野口茂樹

日本の元プロ野球選手

これはこのページの過去の版です。Sakura minami 8080 (会話 | 投稿記録) による 2009年8月16日 (日) 12:27個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (経歴)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

野口 茂樹(のぐち しげき、1974年5月13日 - )は、元プロ野球選手投手)。

野口 茂樹
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県東予市(現・西条市
生年月日 (1974-05-13) 1974年5月13日(51歳)
身長
体重
179 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 ドラフト3位
初出場 1994年8月25日
最終出場 2007年8月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

愛媛県東予市(現西条市)出身。丹原高校から1992年のドラフト中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。ルーキーイヤーは一軍登板がなく、翌1994年8月25日の対広島東洋カープ戦(ナゴヤ球場)でプロ初登板。

1996年にプロ初完投勝利を含む5勝全てを完投であげる。8月11日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では四死球を6個与えながらもノーヒットノーランを達成。8月31日の読売ジャイアンツ戦では4番落合博満の左手首に死球を与え戦線離脱させてしまった。

1998年のシーズンではルーキーの川上憲伸と並ぶ14勝(9敗)を挙げ、最優秀防御率のタイトルを獲得。

1999年のシーズンでは19勝7敗の成績を残し、リーグ優勝に貢献。リーグMVPに輝く。10月10日、対ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で、20勝をかけて先発し9回途中まで無失点に抑えるも、打線の援護に恵まれず0-1のサヨナラ負けを喫する。

2001年には2度目の最優秀防御率のタイトルと最多奪三振を獲得する。完投数も初めて二桁(11完投)に到達。4試合連続無四球完投勝利(日本タイ記録)を達成。12月に長年バッテリーを組んでいた中村武志が横浜に移籍。(中村武志が中日の正捕手を務めていた頃、ヒーローインタビューでの決まり文句は「中村さんのおかげです」だった。)

2002年は故障のためにわずか5試合の登板にとどまる。

2003年のシーズンはギリギリで規定投球回に達したが、防御率は4点台中盤だった。シーズン終了後に10年近く住んでいた選手寮を退寮した。翌2004年シーズンは4勝に終わり、同年の日本シリーズでは登板機会皆無。

2005年は3勝に終わる。シーズンオフにFA権を行使して読売ジャイアンツに移籍した。背番号は「31」。それに伴う人的補償で小田幸平が中日に移籍した。中日の生え抜き選手として初めてFA移籍した選手となった(それ以前にFA移籍した落合、前田幸長は他球団(いずれもロッテ)から移籍してきた選手である)。なお、現時点でただ1人生え抜き選手でFAで国内他球団へ移籍している。(その後生え抜き選手で福留孝介川上憲伸がFA移籍したがいずれもMLB球団である。)移籍直後にはペーパードライバーのため電車通勤をして話題になった。[1]

2006年は5月15日の対西武戦で先発した1試合の登板に終わる(相方の捕手は同い年同期の村田善則)。シーズンオフに背番号を「46」に変更する。

2007年は開幕ローテーション入りこそ逃したものの、リリーフとして開幕一軍入りした。5月1日に古巣である中日戦で移籍後初勝利を挙げる。しかし、徐々に打ち込まれるようになり8月中旬に一軍登録を抹消された。全てリリーフでの登板で31試合登板、防御率は4.30に終わった。

契約更改では年俸1億円から75%減俸の2500万円となった。これは巨人史上当時最大、日本球界全体でも当時3位となる減俸率である(金額は推定)。

2008年は2軍でも6試合しか登板せず、結局ルーキーイヤー以来の一軍登板無しに終わった。そして、10月1日に球団から戦力外通告を受けた。

トライアウトには参加せず、東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受けるも不合格。その後、12月23日には同じ巨人から自由契約になった門倉健とともにシカゴ・カブスのトライアウトを受けた。

2009年2月12日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約で合意したと報道されたが、契約前のメディカルチェックで左肘に異常が見られたため、契約を破棄された[2]。野口自身は現役続行を希望している。

プレースタイル

1999年MVP左腕で、変化の多彩なキレのあるスライダーが決め球。

2007年は左打者は打率.228、ホームラン0本に抑え、スライダーは12球団の左打者に十分通用しているが、右打者とは70人と対戦し半分近くの33回の出塁を許し、4本のホームランすべてを右打者から打たれた。

1998年8月30日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)に先発した野口は延長12回・203球を一人で投げきり、かつ200球目でその日の最速144km/hを記録した(試合は12回表に打たれ、結局敗戦投手となってしまった)。ちなみに中6日で迎えた次の先発となった同年9月6日の横浜戦でも完投しており、豊富なスタミナの持ち主である。

マウンド上では審判への礼儀を重んじる。球審からボールを貰う際は必ず帽子を脱いで受け取る。

エピソード

中村武志が中日の正捕手を務めていた頃、ヒーローインタビューでの決まり文句は「中村さんのおかげです」であった。

趣味は絵画(水彩画)。

かなりの天然ボケな人物であり中日時代からその事がよくマスコミや選手、ファンのあいだで話題になっていた。

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1994 中日 8 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 45 10.2 5 1 10 0 0 11 0 0 3 3 2.53 1.41
1995 30 19 1 0 0 3 10 2 -- .231 564 125.2 114 21 83 2 2 110 3 0 72 67 4.80 1.57
1996 21 18 5 2 0 5 5 0 -- .500 487 114.1 104 15 52 2 2 88 4 0 47 41 3.23 1.36
1997 11 7 0 0 0 0 1 0 -- .000 179 37.0 46 2 21 0 3 14 2 0 29 27 6.57 1.81
1998 27 27 6 1 0 14 9 0 -- .609 802 192.0 174 10 63 4 5 134 8 0 59 50 2.34 1.23
1999 29 29 7 4 0 19 7 0 -- .731 870 203.2 202 13 67 3 5 145 6 0 68 60 2.65 1.32
2000 33 27 4 1 0 9 11 0 -- .450 764 173.0 200 20 58 3 2 128 9 0 99 89 4.63 1.49
2001 26 26 11 5 5 12 9 0 -- .571 765 193.2 167 7 28 1 2 187 1 0 62 53 2.46 1.01
2002 5 5 0 0 0 2 1 0 -- .667 118 27.0 24 6 13 1 1 12 1 0 15 15 5.00 1.37
2003 29 26 1 0 0 9 11 0 -- .450 641 146.1 154 12 59 0 9 146 3 0 80 74 4.55 1.46
2004 17 15 1 1 0 4 8 0 -- .333 360 78.0 106 13 27 3 1 61 1 0 51 49 5.65 1.71
2005 13 13 1 1 0 3 6 0 0 .333 300 72.0 71 8 26 1 4 57 3 0 33 32 4.00 1.35
2006 巨人 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 16 3.0 7 0 1 0 0 1 1 0 5 3 9.00 2.67
2007 31 0 0 0 0 1 1 0 4 .500 144 29.1 34 4 20 2 3 28 0 0 15 14 4.30 1.84
通算:14年 281 214 37 15 5 81 79 2 4 .506 6055 1405.2 1408 132 528 22 39 1122 42 0 638 577 3.69 1.38
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル・表彰

記録

背番号

  • 57 (1993年 - 1994年)
  • 47 (1995年 - 2005年)
  • 31 (2006年)
  • 46 (2007年 - 2008年)

脚注

  1. ^ 野口が電車通勤(元記事スポニチ)
  2. ^ スポーツ報知:MLB 野口ブルージェイズから契約破棄より

関連項目