東急

東急グループの事業持株会社

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東京急行電鉄株式会社(とうきょうきゅうこうでんてつ、: Tokyu Corporation)は、東京都南西部から神奈川県東部に路線を展開して鉄軌道事業などを行う日本会社である。略称は東急(とうきゅう)。

東京急行電鉄株式会社
Tokyu Corporation
種類 株式会社
市場情報
略称 東急、東急電鉄、東京急行
本社所在地 日本の旗 日本
150-8511
東京都渋谷区南平台町5番6号(東急南平台町ビル)
設立 1922年(大正11年)9月2日
業種 陸運業
法人番号 7011001016291 ウィキデータを編集
事業内容 旅客鉄道事業・不動産事業
代表者 代表取締役会長 上條清文
代表取締役社長 越村敏昭
資本金 1,217億24百万円
(2008年3月31日現在)
売上高 単体2,561億67百万円
連結1兆3,729億52百万円
(2008年3月期)
総資産 単体1兆4,048億19万円
連結1兆9,435億90万円
(2008年3月期)
従業員数 単体3,403人
連結24,786人
(2008年3月31日現在)
決算期 毎年3月31日
主要株主 第一生命保険 6.8%
日本生命保険 6.0%
主要子会社 株式会社東急百貨店 100%
株式会社東急ストア 100%
伊豆急行株式会社 100%
東急バス株式会社 100%
株式会社東急ホテルズ 100%
東急建設株式会社
その他については東急グループ参照
関係する人物 五島慶太(事実上の創業者)
五島昇(元社長)
大川博(元副社長)
横田二郎(元社長)
清水仁(元社長)
外部リンク www.tokyu.co.jp
特記事項:鉄道事業部は東京都渋谷区神泉町8-16渋谷ファーストプレイス5・6Fに所在
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東急南平台町ビル(東京急行電鉄本社)
田園都市線用の5000系(2007年8月16日市が尾駅

公式略称は「東京急行」としていたが、2006年平成18年)1月1日より「東急電鉄」に変更した。それに伴い駅掲出のポスターチラシ類、公式サイトパスネットなどにおいて略称表記を順次「東急電鉄」に変更している。かつては英語略称として、T.K.K (Tokyo Kyuko Kabushikigaisha) を使用していた時代もあった。

起源は渋沢財閥系の企業であった。

概要

東急グループの中核企業である東京急行電鉄は、その成り立ちから鉄軌道事業以外の事業割合が大きく、不動産事業、ホテル事業など、鉄軌道事業以外の収益が同事業の収益を上回り、グループ全体の収益は毎年1兆円を超える。単体売上高近畿日本鉄道に次ぎ、連結売上高は日本1位、利益は連結、単体共に1位である(JRを除く)。グループ企業には、交通関係、開発関係、流通関係、リゾート関係、ホテル関係などに287社9法人が名を連ねる(2007年3月末現在)。

東京急行電鉄は、東急グループ内外を問わず東急グループの事業中核会社として認識されており、「東急本社」、「電鉄本社」と表現されることが多い。

1947年から1972年まではプロ野球チームの「東急(急映・東映)フライヤーズ」(後に、日拓ホームフライヤーズ→日本ハムファイターズ→現在の北海道日本ハムファイターズ)を所有した。また、映画製作・配給を手掛ける東映(旧・東横映画)は1964年まで東急グループの傘下であったが、当時東映のオーナーだった大川博と東急側との間に溝ができ、東映側が独立したが、大川の没後東映社長となった東急派の岡田茂が取締役を務める等、東急との関係は部分的に残った。

また、かつてグループ企業に日本エアシステム(JAS、現・日本航空インターナショナル)があったことから、同社の株式移転により設立された株式会社日本航空JALグループの持株会社)の筆頭株主だった(2009年4月現在では第2位であったが、2009年12月から2010年1月にかけて同社株を売却し資本関係を解消)。同社とは2006年春にJALと東急グループが提携クレジットカードを発行した。

沿革

東京急行電鉄の歴史は、成城などと並び、高級住宅街と称される田園調布の開発主体であり、渋沢栄一が非営利の事業として設立した田園都市株式会社の鉄道部門を1922年9月に分離した目黒蒲田電鉄(めぐろかまたでんてつ)に始まる。都市開発の一環としての鉄道事業という位置付けはこの当時からのものである。戦後においても、多摩田園都市の開発に伴う田園都市線の延伸などのプロジェクトを行っている。

目黒蒲田電鉄は、田園都市と地権者が共同開発した分譲地と省線(現在のJR線)を結ぶ交通手段として設立された。開業に当たって、田園都市側は大阪の箕面有馬電気軌道(箕電。現在の阪急電鉄)で実績のあった小林一三に白羽の矢を立て、経営に参画するように求めるが、小林は固辞する代わりに鉄道省出身で未開業の武蔵電気鉄道(現在の東横線の母体)に携わっていた五島慶太を推挙した。こうして目蒲入りした五島慶太は陣頭指揮を執って同社を東都最大の私鉄に育成することとなる。

1923年3月に目黒 - 丸子(現在の沼部)間を開業し、11月には目黒 - 蒲田間(目蒲線、現在の目黒線および東急多摩川線)を全通させた。また、1927年から1929年にかけて大井町線大井町 - 二子玉川間を開通させた。また、目黒蒲田電鉄は1934年10月1日池上電気鉄道(現在の池上線を運営)を、1939年10月1日に(旧)東京横浜電鉄(武蔵電気鉄道の後身。現在の東横線および玉川線を運営)をそれぞれ合併し、10月16日に(新)東京横浜電鉄(とうきょうよこはまでんてつ)と改称した。この時に、現在の東急の基本となる路線がほぼ一元的に運営されるようになっている。

1942年5月26日陸上交通事業調整法による戦時統制の背景もあり、同じ五島慶太が社長を務める(旧)小田急電鉄と京浜電気鉄道を合併して東京急行電鉄と改称した。1944年5月31日には京王電気軌道を合併した。また、この間の1943年には経営難であった相模鉄道の運営を受託している。さらに1944年2月には五島慶太が運輸通信大臣に就任した。路線延長約320km、北は中央線から南は三浦半島、西は箱根までをテリトリーとするいわゆる「大東急」の時代となる。

