チェコスロバキア

かつて中央ヨーロッパに存在した連邦国家 (1918-1992)

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チェコスロバキア
Československo(チェコ語)
Česko-Slovensko(スロバキア語)
オーストリア・ハンガリー帝国 1918年 - 1992年 チェコ共和国
スロバキア共和国
チェコスロバキアの国旗 チェコスロバキアの国章
国旗(国章)
国の標語: (1918年1989年)Pravda vítězí
(チェコ語:真実は勝つ)
1989年1992年)Veritas Vincit
ラテン語:真実は勝つ)
国歌: チェコスロバキアの国歌我が家何処やタトラの山に雷光が走る
チェコスロバキアの位置
公用語 チェコ語スロバキア語
首都 プラハ
大統領
1918年 - 1935年 トマーシュ・マサリク(初代)
1935年 - 1938年エドヴァルド・ベネシュ
1945年 - 1948年エドヴァルド・ベネシュ
1989年 - 1992年ヴァーツラフ・ハヴェル(最後)
首相
1918年 - 1919年カレル・クラマーシュ(初代)
1992年7月2日 - 1992年12月30日ヤン・ストラースキー(最後)
面積
1993年127,900km²
人口
1993年15,600,000人
変遷
オーストリア・ハンガリー帝国からの独立 1918年10月28日
ナチス・ドイツによる併合1939年9月1日1945年独立)
共産主義体制確立1948年
ビロード革命1989年11月
解体1992年12月31日
通貨チェコスロバキア・コルナ

チェコスロバキアチェコ語Československoチェスコスロヴェンスコ〕、スロバキア語Česko-Slovenskoチェスコ・スロヴェンスコ〕)は、1918年から1992年にかけてヨーロッパに存在した国家

現在のチェコ共和国及びスロバキア共和国により構成されていた。建国当初には現在のウクライナの一部であるカルパティア・ルテニアも領域に加えられていた。首都は現在のチェコの首都であるプラハ。国旗は現在のチェコ共和国と同じものが使用されていた。

国名

チェコスロバキアの国名は、建国初期とスロバキア民族派の政治運動が活発になった第二次世界大戦直前を除いてチェコ語、スロバキア語で区別なくČeskoslovenskoが用いられた。

東欧革命後のハイフン戦争を経て、チェコ語では従来どおりČeskoslovenskoとしたが、スロバキア語ではチェコとスロバキアの間にハイフンを付けてČesko-Slovenskoとした。対外的にもCzech and Slovak(チェコおよびスロバキア)としてチェコとスロバキアの間で妥協が図られた。

歴史

政治

1969年にチェコ、スロバキア連邦制に移行した結果、全国から選出される定数200の人民議会(下院)と、両国同数の代表から選出される定数150の民族会議からなる二院制を採用した。

大統領

チェコスロバキア共和国(第一共和国)

チェコ=スロバキア共和国(第二共和国)

ロンドン亡命政府

チェコスロバキア共和国(第三共和国)

チェコスロバキア人民共和国

チェコスロバキア社会主義共和国

  • アントニーン・ノヴォトニー(1960年-1968年

チェコスロバキア社会主義連邦共和国

チェコおよびスロバキア連邦共和国

  • ヴァーツラフ・ハヴェル(1990年-1992年

首相

第一共和国

第二共和国

ロンドン亡命政府

政党

  • 農業党(Republikánská strana zemědělského a malorolnického lidu)
  • 社会民主党(Československá sociálně demokratická strana dělnická)
  • 国民民主党(Československá národní demokracie)
  • 国民社会党(České strany národně sociální)
  • 人民党(Československá strana lidová)
  • 共産党(Komunistická strana Československa)
  • スロバキア人民党(slovenská ľudová strana)
  • ドイツ人国民党(Německá národní strana)
  • 農業者同盟(Německý svaz zemědělců)
  • ドイツ人キリスト教社会党(Německá křesťansko sociální strana lidová)
  • ドイツ人国民社会主義労働者党(Německá národně socialistická strana dělnická)
  • ドイツ人社会民主党(Německá sociálně demokratická strana dělnická v ČSR)
  • ズデーテン・ドイツ人党(Sudetendeutsche Partei)

