ヴェスレイ・スナイデル

オランダのサッカー選手

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ヴェスレイ・ベンヤミン・スナイデルWesley Benjamin Sneijder1984年6月9日 - )は、オランダユトレヒト出身の同国代表サッカー選手。ポジションはMF。また、「ウェスレイ」、「ウェズレイ」、「スネイデル」の他、英語読みの「ウェスリー・スナイダー」とも表記される。

ヴェスレイ・スナイデル
名前
本名 Wesley Benjamin Sneijder
カタカナ ヴェスレイ・ベンヤミン・スナイデル
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1984-06-09) 1984年6月9日(41歳)
出身地 ユトレヒト
身長 170cm
体重 67kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 インテル
ポジション MF
背番号 10
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2007
2007-2009
2009-
アヤックス
レアル・マドリード
インテル
127 (44)
52 (11)
26 (4)
代表歴2
2003- オランダの旗 オランダ 67 (19)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年4月1日現在。
2. 2010年7月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
オランダ代表で、ロッベン(左)とトレーニングするスナイデル
ヴェスレイ・スナイデル & ラファエル・ファン・デル・ファールト

経歴

生い立ち~アヤックス時代

ユトレヒトで祖父、父もプロ選手であったというサッカー一家に生まれた。兄、弟と共にサッカー選手を志し、1992年にアマチュアのDOSというクラブからアヤックスの下部組織に入団。

2002-2003シーズン、2002年12月22日のエクセルシオール戦にてトップチームデビューを果たす。同シーズンはリーグ、カップ計23試合に出場し5ゴールという活躍を見せた。

2003-2004シーズン、その卓越したパススキルを存分に発揮しセンターハーフのレギュラーに定着。シーズン計38試合出場、10ゴールを挙げリーグ制覇に大きく貢献し、同シーズンのヨハン・クライフ賞を受賞。2004-2005シーズン、2005-2006シーズンは司令塔としてアヤックスを支えたものの、ライバルであるPSVアイントホーフェンフース・ヒディンクの下で全盛期を迎えており、クラブレベルでの特筆した成果を収めることが出来なかった。2006-2007シーズン、クラブで背番号10を与えられると、卓越したパスセンスに加えゴールを狙う積極性が増し、FKやミドルシュートでゴールを量産。リーグで18得点という成績を叩きだした。

レアル・マドリード時代

2007年夏の移籍市場にて、同じリーガ・エスパニョーラバレンシアCFとの獲得レースを制したレアル・マドリードへ加入。移籍金は2500万ユーロとされ、背番号はデビッド・ベッカムの着けていた23に決まった。2007-2008シーズン、開幕戦となったアトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービーでリーガデビューを果たすと、続くビジャレアルCF戦で2得点、UDアルメリア戦で1得点を挙げファンからの信頼を早くも勝ち取った。その後も中心選手として活躍し、レアル・マドリードのリーガ2連覇に貢献した。2008-2009シーズンは背番号10を与えられたものの、負傷の影響で活躍できず、結果を残すことは出来なかった。

インテル時代

本人はレアル・マドリードへの残留を希望するも、レアル・マドリードが2009年夏の移籍市場にて大型補強を行ったことにより放出候補となり、2009年8月、半ば追い出されるような形でセリエAインテルへ移籍した。移籍金は1500万ユーロ(約20億円)、年俸400万ユーロの4年契約とされている。加入から2日でミラノダービーに先発出場し、加入したばかりとは思えないパフォーマンスを見せ、インテルの大勝に貢献。10月3日に行われたウディネーゼ戦で後半ロスタイムにチームを救うセリエA初得点を挙げた。その後も中心選手として活躍し、インテルの史上3度目となるセリエA5連覇、また、イタリア史上初の主要タイトル3冠達成に大きく貢献した。

