アグネス・チャン

香港の女性歌手 (1955-)

これはこのページの過去の版です。Petz (会話 | 投稿記録) による 2010年5月30日 (日) 01:34個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

アグネス・チャン(本名:陈美龄, 英語:Agnes Miling Kaneko Chan, 広東語: チャン・メイリン、北京語: チェン・メイリン、日本名:金子 陳美齢(かねこ チャンメイリン)、1955年8月20日 - )は、香港生まれで1970年代の日本でアイドル歌手として成功し、現在はテレビタレントや講演活動・執筆活動などで幅広く活躍する。近年では児童ポルノの課題に強く関心を寄せている。

アグネス・チャン
繁体字 陳美齡
簡体字 陈美龄
漢語拼音 Chén Měilíng
注音符号 ㄔㄣˊ ㄇㄟˇㄌㄧㄥˊ
粤拼 Chan Mei ling
生誕 (1955-08-20) 1955年8月20日(70歳)
香港の旗 イギリス領香港
英語名 Agnes Chan
職業 歌手タレントエッセイスト教育学者
活動期間 1971年 -
配偶者 金子力
子供 3男
公式サイト http://www.agneschan.gr.jp/
テンプレートを表示

日本ユニセフ協会大使。エッセイスト。小説家。カトリック信者で[1]洗礼名が「アグネス」、苗字が「陳」(チャン)。教育学博士の学位を持ち、目白大学客員教授。血液型AB型。

