国鉄EF64形電気機関車
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EF64形は、日本国有鉄道(国鉄)が1964年に開発した、勾配線区用向け直流電気機関車である。
国鉄EF64形電気機関車 | |
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ファイル:Ef641052.jpg | |
基本情報 | |
製造所 |
東京芝浦電気(基本番台のみ) 川崎電機製造・川崎車輛(基本番台のみ)→富士電機・川崎重工業 東洋電機製造・汽車製造(基本番台のみ) 東洋電機製造・川崎重工業 |
主要諸元 | |
軸配置 | Bo - Bo - Bo |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 |
直流1,500V (架空電車線方式) |
設計最高速度 | 115 km/h |
最高速度 | 100 km/h |
自重 | 96.0t |
最大寸法 (長・幅・高) |
17,900 × 2,800 × 3,959 mm *1 18,600 × 2,900 × 4,601.8 mm *2 |
台車 |
DT120A形(両端) DT121A形(中間)*1 DT138A形(両端) DT139A形(中間)*2 |
主電動機 |
直流直巻電動機 MT52 (MT52A・MT52B) 形 × 6基 |
駆動方式 | 1段歯車減速吊り掛け式 |
歯車比 | 18:69 (3.83) |
定格出力 | 2,550 kW |
定格速度 | 45.0 km/h(1時間定格・全界磁) |
定格引張力 | 20,350 kgf |
制御装置 |
自動進段電動カム軸制御 抵抗制御・3段組合せ・弱め界磁 (バーニア制御付) |
制動装置 |
EL14AS形自動空気ブレーキ 抑速発電ブレーキ |
保安装置 | ATS-S(新製時) |
備考 |
*1 - 基本番台 *2 - 1000番台 |
製造の経緯
1960年に国鉄の大型電気機関車としては最初の近代化形であるEF60形が完成して以後、本線の列車牽引用としては東海道・山陽本線向けのEF61形と信越本線用のEF62形・EF63形が開発されていた。
EF60形・EF61形は平坦路線牽引用、またEF62形は信越本線横川 - 軽井沢間の国鉄最急勾配に対応した本務機、EF63形は碓氷峠用補機という特殊設計となっており、他の一般勾配路線では、EF62形・EF63形が備える急勾配用の装置は必要としなかった。
しかし一方で、奥羽本線の板谷峠越えや中央本線など、勾配区間に対応する新型機関車が必要な直流電化路線も多く、これに対応するために開発され、1964年に登場したのが本形式である。
1964年から1976年の間に基本番台(1 - 79)が79両、1980年から1982年の間に大幅な設計変更を行った1000番台(1001 - 1053)が53両の計132両が製造された。
構造
※全車に共通的な事柄のみ記す。
機器
EF62形をベースに、軸配置を2軸ボギー3台車の一般的な配置「Bo - Bo - Bo」に戻し、併せて歯車比をEF62形の16:71 (4.44) から高速性能をやや重視した18:69 (3.83) に変更した。碓氷峠用特殊装備は搭載されていない。
重連運転を想定し、重連総括制御装置と正面貫通扉を備え、また下り坂での安全対策のため発電ブレーキを搭載する。発電ブレーキの特性上、本形式の逆転器は界磁電流の向きを変える界磁転換方式[1]ではなく、電機子電流の向きを変えるという電機子転換方式を採用した。
客車列車に使用するため電気暖房装置(EG)[2]を搭載した車両と、未搭載の貨物列車専用機が存在する。
車体
重連運転を行うことからEF62形・EF63形と同様の前面貫通形となっているが、前面窓部分の傾斜をなくしているためEF62形・EF63形とは若干印象の異なる前面形状となった。
