宮崎市

宮崎県庁所在地

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宮崎市(みやざきし)は、宮崎県のほぼ中央にある都市で同県の県庁所在地である。中核市に指定されている。

みやざきし ウィキデータを編集
宮崎市
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 宮崎県
市町村コード 45201-7
法人番号 6000020452017 ウィキデータを編集
面積 643.57km2
総人口 391,446[編集]
推計人口、2025年9月1日)
人口密度 608人/km2
隣接自治体 都城市日南市西都市
清武町国富町綾町
三股町野尻町新富町
市の木 クスノキ
市の花 ハナショウブ
市の花木 ツバキ
宮崎市役所
市長 清山知憲
所在地 880-8505
宮崎県宮崎市橘通西一丁目1番1号
宮崎市役所(2009年)
宮崎市役所(2009年)
外部リンク 宮崎市

宮崎市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト

地理

 
大淀川
 
鰐塚山は県南部のテレビ塔としての役割も担う

宮崎平野の南端に位置し、中央を大淀川が流れ、日向灘に注いでいる。南部が鰐塚山地の一部で山深い以外は、主に市街地となっている沖積平野と、洪積台地が大半を占める。

気候

年平均気温は18℃前後。年降水量はたいてい2,000mmを超えており、年によっては3,000mmを超えることもあるなど、極めて多い水準にある。また日照時間も年間2,000時間を割り込むことはほとんどない。平均気温・年降水量・年日照時間いずれも県庁所在地では第3位である。全体的に、九州以外の住人が一般的にイメージする「九州の気候」に最もよく当てはまる気候と言える。宮崎市の気象台では霜の観測はあるが、青島以南の沿岸部は無霜地帯である。

3月中旬から4月にかけてはすっきりしない天気が続く。天気は変わりやすく、低気圧が日本海を通過すると気温が上がり、フェーン現象で季節外れの高温になり、夏日や30℃近くまでになる。

5月下旬から7月上旬にかけて梅雨となり、梅雨末期は特に大きな被害をもたらすことがある。盛夏は海の方向である東からの季節風のため九州の他都市と比較して気温は上がりにくく、福岡市とほぼ変わらない平均気温である。なお、都市化が顕著でないため熱帯夜も多くない。

9月前半の残暑に続いて台風の襲来する季節となる。梅雨に匹敵する雨のシーズンで、台風がはるか南にある段階から湿った東風で強い雨が続くのは宮崎特有の現象。11月は爽やかな秋晴れとなる。

西風の強い乾燥した晴れが多い。九州各地(鹿児島市など九州南部も含む)が雪に見舞われた時でも宮崎市のみは晴れている時が多い(九州山地の影響で雪雲が来ない)。冬のは、降雪そのもの観測しない年もあり、積雪は非常に稀で1961年以降で1cm以上の積雪を観測した回数は4回のみである。記録的な寒波に見舞われた2005年12月22日に1cmの積雪を観測したが、1cm以上の積雪は約19年ぶりで、12月の積雪は60年ぶりのことであった。日中は暖かい一方で、特に冬型が緩んだ翌朝は放射冷却で最低気温が氷点下になることがある。春が近い晩冬では曇りや雨が目立ってくる。

市街地

 
中心市街地を南北に貫く橘通り(国道220号)
 
中心市街地を東西に貫く高千穂通り(県道25号)

の古くからの市街地で城ヶ崎(じょうがさき)と隣接する中村と、の小さな街の花ヶ島(はながしま)・江平(えひら)が、その中間に位置する県庁の置かれた上別府村の市街化によって繋がり、南北に細長い連続した市街地となった。この最初の市域を核として市街地が拡大した。さらに1960年代からは平和が丘を皮切りに市街地を弧状に取り囲むようにニュータウンが次々と開発され、人口増加の受け皿となった。現在、市街地は実質的に清武町の加納(かのう)地区と一体化している。

隣接している自治体

歴史

室町時代1551年(天文20年)、太田七郎左衛門忠延が大淀川の右岸の河口付近にある城ヶ崎という地域に町を開いた。この城ヶ崎は赤江港を控えた商人の町として上方との交易が行われ、俳句などの町人文化が発達し、江戸時代が終わるまで繁栄した。それ以外の地域は農村であり、各藩の飛び地や天領が複雑に入り組んだ辺境の地であった。

