連続企業爆破事件

1974・1975年に日本で発生した企業施設連続爆破事件

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連続企業爆破事件(れんぞくきぎょうばくはじけん)とは東アジア反日武装戦線が起こした無差別テロ事件。

概要

1974年8月から1975年5月にかけて、東アジア反日武装戦線は日本国家をアジア侵略の元凶とみなし、アジア侵略に加担しているとされた企業に対し爆破テロ事件を起こした。

企業への爆破

メンバー逮捕

監視対象とされた一名に対する捜査をきっかけに、1975年5月19日、主要メンバーである大道寺将司大道寺あや子佐々木規夫片岡利明斎藤和浴田由紀子黒川芳正と協力者1人が一斉に逮捕された。この時の逮捕容疑は韓国産業経済研究所爆破事件であった。

その内、斎藤和は警視の取り調べ中に所持していた青酸カリで自殺した(同じく大道寺あや子も服毒自殺をしようとしたが、警察に阻止された)。

その後

主要メンバー逮捕後に宇賀神寿一桐島聡指名手配されるも逃亡し、残党化する。その後、彼らを中心となり残党を名乗る新グループによって神社本庁爆破事件などの爆破テロ事件が1977年11月まで続いた。

裁判中、1975年8月に日本赤軍によるクアラルンプール事件で佐々木規夫が超法規的措置で釈放し逃亡。また1977年に日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件で大道寺あや子と浴田由紀子が超法規的措置で釈放され、国外逃亡した。逃亡した3人は日本赤軍に合流した。

1982年7月に逃亡していた宇賀神寿一が逮捕される。

その後、裁判では1987年3月2日に大道寺将司と片岡利明への死刑、黒川芳正に無期懲役、協力者には懲役8年が確定した。1990年に宇賀神寿一の懲役18年判決が確定した(2003年6月出所)。1995年に逃亡していた浴田由紀子がルーマニアで潜伏中に身柄を拘束され日本に移送となり、2004年5月に懲役20年が確定した。

国外逃亡した大道寺あや子と佐々木規夫は現在も指名手配されている。桐島聡はさそり事件の公訴時効が成立。

関連項目