allnightnippon SUPER!
allnightnippon SUPER!(オールナイトニッポンスーパー!)は、ニッポン放送LF+Rをキーステーションに、全国ネットで放送されたラジオ番組。前番組は「ゲルゲットショッキングセンター」、後番組は「オールナイトニッポンいいネ!」。
1999年3月29日~2003年3月28日まで放送され、LF+R撤廃とともに終了した。
長年この枠の放送時間は、月~木22:00~25:00だったが、この番組以降、ヤングパラダイス以来9年ぶりに月~金の22:00~24:00となって24:00~25:00は別の番組となっている(2002年10月~2003年3月の最後の半年間、金曜日はニッポン放送のみ25:00まで堀内健とビビる大木のallnightnippon SUPER FRIDAY!として延長された)。
概要
同番組は、ニッポン放送が深夜の時間帯(日本時間で原則21時~翌日4時30分)を「LF+R」という番組編成にリニューアルした際、1999年3月までオールナイトニッポン1部を担当していたパーソナリティ4組を同番組に移行させ、新パーソナリティを含む5組でスタートした。
番組開始当時はネット局が無く、ニッポン放送のみの放送であったが、半年後の1999年10月からはネット局(ネット開始当初10局ネット)での放送も開始。その後もネット局も拡大し、番組終了時には27局まで増えた。
番組開始当初はニッポン放送のみの放送だったため、地方のリスナーを配慮し、インターネットによる同時放送も行っていた。また、1999年10月以降は、一部のネット局でプロ野球ナイター中継の最大時間延長が22:00(JST)までだったので、ニッポン放送より早く番組を聴ける場合もあった。
全国ネットになってからは、オープニングとエンディングにネット局の読み上げもしていた。その際、西川貴教がパーソナリティの時は通常は長崎放送としてカウントされるNBCラジオ佐賀(長崎放送佐賀放送局)も入っていた(紹介時は「NBC佐賀」)。全国ネット開始前や全国ネット開始後のCM前にニッポン放送では25時台の@llnightnippon.comや現在のオールナイトニッポン同様、提供スポンサーのクレジットも読み上げていた。地方局のほとんどが自主制作番組又は番組販売のラジオ番組を放送していたが経費削減の為にこの番組にネットを移行した。
ただこの番組開始と同時に、月曜から木曜の4組のパーソナリティには、従来のオールナイトニッポン1部のパーソナリティがそのまま起用されたため、地方のリスナーから猛烈な反発を買う羽目になった(当時はインターネットは普及していたものの、常時接続の環境はほとんどなかった)。開始前からその事に気付き放送内で不平を述べていた木曜パーソナリティのナインティナインは、半年で「@llnightnippon.com」に放送枠を戻している。これはパーソナリティ側からの強い要請があったものと言われている。
キー局のニッポン放送はCMを流す関係で22時台の最後にはいつも音楽をかけており、CMを放送しない地方局に配慮してその曲が23:00まで放送されるか曲が終了した後にフィラー音楽を流していたが、その時間帯を利用してニュース・天気予報を放送した放送局もあった(青森放送・東海ラジオ・西日本放送・南海放送他)。
歴代パーソナリティ
月曜日
- ロンドンブーツ1号2号(ロンドンブーツ1号2号のオールナイトニッポン・1999年3月~2003年3月)
火曜日
- 西川貴教(西川貴教のallnightnippon SUPER!・1999年3月~2003年3月)
水曜日
- ゆず(1999年3月~2000年10月)
- ※現在はゆずのオールナイトニッポン GOLD(月曜22:00-23:50)を担当中
- 週替わり(2000年11月~2000年12月)
- ポルノグラフィティ(2001年1月~2003年3月)
木曜日
- ナインティナイン(1999年3月~1999年9月)(ナインティナインのallnightnippon SUPER!)
