川畑文子
日本の歌手 (1916-2007)
川畑 文子(かわばた あやこ、1916年〈大正5年〉 - 2007年〈平成19年〉)はハワイ生まれの日系三世歌手である。
来歴・人物
父は岡山県生まれの日系一世、母は日系二世で3歳の頃ロサンゼルスに転居。1930年(昭和5年)ニューヨーク・ブロードウェイでダンサーを行っていた。
母は徹底的なステージ・ママであり川畑のマネージャーにも口を出す人であった。1932年(昭和7年)日本での芸能活動を行うため来日した。戦前の代表的ジャズ歌手天野喜久代が後見人となり翌年コロムビア・レコードよりデビューした。日本人ばなれしたプロポーションを生かし歌って踊れるスターであった。
ただし日本語が乏しく歌唱力は評価できるものはなかった。日本語と英語を組み合わせての歌い方は戦後の江利チエミ、雪村いづみなどに伝えられる。1939年(昭和14年)、突然米国に帰国したため活動期間は6年間あまりと短かった。代表曲として「沈む夕陽(セントルイス・ブルース)」(1937年〈昭和12年〉)がある。