戦後は独占禁止法過度経済力集中排除法が施行され、「大東急」はこれらの法律の適用から除外されたものの、「大東急も当てはまる」と主張する旧小田急電鉄関係者を中心にかつての4社への復元運動が勃発する。これを受けて経営陣は会社経営の民主化に乗り出す。また、戦中の空襲での被害が沿線地域に集中しており、復興するためには一企業での資金調達が限界があり困難となったため、まず1947年相模鉄道や静岡鉄道等傘下会社の持株の大部分をその会社の役職員などに譲渡し放出(相模鉄道の運営受託は持株放出直前の同年5月31日に終了している)。そこへ8月、五島慶太が公職追放に追い込まれる。そして1948年5月に百貨店部門を東横百貨店(現・東急百貨店)に分離し、6月に小田急電鉄京浜急行電鉄、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)を分離させ、大東急の「再編成」を行った。ただし、三私鉄の分離独立後も、各社の幹部人事は五島慶太が指示しており、長男の五島昇を京王帝都、京浜急行、小田急の取締役に就任させていた(五島昇が死去する1989年まで続いた)。その他、京王帝都の三宮四郎社長(東急出身)が大映曾我正史専務と組んで、映画会社日映設立の動きを見せると、当時、財務基盤が脆弱だった京王帝都の中核事業以外への過剰投資を憂慮した東急側の意向により、日映設立を中止させ、三宮社長を事実上更迭した例(日映事件)や、西武鉄道と激しく抗争した箱根・伊豆開発では小田急の安藤楢六社長を通じて代理戦争を演じた例(箱根山戦争)など、戦後しばらくは東急系三私鉄は、東急の衛星企業として機能した。

その後、復帰した五島慶太の提唱する多摩田園都市構想に基づき、田園都市線を建設する。同線は1984年に全線開通し、多摩田園都市の基礎的インフラが完成する。1991年にはバス部門を分離し、東急バスとしている。

大東急の名残として、東横目蒲電鉄健康保険組合(1935年4月1日設立)を祖とし、東京急行電鉄、京王電鉄、京浜急行電鉄、相模鉄道、東映、関東バス及び小田急電鉄の母体事業所及び子会社等を含めた健康保険組合である、東京西南私鉄連合健康保険組合(1948年改組)の存在があげられる。近年、小田急グループは分離独立したが、2003年4月1日、東急車輛健康保険組合との合併を経て現在に至っている。また、合併されていた4私鉄は現在でも電動車の形式記号に「モ」ではなく「デ」を使用している。また、五島昇が社長・会長をつとめていた当時は、東急系の京王帝都、京浜急行、小田急各社の非常勤取締役に就いており、系列の東急エージェンシー東急レクリエーションは、現在でも上記3社とは資本的、人的関係を有するのも大東急の名残といえる。

 
東急のかつての主力車両8000系。 写真の8019Fは2007年12月に運用離脱した。

2000年8月6日、混雑緩和を目的に東横線の多摩川 - 武蔵小杉間が複々線化され、目蒲線が目黒 - 武蔵小杉間の目黒線と多摩川 - 蒲田間の東急多摩川線に分割された。翌9月26日からは目黒線と帝都高速度交通営団(現・東京メトロ南北線東京都交通局都営地下鉄三田線との相互直通運転を開始し、翌2001年3月28日からは埼玉高速鉄道線へも相互直通運転を拡大した。

2004年1月31日をもって東横線の横浜 - 桜木町間を廃止し(列車の運転は30日終電まで)、1日置いた2月1日より横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅までの相互直通運転を開始した。

2005年3月20日運賃改定では、特定都市鉄道整備事業計画の下で行われてきた田園都市線渋谷 - 溝の口間を含む区間に対する10円の加算運賃が廃止された。

東急と五島家

1943年に東京急行電鉄で刊行した『東京横浜電鉄沿革史』によれば、当時として、東急の創業者を渋沢栄一としている(東急の母体企業“田園都市創設者”という表現を用いている)。渋沢の子渋沢秀雄も東急の常任監査役をつとめていた。しかし、東急の事実上の創業者は五島慶太と認知されている。東急の源流企業である目黒蒲田電鉄が、当時、鉄道省の高級官吏であった五島慶太を経営陣に招聘し、それ以降、五島を中心に、同社が東京横浜電鉄、東京急行電鉄と変遷し、現在の東急グループが形成されたからである。しかしながら、対照される西武鉄道の堤家と異なり、五島は資本による会社支配を行わなかった。五島家の東急の持株比率は低く、個人株主では国際興業小佐野賢治が筆頭であった。五島慶太の後継者五島昇も資本による会社支配を行わなかったことから、五島慶太・昇父子の経営者としての手腕や、パーソナリティでグループが結束を保ってきた歴史を有する。五島昇の後継者として目された昇の長男五島哲は、本田技研工業を経て東急取締役に就任し、東急建設社長をつとめたが、東急本社の社長には就任せずに他界したため(五島昇は哲の社長就任を望んでいたといわれる)、現在、東急グループの経営陣に五島家出身者はいない。東急では、創業家たる五島家の名を冠した公益法人を擁してはいるものの、「偶然、五島家から名経営者が二代続けて出た」という見解で、五島家を公式にオーナーとはしていない。また、五島昇が会長職に退き、以降、横田二郎清水仁上條清文越村敏昭と内部昇進の生え抜き社長が続いたことで、「東急がようやく“ふつうの会社”になった」という東急関係者も多い。

年表

※前身企業である田園都市(株)、目黒蒲田電鉄、および(旧)東京横浜電鉄から大東急までの各会社の時代の詳細な年表は、それぞれ田園都市(株)目黒蒲田電鉄、および東京横浜電鉄の各社史年表を、多摩田園都市開発に関しては多摩田園都市開発年表を参照のこと。

