GOGO! チアガール
GOGO! チアガール(ごーごー!ちあがーる)は、1980年にTBSと東宝が制作した三原順子主演の青春ものテレビドラマ。
1980年11月5日から1981年10月21日まで、JNN加盟局(ただし、信越放送、北陸放送、熊本放送除く)で水曜日19:30~20:00までの30分枠で放映された。全40回。未ビデオソフト・DVDソフト化。
エピソード
- いままでスポ根ものドラマに添えられていたぐらいのチアガールにスポットを当てたのが斬新。ドラマの中の華麗なチアリーディングの演舞は、吹き替えなしで出演者自らが演じていた。そのため、女子高生の役柄と同年代を演じていた彼女らは、ドラマ撮影期間中は学校からの宿題とドラマの台詞覚え、そして演舞の練習に忙殺されていたという。
- 当時、松田聖子と女性アイドル人気を二分していた三原順子を主演に据えたが、その三原は番組放映期間中に出演者のひとりで、ケンちゃん役で有名な宮脇康之と恋人宣言をしてしまう。この事により、三原のアイドルとしての人気はガタ落ちになり、宮脇も芸能界から干されていく羽目となってしまう。
- 当時、出演していた甲斐智枝美と日高のり子は、容姿が似ていたことから明星などで紹介されたことがある。(甲斐智枝美の方が有名であった為、日高のり子がそっくりさんとして紹介された)
日本のチアリーディングに与えた影響
高校生が応援団のチアリーダーになって行きながら、応援とはチアリーディングとは何かを描いた青春ドラマシリーズ。三原順子(現・三原じゅん子)や島田歌穂・甲斐智枝美・日高のり子ら当時の女性トップアイドルは、チアというものを何も知らず、プロジューサーやディレクターすらも知らず、その当時日本に初めてチアを紹介して、スポーツイベントに欠かせない華となっていたPISCES(ピィシーズ)に指導・出演を依頼交渉していた。このときに、日本にチアリーダーを普及したいと熱い情熱の、日本で最初のチアリーダーの浅井直湖が、それを引き受けた。
ちなみに、彼女が日本に『チア』という言葉や『チアリーディング』という言葉も作り、『講談社スポーツシリーズ』にも、『チアリーディング』という分野を確立し、六大学や、関西の大学アメフト・野球・バスケ、サッカー、バレー、にチアを広げていた。
チアが登場しマスコミにあちこち取り上げられていた時期に、出演タレントの人気と重なり、チアガールという言葉が女の子の人気になっていた。
スポーツイベントの日本での登場は、チアリーダーの登場と重なり、日本にスポーツ文化・ビジネスを呼んでいた。アクションカメラ小僧という中高生の追っかけが登場したのもこの頃である。この番組は、スポーツイベントに登場したチアリーダーの存在を一気に全国に紹介したのである。この前後、ロッテチアガールのドラマで、同じTBSが手掛けた「想い出づくり」(森昌子・古手川裕子・田中裕子出演、淺井直湖指導、こちらはJNN加盟局全局で放送)など、数々のドラマにチアが出るようになった。
出演
ユニフォーム
チアガール達が着るユニフォームは、アメリカンフットボールのプロリーグNFLに所属するNFC東地区のチーム、ダラス・カウボーイズのチアリーダーのユニフォームのデザインを借用して、ブルーのへそ出しブラウスに白いホットパンツ、白いブーツとかなりセクシーなものだった。
番組の変遷
TBS系 水曜19時台後半枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
GOGO! チアガール
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