クラレンス・セードルフ

オランダのサッカー選手・監督

これはこのページの過去の版です。182.167.49.122 (会話) による 2011年6月13日 (月) 15:10個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

クラレンス・クライド・セードルフClarence Clyde Seedorf1976年4月1日 - )は、スリナムパラマリボ出身の元オランダ代表セリエAACミラン所属のサッカー選手。ポジションはMF

クラレンス・セードルフ
名前
本名 クラレンス・クライド・セードルフ
愛称 プレジテンテ(大統領)、黒豹
ラテン文字 Clarence SEEDORF
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
スリナムの旗 スリナム
生年月日 (1976-04-01) 1976年4月1日(49歳)
出身地 パラマリボスリナムの旗 スリナム
身長 176cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ACミラン
ポジション MF
背番号 10
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1995
1995-1996
1996-2000
2000-2002
2002-
オランダの旗 アヤックス
イタリアの旗 サンプドリア
スペインの旗 レアル・マドリード
イタリアの旗 インテル
イタリアの旗 ACミラン
64 (11)
32 (3)
121 (15)
64 (8)
190 (31)
代表歴
1994-2008 オランダの旗 オランダ 87 (11) 
1. 国内リーグ戦に限る。2008年5月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

生い立ち

アヤックス・アカデミー出身。
同期には、パトリック・クライファートレミー・ボンヤスキーがいる。

プレースタイル

クラレンス・セードルフは、優れたテクニックと素晴らしい体力、暖急・長短織り交ぜた正確なパス、ミドル・ロングシュートに強靭なフィジカル、高い守備能力を持つ、総合力の非常に高いプレーヤー。どの戦術にも適応出来る頭脳も併せ持つ。
20歳になった辺りにおいて、精神面に若干の若さは感じさせたものの、卓越した戦術眼、完成されたフィジカルは、つねに20歳の選手とは思えないほど優れていた。
中でも、テクニックに関して、ジネディーヌ・ジダンをも凌ぐと評価されている。
近年、ベテランの域に差し掛かったセードルフは、プレーの安定感に欠ける場面も見られ、ミランサポーターから激しいブーイングを受けることもある。しかし、後半戦にかけて調子を上げ、2010-11シーズンにはミラン7期ぶりのスクデット獲得(優勝)に貢献するなどメンタルも強い。(本人はシーズン後半に向け、調子のピークをあわせていると語っている。)
また、UEFAチャンピオンズリーグなどの大舞台にめっぽう強い。
戦術理解力が高く、中盤(MF)はほぼ全てのエリアをプレーでき、セカンド・ストライカーとしてもプレー出来る。

経歴

クラブ

アヤックス

1992年11月29日(1992-93シーズン)、エールディヴィジFCフローニンゲン戦でプロデビュー。
この時、わずか16歳と242日だった。
ファン・デル・サールライツィハーブリントライカールトロナルド・デ・ブールフランク・デ・ブールの兄弟、ダーヴィッツリトマネンクライファートフィニディ・ジョージオーフェルマルスなどアヤックス黄金時代の錚々たる顔ぶれがいた。このプロ最初のシーズンで、オランダ・カップを制覇する。
1994-95シーズンにレギュラーポジションを掴み、1995年5月24日、19歳にして一度目のUEFAチャンピオンズリーグを制覇。
相手は、後に所属することとなるACミランだった。この試合でも先発出場を果たし、後半9分にヌワンコ・カヌと交代している。

サンプドリア

1995年夏に、イタリア・セリエAサンプドリアへ移籍。
移籍初年度(1995-96シーズン)、若い年齢(19歳)ながら32試合に出場し3得点をあげている。
潜在能力の高さを証明しつつも、ホームシック、チーム低迷などの理由から本来の力を発揮出来ないまま、翌シーズンよりレアル・マドリードへ移籍することとなる。

レアル・マドリード

1996-97シーズンからは、レアル・マドリードでプレー。
弱冠20歳ながら、卓越した戦術眼、完成されたフィジカルを備えるセードルフがレアル・マドリードでレギュラーポジションを掴むのもごく自然な流れだった。リーグ戦全38試合に出場、6得点を記録しリ-グ優勝に貢献
1997-98シーズン、21歳で二度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を達成。トヨタ・カップも制し世界の頂点に君臨。
その後もチームの中心として活躍するが、
1999-2000シーズンの冬の移籍期間にて、チームメイトとの確執、チームの財政悪化などの理由から、インテルへと移籍する。

インテル

だがインテルに移籍すると、セードルフは徐々に輝きを失っていく。 控えの選手として苦しい時期を過ごし、代表でのポジションも絶対的なものではなくなってしまう。
2001-02シーズン、それでも後半戦に出場機会を得ると、目覚しい戦果を上げ復活をアピールした。