また本形式では車体塗装を茶色ではなく、青15号に前面下半部のみクリーム1号の新塗装としている。従来は寝台特急列車牽引用のEF60形500番台のみが青色とクリーム色のツートンカラーであったが、本形式以降、直流新形電気機関車はすべてこの塗装が採用[3]されることとなった。
番台区分別概説
基本番台
勾配線用であるため側面のエアフィルタの面積が大きいのが特徴である。79両が製造された。
- 1・2
- 1964年11月に落成した量産試作車。
(山陽本線西阿知 - 倉敷 2007年11月7日)
- 29・30
- 1968年9月に落成した3次量産車。
(八王子 2004年7月23日)
- 37 - 43
- 1971年3月から5月にかけて落成した5次量産車。
- 前面貫通扉ステップの形状変更。
- 前面窓がデフロスタから熱線入りガラスに変更。
- 空転滑走検知装置を車軸発電機方式から電機子電流の変化を検知する方式へ変更。
- 単位スイッチをSR114形→SR124形・SR117形→SR125形に変更。
- 44・45
- 1971年9月に落成した6次量産車。仕様は5次量産車と同一。
(日羽 - 美袋 2010年5月21日)
- 46 - 75
- 1973年3月から7月にかけて落成した7次量産車。
- 76 - 79
- 1976年1月に落成した8次量産車の76・77と同年11月に落成した9次量産車の78・79に大別される。
なお、各製造次別の製造メーカー・EG搭載・新製配置・名目は下記表を参照。
製造次 | 車両番号 | 製造メーカー | 電気暖房用EG | 新製配置 | 製造名目 |
---|---|---|---|---|---|
量産試作車 | 1 | 東芝 | 搭載 | 福島機関区 | 奥羽本線板谷峠対応EF16形取替 |
2 | 川崎車輛 川崎電機製造 | ||||
1次量産車 | 3 - 7 | 東芝 | |||
8 - 12 | 川崎車輛・ 川崎電気製造 | ||||
2次量産車 | 13・ 16 - 20 |
東芝 | 未搭載 | 甲府機関区 | 中央東線輸送力増強および中央西線名古屋 - 瑞浪間電化開業[5] |
14・15・ 21 - 28 |
川崎車輛 川崎電気製造 | ||||
3次量産車 | 29・30 | 稲沢第二機関区 | 中央西線瑞浪 - 中津川間電化開業 | ||
4次量産車 | 31・32 | 川崎重工業 富士電機[6] |
搭載 | 甲府機関区 | 新東京国際空港(現・成田空港)資材運搬 |
33 - 36 | 中央東線・飯田線・身延線貨物列車輸送力増強 | ||||
5次量産車 | 37 - 39 | 汽車製造 東洋電機製造 |
飯田線・身延線等貨物列車輸送力増強および中央東線電気機関車新性能化 | ||
41 - 43 | 川崎重工業 富士電機 | ||||
6次量産車 | 44 | 汽車製造 東洋電機製造 |
中央東線石油専用列車増発 | ||
45 | 川崎重工業 富士電機 | ||||
7次量産車 | 46 - 50 | 川崎重工業[7] 東洋電機製造 |
篠ノ井機関区 | 中央西線中津川 - 塩尻間および篠ノ井線松本 - 篠ノ井間電化開業 | |
51 - 55 | 川崎重工業 富士電機 |
長野運転所[8] | |||
56 - 64 | 川崎重工業 東洋電機製造 |
未搭載 | 甲府機関区[9] 長野運転所[10] | ||
65 - 75 | 川崎重工業 富士電機 |
稲沢第二機関区[11] 長野運転所[12] | |||
8次量産車 | 76 | 甲府機関区 | 飯田線旧型電気機関車代替[13] | ||
77 | 川崎重工業 東洋電機製造 | ||||
9次量産車 | 78・79 |
1000番台
側面の造型に特徴を持つ
(拝島 2005年7月22日)
1000番台は1970年代末期に国鉄が最後に開発した直流電気機関車である。上越線や高崎線で当時使われていたEF58形・EF15形・EF16形の置き換え用に1980年より投入された。
