ミカド (キャバレー)

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ミカドはかつて東京都港区赤坂に存在したレストランシアターで後にキャバレーとなる。世界の社交場をキャッチフレーズとし、シンボルマークは菊の花。運営は近畿観光。

概要

小浪義明(近畿観光)が創業・経営。ミカド成功後、彼は“キャバレー王”の異名をもつ。

来るべき東京オリンピックでの外国人客を見込み、レヴューなど世界の一流ショーを売り物とし、内外装、調度品ともに豪華さの粋を集めたレストランシアターとして1961年に東京・赤坂で開業。しかし欧米人客には大好評を得るもホステスが存在しないことが仇となり日本人客には不評で1964年に閉店へと追い込まれる。

経営者が交代した後は華美な面を省くなど大々的な改装が施され、高級キャバレーとしてホステスを配し装いも新たに翌1965年に再オープン。

1974年には地方都市へ進出し北海道札幌市にグランドキャバレー・ミカドをオープン。なお経営は近畿観光株式会社があたっていた。1980年代も半ばに差し掛かる頃になると時勢に因って大規模な床面積を誇るキャバレーは経営難に陥り、代わってディスコキャバクラといった大衆店が幅を利かせるようになり始めていた1986年6月に札幌店は撤退、跡地は内装を変更した程度でビアホールキリンビール園本館として現在も営業している。

赤坂のミカドは1988年の閉店後に取り壊され現在はプラザ・ミカドビルという名のテナントビルになった。

その後、日本に於けるレストランシアターという業態は1971年にオープンした赤坂コルドンブルーなどへと引き継がれていった。

ミカドジム

創業者小浪はプロボクシングのファンであり、同じく在日である金平正紀協栄ジム経営)のスポンサーとなった。後に小浪自身がプロボクシングにも直接進出し、店名を冠した「ミカドジム」を、同じく在日の雄力道山が建設したリキ・スポーツパレス内に設立した。とはいえ、協栄ジムの衛星ジムのようなものである(各ジムは独立経営が建前だが、当時も現在も、大手のジムの衛星ないし子会社のようなジムが散見される)。リキパレスは、力道の死後、近畿観光が買い取っていた。同ジムは、亀田昭雄野木丈司らが所属していた。ミカドが同ジムから撤退すると、所属選手たちには金平による酷薄な運命が待ち構えていた(野木丈司の欄参照)。