ミュージックフェア
『シオノギ・ミュージック フェア』(英称:SHIONOGI MUSIC FAIR)は、フジテレビ系列(一部地域を除く。後述)で放送されている音楽番組である(ハイビジョン制作・字幕放送)。1964年8月31日に放送開始し、45年経った現在もなお続いている長寿番組でもある。略称は「ミュージックフェア」、「Mフェア」[1]。
| SHIONOGI MUSIC FAIR | |
|---|---|
| ジャンル | 音楽番組 |
| ディレクター | 深瀬雄介、冨田哲朗、浜崎綾 |
| 監修 |
服部克久、前田憲男 (共に音楽監修) |
| 出演者 |
鈴木杏樹 恵俊彰(ホンジャマカ) |
| オープニング | 歌:ゴスペラーズ |
| 製作 | |
| プロデューサー |
石田弘(EP) きくち伸(CP) 土田芳美 |
| 制作 | フジテレビジョン |
| 放送 | |
| 音声形式 | ステレオ放送 (1978年10月3日 - ) |
| 放送国・地域 | |
| 放送期間 | 1964年8月31日 - 現在 |
| 放送時間 | 毎週土曜18:00 - 18:30 |
| 放送分 | 30分 |
| 回数 | 2306 |
| フジテレビによる公式サイト | |
特記事項: 放送回数は2010年4月17日現在。 | |
概要
1964年3月29日に特集番組として放送されたことに端を発し、同年8月31日よりレギュラー番組として、特集版の司会も担当した歌手の越路吹雪を司会役に据えて、本格的にスタート。落ち着いた雰囲気と、毎回違う歌手の共演、格調高い演出などで定評がある。海外のアーティストの出演も多い。
1967年5月1日放送よりモノクロからカラー放送に切り替え、1978年10月3日よりステレオ放送となる。
フジテレビのもう一つの看板音楽番組であった『夜のヒットスタジオ』とも異なる、その大きな違いは放送時間や生放送か否かという点以外にも、番組構成・選曲・人選の面で、その時折の曲を中心とするのではなく、あくまでも日本や海外のスタンダードナンバーを中心とする選曲、ゲストの人数を1 - 3組程度に絞り込むという少数ゲスト制、アイドル歌手よりもベテラン・実力派を重宝するという点で独自の番組カラーを打ち出した。
スタッフには大ベテランのゼネラルプロデューサーにして現役ディレクター石田弘がいる。2008年10月4日放送分からは、エンディングのクレジットに『制作・フジテレビ音組』が入った。
なお、参議院選挙および衆議院選挙の開票が即日になるまでの日曜日は、当日の夜も放送していた。ただし、日曜日時代の1989年1月8日は、昭和天皇崩御による特別報道のため休止され、翌週の1月15日に改めて放送された(この日は生前最後の同番組出演となる美空ひばり特集だった)。また、放送枠が選挙開票特番になった場合でも、23時台前半枠は、塩野義製薬の1社提供枠でセールスされていた(『スーパーナイトFNN選挙開票速報2時間スペシャル』も含む)。
土曜18時に枠移動
2001年4月7日より、番組名を『MUSIC FAIR 21』にリニューアルし、日曜23時台前半から、それまで夕方の全国ニュース(『FNNスーパータイム』→『FNNニュース ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュース』)を放送していた土曜18時台前半に移動した。この4度目の枠移動は1983年10月以来、17年半ぶり。テーマ曲の「今夜は夢のミュージックフェア」という歌詞はそのままだが、以前の放送時間よりもかなり早い時間での放送となっている。
リニューアル後は、旧来からのスタイルを残しつつもVTRを用いた過去のエピソードのコーナー(転機など)や、好きな食べ物を紹介する「この一食」コーナー[3]も企画されていたが、いずれも半年ほどで終了し、リニューアル前の状態に戻されている。また、新しくエンディングにて出演歌手との記念撮影のコーナーも新設され、その写真が応募した視聴者にプレゼントされるという企画も行われていたが(掛け声は「ミュージックフェア21」だったが、初期は「MF21」と言っていた)、こちらも2008年9月をもって終了している。
『FNS27時間テレビ』の放送される日には、2001年・2003年では休止した。しかし、2004年以降は開始時間が18:30や19:00に繰り下がるようになったため、現在は『FNSの日』の放送日でも放送されていて、2009年7月25日には『FNS26時間テレビ』の関連企画で「緊急特集ヘキサゴンファミリー総力コラボ」として放送された。