性能は基本番台とほぼ同様であるが、各部仕様は基礎から再検討がなされたため、基本番台との差異は大きい。計画にあっては形式の変更もあり得たが、労働組合との間で新型機関車導入に関わる難しい折衝を行う必要があるので在来機のマイナーチェンジ(新規番台区分)扱い[14]とした。
1982年までに53両が製造され、ラストナンバーの1053は国鉄が最後に製造した直流電気機関車である。全車が長岡運転所(現・長岡車両センター)に新製配置された。
- 1000番台番号別分類
製造次 | 車両番号 | 製造メーカー | 電気暖房用EG | 予算 |
---|---|---|---|---|
1次車 | 1001 - 1007 | 川崎重工業 東洋電機製造 |
搭載 | 昭和54年度第2次債務 |
1008 - 1016 | 川崎重工業 富士電機 | |||
2次車 | 1017 - 1023 | 川崎重工業 東洋電機製造 |
昭和55年度第1次債務 | |
1024 - 1032 | 川崎重工業 富士電機 | |||
3次車 | 1033 - 1041 | 川崎重工業 東洋電機製造 |
未搭載 | 昭和56年度第1次債務 |
1042 - 1053 | 川崎重工業 富士電機 |
基本番台からの主な変更点
- 耐雪装備を大幅に強化した。
- 主電動機は電機子軸径とブラシ保持器改良などを図ったMT52B形である。
- 主抵抗器は基本番台のMR74形では発電ブレーキ時の容量が不足することから新設計のMR146形となった。
- 基本番台の開発から15年を経過しているため、電動発電機はブラシレス直流電動機を採用してブラシレス化(DM104形)、電気暖房用電源はサイリスタを使用した静止形インバータSC14形[15]とした。
- パンタグラフは、下枠交差型のPS22BもしくはPS22Cに変更。
- 内部機器、特に主抵抗器や主抵抗器送風機、主電動機送風機とその外観が一新された。
- もっとも大きな変更点は車内の機器配置方法であり、車体側面の一端に大型のブロアールーバーがあり、ここが第二機器室、その前後が第一機器室、第三機器室と三分割にされている。主抵抗器とその送風機や主電動機送風機など冷却空気の必要な機器を第二機器室に集中して配置し、主抵抗器の排熱風をルーバーとその内側のフィルタの間に還流することで防雪対策としているほか、運転室の防音にも配慮している。
- 第一機器室と第三機器室には発熱の少ない機器が配置されているが、主電動機送風機で室内をわずかに与圧することで防雪・防塵対策としている。この結果、他の国鉄電機では見られない側面左右非対称の車体になった。
- 2次車からは正面ジャンパ栓上部に作業灯[16]が取り付けられている。
- 制御装置は基本番台と共通のCS22・CS23・CS24系を搭載しており、1000番台・基本番台双方との重連総括運転[17]が可能である。
- 車体が長くなった結果、基本番台の台車では両端台車の首振り角および中間台車の左右動幅が不足するため、EF81形にて実績のある揺れ枕省略形のDT138形・DT139形に、勾配途中での長時間停車時に使用するブレーキシリンダロック装置を追加したDT138A(両端台車)/DT139A(中間台車)とした。
- 寒冷地対策として本形式基本番台やEF65形の一部、EF81形の一部に搭載されている発熱体付きの砂管は、通常の塗装では熱により塗膜が劣化、剥離するため、アルミ粉が含まれた耐熱塗料で塗装されている。
所有状況
現状
- JR貨物
2010年2月25日現在[18]
- JR東日本
2010年4月1日現在[19]
廃車
2008年度までに56両(基本番台55両・1000番台1両)の廃車が発生している。その状況は以下のとおり。更新機には「*」を付す。
- 2003年(平成15年)度 - 11両
- JR東日本 : 1029
- JR貨物 : 3・5・6・7・8・14・21・24・25・26
- 2004年(平成16年)度 - 7両
- JR貨物 : 11・16・17・18・19・23・32
- 2005年(平成17年)度 - 2両
- JR貨物 : 13・*65
- 2006年(平成18年)度 - 5両
