明訓高校
概要
神奈川県にある私立高校。作者の水島新司が入学を果たせなかった新潟明訓高等学校が名前の由来。作中では新潟明訓とは姉妹校という設定がある。
山田らが入学した当初は、お坊ちゃんが多い学校という描写がされていた。
野球部
名バッターである土井垣将が3年時に、名キャッチャーでスラッガーの山田太郎、名守備を見せる秘打男の殿馬一人、悪球打ちの岩鬼正美、七色の変化球を操る名投手里中智らが1年生として入部。1年生4人が神奈川県大会決勝までにはレギュラーを獲得する。夏の神奈川県大会で優勝し、甲子園大会に初出場。甲子園大会でもそのまま勝ち進み、初出場初優勝を果たす。
山田世代は超高校級の野球選手が勢ぞろいしていたことでも注目された。山田世代の明訓高校は敗北を知らず常勝を続け、作中では高校野球ファンが明訓の校歌を覚えるようになる描写も存在した。プロ球団からドラフト1位指名された土井垣将は監督時代に記者から好きな野球チームについて聞かれた際に明訓高校と答えている。
山田世代で唯一敗北したのは2年夏の甲子園大会2戦目の弁慶高校戦。当時、常勝続きだった明訓高校が敗北したことは作中で大きな出来事として紹介され、敗北後に明訓主将の山岡鉄司は「無敗のまま卒業する自信があった」と語った。後に作者の水島新司は「明訓は無敗のままにすべきだった」と弁慶高校戦の敗北を悔いている。
作中では勝利を続けているも、山田世代在籍中に完勝した試合は2年夏の吉良高校戦や2年秋の関東大会の日光学園戦など多くはなく、苦戦する試合も多かった。外部に漏れなかったが山田世代が1年の頃に岩鬼が乱闘事件を起こした騒動で部員が野球部を去ってしまって出場に必要なメンバー9人に足りなくなってしまったり、夏の深紅の優勝旗が一時的に盗まれたこともあるなど、トラブルも抱えていた。
甲子園大会での宿泊は毎回、芦屋旅館であった。山田世代の頃は甲子園大会が終了したら、学校の登校日に岩鬼正美が放送室を占拠して岩鬼の主観で甲子園大会を振り返る校内放送を行っていた。この放送は最初こそ批判もあったが、2年の春の大会以降は明訓高校の風物詩となり、校長をして「これがないと甲子園大会が終わった気がしない」と言わしめる程になっている。
山田世代は計5回甲子園に出場。甲子園大会で1年夏、1年春、2年春、3年夏と4回優勝を果たした。春2連覇や夏春連覇や春夏連覇は達成したが、夏連覇や夏春夏連覇や春夏春連覇は達成できなかった。
山田世代が卒業し、前年の優勝メンバーである渚圭一や高代智秋が中心となった1年目は春夏ともに甲子園出場を逃した。山田世代が卒業直後はまだ強豪だったようだが(山田たちが2年目のキャンプ前の自主トレの段階でセンバツには選ばれるのではないかと話していた)、その後急速に弱小化し、2006年時点では県大会1回戦突破が目標となっている。
歴代監督
- 徳川家康
- 土井垣将
- 太平太平
- 蛸田蛸