2004年3月27日放送分で放送2,000回を達成した。2007年10月6日18:00(JST)から、音組とのコラボレーション企画でオフィシャルホームページが開設。
2008年3月で放送2,200回を迎えるのに伴い、3月は1か月にわたり、2,200回特別月間として豪華アーティストの共演(最終週のみ総集編)を放送した(2008年2月21日、東京国際フォーラムにて収録)。
2009年4月以降は1組だけの企画を「ワンマンショー」と題したり、2回連続企画を定期的に行っている。2009年10月3日放送分(2,280回)からは地上アナログ放送ではレターボックスでの放送に移行した。
2010年3月で放送2300回を迎えるのに伴い、2月26日に大阪厚生年金会館ホールにて公開収録が行われ、3月に4週連続で2300回記念特番として放送された(翌週4月3日も総集編を放送)。
かつては年末年始であっても通常通り放送されたが、近年は少なくとも1週は休止されていて、2009年11月7日はプロ野球日本シリーズ第6戦「北海道日本ハム×巨人」放送のため、年末年始以外では珍しく、当番組は休止[4]となった。
当時裏番組であった、毎日放送制作によるTBS系列の「土6」アニメのテーマ曲のメドレーのような編成にたまたまなった事例も、少なくとも一回ある。また、現在の裏番組となっている「名探偵コナン」の主題歌を歌うビーイング系歌手(BREAKERZ、倉木麻衣など)では問題なく出演している。
最近のバラエティー番組や音楽番組などでは、字幕テロップの多用が目立つが、当番組では行われていない(喋った内容は字幕放送で確認できるほか、画面左上に質問内容などのヘッダが表示されている)。
4度目の枠移動後も、現在は決して毎回高視聴率を獲得しているとはいえないものの、長門・南田夫妻が司会を務めていたころの旧来からの視聴者や若者など、コアなファンを獲得し続けている。
番組名について
1999年まで『ミュージックフェア』の後に西暦の下2桁('yy)を付して用いていたが、2000年以降は行なっていない(これは、同局の『ドリフ大爆笑』、『ニュースJAPAN』[5]にも同じ処置がされている)。
4度目の枠移動に合わせて、2001年4月7日から2008年9月27日までの7年半の間は世紀を示す数字を加えて『MUSIC FAIR 21』(-にじゅういち)となったが、2008年10月4日から、2001年3月25日以来7年半ぶりに再度『MUSIC FAIR』に戻っている(この英字ロゴは、長門・南田夫妻時代の最末期にあたる1980年頃から併用されている)。
オープニングテーマ
オープニングテーマ曲は保富康午作詞・山本直純作曲によるもの。編曲はその都度変わり、現在は武部聡志が担当している。
歌い手はザ・ピーナッツ→森山良子→サーカスを経て、2010年現在はゴスペラーズが受け持っている。
番組中で歌われる歌詞についてはオープニングタイトルの変更や歌手の交代に際して改定されている。当初は「♪歌おう大空に今夜はみんなのラララミュージックフェアー輝く喜び今夜は夢のラララミュージックフェアー」で始まっていた(後に塩野義製薬の30秒CMを挟んでからのスタートだった)。その後一部歌詞が改められ、現在の「♪歌おう踊ろう今夜は夢のラララミュージックフェアー」となった。
なおこれとは別に、ミュージカル・アカデミーが歌唱したテーマ曲も使用されていた。このテーマ曲は、旧・CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)から発売されていた「オリジナル版懐かしのTV番組テーマ大全集 昭和28〜43年」に収録されていたが、現在は廃盤となっている。
オープニングタイトル・エンディングタイトル
- 1993年12月までは、番組の開始時にテーマソングに乗せながら出演者紹介とタイトル、そして提供クレジットの順番で流れていた。また、出演者紹介後のオープニングタイトル・エンディングタイトル(「おわり」を除く)・提供クレジットはブルーバックの中央に白く四角に抜かれた部分に表示していた('83、'87、'88はブルーバックの中央に白いラインに抜かれた部分に、'89のみブルーバックに表示)。
- 1994年1月~1996年9月までは、以下のパターンとなった。
- 1曲目終了→司会者の挨拶→スタジオをバックに「"シオノギ MUSIC FAIR"」が画面中央に表示→表示が「提供 シオノギ製薬」に変わる→CM入り→2曲目