- JR東日本 : 42
- JR貨物 : 12・27・28・29
- 2007年(平成19年)度 - 14両
- JR貨物 : 22・30・40・44・45・46・*48・*49・*50・52・54・55・58・*62
- 2008年(平成20年)度 - 17両
- JR東日本 : 41
- JR東海 : 2・35・66
- JR西日本 : 1・9
- JR貨物 : 4・15・20・*56・*57・*64・69・71・*73・78・*79
運用
国鉄時代
1964年から1965年にかけて落成した最初の12両は直流電化区間だった奥羽本線板谷峠越え(福島 - 米沢間)のEF16形置き換え用として福島機関区に配置された。これらは1968年の奥羽本線交流化に伴い、全機が稲沢第二機関区に転出している。1966年から製造された基本番台の増備車については甲府機関区・長野運転所・篠ノ井機関区・稲沢第二機関区などに配置され、主に中央本線・篠ノ井線で使用された。上越線への1000番台投入の前には乗務員訓練、営業運転などで、基本番台5両が長岡運転所に転出し上野 - 長岡間で急行「能登」や寝台特急「北陸」などを牽引するなど、しばらく1000番台と共用されているが、計画両数が出揃った後に再び転配された。
寝台特急「出羽」
(1984年)
1000番台53両は落成時点では全車が長岡運転所に配置され、増備車が落成すると一部は高崎第二機関区(現・高崎機関区)に転出したが、いずれも上越線で使用された。
1980年、伯備線の電化に備え、基本番台の一部が岡山機関区に転出したほか、1987年には長岡運転所から1000番台も転出している。また1984年に青梅線・南武線の貨物列車で使用していたED16形の取替えのため基本番台・1000番台の一部が八王子機関区(現・八王子総合鉄道部)に転出した。
58は1978年10月に長野県で開催されたやまびこ国体の際に、77は1986年10月に山梨県で開催されたかいじ国体の際にそれぞれお召し列車を牽引した。77は国鉄最後のお召し列車牽引機となった。この2両とお召し予備機の62は供奉車との電話用栓受けが残っていたほか、塩尻機関区篠ノ井派出に配置されていた58[20]は、連結器および解放テコ・手すりなどが篠ノ井総合鉄道部(当時)の一般公開の際に銀色に塗られていた。
JR発足後
1987年の国鉄分割民営化では本形式は基本番台・1000番台とも製造された全車がJRに承継された。貨物列車牽引用に使用されていた車両が多く日本貨物鉄道(JR貨物)に全体の9割近くに及ぶ113両(基本番台68両・1000番台45両)が、東日本旅客鉄道(JR東日本)に14両(基本番台6両・1000番台8両)が、東海旅客鉄道(JR東海)に基本番台3両が、西日本旅客鉄道(JR西日本)に基本番台2両がそれぞれ承継された。
各社への継承機の番号を次に記す。
- JR東日本 : 36 - 39・41・42・1001・1029 - 1032・1051 - 1053
- JR東海 : 2・35・66
- JR西日本 : 1・9
- JR貨物 : 3 - 8・10 - 34・40・43 - 65・67 - 79・1002 - 1028・1033 - 1050
後継形式の開発の遅れのため基本番台・1000番台ともに2002年まで廃車は発生していなかったが、基本番台の初期車には製造後35年以上が経過しているものもあり、後継機であるEH200形が開発されたことから製造初年から39年が経過した2003年に初の廃車が発生した。
基本番台はその後もEH200形の増備進展に伴い淘汰が進行しており、2007年3月18日のダイヤ改正以降、塩尻機関区篠ノ井派出配置車の中央東線運用は大半をEH200形で代替している。さらに2008年3月15日のダイヤ改正では篠ノ井派出配置車の機関車運用が消滅し、全般検査期限に余裕がある更新機のみが愛知機関区へ転出した。また、高崎機関区の1000番台からも4両が愛知機関区へ転属となっている(2009年時点)。
