来、2度目の男女混成チーム優勝を目指した。しかしポイントが伸びず、浦和高校の連覇を許した。
ほか、第22回(2002年)と第25回(2005年)は1回戦敗退。
第22回に北海道枠2チームを独占して出場。1回戦のカットライン変動サバイバルクイズの第1セットで佐藤チーム(当時代表)が単独最多ポイントを獲得し、無条件で2回戦進出。準決勝でも強豪・東大寺学園を下し無事にラスト通過でメルボルン行き(決勝進出)を果たし、本大会史上初めて男女混成チームでの優勝を果たした。それと同時に、筑波大学附属駒場高等学校(東京)の2回目の優勝を阻止した。
第11回(1991年)では北海道勢2連覇をかけて決勝戦まで進出(前年の第10回(1990年)で札幌西高校(北海道)が優勝)。高志高校(福井)と激しいシーソーゲームを展開するも、わずか1ポイント足らず準優勝に終わった(この時の北海道予選担当局である札幌テレビのサブアナウンサーは、同校OBの明石英一郎だった)。
第24回でも2チームが頭脳系コースで全国大会進出。1回戦のバカの壁3択クイズにて阿藤チーム(佐藤チームが優勝した第22回に予選3回戦進出。阿藤チームの後ろに佐藤チームがいた。)が1歩リードするもバカの壁一致正解の時に不正解となりポイントを失う。もう1チームの吉田チームは無事にラストグループで2回戦(準々決勝)進出、阿藤チームは結局巻き返せず1回戦敗退。吉田チームも準々決勝1stステージにて同じ北海道(体力系コース)の札幌手稲高校に敗れ、10枠に入れずに旭川東はここで全滅した(ちなみに札幌手稲高校は準決勝敗退)。
  • 私立東海高校(愛知) - 第28回(2008年)優勝
第28回では、1回戦を2位通過(50問中37問正解)、準々決勝で3位通過、準決勝では水戸第一高校とサドンデスの末にタッチの差で決勝進出決定(水戸第一は早く手を上げたが取り消したため、直後に解答しギリギリで決勝進出を果たした)。
決勝では5ポイント制で開成高校と対決。開成に先制されるも4-2でリードし1ポイント差とされたが(4-3)、最後は突き放し、初優勝を果たした。
第2回では1回戦を勝ち抜け、準々決勝では4校目で勝ち抜けを決める。準決勝をトップ通過し、男子チームで唯一の決勝進出を果たしたが、第一女子高校に2ポイント差で敗れた。
第21回では、東軍1回戦の未来遺産フォトバトルで5校の枠に入れず1度は敗退したが、敗者復活で見事に復帰(番組内では未放送)。2回戦の東軍・西軍キーワードクイズでも東軍が敗れたが、その後の敗者復活でまたも復活。そのまま決勝まで進んだ(ちなみに東海高校が東軍で唯一、決勝進出した)。
決勝では宇部高校とデットヒートを繰り広げるも(東海5:宇部5)同点から引き離され、2度目のアドバンテージで宇部高校が制し、21世紀最初の優勝校に輝くことができなかった。ちなみに、3位の志學館高等部とわずか1ポイント差で2位になるのがやっとだった(東海6:宇部10+1:志學館5)。

全国大会出場回数上位校

※第28回(2008年)までの上位

全国大会決勝戦進出回数上位校

※第28回(2008年)までに3回以上決勝に進んだチーム

2大会連続で決勝進出した参加者

  • 県立米子東高等学校(鳥取) - リーダーが第14回準優勝、第15回優勝
    • 第14回の決勝戦が終わったあとのインタビューでリーダーは「来年また来ます、スーパー八木橋研二になって」と言葉を残した。翌第15回で彼は再び決勝戦に臨み、前年そのセリフを残した場所で見事優勝を飾った。
  • 私立ラ・サール高等学校(鹿児島) - メンバー3人が第26回準優勝、第27回優勝
    • 第26回の決勝戦にはリーダーの両親が現地へ応援に来ていたが準優勝に終わってしまう。その後のインタビューでリーダーは決意として「来年はここで日本一になります」と言葉を残した。翌第27回ではその言葉通り、同一チームとして初めて2大会連続で決勝進出し、優勝。前年と同じ場所で雪辱を果たした。