- 今回よりオープニングタイトル及びエンディングタイトルともに「″MUSIC FAIR″」のロゴに統一された。また、EDの提供クレジットおよび同タイトルはスタジオバックに表示されるようになった。
- 1996年10月~1997年4月までは、テーマソングに乗せながら以下のようなアニメーションで流れる。
- 「白い雲を模した背景に"MUSIC FAIR"が表示」→「楽譜」→「宝石が8個出てきて回転」→「その1個がクローズアップ」→「出演者紹介」→「楽譜に戻り、音符が大量に出て消える」→「"MUSIC FAIR"の文字が回転しながらフェードイン」→「"SHIONOGI"の文字が上に、年号が右上にそれぞれ出る」→表示が「提供 シオノギ製薬」に変わる。
- 1997年4月~1999年12月までの流れ
- 1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」の文字が画面中央あたりにゆっくり拡大してきて、年号が右上に表示→画面が白い雲を模した背景になり「提供 シオノギ製薬」が表示されるが、このときからBGMがCM直前まで流れるようになった(前回では提供クレジット時は無音だった)。
- 2000年1月~2001年3月までは、以下のパターンとなった(これは、前述通り年号が右上に表示されなくなったため)。
- 1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」の文字が画面中央あたりにゆっくりと拡大→画面が白い雲を模した背景になり「提供 シオノギ製薬」が表示。
- ただしこの時期にアーティストの曲を中心に据える回があり、このときは会場をバックに「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」とだけ表示され、すぐ1曲目に入った。そして1曲目の終了後に司会者をバックに写しながら、画面中央もしくは下部に「提供 シオノギ製薬」と表示されるのみであった(提供コメントなし)。1996年10月~1997年4月までは、司会者の挨拶および1曲目で、1997年4月~2001年3月までは2曲目が始まるのはCM明けで、本編が始まると次回予告前までCMが一切なかった。また、ロゴがシオノギから"SHIONOGI"に変更されたほか、EDの提供クレジットおよび同タイトル(おわりも含む)は白い雲を模した背景に表示していて、2001年3月まで続いた。
- 『MUSIC FAIR 21』(2001年4月~)からは以下の流れ(現在もこの流れだが、細部には違いがある)。
- 1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR 21"」(2008年9月まで。2008年10月以降は「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」)の文字が画面中央にフェードイン→ブラインドのように画面が切り替わり、「提供」の文字が上に、「シオノギ製薬」の文字が流れるように右→左と表示される。
- なお、EDの提供クレジットおよび同タイトルは再びスタジオバックに表示されていて、タイトル部分も「おわり」から「END」に変更されたが、現在は「END」の表示はしていない。また、前述の通り放送開始から2008年9月までは一部の回を除き記念撮影をバックにしていたのちに、同年10月から2009年9月まではスタジオでトークしている映像バックにしていたが、前述の地上アナログ放送がレターボックスでの放送移行に伴い、同年10月以降は歌っている映像をバックに表示されている。
出演者について
番組スポンサーが塩野義製薬であるため、スポンサー以外の製薬会社のCM出演者は、原則として出演しない。インディーズで活動する歌手や声優においてもメーカー問わずに出演はしていない。
過去に、大正製薬の育毛剤CMの契約中だった中村雅俊が出演した事があった。塩野義製薬は、当時から育毛剤を製造販売していないため、例外として出演が可能であった。
公開収録
初期10年ほどは公開収録を行っていたが、現在は番組の節目ごとに行われるのみとなり、通常の収録はごく限られた関係者しかスタジオに入ることができない(観客の拍手・笑い声があるが、いずれも編集時に入れたもので実際にはスタジオ内に観客はいない)。ただし、『MUSIC FAIR 21』では開始から半年ほどはスタジオに100名前後の観客を入れた公開収録が行われていたほか、その後も不定期ながらも行われていた(記念撮影のコーナーでは、一時期観客席でも行われていた)。なお、『MUSIC FAIR』改題後は今のところスタジオでの公開収録は行われていない。