前史

(旧)東京急行電鉄、「大東急」の時代

 東京急行電鉄 再発足以後

  • 1966年(昭和41年)4月1日 田園都市線溝の口 - 長津田間が開通
  • 1967年(昭和42年)
  • 1968年(昭和43年)
    • 4月1日
      • 東横線でATS(自動列車停止装置)の使用開始
      • 田園都市線長津田 - つくし野間が開通
    • 6月1日 東急ホテルチェーンを設立
    • 12月6日 東急海外ホテルを設立
  • 1969年(昭和44年)
    • 5月10日 玉川線(渋谷 - 二子玉川園間)と砧線(二子玉川園 - 砧本村間)を廃止
    • 5月10日 玉川線(三軒茶屋 - 下高井戸間)を世田谷線と名称変更
    • 11月30日 東横線に8000系を導入
  • 1970年(昭和45年)3月1日 池上線にATS(自動列車停止装置)を設置、鉄道全線にATS設置完了
  • 1971年(昭和46年)2月20日 祐天寺、学芸大学、桜木町の3駅が自動化駅に。祐天寺、学芸大学にオープンカウンターを開設
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月1日
      • 東急広報委員会を設立
      • 田園都市線つくし野 - すずかけ台間が開通
    • 4月28日 第1回苗木プレゼント(東急グリーニング運動)実施
    • 7月12日 東急グループのスローガンを「人間の豊かさを求める - ヒューマナイザー東急グループ」と決定
    • 9月1日 東京急行電鉄、創立50周年式典を挙行
    • 10月5日 長津田車両工場を竣工
  • 1973年(昭和48年)
    • 5月1日 現行の社章が制定される。この社章色にちなみ、以後の新車もをシンボルカラーに採用。
    • 11月1日 イン事業の直営第1号店として京都東急インを開業
  • 1974年(昭和49年)8月28日 とうきゅう環境浄化財団を設立
  • 1975年(昭和50年)10月23日 とうきゅう外来留学生奨学財団を設立
  • 1976年(昭和51年)10月15日 田園都市線すずかけ台 - つきみ野間が開通
  • 1977年(昭和52年)4月7日 新玉川線渋谷 - 二子玉川園間が開通
  • 1978年(昭和53年)11月16日 田園都市線 - 新玉川線(現:田園都市線渋谷 - 二子玉川)が直通快速列車を運転開始(1996年4月、すべての快速列車を急行列車に変更)
  • 1979年(昭和54年)
    • 4月1日 東横線にTTC(列車運行総合制御装置)を導入
    • 8月12日 田園都市線 - 新玉川線(現:田園都市線) - 営団(現:東京メトロ)半蔵門線の全列車直通運転開始
  • 1980年(昭和55年)
    • 9月2日 各地域における東急グループの組織である「東急会」の再編および「東急会連合会」の発足
    • 12月27日 東横線に軽量ステンレスカー8090系を導入
  • 1986年(昭和61年)
    • 2月5日 ニューステーションプラン1号店として、自由が丘駅総合サービスセンター(現:テコプラザ)開業
    • 3月9日 東横線に新型車両9000系を導入
    • 10月1日 東急グループのスローガンを「21世紀へ豊かさを深める - とうきゅうグループ」と制定
    • 11月21日 東急総合研究所を設立
  • 1987年(昭和62年)
    • 8月14日 軽井沢72女子オープンゴルフトーナメントを開催( - 1991年)
    • 10月2日 東急ケーブルテレビジョン(現:イッツコミュニケーションズ)が開局、渋谷区と横浜市緑区で営業放送を開始
    • 12月25日 横田二郎副社長が取締役社長に、五島昇社長が会長に就任
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月11日 東横線複々線化工事および目蒲線改良工事の最初の工事として日吉駅改良工事に着手
    • 4月12日 多摩田園都市が日本建築学会賞を受賞
    • 12月26日 日比谷線乗り入れ車両として新型車両1000系を導入
  • 1989年(平成元年)
    • 1月26日 こどもの国線ワンマン化
    • 3月19日
      • 3000系車両(旧型)が営業運転終了、鉄道の全車両がステンレス車体になる
      • 池上線旗の台 - 戸越銀座間の連続立体交差化工事が完了、13か所の踏切を解消
    • 3月20日 五島昇会長が死去
    • 9月3日 東京渋谷に複合文化施設Bunkamuraを開業
    • 10月26日 多摩田園都市が緑の都市賞で内閣総理大臣賞を受賞
    • 11月4日 田奈一号踏切道を廃止、田園都市線は踏切ゼロの路線になる
  • 1990年(平成2年)
    • 3月16日 五島記念文化財団を設立
    • 4月18日 東急アクションプラン21を発表
  • 1991年(平成3年)
    • 3月16日 田園都市線・新玉川線(現:田園都市線)に新型ATC(自動列車制御装置)を導入
    • 5月21日 東急バスを設立
    • 5月29日 池上線の連続立体交差化工事が土木学会技術開発賞を受賞
    • 10月1日 自動車事業を分離独立、東急バスが営業開始
  • 1992年(平成4年)
    • 3月19日 東急インチェーン(現:東急ホテルズ)の新ブランド「エクセルホテル東急」の1号店として、富山エクセルホテル東急を開業
    • 3月31日 田園都市線・新玉川線に新型車両2000系を導入
    • 7月14日 東急南平台町ビル(旧本社ビル)が竣工
    • 11月1日 鉄道現業部門の制服を一新
    • 12月18日 福島県裏磐梯にグランデコ ホテル&スキーリゾートをオープン
  • 1993年(平成5年)
  • 1994年(平成6年)
    • 2月7日 MM21地区・24街区プロジェクト(クイーンズスクエア横浜)に着手
    • 4月29日 田園都市線田奈駅に「多摩田園都市まちづくり館」をオープン
    • 10月1日
      • フィットネス&アクアアトリオあざみ野をオープン
      • 第1回 とうきゅう Thanks Daysを開催
    • 10月4日 世田谷ビジネススクエアが都市景観大賞を受賞
  • 1995年(平成7年)
  • 1996年(平成8年)
    • 2月1日 インターネット上にホームページを開設
    • 3月12日 田園調布 - 多摩川園間改良工事地下化完成
    • 4月26日 田園都市線・新玉川線、大井町線でダイヤ改正(日中時間帯、急行列車を中央林間まで延長)
    • 6月1日 横浜市青葉区の社有地で定期借地権事業(事業用)に参入