代表での実績

2003年4月30日ポルトガル戦で代表デビューを果たす。同年10月11日のUEFA欧州選手権2004予選モルドバ戦で代表初得点を記録すると、同年11月19日には同予選プレーオフスコットランド第2戦で1得点3アシストの活躍で同国をUEFA欧州選手権2004本戦出場に導き、自身も本大会のメンバーに選出された。予選終盤での活躍とは裏腹に本大会ではシステムが4-4-2から4-3-3へ変更され中盤の枚数が減り、フィリップ・コクーエドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフといった百戦錬磨のベテランを揃えていたため、ベンチを暖める時間が多かった。同国は準々決勝で開催国ポルトガルに敗れベスト4で大会を去っている。

その後、新監督に就任したマルコ・ファン・バステンからも信頼を与えられ、2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選フィンランド戦、アンドラ戦でゴールを挙げる活躍を見せ、同国の2006 FIFAワールドカップ出場に貢献。自身も本大会メンバーに選出された。かつてのアヤックスでのチームメイトラファエル・ファン・デル・ファールトと攻撃的MFのポジションを争い、死のグループと呼ばれたグループCを突破したが、ベスト16で敗退を喫した。

UEFA欧州選手権2008では、グループリーグ初戦のイタリア戦にて、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルストが左サイドから上げたアーリークロスを、エリア右からディルク・カイトがヘディングでふわりとあげたボールを、完璧なタイミングで飛び出してきたイタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンが僅かに開けてしまったシュートコースに叩き込んだ。このゴールと1アシストの活躍で勝利に貢献。同国はベスト8で敗退してしたものの、大会を通じて非常に高いパフォーマンスを見せ、欧州サッカー連盟の選ぶ23人のベストプレイヤーの中に選ばれた。

2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグの日本戦で決勝点となるゴールを決め、ワールドカップ初ゴールを記録。決勝トーナメントでは準決勝まで3試合連続ゴールを決めた。前述の日本戦の他、グループリーグ初戦のデンマーク戦、逆転の2ゴールを挙げた準々決勝ブラジル戦、勝ち越しゴールを挙げた準決勝ウルグアイ戦の4試合で大会選定のマンオブザマッチに選出される活躍を見せ、オランダの32年ぶりの決勝進出に貢献した。また、大会5ゴールでディエゴ・フォルラントーマス・ミュラーダビド・ビジャに並ぶ得点王となり、ブロンズブーツ賞とシルバーボール賞を受賞した[1]

人物・エピソード

個人成績

クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
  アヤックス 2002–03 エールディヴィジ 18 17 4 3 1 3 0 23 5
2003–04 エールディヴィジ 18 30 9 1 0 7 1 38 10
2004–05 エールディヴィジ 18 30 7 4 2 7 0 41 9
2005–06 エールディヴィジ 18 19 5 3 2 7 4 29 11
2006–07 エールディヴィジ 10 30 18 4 1 9 1 43 20
合計 126 43 15 6 33 6 174 55
  レアル・マドリード 2007–08 リーガ・エスパニョーラ 23 30 9 2 0 5 0 37 9
2008–09 リーガ・エスパニョーラ 10 22 2 0 0 1 0 23 2
合計 52 11 2 0 6 0 60 11
  インテル 2009–10 セリエA 10 26 4 4 1 11 3 41 8
合計 26 4 4 1 11 3 41 8
合計 204 58 21 7 50 9 275 74

獲得タイトル

クラブ

アヤックス
レアル・マドリード
インテル

個人

  • アムステルダム年間最優秀若手選手賞 : 2003
  • オランダ年間最優秀若手選手賞 : 2004
  • アヤックス年間最優秀若手選手賞 : 2004
  • アヤックス年間最優秀選手賞 : 2007
  • UEFA欧州選手権2008大会選定優秀選手
  • UEFA欧州選手権2008 大会ベストゴール(グループリーグ初戦、フランス戦)
  • 2010 FIFAワールドカップ アディダス・シルバーボール賞
  • 2010 FIFAワールドカップ アディダス・ブロンズブーツ賞

脚注

  1. ^ スポーツナビ (2010年7月12日). “大会MVPはウルグアイのフォルラン=W杯”. 2010年7月13日閲覧。

外部リンク