クラレンス・セードルフ
クラレンス・クライド・セードルフ(Clarence Clyde Seedorf、1976年4月1日 - )は、スリナム、パラマリボ出身の元オランダ代表、セリエA・ACミラン所属のサッカー選手。ポジションはMF。
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
| ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 | クラレンス・クライド・セードルフ | |||||
| 愛称 | プレジテンテ(大統領)、黒豹 | |||||
| ラテン文字 | Clarence SEEDORF | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1976年4月1日(49歳) | |||||
| 出身地 |
パラマリボ( | |||||
| 身長 | 176cm | |||||
| 体重 | 80kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム |
| |||||
| ポジション | MF | |||||
| 背番号 | 10 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1992-1995 1995-1996 1996-2000 2000-2002 2002- |
|
64 (11) 32 (3) 121 (15) 64 (8) 190 (31) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1994-2008 |
| 87 (11) | ||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。2008年5月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
生い立ち
アヤックス・アカデミー出身。
同期には、パトリック・クライファートやレミー・ボンヤスキーがいる。
プレースタイル
クラレンス・セードルフは、優れたテクニックと素晴らしい体力、暖急・長短織り交ぜた正確なパス、ミドル・ロングシュートに強靭なフィジカル、高い守備能力を持つ、総合力の非常に高いプレーヤー。どの戦術にも適応出来る頭脳も併せ持つ。
20歳になった辺りにおいて、精神面に若干の若さは感じさせたものの、卓越した戦術眼、完成されたフィジカルは、つねに20歳の選手とは思えないほど優れていた。
中でも、テクニックに関して、ジネディーヌ・ジダンをも凌ぐと評価されている。
近年、ベテランの域に差し掛かったセードルフは、プレーの安定感に欠ける場面も見られ、ミランサポーターから激しいブーイングを受けることもある。しかし、後半戦にかけて調子を上げ、2010-11シーズンにはミラン7期ぶりのスクデット獲得(優勝)に貢献するなどメンタルも強い。(本人はシーズン後半に向け、調子のピークをあわせていると語っている。)
また、UEFAチャンピオンズリーグなどの大舞台にめっぽう強い。
戦術理解力が高く、中盤(MF)はほぼ全てのエリアをプレーでき、セカンド・ストライカーとしてもプレー出来る。
経歴
クラブ
アヤックス
1992年11月29日(1992-93シーズン)、エールディヴィジ、FCフローニンゲン戦でプロデビュー。
この時、わずか16歳と242日だった。
ファン・デル・サール、ライツィハー、ブリント、ライカールト、ロナルド・デ・ブールとフランク・デ・ブールの兄弟、ダーヴィッツ、リトマネン、クライファート、フィニディ・ジョージ、オーフェルマルスなどアヤックス黄金時代の錚々たる顔ぶれがいた。このプロ最初のシーズンで、オランダ・カップを制覇する。
1994-95シーズンにレギュラーポジションを掴み、1995年5月24日、19歳にして一度目のUEFAチャンピオンズリーグを制覇。
相手は、後に所属することとなるACミランだった。この試合でも先発出場を果たし、後半9分にヌワンコ・カヌと交代している。
サンプドリア
1995年夏に、イタリア・セリエAのサンプドリアへ移籍。
移籍初年度(1995-96シーズン)、若い年齢(19歳)ながら32試合に出場し3得点をあげている。
潜在能力の高さを証明しつつも、ホームシック、チーム低迷などの理由から本来の力を発揮出来ないまま、翌シーズンよりレアル・マドリードへ移籍することとなる。
レアル・マドリード
1996-97シーズンからは、レアル・マドリードでプレー。
弱冠20歳ながら、卓越した戦術眼、完成されたフィジカルを備えるセードルフがレアル・マドリードでレギュラーポジションを掴むのもごく自然な流れだった。リーグ戦全38試合に出場、6得点を記録しリ-グ優勝に貢献
1997-98シーズン、21歳で二度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を達成。トヨタ・カップも制し世界の頂点に君臨。
その後もチームの中心として活躍するが、
1999-2000シーズンの冬の移籍期間にて、チームメイトとの確執、チームの財政悪化などの理由から、インテルへと移籍する。
インテル
だがインテルに移籍すると、セードルフは徐々に輝きを失っていく。
控えの選手として苦しい時期を過ごし、代表でのポジションも絶対的なものではなくなってしまう。
2001-02シーズン、それでも後半戦に出場機会を得ると、目覚しい戦果を上げ復活をアピールした。
ACミラン
2002-03シーズン、フランチェスコ・ココとのトレードでライバルチームのACミランへ加入。