大どんでん返し

結果発表の際に、勝者(敗者)をあたかも敗者(勝者)のように発表し、高校生を喜怒哀楽の混乱に陥れる「どんでん返し」は、この番組の恒例・名物となっている(地区大会でもあり)。過去に行われ、放送された大どんでん返しは下記の通り。

地区大会
  • 西鉄福岡駅から西鉄二日市駅までYES列車(西鉄600形を使用)とNO列車(西鉄5000形を使用)を運行し、同駅で2つの列車を並べて正解発表が行われた。福留はYES列車の乗務員室に乗り込んだが、「君たちにさようならを言うためです」と告げて下車した。YES列車はその場で「敗者専用列車」となり、西鉄福岡駅へ強制送還となった。ヘリコプターを使って上空から2つの列車を追いかけ撮影する大掛かりなクイズだった。なお実際はこの問題の正解はYESであったことが判明したため(後述)、後日九州大会そのものをやり直した(第1回・九州大会)。
  • ペーパークイズの結果によって、瀬戸大橋を電車で渡るチームとバスで渡るチームに分かれる。そして福留が「私はバスで行きます」と発表するが、バスの中で「私がバスに乗ったのは、敗者復活戦をするため」と告げる(第8回・四国・岡山大会)。
  • 近鉄特急の貸し切り列車の車内でペーパークイズが行われ、伊勢市駅で各県下位3チームが下車させられた。続いて鳥羽駅でも各県3チームが下車させられたが、今度は下車した方が勝者だった(第8回・中部大会)。
  • 予讃線の列車でのペーパークイズの後、今治駅で下車させられるチームを発表。しかし列車の出発直前に福留も下車し、下車した方が勝者であることが示された(第9回・四国・岡山大会)。
  • ペーパークイズ終了後、JR山陽新幹線博多総合車両所に集合した高校生。その目の前に停車していた、新幹線0系の側面に書かれた学校名プレートが、洗車機によって消されたチームは置き去りにされる。学校名が消えなかったチームは列車に乗り込もうとした。ところが列車の前で記念撮影しようとすると、高校生の後ろに突然「敗者御一行様」の横断幕が出てきた。実は、学校名の消えたチームが勝者だった(第11回・九州大会)。九州大会はどんでん返しが多く、毎年恒例になっている(例:駅に降りなかったチームが勝ち、バスが高速道路のインターチェンジに降りたチーム全員が敗者 など)。
  • ペーパークイズの結果発表で巨大な絵馬に学校名が表示してあったが、その絵馬の一番上に「ペーパークイズ敗者」と書いてあった(第13回・四国・岡山大会)。
  • 近畿大会の100問ペーパークイズの結果発表で、福澤がバスに乗車できるチームを発表。全員が乗り込んだ時に「敗者の皆さんさようなら」と告げた。このバスは敗者専用だった(第14回・近畿大会)。
  • 「車内3択クイズ」の結果を駅で発表した。福澤が、ホームに降りられる各県2チームを発表。ホームには「歓迎 高校生クイズ様」とあった。しかし、アナウンスで「この列車は決勝会場に向かいます」と告げる。結局、ホームに降りたチームが敗者となった(第18回・九州大会)。
  • 山陽電気鉄道の電車内で近似値クイズを行い各府県1チームが下車させられるが、実は下車したチームが正解に最も近い答えを出していた。残りのチームが車内で引き続き三択クイズをしている間に、準決勝へシードされたチームとして、後から行く列車で追い抜いた(第18回・近畿大会)。
  • クイズの結果により、大阪モノレール千里中央駅で下車させられるチームを発表。しかし下車した高校生に対して駅の外にくす玉が用意されており、「君たちが勝者だ」という垂れ幕が出てきた(第19回・近畿大会)。
  • 「50問ペーパークイズとどんこ舟3択クイズ」の総合発表を岸辺で発表。神主から結果発表の札を鈴木アナがもらい、「ここでどんこ舟を降りることのできるチームを発表します」と告げて各県2チームを発表。しかし、岸辺にあったパネルに「どんこ舟は決勝会場に直行」と書かれていた。結果、岸辺に降りなかったチームが決勝進出となった(第21回・九州大会)。
