井手正敬
日本の実業家
人物
福井県生まれ。東京大学経済学部卒業後、日本国有鉄道入社。葛西敬之、松田昌士とともに「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。
1992年にJR西日本社長就任。ワンマン経営者として知られ、社長・会長を11年務め、JR西日本は「井手商会」と呼ばれるほどであった。第5代社長の山崎正夫などからも恐れられる存在であったが、JR福知山線脱線事故後、収益重視の「儲け体質」が安全軽視につながった、との批判を浴び、またJR西日本の負の部分である日勤教育の実態が暴露されたことにより引責辞任。辞任後、JR西日本子会社の幹部に天下りしていたことが発覚し、脱線事故の遺族から猛批判を受けている。
2006年に社長となった山崎正夫は、事故原因と考えられた井出の利益追求偏重の経営方針を徹底的に排除するため、「井手イズム」の一掃を目指し、次期社長有力候補と目されていた井手派の副社長を子会社へ転属させた[1]ほか、2009年7月には記者会見で「井手氏とは基本的に縁を切る」と述べ、事故の責任をとり相談役を退任していた井出について、さらにジェイアール西日本総合ビルサービスなど関連会社2社との顧問契約も7月末で解除することを明らかにした[2]。また、在宅起訴された山崎[3]の後任となる佐々木隆之[4]も、山崎の考えを継承している。
JR福知山線脱線事故の遺族との面会を避けている[5]。
経歴
脚注
- ^ 【JR西社長起訴】連載・捜査の「力」(上)「すべてが後出しジャンケン」MSN産経ニュース2009.7.8
- ^ 朝日新聞2009年7月10日、読売新聞2009年7月10日、神戸新聞2009年7月10日
- ^ [ http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090708/dst0907081502003-n1.htm 福知山線脱線事故でJR西の山崎社長を在宅起訴 井手元社長らは不起訴 産経新聞2009年7月8日]
- ^ JR西日本 佐々木新社長を正式発表 産経新聞2009年7月10日
- ^ TBS「みのもんたのサタデーずばッと」2009年4月25日
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