長野久義

日本のプロ野球選手 (1984-)

これはこのページの過去の版です。123front (会話 | 投稿記録) による 2011年5月14日 (土) 10:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (人物: 出身校が筑紫野のこともあるのでは(原辰徳の出身地が神奈川県とされることがあるように)「出典」も個人ページで信頼性に疑問があるため除去)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

長野 久義(ちょうの ひさよし、1984年12月6日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手外野手)。佐賀県三養基郡基山町出身。

長野 久義
読売ジャイアンツ #7
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県三養基郡基山町
生年月日 (1984-12-06) 1984年12月6日(40歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2009年 ドラフト1位
初出場 2010年3月26日
年俸 3,500万円(2011年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

プロ入り前

佐賀県基山町立基山小学校1年生の時に地元の少年軟式野球チーム(基山バッファローズ)に入部。6年生時に主将を務める。このときから既に作文で[1]読売へドラフト1位入団・即1軍を目指していたことが伺われる。基山中学校時代は九州硬式少年野球協会フレッシュリーグ所属の筑紫野ドリームズに在籍。筑陽学園高等学校へ入学し、平成14年の春季九州地区高校野球大会ベスト4進出。プロの誘いはあったが、東都大学野球連盟日本大学へ進学、硬式野球部へ所属。

2年生までは三塁手だったが、打撃力を生かすため、2005年、3年生の東都大学野球春季1部リーグ戦から中堅手に転向。また、長野は外のスライダーを振る癖があったため、野球部の後輩にアドバイスを受けて、あえてホームベースから離れることになる。離れることにより、バットが届く球ならストライク、届かないならボールと見極めることで、弱点を克服した。

4年生となった2006年に急成長し、春季は12試合出場、打率.489(47打数23安打)、主将を務めた秋季は13試合出場、打率.404(52打数21安打)で2季連続首位打者[1]となり、ベストナインにも満票選出された。強肩・俊足を兼ね備え、プロの注目を浴びることとなった。同年秋の日米大学野球選手権、IBAFインターコンチネンタルカップ2006年アジア競技大会に日本代表として出場。大学リーグ通算87試合出場、290打数85安打、打率.293、10本塁打、40打点。

同年秋のドラフト会議北海道日本ハムファイターズから4巡目指名を受けたが、読売ジャイアンツへの入団を熱望していたことから入団を拒否し、社会人野球ホンダ硬式野球部に入部した。

Honda時代

第62回JABA東京スポニチ大会でデビュー。主に3番・右翼手としてチームのベスト4入りに貢献し、同大会で新人賞。また4月の第55回JABA静岡大会では準決勝で先制本塁打を放つ活躍が認められ、大会最優秀選手に選出された。

2008年、ドラフト会議で巨人以外に指名された場合はプロ入りせず会社に残留する意志を固めていた[2]が、千葉ロッテマリーンズが2巡目で“強行”指名[3]。当日のボビー・バレンタインとの面会を拒否し、[4][5]11月25日に入団交渉後、12月3日に入団拒否を明らかにした。翌日にロッテ球団側に直接入団拒否を申し入れ、球団側も了承。ホンダ残留が決定し、2009年のドラフトで巨人の指名を待つこととなった(巨人は、2月5日の時点で早くも長野にドラフト1位指名を確約)。ホンダでは第80回都市対抗野球大会で打率.579(19打数11安打)の活躍で首位打者を獲得。チームを13年ぶりの優勝に導いた。

10月29日、ドラフト会議で読売ジャイアンツから確約通り単独1位で指名、交渉権が確定した。直後、原辰徳と対面して背番号7のユニフォームを手渡された[6]。11月23日、契約金1億円、出来高払い5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)で契約合意[7]。同日、東京ドームで行われた「ジャイアンツファンフェスタ」で入団発表を行った。