    • 10月1日 東急車輛製造の 東急インテリジェント・パーキング (TIP) システム一号機が上大岡で稼働
    • 11月18日 三軒茶屋・太子堂四丁目地区市街地再開発事業が竣工、キャロットタワーが開業
  • 1997年(平成9年)
    • 2月27日 八王子駅北口地区市街地再開発事業が竣工(3月14日に商業施設 八王子東急スクエアが開業)
    • 3月20日 東横線渋谷 - 菊名間にATC(自動列車制御装置)を導入
    • 4月1日 会員制インターネットサービス 246-netがサービス開始、プロバイダ事業に参入
    • 7月18日 MM21・24街区 クイーンズスクエア横浜が街びらき(7月18日に専門店街アット!が、8月7日にパン パシフィック ホテル横浜が、9月5日に百貨店クイーンズ イーストがそれぞれ開業)
    • 9月1日 次の時代に向けた東急グループ理念体系を決定、新スローガン 「美しい時代へ - 東急グループ」を制定
  • 1998年(平成10年)
    • 3月16日 池上線でワンマン運転を開始
    • 4月1日 東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)がCATV網を活用した超高速インターネット接続サービスを開始
    • 6月1日 東急アニバーサリービデオ事業が始動
    • 7月1日 環境活動を全社的な統一テーマとして取り組むために 環境活動推進委員会を設置
  • 1999年(平成11年)
    • 1月25日 タイムシェアリゾート事業に進出(商品名:ビッグウィーク)
    • 1月31日 東急百貨店日本橋店閉店
    • 3月19日 長津田車両工場が民鉄の鉄道車両整備工場としては初めて、環境管理の国際規格ISO 14001の認証を取得
    • 4月16日 東横線に新形式車両3000系を導入(現在は目黒線で運用)
    • 5月15日 環境共生型住宅 市が尾邸宅を販売開始
    • 6月24日 クイーンズスクエア横浜が建設大臣賞受賞
    • 7月2日 タイムシェアリゾート事業・利用権交換システム会社として東急ビッグウィークステーションを設立
    • 7月11日 世田谷線に更新車両300系を導入
    • 10月1日 東急インチェーン(現:東急ホテルズ)がインターネットリアルタイム予約システムを導入
  • 2000年(平成12年)
    • 1月7日 東急百貨店日本橋店跡地の再開発計画、計画促進を東京急行、三井不動産で合意
    • 1月15日 田園調布駅旧駅舎を復元
    • 2月12日 田中勇相談役が死去
    • 3月1日 東急インチェーン・東急ホテルチェーンの宿泊予約サイト「東急チェックインドットコム」を開設
    • 3月29日 こどもの国線通勤線化、中間駅として恩田駅を開業
    • 4月7日
      • 東京急行、トヨタが共同で、広帯域・インターネット・アプリケーションサービスを提供するために AII企画株式会社(現:AII株式会社)を設立
      • 東京急行、帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)、京王電鉄の3社共同プロジェクト 渋谷マークシティが開業。ホテル棟に 渋谷エクセルホテル東急がオープン
    • 4月10日 東京急行、小田急電鉄、相模鉄道、東武鉄道の4社が発起人となって、CATVのデジタル化のための 日本デジタル配信株式会社を設立
    • 4月18日 東急グループ経営方針を発表
    • 4月21日 田園都市線・南町田駅前にオープンモール型ショッピングセンター グランベリーモールを開業
    • 6月30日 東京急行、ソニー、東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)の3社で、ブロードバンド・ネットワーク事業で戦略的に提携していくことで合意
    • 8月6日 目蒲線の運行系統を目黒 - 武蔵小杉間の目黒線と多摩川 - 蒲田間の東急多摩川線の2系統に変更。田園都市線・新玉川線を田園都市線に統一。多摩川園駅を多摩川駅に、二子玉川園駅を二子玉川駅に駅名変更
    • 8月15日 東急ファンのための専用サイト レールファン東急を開設
    • 9月26日
      • 目黒線と営団(現:東京メトロ)南北線・都営三田線との相互直通運転を開始
      • 自動改札機で利用客の乗降を確認する フェアスルーシステムを導入
    • 10月14日 首都圏の20鉄道事業者で共通乗車カードシステム パスネットを導入
    • 10月16日 携帯電話電源OFF車両(列車の偶数車両)を全国で初めて設置
    • 11月29日 本社部門でISO14001の認証取得
  • 2001年(平成13年)
    • 1月9日 東急ホテルマネジメント設立
    • 1月15日 東急沿線の生活サイト「salus(サルース)」開設
    • 2月11日 世田谷線がノンステップ化、新型300系車両への置き換え完了
    • 3月11日 天文博物館五島プラネタリウム閉館
    • 3月23日 目黒線が埼玉高速鉄道と相互直通運転を開始
    • 3月28日 東横線に特急を新設
    • 3月30日 ソニー、東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)と次世代型CATVインターネットサービス提供開始で合意
    • 3月31日 石油販売事業の営業を終了
    • 4月1日 東急沿線の情報誌salus(サルース)創刊
    • 4月20日 東横線複々線化事業が平成12年度土木学会賞技術賞を受賞
    • 5月24日 セルリアンタワーがグランドオープン
    • 6月27日 東急リアル・エステート・インベストメント・マネジメントを設立
    • 6月28日 清水仁社長が会長に、上條清文副社長が社長に就任
    • 7月11日 日本橋一丁目計画着工
    • 7月17日 株式交換により東急ホテルチェーンを完全子会社化
    • 7月23日 東急ホテルズ予約センターを開設
    • 7月29日 渋谷駅構内に新業態店舗ranKing ranQueen(ランキンランキン)開業
    • 8月1日 東急ケーブルテレビジョンが、イッツ・コミュニケーションズに社名変更
  • 2002年(平成14年)
    • 1月4日 東急グループコンプライアンス指針を制定
    • 1月29日 東横線と営団13号線(現:東京メトロ副都心線)の相互直通運転実施(2012年度)を決定
    • 3月1日 青葉台東急スクエアがグランドオープン
    • 3月23日 乗車券を2枚同時投入できる自動改札機を導入
    • 3月28日 田園都市線、大井町線ダイヤ改正、あざみ野駅を急行停車駅に変更
