肥前国

遠国に属する令制国の一つ

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肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つである。西海道に含まれ、その領域は現在の佐賀県と、対馬と壱岐を除く長崎県とに相当する。延喜式での格は上国、遠国。

肥前国位置図

肥前国風土記は、全国で5つだけの、ほぼ完全な形で残る風土記の1つである。

沿革

国(のくに)、後ののくに)の分割によって7世紀末までに成立した。肥後国が『続日本紀』に初めて見える持統天皇10年(696年)までのどの時点かに、肥前国と肥後国との分割があったと推定される。

室町時代末期にポルトガルスペインの宣教師が相次いで来訪してからは西洋の窓口の一つとなり、天正少年使節団を出すなどした。

国府・一宮など

国府は、色葉字類抄によると、佐嘉郡にあった。現在の佐賀県佐賀市大和町惣座にあった。1975年から1984年までの発掘で政庁などの遺跡が発見された。

易林本の節用集では、小城郡に府と記載ある。

延喜式神名帳には以下の大社1座1社・小社3座3社の計4座4社が記載されている。

最も社格が高いのは田島坐神社であるが、一宮にはなっていない。一宮は中世以降、異なる勢力を背景とする2社が一宮を主張し並立した。一社は国衙と結びついた與止日女神社であり、もう一社は宇佐神宮を背景とする千栗八幡宮である。二宮以下は不詳である。総社は所在不明となっている。

守護

鎌倉幕府

室町幕府

令制郡郷

※矢印→の右側は近代(1896年)以降の郡名及び市名。

中世荘園公領

  • 旧基肄郡
    • 公領
      • 基肄郡
    • 荘園
      • 姫方荘
      • 神邊荘
      • 小倉荘
  • 旧養父郡
    • 公領
      • 養父郡
      • 苽生野保
      • 義得保
    • 荘園
      • 養父荘
      • 鳥栖荘
      • 幸津荘
      • 幸津新荘
      • 中津隈荘
      • 村田荘
  • 旧三根郡
    • 公領
      • 三根郡
      • 矢俣保
    • 荘園
      • 米多荘
      • 織部荘
      • 下毛御薗
  • 旧神埼郡
    • 公領
      • 神埼郡
      • 宮人保
    • 荘園
      • 神埼荘
      • 三津荘
      • 石動荘
  • 旧佐賀郡
    • 公領
      • 佐賀郡
      • 防所保
    • 荘園
      • 巨勢荘
      • 佐賀荘
      • 鹿瀨荘
      • 牛島荘
      • 蠣久荘
      • 河副南荘
      • 河副北荘
      • 興賀荘
  • 旧小城郡
    • 公領
      • 小城郡
      • 晴氣保
    • 荘園
      • 大楊荘
      • 赤目荘
      • 曾禰崎荘
  • 旧松浦郡
    • 公領
      • 松浦郡
    • 荘園
      • 松浦荘
      • 見留加志荘
      • 草野荘
      • 大野荘
      • 御廚荘
      • 鏡荘
      • 宇野御廚
      • 庇羅牧
      • 生属牧
      • 柏島牧
  • 旧杵島郡
    • 公領
      • 杵島郡
      • 赤俣院
    • 荘園
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    • 公領
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    • 荘園
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      • 安富荘

関連項目