公開収録の多くは、大阪(フェスティバルホールなど)で行われる。これは、同地に本社を構えるスポンサー・塩野義製薬への配慮からである。ただし放送2,000回記念(2004年3月27日放送分)、及び放送2,200回特別月間(2008年3月)は東京国際フォーラムにて収録されている。
歴代司会者
| 期間 | 男性 | 女性 | |
|---|---|---|---|
| 1964.8.31 | 1964.12.28 | (不在) | 越路吹雪 |
| 1965.1.4 | 1965.5.31 | 左幸子 | |
| 1965.6.7 | 1981.12.24 | 長門裕之 | 南田洋子 |
| 1982.1.7 | 1988.3.27 | (不在) | 星野知子 |
| 1988.4.3 | 1995.10.1 | 古手川祐子 | |
| 1995.10.8 | 2001.3.25 | 鈴木杏樹 | |
| 2001.4.7 | 現在 | 恵俊彰 (ホンジャマカ) | |
主なスタッフ
- エグゼクティブプロデューサー:石田弘
- チーフプロデューサー:きくち伸
- プロデューサー:土田芳美
- アシスタントプロデューサー:福井倫子、湯瀬恵理子
- チーフディレクター:冨田哲朗
- ディレクター:浜崎綾、深瀬雄介
- フロアディレクター:大野悟
- 音楽:武部聡志、服部克久、前田憲男
- ウエブマスター:鬼熊陽一郎
2007年10月から、「音組」(『僕らの音楽』などを手がけるスタッフチーム)が担当し、若返りを図る。また、その回の企画(総集編など)によってはスタッフや制作協力などのクレジットが表示されず、“制作著作 フジテレビ”のみ表示されることがある[6]。
テーマ曲
オリジナル
歌ったことがあるアーティスト(編曲は別)
※一部未確認あり
- 後藤真希
- 松浦亜弥
- 南こうせつ
- ペドロ&カプリシャス
- コブクロ
- 絢香
- 郷ひろみ
- 西城秀樹
- 野口五郎
- 沢田研二
- DJ OZMA
- スキマスイッチ
- 秋川雅史
- いきものがかり
- 東方神起
- 倖田來未
- mihimaru GT
- 青山テルマ
- アッシャー(2008年6月21日)
- Spontania
- YUI
ほか
放送日時
- 1964年8月 - 1969年3月…毎週月曜日21:00 - 21:30
- 1969年4月 - 1981年9月…毎週火曜日21:30 - 22:00
- 1981年10月 - 1983年9月…毎週木曜日22:30 - 23:00
- 1983年10月 - 2001年3月…毎週日曜日23:00 - 23:30[7]
- 2001年4月 - 現在…毎週土曜日18:00 - 18:30
ネット状況
ネット局
(2010年現在)
| 放送局 | 放送曜日と時間 | 備考 |
|---|---|---|
| フジテレビ | 土曜 18:00 - 18:30 (JST) | 制作局 |
| 北海道文化放送 | 1981年10月 - 1983年9月の間は放送を中断していた。 | |
| 岩手めんこいテレビ | ||
| 仙台放送 | ||
| さくらんぼテレビ | 1981年9月までは山形テレビ(放送当時はフジテレビ系列)で放送していた。 | |
| テレビ静岡 | ||
| 富山テレビ | 1981年10月 - 1983年9月の間は放送を中断していた。 | |
| 東海テレビ | 1981年10月 - 1982年3月の間は放送を中断していた。 | |
| 関西テレビ | ||
| 岡山放送 | ||
| テレビ新広島 | ||
| テレビ愛媛 | ||
| 高知さんさんテレビ | ||
| テレビ西日本 | ||
| テレビ長崎 | 日本テレビ系列を脱退した1990年10月からネットを開始。 | |
| テレビくまもと | ||
| テレビ大分 | 日本テレビ系列とのクロスネット局。 |
ネットしていない系列局
(2010年現在)
- 以下の放送局は現在はこの番組の放送はされていない。ネットしていない系列局ではこの時間帯は別番組で放送。
| 放送局 | 同時間枠で放送されている番組 | 備考(過去に本番組を放送した実績など) |
|---|---|---|
| 秋田テレビ | さんまのまんま | 1981年9月まで放送した実績がある。 |