    • 3月29日 平塚市五領ケ台特定土地区画整理事業(湘南めぐみが丘)が完成
    • 4月1日
      • 東急ホテルチェーンと東急インチェーンのホテルチェーン名を 東急ホテルズに統一
      • 東急運輸、東京通運の2社経営を相鉄運輸に統合(新社名:東急ロジスティック
      • 東急保険コンサルティングの営業を開始
      • 246-netの営業をイッツ・コミュニケーションズに譲渡
      • JR東急目黒ビル、グランドオープン
    • 5月2日 田園都市線に新形式車両5000系を導入
    • 5月27日 国内ホテル経営機能の集約(ホテル事業を東急ホテルチェーンに譲渡)を発表
    • 5月28日 東急文化会館の閉鎖、解体(2003年6月)を決定
    • 6月27日 インターネットによる株主総会の議決権行使、決算公告に代えて、ホームページによる貸借対照表および損益計算書の開示を導入
    • 7月1日 東急サービスと東急管財が合併(会社名:東急ファシリティサービス
    • 7月7日 世田谷線にICカード乗車券 せたまるを導入
    • 8月1日 携帯端末向け列車運行情報提供サービスを開始
    • 10月1日 株式交換により、東急車輛製造を完全子会社化
    • 10月20日 横浜市青葉区で市内初のコミュニティ放送FMサルースを開局
    • 12月27日 固定資産の信託設定ならびに信託受益権の譲渡を発表(東急南平台町ビル、東急桜丘町ビル、第2東急鷺沼ビル)
  • 2003年(平成15年)
    • 3月15日 東急109センターの名称を「東急お客さまセンター」に改称、営業時間拡大、土日の営業を開始
    • 3月19日 東急線ダイヤ改正(世田谷線を除く)
      • 営団地下鉄(現:東京メトロ)半蔵門線水天宮前 - 押上間延伸開業、同時に押上駅から東武伊勢崎線を経由して日光線南栗橋駅までの相互乗り入れを開始
      • 東横線に通勤特急を新設
    • 3月20日 電車とバスの博物館が宮崎台駅に移転、リニューアルオープン
    • 3月26日 東京急行電鉄中期2カ年経営計画を策定
    • 4月1日
      • 事業持株会社化に向けた機構改革を実施、事業部門を鉄道事業、都市生活事業の2本部体制に
      • ホテル事業を東急ホテルチェーンに営業譲渡
    • 5月1日
      • 全駅を終日禁煙化
      • 映像制作支援事業 tokyu C&C(トーキュウシーアンドシー)が本営業を開始
    • 6月30日 東急文化会館閉館
    • 9月10日 東急リアル・エステート投資法人が東京証券取引所に上場
    • 9月15日 電車内における携帯電話マナーのご案内を、関東17の鉄道事業者で統一
    • 9月26日 株式交換による東急観光の完全子会社化(2004年1月1日)を決定
    • 10月1日 東急建設が建設事業と不動産事業に会社を分割、建設事業を継承するTCホールディングスが商号を東急建設に変更し、東証一部に再上場
    • 10月10日 オープンモール型ショッピングセンター「箕面マーケットパーク ヴィソラ」
  • 2004年(平成16年)
    • 1月1日 株式交換により東急観光を完全子会社化
    • 1月30日 東横線横浜 - 桜木町間の営業を終了
    • 2月1日 みなとみらい線開業、東横線が相互直通運転を開始
    • 3月1日 箱根ターンパイク(自動車道事業)を豪マッコーリーグループに営業譲渡
    • 3月31日 東急観光株式の約85%をアクティブ・インベストメント・パートナーズに譲渡
    • 4月1日 障害者の雇用促進を目的とした会社 東急ウィルを設立
    • 4月7日 あざみ野に遊水池の上部空間を利用した商業施設 悠・粋・知 三規庭が開業
    • 6月26日 横田二郎相談役(元社長)が死去
    • 9月27日 株式交換により東急百貨店を完全子会社化することを発表
    • 10月1日 株式交換により伊豆急行を完全子会社化
    • 12月1日 東急セキュリティが本格営業を開始
    • 12月15日 東急エアカーゴ株式の当社保有分をバンテックホールディングスツーに譲渡
  • 2005年(平成17年)
    • 2月10日 東横線渋谷 - 横浜駅間改良工事が特定都市鉄道整備事業計画として認定
    • 2月14日 田園都市線で使用されている5000系車両の5号車と8号車に6ドア・座席格納車両を導入、以降順次同系に拡大導入
    • 3月4日 二子玉川東地区再開発組合の設立が認可
    • 3月28日 東京急行電鉄中期3カ年経営計画を発表
    • 4月1日
      • 執行役員制度導入と機構改革実施
      • 株式交換により東急百貨店を完全子会社化
    • 5月9日 田園都市線に女性専用車両を導入
    • 6月15日 東急ロジスティック株式の当社保有分をエスビーエスに譲渡
    • 6月29日 上條清文社長が会長、越村敏昭専務が社長に就任
    • 7月25日 東横線に女性専用車両を導入
  • 2006年(平成18年)
    • 3月18日 田園都市線・半蔵門線、東武伊勢崎線久喜駅へも乗り入れ開始
    • 7月2日 目黒線不動前 - 洗足間地下化
    • 9月24日 東横線武蔵小杉 - 日吉間高架化
    • 9月25日 目黒線で急行運転を開始
  • 2007年(平成19年)
    • 3月18日 共通ICカード乗車券PASMOを導入
    • 4月5日 混雑平準化を目的として、田園都市線の平日朝最混雑時間帯の急行を準急に格下げ
    • 12月25日 池上線・東急多摩川線に新型車両7000系(2代)を導入
  • 2008年(平成20年)
    • 2月22日 8000系全車両が運用から離脱(譲渡車を除く)
    • 3月28日 大井町線に新型車両6000系(2代)を導入し、同時に急行運転開始
    • 4月1日 駅係員、乗務員の制服をリニューアル。創立70周年の1992年以来となる
    • 5月7日 同社が川崎市から購入した同市宮前区内の土地の土壌汚染に関して、同市が搬入した焼却に原因があると訴えていた件に関し、公害等調整委員会は、川崎市に損害賠償の支払いを命じる。
    • 6月22日 目黒線武蔵小杉 - 日吉間延伸開業
    • 7月1日 東急ストアを株式交換により完全子会社化
    • 10月11日 鉄道線自動改札の半数以上を、ICカード専用化
  • 2009年(平成21年)
    • 3月10日 田園都市線で運用されている5000系車両の4号車を6ドア・座席格納車両に差し替えると発表(2009年12月まで順次実施)
    • 7月11日 大井町線が溝の口駅まで延伸開業