全国大会
  • 結果発表で学校名を呼ばれたチームが、前の舞台に上がるように言われる。該当する全チームが発表されたところで、徳光和夫が登場。舞台上の高校生に「敗者である君たちに会いに来た」と告げた(第1回)。
  • 結果発表の際、全チームに赤または青のミッキーマウスの帽子が渡され、「東京ディズニーランドに入れるのは赤!」と発表される。しかしディズニーランドの中には徳光が待っており、実は敗者であるということが示された(第2回)。
  • ペーパークイズを終えた高校生に対し、一部の学校名だけを書いたプレートが結果発表として示された。名前のあった学校はホテルの大広間で選挙速報のように学校名にだるまが飾られ、フランス料理を食べられる。しかし、名前のなかった学校は壁を隔てた隣の部屋にいた。そして突然、壁が開いてだるまが落ち大広間にいたチームが敗者であることが示された。だるまは、敗者が手も足も出ないという意味だった(第4回)。
  • 「宅Q便クイズ」(挑戦者の自宅でペーパークイズを行う。どんな手段で答えを調べてもよい)の勝者10チームは豪華なホテルに泊まり、敗者はその下に建てられたプレハブに泊まる。しかし勝者が敗者に差し入れをするために持って来た箱にペーパークイズが入っており、改めてこのペーパークイズで勝者を決めることが発表される。結局、10チーム中8チームが入れ替わった。「宅Q便クイズ」は番組史上唯一、勝者決定に一切関係ない(強いて言うなら、ホテルの豪華なディナーを食べることができるかどうかを決めるだけの)クイズだった(第5回)。
  • 伊豆大島行のフェリーの前で、ブーブーゲートによるペーパークイズの結果発表。ゲートに足を踏み入れた際に、ブザーが鳴らなければ乗船できるルールだった。しかし、福留が置き去りチームに投げた紙テープには「君たちが勝者」と書かれていた。実はフェリー自体が、敗者専用のフェリーだった(第9回)。
  •  成田空港前での準決勝で、4チームが決勝地の香港に行くことになった。しかし、チケットが3チーム分しか用意されておらず、福澤が「3チーム分しかないの?仕方ないね。ここでクイズをやろっか」と告げ、サドンデスYES・NOクイズで1チームが脱落した(第17回)。
  • 特Qファイヤー号の勝ち抜き戦「おはようございます どっち!どっち?クイズ」は、1チームずつ最下位チームが駅に置き去りとなるルールであった。最終結果発表では、羽鳥アナが「札の書かれている高校生。この駅で下車して下さい」と告げた。しかし、実は駅に降りたチームが勝者で列車に残ったチームは敗者だった(第20回)。
  • 「3人バラバラクイズ」と「100問ペーパークイズ」の結果発表(東京に戻って、外国人記者クラブでプレゼンテーションできるチーム)を東京・北海道・京都の3箇所で発表(例えば、北海道に参加したメンバーは、森中アナが東京行き航空チケットの有り無しで発表した)。結果、16チーム中15チームが東京に戻れることが決まった。しかし翌日、全員が揃って外国人記者クラブのある東京有楽町電気ビルに行くと、ビルの玄関の前に「外国人記者クラブは高校生クイズ上位8チームを歓迎します」と英語で書いてあった。そこでラルフが「そうなんです。外国人記者クラブに入れるのは15チーム中8チームのみ!」と告げる。結果、さらに7チームが脱落(実質2回戦で16チームから8チーム勝ち抜け)となった。結果発表が2段階というどんでん返しはこれが初であった(第25回)。
  • 「激流!ラフティングクイズ」の結果を、上野行きJRチケットの有無で発表。チケットを獲得した18チーム中13チームがバスに乗車した。しかし見送りの際に、ラルフからバスに乗ったチームに対して「さようならー。さようなら、するのは、君たちだ!!」と告げられた。JRチケットを獲得してバスに乗車したチームが敗者で、残された5チームが勝者だった(第26回)。