地理

国境を接する国は、真北から時計回りにポーランドソ連(現在のウクライナ)、ハンガリーオーストリア西ドイツ東ドイツであった。国土は大きく3つの地域に分かれる。西からボヘミア、モラビア、スロバキアである。

  • ボヘミア - ズデーテン山地、エルツ山脈、ボヘミア森に囲まれ、中央をラベ川(エルベ川)が流れる盆地。主要都市はプラハ。
  • モラビア - モラバ川による沖積平野。モラバ川はドナウ川の支流である。主要都市は、ブルノ
  • スロバキア - カルパティア山部の南麓に相当する。最高峰ガルラホフカ山 (2663m) がそびえる。主要都市はブラティスラヴァ

気候

ケッペンの気候区分にいう西岸海洋性気候 (Cfb) が広がるが、東部は一部大陸性の亜寒帯湿潤気候 (Dfb) である。首都プラハの年平均気温は9度、年平均降水量は486mmであった。

経済

チェコはかつてのオーストリア・ハンガリー帝国時代に早くから産業革命が進み、1930年代には世界第7位の工業国であった。1970年時点では共産主義政権下にある東ヨーロッパ諸国の中で最も進んだ工業国であった。農業地域が中心を占めるスロバキアを除くと、主な産業は工業である。金属、機械、自動車[1]、製鉄、繊維のほか、著名なガラス工業(ボヘミアングラス)が盛んであった。このほか兵器製造[2]ビール[3]を中心とした食品工業、ガラス以外の窯業も確立していた。生産規模では鉄鋼が最大である。経済相互援助会議(COMECON)加盟国であり、ソビエト連邦を中心とした経済分業体制の中で重工業製品の市場を東欧圏で確保していた。しかし、性能やデザインなどで徐々に西側諸国からの立ち後れが隠せなくなり、政治的配慮を必要としない真の国際競争力は失われていった。また、東側諸国の中でも保守的な共産党体制は、徐々に悪化する経済状況への改革やハンガリーに比較して遅れた西側資本の導入へ効果的な対策を打てなかった。

鉱業では、燃料としてつかわれる褐炭が東ヨーロッパ諸国内の3位を占めるだけであり、エネルギー以外の工業原材料の6割を輸入に頼っていた。例えば石油はソビエト連邦からドルジバパイプラインを利用して輸入していた。これは石油輸出国機構 (OPEC) 加盟国などによる国際的基準よりかなり低い価格に設定されており、チェコ経済の重要な基幹となっていたが、同時に経済面でもソビエト連邦へ服属することも意味していた。

農業では、小麦を中心とした麦、サトウダイコン、ジャガイモ、トウモロコシを中心とし自給可能であった。

貿易では、社会主義国同士の取引が最大ではあったが、貿易額の30%は非社会主義国が占めていた。主な輸入品は燃料と工業原材料、ついで穀物、食料品。主な輸出品は機械、石油化学によるガソリンやナフサ、自動車、皮革などである。ガラス工業は金額ベースでは少なかった。

国民

1970年時点では、チェック人 (65%)、スロバキア人 (30%)、その他の民族 (5%) という比率であった。この構成は1990年時点でも変化していない。ただし、右上にある表ではチェック人とモラビア人を区別している。1970年代においてはソビエト連邦を含む全社会主義国の中で所得を含む生活水準がもっとも高かった。7歳から15歳までの初等教育は無料であった。

補足

  1. ^ シュコダタトラなどが有名
  2. ^ Vz 58突撃銃、Vz 61短機関銃、Cz75大型自動拳銃などの小火器類や、ダナ 152mm自走榴弾砲RM-70などの戦闘車輌、L-39アルバトロス高等練習機プラスチック爆弾の一種であるセムテックスなど
  3. ^ ピルゼンでのピルスナービール生産やブドヴァルブランド

外部リンク

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