鉄・軌道事業

路線

鉄道99.9km(第1種鉄道事業96.5km(東横線と目黒線、田園都市線と大井町線の並行部分もそれぞれ計上)、第2種鉄道事業3.4km)と軌道線5.0kmの計104.9kmの路線を保有する。■の色はラインカラーである。各線の沿革、列車の運行(相互直通運転)などについてはそれぞれの記事を参照されたい。

一般的に鉄道路線はその正式名称や運行区間を変えることはあまりなく、運行形態が変わった場合は正式名称とは別に愛称などを用いる場合が多いが、東急は正式名称や区間の変更を度々行ってきた。近年では、2000年8月に目黒線と営団地下鉄南北線都営地下鉄三田線との相互直通運転開始に関連して大幅な整理、変更を行っている。変遷については路線名称変更・区間変更を参照。

乗り入れ路線

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現在の乗り入れ路線

※日比谷線には東武伊勢崎線車両も乗り入れるが、東横線には乗り入れない。逆に東横線の車両も東武に乗り入れない。

※目黒線は、南北線・埼玉高速鉄道線直通と三田線直通が交互に走り、南北線直通列車は白金高輪駅で三田線列車に連絡し、三田線直通列車は白金高輪駅で南北線列車に連絡する。ともに一部列車では連絡していない。

※なお、中目黒駅・横浜駅・目黒駅・田園都市線渋谷駅は他社接続の共同使用駅であるが、すべて東急が管理している。また、田園都市線渋谷駅と同一構内で接続する東京メトロ副都心線渋谷駅も、将来的に東横線との接続・直通運行が予定されていることもあり(次項参照)、開業当初から東急が管理することとなった。

予定されている乗り入れ路線

※東急電鉄の広告などでは、副都心線経由で東武東上線、西武有楽町線・池袋線に直通すると図で示されているが、2009年時点では直通列車の運行形態などの正式な発表はない。

廃止路線

部分廃止や前身会社の路線も含む。特記がない路線は地方鉄道法鉄道事業法による鉄道。廃止日は最終営業日の翌日。

  • 玉川線(軌道):渋谷 - 二子玉川園(現・二子玉川駅)(9.1km) - 1969年5月11日廃止
    • 天現寺線(軌道):渋谷 - 天現寺橋 (2.7km) - 1948年3月10日東京都に譲渡
    • 中目黒線(軌道):渋谷橋 - 中目黒 (1.4km) - 同上
    • 砧線(軌道→鉄道に変更。実態は玉川線と同規格):二子玉川園 - 砧本村(2.2km) - 1969年5月11日廃止
  • 新奥沢線:雪ヶ谷(現・雪が谷大塚) - 新奥沢(1.4km) - 1935年11月1日廃止
  • 東横線横浜 - 桜木町 (2.0km) - 2004年1月31日廃止

未成路線


路線名称変更・区間変更

廃止日は最終営業日の翌日。

  • 1963年10月11日 大井町線を田園都市線に改称。
  • 1969年5月10日 玉川線のうち渋谷 - 二子玉川園(現・二子玉川)間を廃止、残存区間である三軒茶屋 - 下高井戸間を世田谷線に改称。
  • 1979年8月12日 新玉川線の営団半蔵門線との相互直通運転開始に伴い、田園都市線と新玉川線の相互直通運転開始。同時に、田園都市線から旧・大井町線区間を大井町線として再分割。
  • 2000年8月6日 目蒲線の営団南北線・都営三田線との相互直通運転の開始(9月26日)および多摩川 - 武蔵小杉間複々線化に伴い、目蒲線を目黒線(目黒 - 多摩川 - 武蔵小杉)と東急多摩川線(多摩川 - 蒲田)に分割。同時に相互直通運転を行っていた田園都市線と新玉川線を田園都市線に名称統合。
  • 2004年1月31日 横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転開始に伴い、東横線のうち横浜 - 桜木町間を廃止。
  • 2008年6月22日 東横線の武蔵小杉 - 日吉間複々線化工事完成に伴い、目黒線を武蔵小杉から日吉まで延伸。
  • 2009年7月11日 田園都市線の二子玉川 - 溝の口間複々線化工事完成に伴い、大井町線を二子玉川から溝の口まで延伸。

事業中の区間

  • 東横線渋谷 - 代官山間地下化工事および渋谷 - 横浜間改良工事
    • 2012年度から予定されている東京地下鉄副都心線方面との相互直通運転開始に向けた工事である。同時に10両編成の列車が停車できるようにするため、特急・通勤特急・急行停車駅ではホーム延伸工事を行っている。
  • 大井町線大井町 - 二子玉川間改良工事
    • 大井町線内でも急行運転するためのホーム延伸工事ならびに待避線新設工事。これらはほぼ完了しているが、等々力駅では計画中である地下化工事が諸事情により未だ着工されずにいる(詳しくは「等々力駅#地下化計画」を参照)。

構想中の区間

大倉山駅付近から新横浜駅を経由して東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道貨物線の横浜羽沢駅付近に設置する羽沢駅(仮称)までの新線を建設し、西谷駅からの新線を建設する相模鉄道との相互乗り入れを行う構想が2006年5月25日に発表された。詳細は未定だが、日吉駅からの延伸扱いとなることから目黒線の延伸が有力視されている。当初は大倉山から新横浜、鶴ヶ峰を通って二俣川に至る計画だった。

  • 大井町線の鷺沼延伸

車両

2006年5月24日現在、鉄道線用1,041両と軌道線用20両の計1,061両を保有する(緊急予備車・休止車両・保留車・横浜高速鉄道所有車両を除く)。各系列の詳細、使用線区、運用などについては、それぞれの記事を参照されたい。

制御装置は主に日立製作所製で、他には東洋電機製造(同社または東急初のIGBT素子を用いたVVVFインバータを採用した7700系7915編成を最後に採用されていないがモーターは以後も2代目5000系などで見られる)・東芝(2代目3000系で番号の末尾が偶数の編成・5080系・2代目6000系・2代目7000系)三菱電機(デハ300形のみ)製がある。

東急の形式記号は制御電動車および電動車を「デ」、制御車を「ク」、付随車を「サ」、次の桁に普通車を「ハ」、事業用車を「ヤ」、有蓋貨車荷物電車を「ワ」、無蓋貨車を「ト」、電気機関車を「キ」とし、3000から付番している。これは大東急時代に小田急・帝都(現京王井の頭線)の車両を1000、京王の車両を2000としたためである。余談だが京浜には5000が与えられていた。現在は貨物、荷物輸送を廃止し、「ワ」、「ト」、「キ」が形式消滅したため使用されていない。 その後大東急分離後も東急は3000系はそのままとし、4000を飛ばして5000、6000と付番していった。9000の次は1000から再度付番し、現在7000までが与えられている。ちなみにこのときも4000を飛ばしている。

編成の組み方については原則として固定編成とし、分割・併結は行わない。また、異系列との併結も行わないが、例外として5200系に初代5000系、8500系に8000系が併結されていた実績があった。その他、現在のところ付随車が電動車を上回る構成の編成はない。

鉄道線用

現有形式

2010年3月時点での現有車両は、全て電車である。

東横線
目黒線
  • 東京メトロ南北線・都営三田線・埼玉高速鉄道線直通
田園都市線
  • 東京メトロ半蔵門線・東武伊勢崎線・東武日光線直通
  • 東京メトロ半蔵門線直通・東武線非直通
大井町線
池上線・東急多摩川線
事業用
旧在籍形式
東京急行電鉄成立以前に消滅した形式
東京急行電鉄成立後の在籍・消滅形式

