蛮書和解御用

江戸幕府の組織

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蛮書和解御用(蕃書和解御用、ばんしょわげごよう)は、1811年文化8年)に江戸幕府によって設置された蘭書を中心とした翻訳機関。幕府の遍暦・測量を司る天文方内に置かれた。「蛮(蕃)書和解御用掛」( - かかり)とも。

蛮書和解御用の後身にあたる「蕃書調所」跡

天文方高橋景保の提唱により設置され、大槻玄沢宇田川榕菴青地林宗など優秀な蘭学者が翻訳官に任命された。シーボルト事件後は、同じ天文方の山路諧孝彰常父子が引継いだ。 その後も、洋学所、蕃書調所、洋書調所と名を変えて存続し、現在の東京大学の起源の一つとなった。

関連項目