経歴

  • 中学生の時に始めたボランティア活動で、ギターを手に募金を集めた。これが噂になり、香港のフォーク歌手のオムニバスアルバムへのレコーディングの話が出た。
  • 1971年にこの『Second Folk Album』と題するオムニバスアルバムで、姉のアイリーン・チャンと共にジョニ・ミッチェル作の「The Circle Game」をカバーした結果、評判が良く、シングル化もされて大ヒットした。この時期、アイリーンは香港の映画界で人気を得、日本でもテレビドラマ出演などを果たしたが、日本の芸能界では妹アグネスほどの成功は収めていない。
  • 1972年には姉のアイリーン・チャンらと張徹監督の映画『年輕人』『反叛』に出演、映画が配給されたマレーシアタイなどの東南アジアでも人気がでるようになった。
  • 香港のテレビ番組で知り合った平尾昌晃によって日本に紹介され、1972年11月25日ワーナーパイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)より「ひなげしの花」で日本デビュー。当初の衣裳はロングであったが、ミニスカートに変えて人気が急上昇した。日本語ができなかった当時、事務所で食べる出前の食事には、中国系だからと毎回のように中華丼ばかりが用意され、嫌いな食べ物になったという。
  • 1973年草原の輝き」で第15回日本レコード大賞新人賞を受賞するなど、高く澄んだ歌声と、愛くるしいルックス、たどたどしいが一生懸命日本語で歌う姿勢が受けて、人気アイドルとなった。
  • 1973年の「小さな恋の物語」が大ヒットし、オリコンチャート1位を獲得。だが、前作の「草原の輝き」の印象が強烈すぎるせいか、この曲は世間一般での印象が薄く、テレビの懐メロ番組でも歌われることは少ない。
  • 1974年、「草原の輝き」が春の選抜高等学校野球大会入場行進曲に選ばれる。また、ブロマイドの売上成績第1位に輝く。この頃、コンサートのバックバンドとして鈴木慶一ムーンライダーズを起用、司会は植田芳暁上智大学国際学部に入学したが、父の勧めもあって、1976年に芸能活動を休んでカナダトロント大学へ留学(編入学)し社会児童心理学科に入ったが、父は翌1977年に他界し、卒業する姿を見せることができなかった。1976年のさよならコンサートの前からホットケーキがコンサートに参加。
  • 1978年にトロント大学を卒業後、8月に日本に戻り、吉田拓郎作曲の歌「アゲイン」で芸能活動を再開。復帰コンサートツアーのひとつとして、中国人歌手としては初となる日本武道館でのコンサートも行った。レコード会社は次の「やさしさ知らず」からSMSに移籍。
  • 1979年香港で、初の広東語アルバム『雨中康乃馨』を発売。日本ではゴダイゴとのコラボレーションアルバム『AGNES IN WONDERLAND 不思議の国のアグネス』と『ABC Agnes』を発売。
  • 1984年国際青年年記念平和論文に応募し、特別賞を受賞。フジテレビなるほど!ザ・ワールド』の主題曲「愛のハーモニー」から徳間ジャパンにレコード会社を移籍。
  • 1985年、芸能活動のみでなく、ボランティア活動を再開するようになった。4月、北京首都体育館で5万4千人を動員して宋慶齢基金会チャリティーコンサートを開催、中国で記念のベスト盤カセットテープが販売された。
  • 同年、日本テレビの『24時間テレビ』のために、旱魃による食料不足状態にあったエチオピアを取材。単に悲惨な情況を伝えるだけでなく、「ロンドン橋落ちた」の替え歌アムハラ語で歌って現地の子供と交流する様子も伝えられた。
  • 1986年、元マネージャーの金子力(現所属事務所社長)と結婚し、カナダで長男を出産した。翌年子連れでの仕事を再開したことについて、林真理子が論評『いい加減にしてよ、アグネス』で批判した。これを端初にアグネス論争が起き、「アグネス」が新語・流行語大賞大衆賞を受賞するほどの社会的論争となり、日本の働く母親、女性の立場を再考させるきっかけとなった。
  • 1988年飛鳥涼(現ASKA)作詞・作曲の歌「LIFE」でポニーキャニオンに移籍。
  • 1989年には米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学、現地で次男を出産。東京大学とスタンフォード大学の卒業生の10年後の姿を調査し、日米両国の男女間格差の実態をまとめ、1994年教育学博士号(Ph.D.)を取得した。この時の論文は『この道は丘へと続く』と題して2003年に日本でも出版されている。
  • 1992年前後、フジテレビ系たけし・逸見の平成教育委員会」に生徒役として数回ゲスト出演。国語の問題に関しては「中国語ではこう言いますよ。」等の珍答で、北野武先生や逸見政孝に「国語の授業って言っても、ここは日本なんだから、日本の国語で答えて下さいよ。(要旨)」等の「突っ込み」を入れられ、番組を盛り上げた。
  • 1994年目白大学の助教授に就任(2008年現在は客員教授)。国際コミュニケーション学を担当する。後に著名となる教え子に猫ひろしがいる。猫は「アグネス・チャンの日本語が片言だから、コミュニケーションがとれないの。」とネタにしている。
  • 1996年、香港にて三男を出産。その後もエッセイスト、共栄大学客員教授として日本全国で講演を続けた。
  • 1998年、初代日本ユニセフ協会大使に就任(後述)。
  • 2000年には日本クラウンに移籍し、ロングヘアをやめてイメージチェンジして、「この身がちぎれるほどに」を歌うなど、ムード歌謡の分野で歌手活動に力を入れるようになった。8月に台場小香港に香港雑貨店「CHAN'S」を出店(現在はネット通販のみ)。
  • 2002年には小説『パーフェクト・カップル』、『銃弾の指輪』を出版し、作家活動も開始した。翌年には月刊『すばる』に短編小説の連載もしている。
  • 2005年にリリースした、初のセルフカバー曲『草原の輝き2005』はアサヒ飲料十六茶コマーシャルに使われた。9月に発売された『しあわせの花』は、手話を取り入れた振り付けで歌った。10月には広島大学の主宰する「ペスタロッチー教育賞」の14回目を受賞。
  • 2006年2月、ジャッキー・チェンとのデュエット曲を含む英語盤CD『 Forget Yourself』をアメリカで発売した。12月には日本デビュー35周年を記念するコンサートの第一弾が行われた。年末に香港で唾液腺腫瘍の摘出手術を受けるも、その後早くも年明けから芸能活動を行う。
  • 2007年には平和をテーマにした自作曲など3作のシングル(内1作は2008年発売)とアルバム、それに2作の著作を出した。また、日本各地で日本デビュー35周年のコンサートツアーが行われており、2008年までに112回開催した。
  • 2007年9月には北京人民大会堂でのチャリティーコンサートが予定されていたが、中国共産党の指示を受けて延期され、その時に空いたスケジュールで受診した検査で初期の乳ガンが発見され、10月に摘出手術を受けて無事成功、わずか1週間で芸能活動を再開している。人民大会堂万人礼堂でのコンサートは同年10月31日に行われ、同会場での初のポップス系コンサートとなった。
  • 平和をテーマにした曲の第一弾は、自らピアノを弾きながら、山本伸一の詞にメロディーを付けた『そこには幸せがもう生まれているから』[2]。カップリング曲の『みんな地球に生きるひと』は歌詞も自作である。続く第二弾の『ピースフルワールド』、第三弾の『朗らかに』も共に山本伸一の作詞。これにより、平和をテーマにした3部作の完成をみる。尚、カップリング曲は全て自作の歌詞である。
  • 2007年11月、民音文化賞を受賞。
  • 児童ポルノに関しては、これまでにも厳しい立場をとっており、2008年3月11日森山眞弓元法務大臣と共に、『児童ポルノの単純所持禁止、ゲームや漫画等で児童を性的に描いたものも「準児童ポルノ」として禁止するべきだ』として、政府、国会に求める発言をしている。
  • NHKの番組『視点・論点』に出演した際、「私は子供たちの人権を守りたい」「表現の自由を守りたい」と発言し、日本も既に法制化を実現している先進諸国と足並みを揃えるべきではないかと提言。
  • 2008年9月、(財)日本対がん協会「ほほえみ大使」に就任。自分の体験から、日本全国で催されている「リレーフォーライフ」、「ピンクリボン運動」にも参加。
  • 2008年12月、これまで続けて来た「歌で平和を」活動で、第50回日本レコード大賞特別賞を受賞。
  • 2009年9月、ブログを開設した。
  • 2010年2月、ソマリアの現状視察のため日本ユニセフ協会大使として、ソマリアを訪問。
  • 2010年3月、日本武道館において民主音楽協会(民音・MIN-ON)主催によるコンサートを32年ぶりに行う。
  • 2010年4月、AICニュージーランド校の学園長に就任
  • 2010年5月、創価学会大会で池田大作作詞の局を熱唱。「池田氏の歌を歌い広めるのが私の定め」などと挨拶。