その他のハプニング・エピソード

  • 本大会の開催の経緯としては『ウルトラクイズ』に参加したい高校生の手紙が番組宛に殺到したことにより、福留が提案をしたのが始まりである。個人戦では面白くない、3人1チームであれば喜怒哀楽が出せるということで現在のシステムが確立したのは福留のアイデアであった(この話は、鈴木司会就任時の事前番組で紹介された。この番組では、当時のスタッフと密談をしたおでん屋が本大会の原点と紹介されている)。
  • 第1回(1983年)で、九州大会の第1問(本大会史上最初に出た問題)に出題ミスが発生した(正解がYESなのにNOを勝者にしてしまった。放送では、別の問題が出されたことにした)。このため、「敗者復活戦」と称して、九州大会そのものを後日やり直し、最初の予選と「敗者復活戦」の両方の勝者が全国大会に進出した。
  • 第1回の決勝戦は生放送という名目で放送されたが、実際は収録であった。
  • 第2・3回(1984年夏・冬)で、福留が一部の予選に行かなかったことについてスタッフルームに「福留を出せ」という高校生の血判状が届いた。このことが、翌年から総合司会が全予選を担当する理由の1つになった。
  • 第2回で優勝した第一女子高校のチームの担任をしていた教師が仙台第二高校に異動になったところ、担任するチームが第5回(1985年冬)で優勝した。
  • 第4回(1985年夏)の四国・岡山大会で代表になったチームが登録したメンバーと違うことが分かったため、全国大会への出場を取り消された。高校生クイズの本では、代表チーム紹介で代わりに全国大会に出たチームだけが写真の撮られ方が違っている。なお、現在では少しでも多くのチームに参加してもらうため、予選当日までメンバーを決めないことも可能なのでこのような事件が起きる可能性は小さい。
  • 第6回(1986年)の関東大会の第3問で、正解発表の後に大量の敗者が勝者側に入り込んだ。当然、その問題はノーカウントになったが、激怒した福留は他の地区の予選会場で「今年は関東からは絶対に優勝者は出ません」と言っていた。さらにこの大会で参加資格のない新潟県のチームが紛れ込んで出場し、YES-NOクイズで勝ち残ってしまった(そのチームは北陸大会では第1問で敗れた)。
  • 第7回(1987年)の関東大会ではあまりの猛暑のため、熱中症の症状を訴える参加者が続出した。このため4問出題しただけで大会を中止し、後日続きを明治公園で行った。
  • 第9回(1989年)の全国大会の富士山頂での決勝で県立弘前高等学校青森県)のチームリーダーが体調不良により途中下山し、決勝は2人で戦った。
  • 第13回(1993年)の北陸大会の決勝は立山黒部アルペンルートで行われたが、季節はずれの雪と嵐で急遽早押しクイズに変更になった。それでも嵐や風が激しいために、福沢の問題読み・SE等がまったく聞こえず、さらに早押しテーブルのプレートが外れるなどトラブルが続いた(福澤は後に、自書で「新聞沙汰になってもおかしくなかった」とコメントしている)。
  • 第16回(1996年)の近畿大会は、堺市の大泉緑地公園で行われる予定だった。しかし同市でO-157による食中毒が発生したため、開催3日前になって万博公園に変更された。
  • 第17回(1997年)で行われた「運大王」は、地区大会の全敗者の中から抽選で全国大会に出られることになっていた。しかし抽選方法が電気スイッチを使うものであった4カ所の予選で、いずれも予備抽選で残った中で最も外見のいい女子チームが選ばれた。このため、結果を操作した疑惑が強く指摘されている。