このシーズン、自身三度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を達成。(史上初の異なる三つのクラブでのチャンピオンズリーグ制覇)
2006-07シーズン、四度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を達成。この大会では、後にバロンドールを受賞することになるカカの活躍が取り上げられたが、セードルフ自身も随所に高パフォーマンスを披露している。準々決勝でのバイエルン・ミュンヘン戦では、相手ディフェンダーの股を抜いてのゴールと、フィリッポ・インザーギへ絶妙なヒールパスでアシスト。準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦でも、アレッサンドロ・ネスタのロングパスを頭で落とし、カカのゴールをアシスト。自身もネマニャ・ヴィディッチのプレスにもろともせずエドウィン・ファン・デル・サールの守るゴールに決めた。
2007-08シーズン、2007年12月にFIFAクラブワールドカップで来日。浦和レッズ戦では、カカのパスから決勝ゴールを決めた。
また同月、UEFAチャンピオンズリーグでは通算100試合出場を達成。
2008-09シーズンでは、怪我でアンドレア・ピルロが離脱したときにはレジスタとして中盤の底でプレーし、代役を務めるなど高いユーティリティ性を示した。
2010-11シーズン、序盤、自らのミスから失点の足がかりとなったり、不用意なパスミスなどで、ポジションをケヴィン=プリンス・ボアテングに奪われるなど限界がささやかれた。
しかし、終盤になるにつれパフォーマンスが向上。ミラノダービーでの圧巻のプレー、サンプドリア戦では、無回転のフリーキックを決めるなど、結果的にミラン7シーズンぶりとなるスクデット獲得に貢献。
オランダ代表
1994年12月14日、ルクセンブルク戦で代表デビュー。
しかし、チームの内紛など問題の多いオランダ代表にあって本来の力を発揮する事が出来ず、
1996年の欧州選手権では、自らのPK失敗によりチームも敗退。
1998年のワールドカップでは、4位という好成績に貢献しながらも大きなインパクトを残す事は出来なかった。
2002年のワールドカップでは、欧州予選敗退。
2006年のワールドカップでは、本大会出場に貢献したが、不可解なメンバー漏れを経験するなど不運が続いている。
代表でプレーする際にはエゴイスティックなプレーが多く、マルコ・ファン・バステン元オランダ代表監督に失格の烙印を押された。しかし2006年11月15日のイングランドとの親善試合で久しぶりに代表に招集され、試合では背番号"10"を着けて先発出場。好調なプレーとキャプテンシーを見せ、再びファン・バステンの信頼を得た。
エピソード
- 従兄弟のステファノ・セードルフもサッカー選手で、アヤックスやFCフローニンゲンに所属していた。現在は、FCデン・ボスに所属。
- ミラノで人気日本食レストラン(Fingers)を経営している。
- 髪型が以前はドレッドロックスだったが、2004年頃にスキンヘッドにする。トヨタカップでPKを蹴りたがらない選手がいたと発言し、ミランの選手たちを怒らせたことへの反省の表れでもあった。
- 2005年に自宅に強盗が入り、10万ユーロの被害を受けたが、幸いにも本人、家族ともに無事だった。
- ACミランでマヌエル・ルイ・コスタがチームを離れることになり、その背番号10番を自ら志願して受け継いだ。
- 所属チーム3つ(アヤックス・アムステルダム、レアル・マドリード、ACミラン)でのUEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げたのは歴代でセードルフ唯一人だけである。
- 複数の国でプレーしてきたため、語学力に長けている。母国語のオランダ語の他、英語、イタリア語やスペイン語、更にはポルトガル語も自由に操ることができる。
- オランダ代表、レアル・マドリード、インテル、ACミランで背番号10をつけている。
- かつては、特に代表チームにおいて自身の望み通りのポジション・背番号を強く要求し、叶わなければ試合を欠場すると公然と言い放つなど、エゴの強さで知られていた。こういった言動は加齢と共に落ち着き、近年では殆ど見られない。
- 妻はブラジル人であり、オフシーズンにはブラジルで過ごす。そのためか、フラメンゴ(Clube de Regatas do Flamengo)に愛着を持っており、将来的にはフラメンゴでもプレーしたいとの発言をしている。
- 長年lotto社と契約していたが、2007-2008シーズンのオフからadidas社のスパイクを履いている。
- 北京オリンピックにオーバーエージ枠で参加する予定であったが、ファン・バステン監督の下での代表の要請を断ったことによって、協会の規定によって白紙になった。
- ユーロ2008は辞退したが、同時期に日本で行われた中田英寿主催のチャリティーマッチに出場している。
- 現在、副業として元ブラジル代表のロベルト・カルロスと共にバイクチームを運営している。
個人成績
このテンプレートは利用者空間内にあるため使用しないで下さい。:今後はコピー先のTemplate:サッカー選手国内成績表_topを使用して下さい。 |
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
| 1992-93 | アヤックス | エールディヴィジ | 12 | 1 | |||||||
| 1993-94 | アヤックス | エールディヴィジ | 19 | 4 | |||||||