日本ユニセフ協会大使

1998年、チャンは日本ユニセフ協会大使に就任した。就任後、これまでにタイスーダン東ティモールフィリピンイラクモルドバレソトインド中華人民共和国ブルキナファソを公式訪問し、現地で目にした子どもたちの窮状を伝えるほか、『わたしが愛する日本』などの著作で、日本の平和を目指す提言を行っている。

チャン本人は「私が九八年にユニセフの大使になった」[3]、「私が大使に誘われたとき、ユニセフから『私たちは一番弱い子供の声になりたいの。だから、一緒にやってくれませんか』と言われた」[4]と語っている。

アグネス大学

アグネス大学とは、アグネス・チャンが学長を務める大学である。いわゆる文部科学省の所管する教育機関ではないが、ディプロマミルでもない。レポートを提出さえすれば卒業できる。ただし、各レポートは10文字以上は書く必要がある。

ディスコグラフィー

シングル

  • 1971年、CIRCLE GAME(香港デビュー盤)
  • 1972年、ひなげしの花(日本デビュー盤)
  • 1973年、妖精の詩草原の輝き小さな恋の物語(No.1を獲得)
  • 1974年、星に願いをポケットいっぱいの秘密美しい朝がきます愛の迷い子、燕飛翔(台湾盤)
  • 1975年、恋人たちの午後、はだしの冒険、白いくつ下は似合わない、冬の日の帰り道
  • 1976年、恋のシーソー・ゲーム、夢をください
  • 1977年、少し待ってて、花のささやき (In un fiore)
  • 1978年、アゲイン/グット・ナイト・ミス・ロンリー、やさしさ知らず
  • 1979年、鏡の中の私 (Through the Looking Glass) 、100万人のジャバウォーキ (Jabberwocky) 、春不遠
  • 1980年、ぼくの海/Children Of The Sea、シャイン・オン・ミー (Shine on me)
  • 1981年、原野牧歌、愛の呪文
  • 1982年、24時間のララバイ
  • 1983年、小さな質問、Lady of The Wind
  • 1984年、愛のハーモニー/スノー・フレイク
  • 1985年、帰って来たつばめ、愛がみつかりそう
  • 1986年、Thanksマイ・フレンド
  • 1988年、LIFE
  • 1989年、漓江曲(香港盤)
  • 1992年、好きになってもいいですか
  • 2000年、この身がちぎれるほどに Lovin'you is killin'me
  • 2001年、忘れないで time to say goodbye、私小説 My Love Story
  • 2002年、香港国際空港(CHEKLAP KOK空港)
  • 2003年、愛のゆくえに fallin' love、心の旅人
  • 2004年、2番目のしあわせ
  • 2005年、草原の輝き2005、しあわせの花
  • 2007年、そこには幸せがもう生まれているから、ピースフル ワールド-Peaceful World-
  • 2008年、朗らかに~シングルバージョン~、この良き日に/一人にはしないから
  • 2009年、あなたの忘れ物