  • 第20回(2000年)では関東大会の敗者復活戦として、一問多答クイズ(新人アナウンサーが答えて、挙げられた正解の数だけチームが復活するというもの)が行われた。オリンピックの開催地を挙げるという問題だったが、小野寺麻衣アナウンサー(当時)がモスクワと言うところを盛岡と言ってしまった。この小野寺の発言に西武ドームに集まった2万5000人の参加者だけでなく、福澤や来年総合司会で見守っていた鈴木アナウンサーまでもがあきれかえってしまった。また、同席していた羽鳥慎一アナウンサーは、この小野寺の回答が衝撃的な出会いだったとコメントしている。なお小野寺はその後、第22回(2002年)のニューヨーク大会で代行司会を務めた。
  • 第22回(2002年)では上位に残ったチームがオーストラリアからクイズ情報を仲間に送り続け、それがネットで公開されたため以後の大会の参加を禁止された。
  • 第23回(2003年)は沖縄県の高校生は福岡大会に参加することになっていたが、大多数が台風による飛行機の欠航により欠場を余儀なくされた。これに対する救済措置は行われなかった。
  • 第26回(2006年)は以下にあげる通り、例年以上に大きなトラブルが連続して発生した。
    • 関東大会が行われた明治神宮野球場オリエンタルラジオ中田敦彦インストラクターの2人が乗ったパラシュートが強風にあおられて球場内に着陸できず、流されて皇室の敷地である赤坂御用地に誤って不時着した。2名にけがはなかった。この日は天候が不安定で、にも見舞われていた。また宮内庁によると、皇族の生活には特に影響はなかったという。番組関係者が皇宮警察警視庁警衛課から厳重注意を受けたのはもちろん、日本テレビも平謝りだった。当然このハプニング映像は放送されず、例年全国大会の冒頭で放送される関東大会第1問の模様もお蔵入りとなった。
    • この年の記録的な豪雨は多くの大会で影響を受け、北陸大会は開催前日になって新潟県から河川敷を会場にしないよう要請があり、テレビ新潟本社の敷地で行った。また、南九州大会では番組史上初の雨天順延となった。
    • 近畿大会では、兵庫県の準決勝開始直前になって体調が悪くなり、救急車で運ばれる挑戦者がいた。すでに敗者は解散した後であり、準決勝が3人そろわないと成立しないルールであったため、兵庫だけ1チーム少ない状態のままで準決勝を行った。
    • さらに全国大会の後に、優勝チームがアメリカと韓国のクイズ優勝者と世界大会を行うことになっていたが、直前にヒースロー空港での航空機爆破未遂が発覚したため、アメリカ代表のリチャード・モントゴメリー高校が来日を中止。日韓のみの対戦となった。
  • 第27回(2007年)の北九州大会は台風通過のため大分県のチームの交通手段が確保できないと判断し、大分県を除外して開催した。大分県に関しては後日インターネットおよびFAXを用いたペーパークイズで代表チームを決定した。そのため大分県にはスーパーオリラジチャンス(前述)の権利は与えられなかった。
  • 全国放送される前にもかかわらず、優勝チームなど大会の結果について、メディア上でフライング報道してしまった例がいくつかある。
    • 第4回(1985年夏)の全国大会放送当日、岐阜日日新聞(現・岐阜新聞)がテレビ番組紹介欄で、出場した加納高校について優勝すると記述した。
    • 第10回(1990年)の全国大会の放送当日、札幌テレビが昼間の生ローカルワイド番組にて、その大会で全国優勝した札幌西高校のメンバーを、優勝旗と共にスタジオに招き、トークを展開した。北海道初の全国優勝ということで、その活躍ぶりを道民にぜひとも見てほしかったためのフライングと思われる。
    • 第17回(1997年)の全国放送5日前に発行された東奥日報において、テレビ欄下にあった青森放送の広告に、優勝した弘前高校が香港の決勝戦に勝ち進んだという旨の、半分ネタバレを含んだ番組宣伝がなされていた。
