松平伊忠
松平 伊忠(まつだいら これただ、1537年(天文6年) - 1575年6月28日(天正3年5月20日))は、戦国時代の武将。徳川氏の家臣で松平好景の長男。子に、「家忠日記」で有名な松平家忠がいる。
三河譜代出身で、深溝松平氏。1563年、武田信玄の軍勢が長沢城に攻めてきたが、小競り合いということもあって伊忠はこれを撃退している。その後も三河一向一揆鎮圧、掛川城攻略戦、姉川の戦い、三方ヶ原の戦いのいずれにも参戦して、家康初期の功臣として武功には目覚しいものがあった。
1575年の長篠の戦いにも参加し、織田信長の命を受けて酒井忠次と共に別働隊を率いて鳶巣山を攻略に向かった。そして敵将・武田信実(信玄の弟)を討ち取るという功績を挙げたが、前線に出すぎたために敵の猛攻にあって自身も戦死してしまった。享年39。