巨人時代

2010年の新人合同自主トレでは、柔軟性・持久力には課題を残す[8]ものの、マシン打撃で鋭い打球・外野守備練習で快足を披露し首脳陣から信頼を得る。オープン戦でも結果を残し、同期新人の土本恭平市川友也と共に開幕一軍の切符を手にした。9月17日、不振からプロ入り初の降格を経験するも、シーズン終盤には坂本勇人の不振で1番での先発出場を経験するなど、4番・5番を除く全打順での先発出場を経験し、最終的に1年目にして規定打席に到達、打率.288、19本塁打をマークした。19本塁打は高橋由伸と並び、巨人の新人では3位の記録。これにより2010年の新人王を獲得した[9]。巨人からは前々年の山口鉄也、前年の松本哲也に続き、3年連続の新人王誕生となった。

2011年4月12日の対ヤクルト開幕戦(宇部市野球場)で自身初の開幕スタメン(6番・中堅手)に名を連ね、押本健彦から3ランを含む5打数3安打5打点の活躍を見せ、試合後のお立ち台にも上った。

プレースタイル

ホームベースから離れて構える打撃フォームが特徴的な、広角に長打を放つ中距離打者。

50メートル5秒8の俊足、遠投120メートルの高い身体能力を持つ外野手だが、2010年にセ・リーグ外野手最多失策を記録したように守備面に課題を残す。

俊足ではあるが、好走塁をしたり単純なリードミスをしたりと、荒々しい面がある。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2010 巨人 128 459 430 66 124 24 3 19 211 52 12 4 2 0 25 4 2 72 10 .288 .330 .491 .821
通算:1年 128 459 430 66 124 24 3 19 211 52 12 4 2 0 25 4 2 72 10 .288 .330 .491 .821
  • 2010年度シーズン終了時

年度別守備成績


外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2010 121 211 3 5 0 .977
通算 121 211 3 5 0 .977
  • 2010年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 7 (2010年 - )

タイトル・表彰

アマチュア時代

プロ野球入団以後

個人記録(NPB)

日本代表キャリア

登場曲

人物

  • 生まれてから中学卒業までを基山町で過ごしており「佐賀県出身」となるのが正しいのだが、一部文献では出身地を「福岡県」としている[11]。基山町は元々福岡県との県境に位置し、長野の出身校のある筑紫野市にも近いという事実やあるが、本人は出身地について「福岡でも佐賀でもいい」と語っている[12]

関連項目

脚注

  1. ^ 1995年秋・1996年春の高須洋介青山学院大学)以来の快挙。
  2. ^ ““3浪”覚悟!長野 巨人以外に指名なら残留”. スポーツニッポン. (200-09-09 エラー: 日付が正しく記入されていません。(説明). http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2008shakaijin/2008toshitaikou/KFullNormal20080909031.html  {{cite news}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  3. ^ “ロッテ2位強行指名、長野の口説きにボビー“笑算””. 夕刊フジ. (2008年10月31日). http://www.zakzak.co.jp/spo/200810/s2008103122_all.html 2011年5月13日閲覧。 
  4. ^ “G熱望長野がボビーと対面拒否”. ニッカンスポーツ. (2008年10月31日). http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2008/news/p-bb-tp1-20081031-424514.html 2011年4月12日閲覧。 
  5. ^ 「巨人熱望の長野 バレンタイン対面拒否」デイリースポーツ2008年10月31日付。
  6. ^ ドラフト指名を2回拒否して3回目の指名を受けたのは、奇しくも巨人の先輩に当たる岡本光(1982年に3回目の指名)以来であった。
  7. ^ 【巨人】長野がファンに「7」お披露目 - nikkansports.com
  8. ^ 秘密兵器で硬い長野を柔らかく!
  9. ^ プロ野球MVP、パ最多勝・和田と中日の和田 朝日新聞 2010年11月18日閲覧
  10. ^ この日が自身にちなんだプレーヤーズ・デーということで、苗字の読みが同じ蝶野正洋が観戦に訪れた。
  11. ^ 例として などが挙げられる。
  12. ^ 東京スポーツ・2010年5月26日付 3面