このほか、車両不足の応援やイベント用、軌道検測などを目的に、他社から短期間の借入車(相模鉄道モハ1050形、国鉄モニ13形伊豆急行2100系JR東日本マヤ34形など)が存在した。

軌道線用

 
世田谷線(軌道線)300系車両
現有形式
旧在籍形式

車両についての特記事項

グループに東急車輛製造を持つことから、日本で最初のステンレスカー5200系を導入、さらにアメリカバッド社との技術提携により1962年に日本で最初のオールステンレスカー7000系(初代)も導入した。

車両の技術面に関しては先進的で、初代6000系回生ブレーキ装備、1台車1モーターと、経済性を追求した。8000系からは日本初の省エネ性に優れ、かつ製造コストが安い界磁チョッパ制御を導入したほか、動作性に優れた「全電気指令式電磁直通ブレーキ」を装備した。またコンピュータを用いた軽量車体の設計にも挑み、8000系に試験車を組み込んだ(2005年までに廃車)。その試験結果を元に製造したのが8090系である。VVVFインバータ制御への取り組みも早く、1984年には、初代6000系の一部を改造して実用試験を行いその結果を元に1986年には量産車として9000系を登場させている。このように、様々な先進技術を積極的に導入し、日本の鉄道界の模範となって来た。

しかし、その一方で車両デザインはきわめてシンプルであった。これは車体に加工が難しいとされるステンレスを古くより本格採用したために箱型の平妻正面が数多く登場し、これを比喩して「弁当箱スタイル」と呼ばれることも多かった。3000系(2代)以降はFRPを多用することで平妻正面をやめている。このように、技術的には世界的にもかなり高いレベルにあるものの、車両デザインとしてはステンレス無塗装や切妻形態の正面など、いわゆる「おもしろくない」デザインが続いていた。これを打破するため、正面に赤帯と黒帯を縦に入れた塗装が登場し、俗に歌舞伎塗装と呼ばれている。

1989年、東急の鉄道線最後の旧性能車両である初代3000系列が運行終了したことによって、日本の鉄道で初めて鉄道線の全車両が回生ブレーキ装備車両となった。また同時に大手私鉄では初めて鉄道線の営業車両の全てがステンレス車(またはアルミ車)といった軽量車体の車両に統一されたことになる。2001年には軌道線の世田谷線でもデハ150形が運行終了し、軌道線も含めて全車ステンレス車となり、釣り掛け駆動車、抵抗制御車が全廃となった。

5000系(2代)の導入により(田園都市線5000系・東横・みなとみらい線5050系・同Y500系・目黒線5080系の第3編成以降)全車両のドアの上に液晶ディスプレイ(LCD)を当初は1基(5101F)、その後2基設置(5102F以降、路線情報とその他の情報)している。後にその他の情報を流すLCDは『TOQビジョン』と命名された。さらに5000系では2005年4月27日から1編成に2両(5・8号車)ずつ6ドア・座席格納車両を順次連結している。これは朝ラッシュ時の上り電車で長津田駅から半蔵門駅まで座席を格納する。

LED式行先表示器を装備する車両の書体は、田園都市線・東横線・目黒線・大井町線・世田谷線がゴシック体のみ、池上線・東急多摩川線はゴシックと明朝体の両方が存在する。

東急で営業運転を終了した旧型車両は地方の中小私鉄で使用されているものもある。弘南鉄道十和田観光電鉄福島交通秩父鉄道伊豆急行上田電鉄松本電気鉄道長野電鉄豊橋鉄道北陸鉄道伊賀鉄道水間鉄道熊本電気鉄道などに譲渡されているほか、過去には大手私鉄である名古屋鉄道への譲渡(3700系)もあった。

車両基地・工場

廃止になった施設

電車区・車掌区・乗務区

管理駅

東急電鉄の駅管理業務は、東急電鉄が直轄して行っている駅と、子会社である東急レールウェイサービスが行っている駅がある。前者は「○○管内」と呼んで複数の駅を管理下に置いており、この「○○」に入る駅名が駅長所在駅である。後者は比較的小規模な路線や駅を管理しているほか、東横線と相互直通運転を行っている横浜高速鉄道みなとみらい線の横浜駅を除く各駅や、田園都市線の渋谷駅を管理している(いずれも本項参照)。

運賃

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2005年3月20日改定。世田谷線(軌道線)とこどもの国線の運賃は鉄道線(両線以外)とは別に定められており、キロ程は通算できない。

鉄道線
キロ程 (km) 運賃(円)
初乗り3km 120
4 - 7 150
8 - 11 190
12 - 15 210
16 - 20 240
21 - 25 260
26 - 30 290
31 - 35 320
36 - 40 360
41 - 45 390
46 - 50 420
51 - 56 450
※東横線(渋谷駅 - 武蔵小杉駅間)の前後でJR線を利用する場合は、通過連絡運輸が適用される。ただし、JR線の乗車区間が渋谷側は東京山手線内、武蔵小杉側は南武線矢向駅 - 宿河原駅間)の場合に限る。
こどもの国線
大人150円・小児80円均一。他路線との運賃の通算は行わない。
ただし、こどもの国駅恩田駅 - 青葉台駅田奈駅つくし野駅すずかけ台駅間の運賃は大人20円・小児10円引きとなる。
世田谷線(軌道線)
大人140円・小児70円均一。他路線との運賃の通算は行わない。

割引乗車券

いずれの切符も、田園都市線渋谷駅こどもの国線恩田駅こどもの国駅世田谷線各駅での購入はできない。

世田谷線散策きっぷ
発売当日に限り何回でも世田谷線各駅で乗り降り自由。大人320円、小児160円。世田谷線三軒茶屋駅上町駅下高井戸駅で販売。
みなとみらいチケット
東急線各駅から東横線横浜駅までの往復乗車券と「みなとみらい線一日乗車券」のセット。みなとみらい線内は乗り降り自由。田園都市線桜新町駅 - 中央林間駅からの利用は大井町線二子玉川駅自由が丘駅経由となる。上記の駅のほか、横浜駅での購入はできない。
東急東京メトロパス
東急線各駅から東京地下鉄(東京メトロ)接続駅(渋谷駅・中目黒駅目黒駅)までの往復乗車券と「東京地下鉄一日乗車券」のセット。東京メトロ線内は乗り降り自由。往路と復路で異なる接続駅を選択することも可能。上記の駅のほか、東横線渋谷駅・中目黒駅・目黒駅での購入はできない。
東急お台場パス(2008年3月28日発売開始)
東急線各駅から大井町線大井町駅までの往復乗車券と東京臨海高速鉄道りんかい線大井町駅 - 新木場駅間が乗り降り自由となる一日乗車券のセット。田園都市線池尻大橋駅 - 用賀駅からの利用は大井町線二子玉川駅経由となる。上記の駅のほか、大井町駅での購入はできない。また、りんかい線の一日乗車券とは違い、大崎駅 - 大井町駅間はフリー区間に含まれない。