アルバム

  • 1971年、Will the circle game be unbroken
  • 1972年、ORIGINAL (1) 、ひなげしの花、With Love from Agnes、All I Want For Christmas Is My Two Front Teeth
  • 1973年、花のように、星のように、草原の輝き、FLOWER CONCERT
  • 1974年、アグネスの小さな日記、あなたとわたしのコンサート、燕飛翔
  • 1975年、あなたにありがとう、小さな恋のおはなし、ファミリー・コンサート、はじめまして青春、Loving Songs、我在戀愛
  • 1976年、Mei Mei いつでも夢を、また逢う日まで、愛人那裡去尋找、AGNES CHAN、愛のメモリアル
  • 1977年、How are you? お元気ですか、私の恋人、カナダより愛をこめて
  • 1978年、Happy Again、ヨーイドン
  • 1979年、AGNES IN WONDERLAND 不思議の国のアグネス、ABC AGNES、雨中康乃馨、美しい日々
  • 1980年、MESSAGE、晨星・情劫・流浪客・問我是誰、歸來的燕子(『台灣旅日紅星2枚組の内1枚として2002年にCD化)
  • 1981年、Love Me Little Love Me Long、愛的咒語、痴戀・忘憂草
  • 1982年、漓江曲、HALF TIME・Cristmas Song Medley
  • 1983年、小さな質問、Girl Friends、願你繼續醉
  • 1985年、愛的Harmony、愛が見つかりそう CITY ROMANCE
  • 1990年、ディア・アグネス・カーペンターズ・コレクション
  • 1992年、世界の童謡子守唄全集I~V
  • 1997年、陳美齡精選
  • 1999年、世界の子守唄童謡名曲集
  • 2000年、アグネスのたのしいどうよう、アグネスのえいごのうた、Melancholy、LOVE PEACE&FREEDOM
  • 2001年、私小説-My Love Story-
  • 2002年、アグネス・チャンCD BOX
  • 2005年、Lost & Found-私のもとへ-
  • 2006年、Forget Yourself(アメリカ限定発売。DVD付き)
  • 2007年、世界へとどけ平和への歌声ーピースフルワールドー

映像作品

  • 1997年、歌の妖精 Vol.5(アグネス・チャン、テレサ・テン欧陽菲菲
  • 2001年、アグネス・チャンコンサート2000 リ・インカーネーション~再会~
  • 2007年、アグネス・チャン35周年記念コンサート~世界へとどけ平和への歌声!~TALK & LIVE

他に、本人出演のカラオケDVD、カラオケLD、カラオケVCDがいくつかある。

みんなのうた

  • 1980年 ぼくの海
  • 1983年 ロバちょっとすねた
  • 1987年 神父さんのパイプオルガン

主要著作

  • 1983年、アグネス・マイ・中華
  • 1984年、歌で平和を
  • 1984年、みんな地球に生きるひと
  • 1989年、アジアのことが気にならないあなたに(共著)
  • 1993年、新しい女
  • 1996年、みんな地球に生きるひとPart2
  • 1997年、アグネスの香港指南、アグネスの英語で世界を考える
  • 1999年、THE ROAD WINDS UPHILL ALL THE WAY(共著)、みんな未来に生きるひと
  • 2001年、アグネスのポジティブ育児
  • 2002年、パーフェクト・カップル、銃弾の指輪
  • 2003年、この道は丘へと続く(共著)
  • 2004年、アグネスの世界に乾杯!、わたしが愛する日本、小さな命からの伝言
  • 2005年、The Right Track 未来を生きる人々へ、「結婚生活」って何?(喜多嶋洋子との共著)
  • 2006年、アグネス流エイジング 薬膳デトックス、花とカラーの誕生日メッセージ(共著)
  • 2007年、みんな地球に生きるひとPart3、しあわせを見つけるマザー・テレサ26の愛の言葉
  • 2008年、そこには幸せがもう生まれているから(作詞:山本伸一)、東京タワーがピンクに染まった日

出演

現在のレギュラー番組

テレビ番組

ラジオ番組

  • アグネスのサニーサイドUP!(岐阜放送ラジオほか、日曜09:00~09:15ほか)

過去のレギュラー番組

テレビ

ラジオ

ドラマ

CM

テレビCM

CMソングのみ

その他

  • たけし・逸見の平成教育委員会(フジテレビ) 生徒役でセミレギュラー出席
  • 「なるほど・ザ・ワールド」(フジテレビ)セミレギュラー出席…エンディング曲に「愛のハーモニー」が使用される。

関連項目

脚注

  1. ^ アグネス・チャンさん、マザー・テレサの本を出版 2007年09月24日13時40分 asahi.com
  2. ^ Forum21 2008-1-1 信濃町探偵団―創価学会最新動向
  3. ^ 柴口育子構成「阿川佐和子のこの人に会いたい――10月1日に乳がんの手術をして、10日のコンサートから復帰しました」『週刊文春』49巻43号、文藝春秋2007年11月8日、135頁。
  4. ^ 柴口育子構成「阿川佐和子のこの人に会いたい――10月1日に乳がんの手術をして、10日のコンサートから復帰しました」『週刊文春』49巻43号、文藝春秋2007年11月8日、136頁。

外部リンク