窪塚洋介

日本の俳優 (1979-)

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窪塚 洋介(くぼづか ようすけ、1979年5月7日 - )は、日本俳優歌手神奈川県横須賀市出身。所属事務所はモノポライズ。卍LINEという名義でレゲエディージェイとしても活動している[1]。また、空水という名義でミュージック・ビデオの監督もしている。枠に捕われず、多岐に渡る活動をしており、一児の父である。

くぼづか ようすけ
窪塚 洋介
本名 同じ
別名義 卍LINE (マンジライン)
空水 (くうすい)
生年月日 (1979-05-07) 1979年5月7日(46歳)
出生地 日本の旗 日本神奈川県横須賀市
国籍 日本の旗 日本
血液型 O型
職業 俳優歌手
ミュージック・ビデオ監督、 カメラマン
ジャンル 映画ドラマ舞台レゲエ
活動期間 1995年 -
配偶者 妻(2003年 - )
著名な家族 窪塚俊介(弟)、RUEED(弟)
主な作品
映画
GO』/『ピンポン
凶気の桜』/『Laundry』
同じ月を見ている
ドラマ
GTO』/『池袋ウエストゲートパーク
ストロベリー・オンザ・ショートケーキ
ロング・ラブレター〜漂流教室〜
受賞
日本アカデミー賞
第25回 新人賞・主演男優賞(2001年)
その他の賞
高崎映画祭第16回主演男優賞(2001年)
ヨコハマ映画祭 第23回 主演男優賞(2001年)
毎日映画コンクール第56回新人賞(2001年)
キネマ旬報賞第75回新人賞、主演男優賞(2001年)
報知映画賞第26回主演男優賞(2001年)
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略歴

  • 1995年、TVドラマ『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系)でデビュー。
  • 1995年 - 1998年、2時間ドラマや深夜ドラマの端役で活動(『HEN』ではAV女優城麻美ラブシーンも演じた)。ゲーム『街 〜運命の交差点〜』にも出演している。これまではヨースケという芸名だった。
  • 1998年、『GTO』(フジテレビ系)の優等生・菊池善人役で人気を得る。
  • 2000年、ヒットドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)にて、キングこと安藤タカシ役の「怪演」で注目される。
  • 2001年、『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』(TBS系)に出演、恋人にしたい男性タレント、将来性のある男性タレントなどとして、女性からの人気が沸騰する。
  • 同年、NHK総合テレビで放送されたドラマDモード『もう一度キス』にてTVドラマ初主演(音楽大学生:三枝歩役)。
  • 同年、映画『GO』の主演を務める。監督に行定勲、脚本に宮藤官九郎、共演者に柴咲コウなどがおり、多くの映画賞を総ナメし、窪塚自身も最年少で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を得るなどした。
  • 2002年 - 2003年、『GO』の注目と共に映画出演が相次ぎ、『ピンポン』、『凶気の桜』、『魔界転生』などに出演した。『凶気の桜』では発案も兼ねた。
  • 2003年、5月に結婚を発表。10月には長男が誕生し、子育てを理由に芸能活動を半ば停止。
  • 2004年、思想や大麻に関する発言などが窪塚のイメージを下げるなか(人物を参照)、マンション9階からの転落事故を起こし、一時重体になる(転落事故を参照)。
  • 2005年観月ありさ主演の映画『鳶がクルリと』に美容師役で復帰。
  • 2006年、卍LINEとしての音楽活動を開始。
  • 2007年、所属事務所だった株式会社アンフィニーを辞め、フリーになる(現在はモノポライズに在籍)。
  • 2009年、同じ事務所の渡辺奈緒子を被写体に、カメラマンデビュー。
  • 2010年1月中旬より公演する、蜷川幸雄演出の「血は立ったまま眠っている」にて舞台初挑戦。

