マルグリット・ド・フランス (1158-1197)
マルグリット・ド・フランス(Marguerite de France, 1158年 - 1197年)は、フランス王ルイ7世と2度目の妃コンスタンス・ド・カスティーユ(カスティーリャ王アルフォンソ7世の娘)の娘。フィリップ2世の異母姉に当たる。イングランド王妃、のちハンガリー王妃となった。英語名ではマーガレット・オブ・フランス(Margaret (Marguerite) of France)、ハンガリー語名ではマルギト(Margit)と呼ばれる。
母コンスタンスが死去し、父ルイ7世がアデル・ド・シャンパーニュと3度目の結婚をした1160年、マルグリットはイングランド王ヘンリー2世の嗣子ヘンリー(若ヘンリー)と結婚した。2人はかねてから婚約していたが、この年マルグリットは2歳、若ヘンリーは5歳であった。
1177年、若ヘンリーとの間に長男ウィリアムが生まれたが、早産で3日後に亡くなった。
1182年にウィリアム・マーシャルとの不倫が噂されたが、これは若ヘンリーがルイ7世の死(1180年)を機に世継ぎを生めない妻との結婚を解消しようとしたのではないか、もしくは若ヘンリーから絶大な信頼を得ていたマーシャルを妬んだ他の騎士の中傷によるものではないかという説がある。いずれにせよ翌1183年、若ヘンリーは死の床にマーシャルを呼び寄せ、自分の代わりに十字軍に参加するよう言い残して病死し、マルグリットは最初の夫との結婚生活を終えた。
3年後の1186年、マルグリットはハンガリー王ベーラ3世と再婚した。ベーラ3世との間には子は生まれず、1196年に2番目の夫とも死別、翌1197年に自身も死去した。
なお、マルグリットの同母妹アデル(アリス)は、若ヘンリーの弟リチャード1世の婚約者であったが、ヘンリー2世と関係を持ち、リチャードの即位後に婚約は解消している。