明治時代に美々津(みみつ)県と都城(みやこのじょう)県の合併で宮崎県が誕生し、その後合併され鹿児島県となった。しかし、1877年明治10年)の西南戦争が勃発して薩摩士族西郷隆盛一派が敗れると、分県運動が起こり鹿児島県と宮崎県に分割され、また、同時に政策で主に四国から移住してきた人たちが現在の繁華街の基礎を造り、県庁が置かれると急速に発展し始めた。

近現代

  • 宮崎郡 - 宮崎町・大淀村・大宮村・生目(いきめ)村・瓜生野(うりゅうの)村・田野村
  • 北那珂郡 - 赤江村・檍(あおき)村・木花村・青島村・住吉村・佐土原村・広瀬村・那珂村
  • 東諸県郡 - 倉岡村・高岡村・穆佐(むかさ)村

行政

歴代市長

1 大迫元繁 1924年8月28日 1927年10月21日
2・3 川越壮介 1927年12月20日 1935年2月26日
4 柿原政一郎 1935年7月11日 1937年6月7日
5 根井久吾 1937年6月7日 1940年12月29日
6 青木善祐 1941年1月21日 1945年1月20日
7 和田一次 1945年2月2日 1945年6月27日
8 萱嶋高 1945年6月29日 1945年12月8日
9 二見甚郷 1945年12月10日 1947年3月26日
10 - 11 荒川岩吉 1947年4月6日 1955年4月22日
12 - 14 有馬美利 1955年4月30日 1966年7月4日
15 - 17 清山芳雄 1966年8月21日 1978年8月20日
18 中村隆則 1978年8月21日 1982年8月20日
19 - 21 長友貞藏 1982年8月21日 1994年1月10日
22 - 25 津村重光 1994年2月6日 (現職)

行政機構

  • 市長事務部局
    • 助役(2人) - 企画部、総務部、財務部、市民部、環境部、福祉部(福祉事務所)、健康管理部(保健所)、農政部、観光商工部、建設部、都市整備部
    • 佐土原区域担当助役 - 佐土原総合支所
    • 田野区域担当助役 - 田野総合支所
    • 高岡区域担当助役 - 高岡総合支所
    • 収入役 - 出納室
  • 議会 - 事務局
  • 選挙管理委員会 - 事務局
  • 監査委員 - 事務局
  • 農業委員会 - 事務局
  • 公平委員会
  • 教育委員会 - 教育局
  • 上下水道事業管理者 - 上下水道局 - 管理部、事業部
  • 消防長 - 消防局

議会

  • 議長:日高義幸(2007年7月11日時点)
  • 定数:46人
  • 会派構成:市政同志会 - 11人、政新会 - 8人、公明党 - 6人、市民クラブ - 5人、政友会 - 5人、社民党 - 4人、日本共産党 - 3人、市政みやざき - 1人、眞政会 - 1人、地域力ネットワーク - 1人、広sei海 - 1人。

広域行政

宮崎東諸県広域市町村圏協議会

  • 宮崎市消防局(宮崎市・清武町国富町綾町
    • 宮崎北消防署 - 大淀川以北
    • 宮崎南消防署 - 大淀川以南
  • 宮崎公立大学事務組合(宮崎公立大学)
  • 宮崎市夜間急病センター
  • 宮崎市総合発達支援センター - 全県で評判の様々な障害を持った幼児のための医療・養育施設
  • 宮崎市葬祭センター

警察

市町村合併

2006年1月1日に田野町・佐土原町・高岡町を編入し、各町には編入と同時に合併特例区が設置された。合併特例区は5年後地域自治区に移行する。またそれ以外の地域でも2006年1月1日から、旧町村あるいは中学校の校区を基本にして地域自治区が設置された。

合併特例区
地域自治区


国の行政機関

宮崎地方検察庁
福岡法務局 宮崎地方法務局
矯正局 宮崎刑務所
九州財務局 宮崎財務事務所
熊本国税局 宮崎税務署
九州農政局 宮崎農政事務所
地方整備局 宮崎河川国道事務所
地方整備局 宮崎港湾・空港整備事務所
自衛隊宮崎地方協力本部

裁判所

地域コミュニティ税

地域コミュニティ税は、宮崎市が制定した条例に基づいて2009年4月に創設された地方税

市の総人口(約37万人)のうち約16万人に対して、市民税の均等割額に年額500円を上乗せされるかたちで課税。これを宮崎市地域コミュニティ活動基金として積み立て、市内の地域自治区(2005年以前の宮崎市域に15地区)、合併特例区(3地区)に人口などに比例して配分する。各地域自治区・合併特例区は地域活動の経費として基金を活用する。