人物

  • 父は自動車技術会常務理事。二男の窪塚俊介も俳優。三男はRUEEDという名義でレゲエ・ディージェイとして活動している。
  • 神奈川県立横須賀高等学校卒業。元内閣総理大臣小泉純一郎や、物理学者小柴昌俊などの後輩にあたる。俊介も同高等学校卒業。
  • 『凶気の桜』は右翼かぶれの少年の挫折の物語となっており、この頃に思想系の書物・漫画を読む。同じ頃、小林よしのりの漫画『戦争論』、『ゴーマニズム宣言』や石原慎太郎の著作に感銘を受けたことが明らかになっている。「石原さんの本で、戦後の日本がおかしくなったのは、歴史が曲げられたせいだと知りました。もう一度歴史を勉強しなければならないと感じた。日本を立派にするために生きていきたい」と語っている[2]
  • 2003年頃、「ラヴ&ピース」、「ピースなバイブスでハッピーに」など、解読困難な言葉を発することがあった(ワイドショーなどで意味不明な言動の例として挙げられたが、窪塚が好むレゲエやヒップホップの世界などでは「バイブス」=雰囲気、空気感として使われる。「穏やかな心で幸せに」という程度の意味であった)。
  • ニューエイジ関連の人物達との親交がある。
  • 地元横須賀で親交のある有名ミュージシャンと共同し、ボランティアのためのレゲエ&ヒップホップ・イベントを開催したことがある。卍LINEとしても『FREEDOM FREAK YOKOSUKA』というレゲエ・イベントを横須賀のライブハウスにて隔月で開催している[3]
  • 環境問題に多大な関心を持っており、また、環境浄化、産業応用のための植物資源・大麻の実態を知らしめようとした。この大麻に関して窪塚は、ドラッグのイメージが先行する植物資源について、一貫して普及を呼びかけていた。

思想の変化

映画『凶気の桜』などの思想映画に多数出演するようになり、思想が変化していった。なかでも、キングギドラのK DUB SHINEZEEBRAなどの保守的・愛国的イメージに、とても共感しているようである[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。一方で、リベラル系の思想にも興味を持ち、文献を読むことによっても、影響を受けた[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』の試写会での会見で、窪塚が井筒和幸からの批判に対し、「この映画を見て、戦争賛美だというヤツはアホだと思う。もう一回見た方がいい。見る前に言うヤツはアホ。右だ、左だ、というけど、鳥は両方の翼がないと飛べないという思いで、日々、生きています」と言ったことが、一部で注目を集めた。

転落事故

子育てのために一時休業中だった2004年6月6日午後0時10分ごろ、神奈川県横須賀市の約26mの高さにある自宅マンションの9階から転落した。建物から約9mも離れたフェンスに衝突後、芝生に落下したため、頭蓋骨の開放性骨折など深刻な傷はあったものの、命に別状はなかった。

所属事務所は「鯉のぼり設置の事故」と発表したが、マンションから約9mという相当離れた距離に落下しており、単に転落したと考える事は物理学的に不可能(相当な助走をつけて飛び出さなければ、その地点には落下し得ないため)。 発表内容の矛盾もあり、マスコミや警察側も、所属事務所の発表が事実ではない可能性を指摘している。ちなみに、ワイドショー内では「コンビニに急ぎすぎて階段とエレベーターを使い忘れた」という発言をしていたが、これは『凶気の桜』で親交があったK DUB SHINEから譲り受けたギャグネタである。

環境問題への取り組みに対するマスコミの取り上げ方が、大麻擁護発言をクローズアップしたものであった(「薬物でもやっているのでは」と揶揄されるような、いささか奇矯とも感じる発言を窪塚がしていたのも事実)ことにより、落ち込んで自殺を図ったのではないかという説、また、麻薬の過剰摂取でトランス状態に陥り、自殺ではなく、単に精神が錯乱した為に自ら助走をつけてジャンプしてしまったという説など、諸説が入り乱れた。一部の週刊誌では、「ベランダの柵で、腹部を支点にしてヤジロベエのようにブラブラと身体を揺らす」ことを日常の楽しみとしていて度々行っていたが、バランスを崩して一回転し、落下したことが「真実」だとして紹介された事もある。しかし、事務所側はこれらを否定し、窪塚自身もその時の記憶がないと言い、また「これまで生きてきた中で、自分は死にたいと思ったことはない」と自殺説を否定している。