    • 第26回(2006年)の全国放送2週間ほど前(全国大会収録直後)に、韓国の中央日報の日本版ホームページで、決勝戦と日韓戦の結果が報道されてしまう事態があった。
  • 高校時代に当番組に参加したことがある主な芸能人・著名人として、以下の人物がいる。
    • 橋下徹(大阪府知事) - 第4回の近畿大会に参加。第24回(2004年)では、参加者を迎え撃つ刺客・地の壁(出題者・解答者)としてゲスト出演した。なお、橋下が同局系『いつみても波瀾万丈』に出演した際、福留は「こんな所に出てびっくりでした」とコメントした。
    • 浅越ゴエザ・プラン9) - 第11回(1991年)に、岡山県代表・岡山芳泉高等学校のメンバーとして全国大会出場。結果は1回戦敗退。
    • 日高大介(放送作家) - 第14回(1994年)に、静岡県代表・浜松北高等学校のメンバーとして全国大会出場。結果は1回戦敗退。以後、当番組の構成作家を務める。
    • カラテカ入江慎也矢部太郎) - 第15回(1995年)の関東大会に参加。
    • 篠原ともえ - 第16回の関東大会に、同局のバラエティ番組『TVおじゃマンモス』のバックアップ企画で参加。当時の番組本にも掲載された。
    • 中野美奈子フジテレビアナウンサー) - 第16回の四国・岡山大会に参加。ミス四国・岡山に選ばれ、事前番組『あぶない高校生クイズ'96』でテレビ出演もした。
    • 大仁田厚 - 第19回(1999年)の関東大会に、前述のとおり定時制高校の学生として参加。
  • 地区大会などの進行は、日本テレビと本大会制作幹事放送局のスタッフで行われる。またクイズに使われる早押し機やテーブル、ステージなどの機材の重さは4トン以上になる。当初は2トントラックで済んだが、最近は4トントラックでも納まらず一部の美術品を製作幹事局の美術スタッフが用意するケースも多々あるとのこと。
    • 鈴木アナなどの東京からのスタッフの移動のために新幹線1両や旅客機の3分の1、バスを3台チャーター、ホテルも1フロアー貸し切りが当たり前になっている。地区大会前日にリハーサルを当日に本番をするので、日焼けをするスタッフが多く他の社員から「高校生クイズの制作スタッフは海で遊んでいるんじゃないの」と勘違いされているとのこと。ひどい時には、近くの喫茶店に行っても入店拒否をされることもあった。地区大会・全国大会に参加しているスタッフの総数は1,000人にものぼり、この大人数によって番組が支えられている。
  • 現在では多くのバラエティ番組で使われているカノン砲から紙テープが打ち出される演出は、当番組のスタッフが考え出したものである。
  • 1問で結果が左右される○×クイズなどは、各構成作家が問題を制作するが、有識者へのリサーチなど、根拠を徹底的に追求する必要がある。このため100問もの問題を作っても、実際に採用されるのは5問程度とのこと。更に体力系のクイズ(早押し+スポーツの要素があるクイズ)は実際にスタッフが事前にチェックして高校生が怪我をしない様に配慮しているとの事(尚ウルトラクイズのどろんこクイズは、初期のころは安全性をチェックせずに怪我で泥んこに落ちた挑戦者が救急車で病院に運ばれたことがあったとのこと。)
  • 高校生クイズの司会者・出演者等はズームイン関係者が多い傾向(福澤や福留等)で羽鳥慎一アナが「ズーム関係者だし、更に過去7年間リポーターや司会代理等経験しているので3代目は自分だ」と期待していたが、ラルフ鈴木が3代目になった為落ち込んだ。更に「ラルフが司会になってから一切番組に呼ばれなくなった」と証言している(裏ズームインで2度発言している。)