なお、JR東海・JR西日本所属車は2009年1月までに全車廃車されている。
改造・塗色変更など
塗装変更機
EF64 37 (八王子 2005年1月21日) | ||
EF64 37
(八王子 2005年1月21日) |
EF64 41 金ナンバー車
(2007年2月4日) |
- 37・41(ぶどう色塗装機)
- 37は、2003年に茶色(ぶどう色2号)[21]一色塗装とされた。2009年3月までは高崎車両センター高崎支所配置・甲府運転区常駐の形で、おもに中央東線の工事列車や団体臨時列車に使用されていた。2009年3月14日のダイヤ改正時に長岡車両センターに転属し寝台特急「あけぼの」「北陸」の牽引にも充当されるようになったが、「北陸」の廃止による必要車両数減により2010年3月13日付で高崎車両センターへ転属となった。
- 2006年5月、同年6月に中央本線塩尻 - 辰野 - 岡谷間で運転される「たつのぴっかり号」「くりちゃん号」にあわせて、長野総合車両センター配置の41も37と同様にぶどう色塗装となり、同時に車両番号表記と製造銘板の文字が金色になった。折しも同センターに配置されている客車ジョイフルトレイン「浪漫」もこの頃に運用離脱の噂が立っており、同車が運用離脱するまでの間は僚機の42よりも41が運用されるようになった。「浪漫」と42の運用離脱後も工事列車やJR西日本所有のジョイフルトレイン「あすか」の牽引に用いられたが、41は2008年7月に運用を終え廃車解体された。
(高崎 2007年4月9日)
- 1001(ぶどう色塗装機)
- 高崎車両センターに配置されている1001は、1987年3月にお座敷客車「くつろぎ」をはじめとするイベント列車牽引ならびに、EF55 1の補機としてぶどう色1色に白帯を配した塗装に変更された。同機は主に高崎・上越線の工事列車・臨時列車で使用されているほか、団体臨時列車の牽引などで東海道・中央・信越・伊東線・日光線などに入線した事例もある。また、同センターに配置されているD51 498蒸気機関車の無火回送の牽引仕業に充てられる場合もある。
(名古屋 2006年7月22日)
- 35・66(元「ユーロライナー」専用機)
- 1985年8月に登場した12系ジョイフルトレイン「ユーロライナー」の専用機として、66が当時は稲沢機関区(現・愛知機関区)に所属していた。(塗色変更は鷹取工場で実施)DD51形とともに塗色変更されたもので、本形式としては初の塗色変更機である。同機は国鉄分割民営化後はJR東海に承継された。追加として35が1990年の全般検査で塗装変更された。
JR貨物更新機
(総社 - 豪渓 2010年5月22日)
- 0番台
- 1995年から大宮車両所と広島車両所で0番台の更新工事が施工された。最初に施工されたのは67号機である。車体塗装は、ライトパープルをベースにディープブルーとスカイブルーで3色に塗り分け、乗務員扉はからし色のJR貨物標準色[22]に改められた。
- 広島車両所の更新車は、貫通扉もからし色に塗られ、鎧戸はディープブルー一色だったが、その後の全般検査は全車大宮車両所で施工、57号機は大宮式の更新塗装に変更されたが、67号機は広島式の更新デザインを継承した塗色となっている。
- 2004年頃から大宮施工車の塗り分けは、ライトパープルとディープブルーの二色に簡略化された。走行装置が改良された 37 以降を対象に施工されているが、現在は行われていない。
- 2008年4月時点での施工車両を以下に示す。
- 43・47 - 51・53・56・57・59 - 65・67・68・70・72 - 77・79
- 1000番台
- 高崎機関区に配置されている1000番台が更新時期を迎えたため、2003年から施工を開始した。その後もJR貨物所属車に対する更新工事は進行中である。
- 最初に竣工した1015号機の車体塗装はEF65形・EF66形などに見られるJR貨物標準色であったが、EF65形1000番台など他形式更新機との識別を容易にするため、2003年夏以降に更新された1009号機以降は、青を基調に白の斜めストライプを配した高崎機関区独自のデザインに変更された。
