多元王朝説
多元王朝説は、古代および中世の日本列島には複数の王朝と大王が並立して存在したとする仮説である。 論拠は「その時代の日本列島は一つの統一王朝によって運営されていた。」という明確な記録がどの文献にも存在していない事、 そして、古代中国王朝側の文献からの歴史の記述に頼らざるを得ない点である。 主な提唱者は古田武彦である。「多元的古代史観」という用語もある。
九州王朝
天孫降臨として伝えられる出来事(BC2世紀)から、702年(670年、704年とする説もある)の間、筑紫に中国王朝に朝貢し、朝鮮半島に出兵した王朝があったとする。邪馬壱国(邪馬一国)や倭の五王、『隋書』「東夷伝」に記された俀国(俀国は倭国の誤記後刻ではなく、俀(タイ)国と考える)も九州王朝とする。磐井の乱や継体の乱はなかった、と最近主張されている。
近畿王朝
神武天皇は、実在したとする。神武天皇は福岡県の日向川のあたりから銅鐸の中心地である大和に東侵したとする。継体天皇の時に王朝交代があったとするが、応神天皇の時は王朝交代はなかったとしている。また、仁徳天皇の前に宇治天皇がいたとする。(播磨国風土記から)
関東王朝
稲荷山古墳の被葬者は関東に存在した王朝の「加多支鹵大王」に仕えていたとする。
東北王朝
和田家文書(主に東日流外三郡誌)から、九州王朝から逃げた安日彦の子孫による王朝があったとする。和田家文書にでてくる長脛彦は九州の豪族としている。ただし、古史古伝が根拠なので学会からは無視されている。
12年後差説
日本書紀の継体天皇から皇極天皇に関する記事は12年の誤差があるとする。聖徳太子や乙巳の変もこれによる。
書籍
- 古田武彦 『失われた日本』
- 古田武彦 『失われた九州王朝』
- 古田武彦 『多元的古代の成立』
参考
- 安本美典 『古代九州王朝はなかった』
- 安本美典 『虚妄(まぼろし)の九州王朝』
- 原田実 『幻想の多元的古代 万世一系イデオロギーの超克』