| 福島テレビ | FTVスーパーニュース(17:30 - 18:25) HOT情報(18:25 - 18:30) |
テレビ東京「演歌の花道」時差ネット放送開始に伴い打ち切り(1983年? - ) |
| 新潟総合テレビ | スマイルスタジアムNST | 参照[8] 全国の政令指定都市を持つ道府県の中で唯一非放送 |
| 長野放送 | NBSとれたて情報局 土曜はこれダネッ! | 1981年9月まで放送した実績がある。 |
| 石川テレビ | 絶景日本の健康歩き~ウオーキングプラス~(18:00 - 18:10) Cafe du Cinema(18:10 - 18:30) | |
| 福井テレビ | チカッペ!輝け福井のアスリートたち | |
| 山陰中央テレビ | さんまのまんま | |
| サガテレビ | はねるのトびら再放送 | 参照[9] テレビ東京系「演歌の花道」時差ネット放送開始に伴い打ち切り(時期不明) 1970年代には放送した実績がある。 TNCを受信している世帯も多い。 |
| テレビ宮崎 | うぃーく.COM(17:55 - 18:30) | 日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット局 |
| 鹿児島テレビ | さんまのまんま | 参照[10] |
| 沖縄テレビ | ひーぷー☆ホップ | 1981年9月まで放送した実績がある。 KTSでも放送されていないため、(地デジでは)視聴できる地域が全くない。 |
- ネットワークセールス枠でありながらも、視聴者からの放送要望があげられる番組であるにもかかわらず、上記の局で放送されていないのは、その理由として局の編成上の都合やスポンサーの塩野義製薬からの推薦が得られていないことが挙げられているが、真相は不明である(1981年9月まで放送していた局に対しては、2度目の枠移動の際に塩野義製薬が打ち切りを通告したとの説もある)。ただし、塩野義製薬のCMがこれら番組のカウキャッチャーとして流れたりするケースがある。
- ネットしていない系列局ではこの時間帯にローカル情報番組、フジテレビ系列局制作の遅れネット・再放送番組等を放送している。特に4局体制(民放局が4局ある地域)[11]の非放送地域では本来、この番組を放送したいところだが、やむを得ずローカル情報番組、フジテレビ系列の遅れネット番組等を流しているケースが多い。
- また、これら4局体制地域の場合は、かつては他系列を優先ネットとするクロスネットだった局(福島テレビ…TBS・鹿児島テレビ…日本テレビ)が含まれる他、2 - 3局体制だった時代が続いた地域(前記2局と新潟総合テレビ・石川テレビ・長野放送)だったという点が特徴である。しかし、これらは老舗のフジテレビ系列局であることもくしくも共通点であり、平成新局であるフジテレビ系列局(岩手めんこいテレビ・さくらんぼテレビ・高知さんさんテレビ)では3局体制の地域も含め、すべて無条件[12]でネットされており、また長崎地区のように「クロスネット解消後からネット開始」という例もあり、費用などの関係でスポンサーがネットする系列局を厳選しているのは分かるものの、放送局により温度差があるのは少し配慮が欠けているのではないかというのことがいえる。
- また、塩野義製薬・フジテレビ側も、スポンサードネット対象外局に対して「シオノギ」なしのタイトルに改題した上で番組販売扱いで放送可能とする等の便宜を図っていない[13]。
- 1972年に北海道文化放送が開局する以前は、日本テレビ系列・フジテレビ系列クロスネット局だった札幌テレビで、1975年にテレビ新広島が開局する以前は、やはり日本テレビ系列・フジテレビ系列クロスネット局だった広島テレビで放送されていた(1966年頃から)。
- かつてはTBS系列とのクロスネット局だった山口県のテレビ山口では、1987年10月のTBS系列へのネット一本化後も、2000年6月まではフジテレビ同時ネットで放送していた[14]。クロスネット局ではあったが、もともとはフジテレビ系列局だったとはいうものの、他系列のフルネット局で放送されたのは、このテレビ山口が唯一の例。
- 北信越地方(福井県・石川県・富山県・新潟県・長野県)では前述のとおり以前はすべての県で放送されていたが、1981年9月までに打ち切られ、その後1983年10月より富山テレビ放送に限りネットを再開した。2010年現在、同局は北信越地方で唯一のネット局になっている[15]。