関連書籍

  • 全国高等学校クイズ選手権 1 - 16(日本テレビ) ※各回の放送内容と全問題を収録。ただし、第12回以降では予選部分がかなり省略されている。
  • 全国高等学校クイズ選手権 燃えているかーッ!(日本テレビ、1990年) ※第9回までの問題をジャンル別に抜粋したものと、主要スタッフのインタビューなどを掲載。
  • 全国高等学校クイズ選手権-史上最強の指南書(全国高等学校クイズ選手権審査委員会・編著、日本テレビ、2000年) ※第17 - 19回で出題された問題の一部を収録。

ゲームソフト

  • 全国高等学校クイズ選手権(PC:Windows95とMacitoshのハイブリッド版/富士通パソコンシステムズ 1996年)
    • 地区大会1回戦 Yes/Noクイズ
      • 現在の番組内でいう「○×クイズ」と、まったく同じルール。「Yes/No」は前述の通り、発売当時の番組内での呼び方であった。
    • 地区大会準決勝 生みの親クイズ
      • 7名の偉人の写真と8つの「功績(著名な文学作品、歴史に残る研究成果など)」が表示されるので、制限時間内にそれらをすべて正しく組み合わせられれば、勝ち抜け。
    • 地区大会決勝 3択3連敗しちゃダメよクイズ
      • 参加するのは自分を含めた5チーム。ひたすら3択問題が出題され、これに3問連続で不正解すると失格となる。自分以外のチームが全部失格するまで生き残れれば、全国大会進出。
    • 全国大会1回戦 上京記念ペーパーテスト
      • 3択問題50問を解き、その成績を競う。
    • 全国大会2回戦 クイズ・サイコロコロコロ!!
      • 「すごろく」の要領で行われる。3択問題に1問正解すると、サイコロをふることができる。プレイヤーのコマは、その数だけ進む。途中のマスには「先へワープ」「前に戻される」などのマスもある。規定問題数が過ぎる前にゴールできれば勝ち抜け。
    • 全国大会準々決勝 クイズ・スーパーへ行こう!!
      • まず場に、「しりとりのお題」となる品物が提示される。プレイヤーはスーパーに売っていそうな物が書かれたカード(カードには、商品名が書かれている)のうち、その場に出ている品物と「しりとり」になっているものを探す。これを規定回数クリアできたら、勝ち抜けをかけた3択問題に挑戦。正解できれば勝ち抜け、誤答なら最初からやり直し。制限時間内にクリアしなければならない。
    • 全国大会準決勝 勝負の1分間クイズ
      • 参加するのは自分を含めた4チーム。まず場に、5つの「問題セット」が提示される。セットの中には3択問題が12問入っており、1分以内にできるだけたくさん正解することを目指す。全チームが自らが選んだ12問に対して解答し終わったあと、残った問題セット12問を全体に出題(画面上のルールには「早押し」と書いてあるが、実際に行われるのは、早押しではなく、全チームに解答権がある形式)。この合計24問の3択クイズでの正解数で、最下位にならなければ勝ち抜け。
    • 全国大会決勝
      • 3チームで争う。問題はすべて6択で、10ポイント獲得すれば優勝。

脚注

  1. ^ 夏の大会は8月下旬、冬の大会は大晦日に放送された。
  2. ^ 第1回大会(1983年)のデータに基づく。ただし、記録上の参加人数は80,799人となっているが、実際は77,781人である。
  3. ^ クイズよりもキャラクターが変わっている高校生を優先的に残そうとしたことなどがあげられる。
  4. ^ 参加するクイズ研究会の高校生などには同列の大会とらえられており、第1回全国高校生金融経済クイズ選手権で優勝した人物が同年の高校生クイズで優勝し、第2回で優勝したチームが同年の高校生クイズで準優勝した。
  5. ^ 『金曜ロードショー』をネットしていないテレビ大分(翌土曜の正午から放送)と沖縄テレビ2006年まではテレビ宮崎も時差放送。
  6. ^ 2003年以降の裏番組である夏期(7 - 9月)の「金曜ドラマ」(TBSテレビ)が若者路線を中心とするようになり、当番組の視聴率が激減した原因にあげられたためである。
  7. ^ 映画『タッチ』とのコラボレーション
  8. ^ 参加者が非常に多かった初期の回においては、同じ学校からの応募が多数の場合、出場できるチームを抽選で決められることがあった。
  9. ^ 現在は宮城第一高校、男女共学

関連項目

外部リンク