- ※現在はナインティナインのオールナイトニッポン(木曜25:00-27:00)を担当中
- SILVA(1999年10月~2000年3月)
- 中澤裕子(モーニング娘。(当時))(2000年4月~2001年4月)
- 終了後は、allnightnippon Sunday Special(2001年4月~9月 日曜日)を担当
- 矢口真里(モーニング娘。(当時))(2001年4月~2003年3月)
- 終了後は、あなたがいるから、矢口真里(2003年4月~2005年3月 日曜日)を担当
金曜日
- ネプチューン(1999年3月~2002年9月)
- 堀内健とビビる大木(2002年10月~2003年3月)
- 堀内健とビビる大木が担当する金曜日は「堀内健とビビる大木のallnightnippon SUPER FRIDAY!」として、ニッポン放送のみ25:00までの放送だった。
その他
このほかにも不定期でスペシャルパーソナリティが担当する番組も放送していた(宇多田ヒカル、倉木麻衣など)。
パーソナリティの変遷
期間 | 月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | |
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1999.03 | 1999.09 | ロンドンブーツ1号2号 | 西川貴教 | ゆず | ナインティナイン | ネプチューン |
1999.10 | 2000.03 | SILVA | ||||
2000.04 | 2000.10 | 中澤裕子 | ||||
2000.11 | 2000.12 | 週替わり | ||||
2001.01 | 2001.04 | ポルノグラフィティ | ||||
2001.04 | 2002.09 | 矢口真里 | ||||
2002.10 | 2003.03 | 堀内健とビビる大木 |
番組での出来事・エピソード
- 1999年、まだ関東ローカルでの放送だったときに、ロンドンブーツ1号2号の番組でオリジナルカレーを発売。首都圏のサンクスで販売した。
- 2000年9月、前述のとおりナイターシーズンにはニッポン放送がナイター中継延長のため、インターネット放送と一部のネット局では22時からスタートするいわゆる裏送りで放送されることがたびたびあった。しかし、中澤裕子はそのことをよく把握しておらず、インターネットのみで放送されていると勘違いして、ファーストキスの話をカミングアウト。後に裏送りで地方の放送局に放送されていることに気づいて、後悔をしていた。
- 2001年2月、スペシャルウィークで、リスナーが生き残って欲しいと思うパーソナリティを投票する企画「LF+Rロワイアル」(映画バトル・ロワイアルのパロディ)を行うはずだったが、その内容にリスナーから「残酷だ。」などといった内容のメッセージが寄せられので、それを汲み取り、月曜担当のロンドンブーツ1号2号の田村淳が企画の中止を各曜日のパーソナリティーに呼びかけ中止にさせた。その代わりにリスナーの提案で、企画を進めた番組ディレクターが罰としてお台場のニッポン放送の局舎周辺を走る「LF+Rディレクターズマラソン」に企画変更。
ネットしていた局
カッコの中はネット放送開始時期。※は番組販売によるネット(NRN非加盟局)
- IBC岩手放送(2001年10月)
- IBC岩手放送では金曜日のみ、23:00~24:00の放送だった。この編成は、2008年現在でも同時間帯の番組で続けられている。
- 信越放送では2000年11月から番組終了まで、当時長野県知事の田中康夫が月曜のみ出演している関係でTBSラジオのBATTLE TALK RADIO アクセスをネットしていた。
- 山梨放送(1999年10月)
- 北日本放送(2000年4月)
- 北陸放送(2002年4月)
- 福井放送(2000年4月)
- 静岡放送(2000年10月)
- 東海ラジオ(1999年10月)
- KBS京都(1999年10月)
- 和歌山放送(2000年1月)
- ラジオ関西(2001年4月)※
- 山陰放送(2001年4月)
- RCC中国放送(2000年4月)
- 山口放送(1999年10月)
- 西日本放送(2001年10月)
- 22:58からニュース・気象情報を放送。これは22:55にRNCニュースを放送していたためその代替枠でもあった。
- 南海放送(2000年10月)
- 南海放送では、ネット開始当初の半年間は、23:30で飛び降りていたが(23:30~24:00にローカル枠を置いていた関係による)、その後、EDまで同時ネットした。
関連項目
- オールナイトニッポン
- LF+R
- @llnightnippon.com(オールナイトニッポン・コム)
- allnightnippon-r(オールナイトニッポン・アール)
ニッポン放送 22時台 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
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