モストレス

スペインの都市

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モストレスMóstoles)は、スペインマドリード州の都市。マドリード中心部から18kmほど離れており、マドリード都市圏を形成している。

'Móstoles'

  


マドリード州
面積 45km²
標高 620m
人口 206,275人(2008年)
人口密度 4981.87人/km²


北緯40度19分00秒 西経03度51分00秒 / 北緯40.31667度 西経3.85000度 / 40.31667; -3.85000

地理

モストレスはグアダラマ川の谷に位置する。グアダラマ川は市の西端を流れる。

大陸性の地中海性気候である。夏の最高気温は38℃、冬の最高気温は14℃である。夏の最低気温は15℃、冬の最低気温は2℃である。年間の平均降雨量は約420mmで、春と秋が雨季にあたる。

概要

モストレスの基盤は、ケルト人の定住地があったことから、ローマ時代かそれ以前にできたと見られている。ローマ時代、現在のモストレス中心部に定住地の中心があり、そこにはネクロポリス、陶器の窯があったと記録されている。

西ゴート時代とイスラム支配時代、モストレスや周辺の定住地は依然として町のままであった。

モストレスの名が初めて登場したのは中世だった。1144年の公文書で、アルフォンソ8世がフレゲセドス(現在のロランカとフエンラブラダにまたがっていた村)をセゴビア司教へ授けたことを記しており、トゥレム・デ・モンステレス(Turrem de Monsteles)の名が載っている。

16世紀から、モストレスは重要な道路・行路が交差する場所となった。旅行者や商人のために、宿屋、居酒屋、商店ができた。

1808年5月2日、モストレス市長令(es)が出された。これは、半島戦争がフランスに対する市民戦争であることを宣言したものだとされている。

1970年代以降、モストレスはマドリードのベッドタウンとなった。フアン・カルロス国王大学などの高等教育機関のキャンパスがある。

統計

 
1900年から2005年の人口動勢

1960年代半ばの人口は4000人程度にすぎなかったモストレスへの人口流入は、急激に起き、特にマドリード、エストレマドゥーラ州やカスティーリャ、ガリシア州の田舎の出身者が多かった。1990年代に入って流入は安定したが、アフリカや東ヨーロッパからの新移民の転入が始まった。スペイン生まれでないモストレス市民は、人口の約11%にのぼる。

交通

スポーツ

著名な出身者

外部リンク