ACミラン

2002-03シーズン、フランチェスコ・ココとのトレードでライバルチームのACミランへ加入。
このシーズン、自身三度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を達成。(史上初の異なる三つのクラブでのチャンピオンズリーグ制覇)
2006-07シーズン、四度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を達成。この大会では、後にバロンドールを受賞することになるカカの活躍が取り上げられたが、セードルフ自身も随所に高パフォーマンスを披露している。準々決勝でのバイエルン・ミュンヘン戦では、相手ディフェンダーの股を抜いてのゴールと、フィリッポ・インザーギへ絶妙なヒールパスでアシスト。準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦でも、アレッサンドロ・ネスタのロングパスを頭で落とし、カカのゴールをアシスト。自身もネマニャ・ヴィディッチのプレスにもろともせずエドウィン・ファン・デル・サールの守るゴールに決めた。
2007-08シーズン、2007年12月にFIFAクラブワールドカップで来日。浦和レッズ戦では、カカのパスから決勝ゴールを決めた。
また同月、UEFAチャンピオンズリーグでは通算100試合出場を達成。
2008-09シーズンでは、怪我でアンドレア・ピルロが離脱したときにはレジスタとして中盤の底でプレーし、代役を務めるなど高いユーティリティ性を示した。
2010-11シーズン、序盤、自らのミスから失点の足がかりとなったり、不用意なパスミスなどで、ポジションをケヴィン=プリンス・ボアテングに奪われるなど限界がささやかれた。
しかし、終盤になるにつれパフォーマンスが向上。ミラノダービーでの圧巻のプレー、サンプドリア戦では、無回転のフリーキックを決めるなど、結果的にミラン7シーズンぶりとなるスクデット獲得に貢献。

オランダ代表

1994年12月14日、ルクセンブルク戦で代表デビュー。
しかし、チームの内紛など問題の多いオランダ代表にあって本来の力を発揮する事が出来ず、
1996年の欧州選手権では、自らのPK失敗によりチームも敗退。
1998年のワールドカップでは、4位という好成績に貢献しながらも大きなインパクトを残す事は出来なかった。
2002年のワールドカップでは、欧州予選敗退。
2006年のワールドカップでは、本大会出場に貢献したが、不可解なメンバー漏れを経験するなど不運が続いている。

代表でプレーする際にはエゴイスティックなプレーが多く、マルコ・ファン・バステン元オランダ代表監督に失格の烙印を押された。しかし2006年11月15日のイングランドとの親善試合で久しぶりに代表に招集され、試合では背番号"10"を着けて先発出場。好調なプレーとキャプテンシーを見せ、再びファン・バステンの信頼を得た。

エピソード

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1992-93 アヤックス エールディヴィジ 12 1
1993-94 アヤックス エールディヴィジ 19 4
1994-95 アヤックス エールディヴィジ 34 6
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1995-96 サンプドリア 17 セリエA 32 3
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1996-97 R・マドリード 10 プリメーラ 38 6
1997-98 R・マドリード 10 プリメーラ 36 6
1998-99 R・マドリード 10 プリメーラ 37 3
1999-00 R・マドリード 10 プリメーラ 10 0
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1999-00 インテル 14 セリエA 20 3 5 2
2000-01 インテル 10 セリエA 24 2 4 0
2001-02 インテル 10 セリエA 20 3 2 1
2002-03 ミラン 20 セリエA 29 4 3 2
2003-04 ミラン 20 セリエA 29 4 5 0
2004-05 ミラン 20 セリエA 32 5 4 1
2005-06 ミラン 20 セリエA 36 4 2 1
2006-07 ミラン 10 セリエA 32 7 7 5
2007-08 ミラン 10 セリエA 32 7 - -
2008-09 ミラン 10 セリエA 27 5
2009-10 ミラン 10 セリエA 29 5
2010-11 ミラン 10 セリエA
通算 オランダ エールディヴィジ 65 11
イタリア セリエA 254 34
スペイン プリメーラ 121 15
総通算
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFAUEFA EL
1992-93 アヤックス 3 0
1993-94 アヤックス 2 0
UEFAUEFA CL
1994-95 アヤックス 11 0
1997-98 R・マドリード 11 0
1998-99 R・マドリード 10 8 3
1999-00 R・マドリード 10 6 0
UEFAUEFA EL
2000-01 インテル 10 7 3
2001-02 インテル 10 10 0
UEFAUEFA CL
2002-03 ミラン 20 16 1
2003-04 ミラン 20 8 0
2004-05 ミラン 20 13 1
2005-06 ミラン 20 11 1
2006-07 ミラン 10 14 3
2007-08 ミラン 10 7 2
通算 UEFA 127 14

獲得タイトル

アヤックス時代

  • エールディビジ優勝 2回(1993-1994、1994-1995)
  • オランダ・カップ 1回(1992-1993)
  • オランダスーパーカップ 2回(1993年、1994年)
  • UEFAチャンピオンズリーグ優勝 1回(1994-1995)

レアル・マドリード時代

  • リーガエスパニョーラ優勝 1回(1996-1997)
  • スペインスーパーカップ 1回(1997年)
  • UEFAチャンピオンズリーグ優勝 1回(1997-1998)
  • トヨタカップ 1回(1998)

ACミラン時代