その他

株主優待乗車証は、こどもの国線と世田谷線を含む東急全線を通しての利用が可能となっている。

サービス・ソフト面の特徴

  • 単に鉄道とその沿線に不動産や百貨店を置くのでなく、古くからカレンダーなどの鉄道グッズを多数発売したり、沿線の乗客から専属モニターとして意見を聞くなど、鉄道と沿線住民が一体となった鉄道として知られる。こうした手法は関西の阪急電鉄が発明したもので、東急もその模倣であると言われている。
  • 最近は京成電鉄京王電鉄や阪急電鉄、しなの鉄道などと同様に、テレビ番組映画ドラマ撮影でも時折東急線が登場している。これは『Tokyu C&C事業』として東急グループの施設での撮影が可能となったことによる。
  • 2007年現在、在籍するすべての編成に1 - 2か所ずつ車椅子スペースを設置している。
  • 東急線全駅に設置されているオレンジ色の自動券売機の一部では、定期券クレジットカードで購入できる。利用可能なカード会社は、東急グループ(東急カード)で発行しているTOP&および、DCカードとVISA・MasterCardブランドのカードである。
  • 近年、漢字を主体に表示する駅名標を用いる鉄道が多い中、東急ではデザインの変更はあるものの、ひらがなを主体にした駅名標を引き続き使用し、子供やとっさに駅名を知りたい乗客に配慮している(例外となる田園都市線渋谷駅は、元々の東京メトロの駅名標枠の縦幅が狭いためにひらがな表記を入れるスペースがなく、やむなく漢字表記主体となっている)。ただし、隣の駅名については漢字標記である。
  • 2005年6月10日の大井町線・池上線・東急多摩川線・世田谷線のダイヤ改正から、冊子時刻表を無料配布化した。
  • 安全対策に関係する投資に積極的で、保安装置は田園都市線東横線目黒線大井町線ATC池上線東急多摩川線ATSとなっている。このうち目黒線はホームゲートとTASC(定位置停止支援装置)、池上線と東急多摩川線がホーム柵と赤外線センサー、TASCを導入し、安全性の向上と省力化の両立を図っている。また、世田谷線は「車内警報装置」(過速防止機能付き)と「列車無線」を導入している。
  • 東急では路線によって車体前面・側面に「各停」種別を表示する路線(東横線・目黒線・大井町線)と表示しない路線(田園都市線・池上線・東急多摩川線・世田谷線)がある。東横線は、みなとみらい線開業を控えた2004年1月までに開始。目黒線は2006年の急行運転開始を機に、大井町線は田園都市線直通急行運転開始を前に実施を開始した。
  • フルカラーLEDや方向幕上の「各停」表示色も路線ごとによって違っており、東横線は青地に白文字で表示し、目黒線は緑地に白文字(3000系は緑文字)、大井町線は田園都市線溝の口駅乗り入れ開始時より高津駅二子新地駅での停車の有無により緑色(通過)・青色(停車)を区別して使用している。
  • 線路の立体化にも積極的であるが、単によくある高架線にするのでなく、現在の地上線の真下に浅いトンネルを掘る、「直下地下工法」を最近は多く使っている。田園都市線とこどもの国線以外にはすべて直下地下区間が存在し、とくに目黒線は地下鉄南北線との直通運転にそなえて工事をしたため、全区間の半分近くが直下地下区間となる。
  • 東急というと高級住宅街や最新技術の電車というイメージがあるが、池上線や多摩川線など、古くからの町並みも残されている。こうした沿線では乗客があまり増えないため、近年まで東横線や田園都市線ほど新しい電車は導入されず、いわゆる旧型電車も他社と比べて結構後世まで残っていた。また最近まで、大井町線や旧目蒲線(現:多摩川線 ※目黒線は新型化が進んだ)、池上線でもいわゆる高需要路線の車両の使いまわしが行われていたり、新型車両の導入は行われていなかったが、大井町線は急行導入を機に、池上・多摩川線では大規模マンションの建設などの沿線再開発などにより新型車両が導入されている。

女性専用車

東急では、以下の路線で女性専用車を導入している。

田園都市線
2005年5月9日から平日の始発から9時30分までの渋谷方面行の全列車に導入した。設定位置は渋谷側から数えて最後尾にあたる車両で、女性専用車としての運用は乗り入れ先の東京メトロ半蔵門線押上駅まで続く。9時30分及び押上駅に到着した時点で女性専用車の運用は終了し、一般車両となる。
東横線
平日の特急・通勤特急・急行のうち、始発から10時までの上下線、17時以降に渋谷駅を発車する元町・中華街方面行において実施されている。設定位置は5号車で、乗り入れ先のみなとみらい線でも同様である。10時になった時点で女性専用車としての運用を終了し、一般車両となる。
2005年7月25日から平日の特急・通勤特急・急行に導入した。導入当初の設定位置は元町・中華街寄りの8号車で、首都圏の鉄道路線として初となる終日の女性専用車導入であった。しかし、2006年7月18日から、終日設定の取りやめ及び設定車両の変更を行った。
東京メトロ日比谷線直通列車には渋谷寄り先頭車両(1号車)に女性専用車のステッカーが貼られているが、これは朝ラッシュ時間帯に中目黒方面行の運用時に日比谷線内において実施されるのみであり、東横線内では女性専用車としての運用はしていない。

提携など

主要グループ企業

参考文献

  • 東京急行電鐵株式會社編『東京横濱電鐵沿革史』、東京急行電鐵、1943年3月
  • 東京急行電鉄株式会社総務部文書課編『東京急行三十年の歩み』、東京急行電鉄、1952年10月
  • 東京急行電鉄株式会社社史編纂事務局編『東京急行電鉄50年史』、東京急行電鉄、1973年4月
  • 東京急行電鉄(株)田園都市事業部編『多摩田園都市 : 開発35年の記録』、東京急行電鉄、1988年10月

関連項目

外部リンク