当初は2008年4月創設の予定であったが、市民への周知不足を理由に開始時期を1年延期した。

2010年3月23日に宮崎市と編入合併し、宮崎市の合併特例区となる予定である清武町では、平成23年度(2011年度)から導入される[1]

経済

産業

第一次産業

赤江、木花、住吉、瓜生野地区を中心にトマトピーマンキュウリをはじめとする促成栽培が盛ん。マンゴーも名物の一つになっている。青島地区では漁業が中心。

第二次産業

宮崎東諸地域は宮崎SUNテクノポリス圏域に指定されているものの、メインは清武町・国富町・旧佐土原町で、印刷業を除き宮崎市においては大規模な工業は行われていない。産業構成は第二次産業の占める割合が極端に小さいのが特徴。

第三次産業

市と周辺地域による小売業とともに、大都市からの交通の便が悪いことから卸売業も発達している。また観光都市であるためにサービス業も大きなウエイトを占める。近年は情報産業を積極的に誘致している。

主な商業施設

 
ボンベルタ橘

産業人口(2005年国勢調査

市内に本社のある主な企業


姉妹都市・提携都市

地域

人口

宮崎市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 255,888人
1975年(昭和50年) 291,157人
1980年(昭和55年) 329,751人
1985年(昭和60年) 349,465人
1990年(平成2年) 365,080人
1995年(平成7年) 384,391人
2000年(平成12年) 392,178人
2005年(平成17年) 395,593人
2010年(平成22年) 400,583人
2015年(平成27年) 401,138人
2020年(令和2年) 401,339人
総務省統計局 国勢調査より

健康

  • 平均年齢(2000年国勢調査) - 40.1歳

教育

 
宮崎大学教育文化学部講義棟

宮崎学園都市開発整備事業により、宮崎大学は附属幼・小・中を除き1984年~1988年にかけて霧島・船塚の旧キャンパスから順次市南部の木花台に移転した。木花から清武町にかけては高等教育機関が集中し新しい文教地区が形成されている。宮崎大学の旧キャンパスには宮崎県立図書館宮崎県立美術館宮崎県立芸術劇場(以上旧農学部跡地・宮崎県総合文化公園)、宮崎公立大学(旧教育学部跡地)・南九州大学宮崎キャンパス(旧農学部跡地)が新たに立地し、こちらも伝統をつぐ文教地区として恥じぬものとなった。

中等教育については、2003年から県立高校の普通科合同選抜が廃止され、市内の普通科高校を自由に志望することが可能となった。伝統的に公立高校が強い風土であるが、県内の私立の中高一貫校の台頭や県外の有名私立高校へ頭脳の流出が続いており、その対策として2007年宮崎県立宮崎西高等学校に付属中学を併設した。

大学・短期大学

高等学校

 
宮崎大宮高校
公立
私立

専門学校・専修学校

中学校

 
生目南中学校
国立
県立
市立


私立

小学校

46校


学校教育以外の教育訓練施設

社会教育

 
県立芸術劇場(メディキット県民文化センター)
 
県立美術館
 
みやざきアートセンター
文化施設
体育施設

交通

空港

鉄道

 
宮崎駅

バス

路線バス

 
バスターミナルとなる宮交シティ

宮崎交通が市内および近隣市町村の路線バスを一手に受け持っている。かつてはJR九州バスの路線があったが現在では廃止され、宮崎交通に譲渡されている。

高速バス

廃止した路線

道路

 
一ツ葉道路
 
大淀川に架かる天満橋(国道269号)

市の道路網の特徴として、大淀川が市街地を分断する形で流れており、交通路が限られてしまうため、その橋の周辺では渋滞が頻繁に発生する。特に大淀川を渡って市街地に入り込む市街地を通過するだけの交通を減少させるべく、内環状線外環状線が整備中である。

高速道路
地域高規格道路
一般国道
都道府県道主要地方道のみ)
道の駅

航路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

 
シーガイア
 
八紘一宇の塔

宮崎市を舞台にした作品

名誉市民

宮崎市出身の有名人

芸能

スポーツ

 サーターアンダギー修史(元沖縄プロレスリングアナウンサー)

その他

宮崎市在住の有名人

脚注

  1. ^ 合併協定項目 - 地域コミュニティの取り扱い (PDF) 宮崎・清武合併協議会公式ウェブサイト。

関連項目

参考資料

地域コミュニティ税関連

新聞記事
関連条例

外部リンク

公式

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