- 一方、山形県では、1981年9月まで当時フジテレビ系列だった山形テレビで放送され、以後山形地区では放送されなかったが、1997年4月にさくらんぼテレビが開局。15年半ぶりにこの番組のネットが復活した(実際には同年3月のサービス放送から)。
放送日時差し替えについて
- テレビ山口では、1986年頃、一度だけ日曜夕方に先行放送をしたことがある。
- テレビ大分では、日本テレビのバンクーバーオリンピック中継ネットに伴い2010年2月20日および同月27日の回に関しては、いずれも翌日に放送日時を差し替えた。
脚注・出典
- ^ 新聞の番組表ではこの略称が使われている
- ^ 提供クレジットの際、白バックに黒字で「提供 シオノギ製薬(初期は「製薬」が付かなかった)」と出る(オープニングはナレーションはなく、テーマ曲に合わせて出る。なお、エンディングの提供読みは「皆様の健康と幸福に奉仕する塩野義(シオノギ)製薬がお送りしました。」というナレーションがある)
- ^ 食事ができるのは司会者および出演者のみだが、例外としてウルフルズが出演していた5月12日放送分では観客にも配られたことがある。
- ^ 日本シリーズを中継しないテレビ大分でも休止となり、『新堂本兄弟』に差し替えられた。
- ^ 2000年以降は西暦4桁。
- ^ 大阪での公開収録では”製作協力関西テレビ”も表示される(ただし、2300回記念特別番組では表示されなかった)。
- ^ 関西テレビでは1983年10月 - 1984年3月の間、土曜日19:00 - 19:30の枠で先行ネットしていた。これは『パンチDEデート』の放送(こちらはフジテレビなど地域により、土曜日19時からネットしていた。関西テレビは、ネット局より1日遅れだったため裏送り)を行った配慮とされている。
- ^ 1971年4月 - 1974年3月、NET(現テレビ朝日)の時代劇枠同時ネットに伴い打ち切り。
- ^ 土曜18:30からの枠がスペシャル版が放送される日は「はねるのトびら」の再放送は休止して、同枠の30分間は別番組で放送される。
- ^ 土曜18:30からの枠がスペシャル版が放送される日は「さんまのまんま」を休止又は同日の昼か夕方へ繰上げ放送して、同枠で「ナマ・イキVOICE」がこの時間で放送される場合がある。
- ^ 2010年現在、4局体制の非放送地域は福島・新潟・石川・長野・鹿児島の5県
- ^ 岩手地区では金ケ崎町に塩野義製薬の工場があることから、岩手めんこいテレビが開局した当初からネットされている。
- ^ タイトルCGや提供ベースにあらかじめシオノギのロゴ・社名が組み込まれているため、もしこれを行うとすれば、社名なしのオープニングと、任意のローカルスポンサー名表示に対応した空欄の提供ベースのバージョンを作って裏送りしなければならない。
- ^ ただし1981年10月から1983年9月までは放送されていなかった。なお、この番組の放送打ち切り後も別のフジテレビ系の番組(例・『さんまのまんま』)を遅れ放送していたが、2002年以降、前年より時差ネットで放送していた『情熱大陸』の同時ネットに移行した。
- ^ 石川・新潟両県の一部地域では富山テレビ放送を受信できていれば視聴は可能である。長野県の多くのCATV局ではフジテレビジョンまたは東海テレビ放送の区域外再送信による視聴が可能である。
関連項目
- 塩野義製薬
- サウンド・イン"S"(TBS系で放送していた音楽番組。服部セイコーの一社提供)
外部リンク
| フジテレビ系列 月曜日21時台前半枠(1964.08 - 1969.03) | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
ミュージックフェア
(シオノギ製薬一社提供) |
スパイ大作戦
※21:00 - 22:00 |
|
| フジテレビ系列 火曜日21時台後半枠(1969.04 - 1981.09) | ||
ミュージックフェア
|
||
| フジテレビ系列 木曜日22時台後半枠(1981.10 - 1983.09) | ||
ミュージックフェア
|
||
| フジテレビ系列 日曜23時台前半枠(1983.10 - 2001.03) | ||
唄子・啓助のおもろい夫婦
(枠移動) |
ミュージックフェア
|
EZ!TV
(22:30より) |
| フジテレビ系列 土曜日18時台前半(2001.04 - ) | ||
MUSIC FAIR 21
↓ MUSIC FAIR |
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