| 1994-95 | アヤックス | エールディヴィジ | 34 | 6 | |||||||
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995-96 | サンプドリア | 17 | セリエA | 32 | 3 | ||||||
| スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1996-97 | R・マドリード | 10 | プリメーラ | 38 | 6 | ||||||
| 1997-98 | R・マドリード | 10 | プリメーラ | 36 | 6 | ||||||
| 1998-99 | R・マドリード | 10 | プリメーラ | 37 | 3 | ||||||
| 1999-00 | R・マドリード | 10 | プリメーラ | 10 | 0 | ||||||
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999-00 | インテル | 14 | セリエA | 20 | 3 | 5 | 2 | ||||
| 2000-01 | インテル | 10 | セリエA | 24 | 2 | 4 | 0 | ||||
| 2001-02 | インテル | 10 | セリエA | 20 | 3 | 2 | 1 | ||||
| 2002-03 | ミラン | 20 | セリエA | 29 | 4 | 3 | 2 | ||||
| 2003-04 | ミラン | 20 | セリエA | 29 | 4 | 5 | 0 | ||||
| 2004-05 | ミラン | 20 | セリエA | 32 | 5 | 4 | 1 | ||||
| 2005-06 | ミラン | 20 | セリエA | 36 | 4 | 2 | 1 | ||||
| 2006-07 | ミラン | 10 | セリエA | 32 | 7 | 7 | 5 | ||||
| 2007-08 | ミラン | 10 | セリエA | 32 | 7 | - | - | ||||
| 2008-09 | ミラン | 10 | セリエA | 27 | 5 | ||||||
| 2009-10 | ミラン | 10 | セリエA | 29 | 5 | ||||||
| 2010-11 | ミラン | 10 | セリエA | ||||||||
| 通算 | オランダ | エールディヴィジ | 65 | 11 | |||||||
| イタリア | セリエA | 254 | 34 | ||||||||
| スペイン | プリメーラ | 121 | 15 | ||||||||
| 総通算 | |||||||||||
このテンプレートは利用者空間内にあるため使用しないでくだい。:今後はコピー先のTemplate:サッカー選手国際成績表_topを使用して下さい。 |
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| UEFA | UEFA EL | |||
| 1992-93 | アヤックス | 3 | 0 | |
| 1993-94 | アヤックス | 2 | 0 | |
| UEFA | UEFA CL | |||
| 1994-95 | アヤックス | 11 | 0 | |
| 1997-98 | R・マドリード | 11 | 0 | |
| 1998-99 | R・マドリード | 10 | 8 | 3 |
| 1999-00 | R・マドリード | 10 | 6 | 0 |
| UEFA | UEFA EL | |||
| 2000-01 | インテル | 10 | 7 | 3 |
| 2001-02 | インテル | 10 | 10 | 0 |
| UEFA | UEFA CL | |||
| 2002-03 | ミラン | 20 | 16 | 1 |
| 2003-04 | ミラン | 20 | 8 | 0 |
| 2004-05 | ミラン | 20 | 13 | 1 |
| 2005-06 | ミラン | 20 | 11 | 1 |
| 2006-07 | ミラン | 10 | 14 | 3 |
| 2007-08 | ミラン | 10 | 7 | 2 |
| 通算 | UEFA | 127 | 14 | |
獲得タイトル
アヤックス時代
- エールディビジ優勝 2回(1993-1994、1994-1995)
- オランダ・カップ 1回(1992-1993)
- オランダスーパーカップ 2回(1993年、1994年)
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝 1回(1994-1995)
レアル・マドリード時代
- リーガエスパニョーラ優勝 1回(1996-1997)
- スペインスーパーカップ 1回(1997年)
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝 1回(1997-1998)
- トヨタカップ 1回(1998)
ACミラン時代
- セリエA優勝 1回(2003-2004)
- コッパ・イタリア 1回(2002-2003)
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝 2回(2002-2003、2006-2007)
- UEFAスーパーカップ 2回(2003年、2007年)
- UEFAクラブ最優秀MF (2006-07)
- FIFAクラブワールドカップ2007 優勝