- この塗装はさらに改良が加えられて、前後のストライプの間のエアフィルター上部の屋根肩にも白が入るようになり、以降この塗装が施されるようになった。
- 岡山機関区配置機では、1047が2006年7月に、1049が同年11月に、1046号機が2007年2月に広島車両所で施工されたが、車体塗装は広島車両所独自のデザインである。
- 更新工事施工車は、2009年4月現在以下の車両である。
- 1002 - 1005・1007 - 1011・1013・1015・1017・1018・1020 - 1028・1033 - 1036・1038・1039・1042 - 1047・1049
電車牽引用特殊装備の設置
(大宮 2010年3月8日)
JR東日本では新津車両製作所で首都圏向け通勤形・一般形電車を製造しているが、同所で落成した車両を首都圏へ配給回送[23]するため、電車牽引用の装備を長岡車両センターに配置されている1030・1031・1032に装着している。
また、廃車車両の解体作業が従来の大宮総合車両センターから長野総合車両センターに移管されたために長野までの牽引回送、各総合車両センターで改造落成した車両の配給回送でも運用される。
保存機
- EF64 18 - 勝沼ぶどう郷駅前・鉄道遺産記念公園
脚注
- ^ EF60形やEF65形に搭載されている。
- ^ EG 搭載車両は車端部1位・3位側の乗務員室扉脇に表示灯(EG灯)を備えているので判別可能である。なお2009年現在は機関車のEGを必要とする客車が現存しないため電気暖房装置は使用されていない。
- ^ 旧形のEF58形も後にこの色に塗り替えられた。
- ^ 未装備の45までと重連運転する際には元空気ダメ設定圧力の差により安全弁が作動するため2009年時点では使用されていない。
- ^ 実際には中央東線に本形式を投入し、当時同線で運用されていたEF60形を中央西線電化開業用に捻出。
- ^ 川崎車輛は1969年4月に川崎重工業に、川崎電機製造は1968年10月に富士電機にそれぞれ合併。
- ^ 汽車製造は1972年に川崎重工業に合併。
- ^ 篠ノ井機関区開設までの配置で短期間で転属。
- ^ 56・57
- ^ 58 - 64
- ^ 65 - 67・71・72
- ^ 68 - 70・73 - 75
- ^ 当時中央東線で運用されていたED61形をED62形に改造の上飯田線に投入し、老朽化が進んでいたED18形・ED19形を代替。
- ^ 同様な事例としてディーゼル機関車のDD51形800番台と交流電気機関車のED76形500番台がある。
- ^ 搭載は1001 - 1032までで、1033 - 1053は貨物列車専用として搭載を省略。
- ^ 1次車にも後に装備された。
- ^ 基本番台との重連総括は一部機能の制約があるほか、増圧ブレーキ有無の関係で元空気ダメ設定圧力が基本番台は780kPa、1000番台は880kPaと異なるため、短期間の試験を除いて実際の運用例はない。
- ^ 『JR貨物時刻表』2010年 機関車配置表(2010年2月25日現在) - 鉄道貨物協会
- ^ 『鉄道ファン』2010年7月号 JR旅客各社の車両配置表(2010年4月1日現在) - 交友社
- ^ 2008年3月25日廃車。
- ^ EF64形は登場時から全機青15号とクリーム色1号の塗り分けであるが、2落成時に試験塗装としてごく僅かの期間だけぶどう色を纏った時期があった。
- ^ 更新時期によって塗り分けの位置が60mm程度異なる。
- ^ JR東日本が自社製造→自社使用するために配給列車となる。新津所では他鉄道事業者向けの車両製造も行っているが、その場合は甲種輸送となり、牽引機もJR貨物所属のEF64形となる。
- ^ E231系・E233系・E531系の配給の場合、電車側のパンタグラフも上げ通電状態での牽引回送を行う。これは、電車側のブレーキ機器も動作させる目的があり、その指令のためにジャンパ栓が必要となる。