なお、事故翌日にWOWOWで主演作『ピンポン』が放送された。この作品は冒頭に窪塚演じる主人公が「アイキャンフラーイ(I can fly)!!」と叫びながら橋の上から川に飛び込むシーンがあり、前日の転落事故を思い起こさせた。もっとも、事故の翌日にこの作品が放送されたのは偶然である。

卍LINE「IKIRO」でこの転落事故について歌っている。

音楽活動

2006年から卍LINE(マンジライン)名義でレゲエ・ディージェイとしての音楽活動を行っている。アーティスト名には、和と幸運と太陽と忍者(=卍)の放射線(=LINE)という意味が込められているという[1]。年間に100本近いライブを行っており、2008年には1stアルバム『卍LINE』をBMG JAPAN傘下のV.I.P INTERNATIONAL RECORDSより発表し、CDデビューした。1stAlbum「卍LINE」はインディーズながら3万枚を売り上げた。2009年8月には、早くも2ndAlbum「VORTEX」を発売した。

出演作品

映画

テレビ

  (ヨースケ名義で出演、1997年テレビ朝日土曜ワイド劇場

バラエティ番組

ドキュメンタリー等

       〜魂に触れる旅 聖なる大地へ〜」(2005年、TBS系)

CM

          「P-in Comp@ct モバイルのトビラ」篇(2001年)                              FOMA /「着任(傘・たこ焼き)」篇,「買い物(動物)」篇(2002年)

     /キスミント「美容室・いいにおい」篇,「美容室・りんご」篇

  • SEED/Plusmix
  • JAL/「JAL SKI 北海道2002キャンペーン」篇,「アクティブ北海道2001キャンペーン」篇
  • ネスカフェ/N-テイストコード「できた」篇,「ご来店」篇(2002年)
  • ライフ/「It's my life」篇,「自宅」篇
  • エレコム/企業「業」篇,「眠」篇
  • 大塚製薬カロリーメイト「フェンス」篇,「ロフト」篇,「ジリジリ」篇,

              「水上の食事」篇,「セントラルパーク」篇,「New York City」篇(2003年)

ゲーム

PV

舞台

その他

  • 集英社「ナツイチ」キャンペーン(2001/2002年)

書籍

書籍

  • 「20〜放たれた言葉たちのゆくえ」(2000年、光進社刊)
  • 「PIECES OF PEACE」(2003年、講談社刊)
  • 「流」(2003年、講談社+α文庫刊)
  • 「地球維新 Vol.1 エンライトメント・ストーリー」中山康直 共著(2004年、明窓出版刊)

ディスコグラフィー

*卍LINE名義

CDアルバム

  • 卍LINE(2008年6月25日、V.I.P INTERNATIONAL RECORDS / BMG JAPAN
  • VORTEX(2009年8月5日、Amato Records)

参加作品

  • V.A. - DAZZLIN’GOLD-ina dancehall style-Vol.2(2006年8月25日、ファイルレコード
    • 05. 「REMEMBER」
  • SPICY CHOCOLATE - 東京RAGGA BLAZE(2007年6月27日、徳間ジャパン
  • V.A. - SETAGAYA MUSIC BASE (2007年12月19日、avex entertainment
    • 01. 「Peace」
    • 10. 「KID ANTHEM」
  • MONTA, BIG BEAR & 卍LINE - ありがとう(2009年4月20日、SCORPION INTERNATIONAL RECORDS)

出典

  1. ^ a b FOCUS 卍 LINE - STUDIO VOICE ONLINE
  2. ^ 【論文】“縦軸派のシンボル”石原首相待望論の背景 - 月刊「正論」
  3. ^ 「FREEDOM FREAK YOKOSUKA」 - 卍blog

外部リンク

 

関連項目