関・加治田合戦

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関・加治田合戦(せき・かじた合戦)は、1565年(永禄8年)8月から9月に長井道利佐藤忠能佐藤忠康加治田衆との間で行われた合戦である。

関・加治田合戦
戦争戦国時代 (日本)
年月日永禄8年(1565年)8月
場所美濃国中濃地域
結果加治田衆織田軍の勝利、斎藤軍(長井道利)の敗退
交戦勢力
加治田・織田連合軍 斎藤軍(長井勢)
指導者・指揮官
佐藤忠能佐藤忠康加治田衆織田信長斎藤利治など 長井道利井上道勝井上頼次大島光義その他(斎藤勢、遠藤勢)
戦力
1500~2000 2000~3000
損害
不明 不明

合戦の原因

堂洞合戦後、織田信長加治田城御殿屋敷に一泊し、加治田城下の町で討ち取った岸方の首実検を行った。それから犬山へ残っている部隊を連れて出発途中、関城から長井道利、岐阜から斎藤龍興が信長軍に襲い掛かり、手兵八百ばかりで、合戦は無理であった。ひろ野に退いて体制を整え、かかるように見せかけ、引取って鵜沼へ退いた。次の日、長井道利が加治田に攻め寄せる様子であったので、加治田方から連絡により、信長は急遽、斎藤利治を主将として、派遣した。

合戦内容

加治田城攻城戦

加治田方は、弓・鉄砲の者一千人を二手にわけ、西大手口絹丸へは斎藤利治と佐藤忠康の両大将でかため、裏の東北へ佐藤忠能が守備する。長井勢は一丸となって、加治田城の捨堀(現在の絹丸橋の北方)に押し寄せた。ここで両軍激戦となり、加治田城衣丸にて攻城戦が一進一退で繰り広げられた。

この激戦中、佐藤忠康は縦横に馬に乗って駆け回り指揮をとっていたが、敵の矢をうけ(大島光義の放った矢と伝わる)、討死し、加治田・織田連合軍の旗色が悪くなった。斎藤利治が指揮する槍隊が、敵の側面から一斉に突きかかる。その時、加治田勢より、湯銭讃岐と名乗り、単身槍を奮って長井勢に駆け入り突き崩し、そして、肥田瀬の川端しまで追いつめて味方を勝利にみちびき、大きい戦功をあげた。戦の後、斎藤利治は功名を賞して、自分の名の一字を与え、湯銭新六と名乗らせ、賞として刀を与え、一軍の将とした。

関城攻城戦

斎藤利治は、加治田城で人馬を休め、信長に対して、「この際関城を一挙に占領しないと後々まで美濃攻略のさまたげになるから、援軍を派遣されるよう。」申し上げた。信長は、その意見を直ちに実行し、急遽援軍を派遣する。9月に入り、関城の攻略にかかった。斎藤利治は湯銭新六を側近に、加治田衆を率いて、東から攻め、信長軍は南と西から砦の攻略にかかった。三方から同時に攻められ、長井道利は謀略と伏兵などで防いだが、遂に抗しきれず敗け関城を退去した。

参戦武将

加治田・織田連合軍

など

斎藤軍(関軍・長井軍)

合戦後

  • 加治田衆・織田軍は関城を占拠し、その後廃城にした。
  • 加治田城は、斎藤道三の近親であり、織田一門衆と濃姫の兄弟姉妹である斎藤利治を信長の命によって佐藤忠能の養子とし、美濃国要所である加治田城主となる。この合戦後、中濃地域は織田領地となり、道三の末子であり、美濃国譲り状を信長に渡した斎藤利治を道三の正式な美濃斎藤氏跡取りとして頭領とし、加治田衆・美濃国衆を味方につけ、信長の主力重臣の一人となって本能寺の変まで信長と共に活躍する。
  • 堂洞合戦、関・加治田合戦を勝利し、美濃国要所である加治田城の加治田衆を味方につけ、信長の美濃攻略は一挙に加速し、西美濃三人衆を寝返らせ、道三の美濃国譲り状を正式に受継ぐことになる。加治田城に信長が一泊した時、城下町と美濃国要所である加治田城を中心に中濃地域を味方につけたこともあり、これより「天下布武」の文字を使い始めたと伝わっている。

湯銭新六の活躍

  • この合戦で、湯銭新六の名は伝わり、加治田衆の槍の達人(槍豪)として恐れられ、この合戦後も槍を取ると向かう者無しと言われ活躍する。後に隠棲後、大島吉綱を弟子とし、槍術を教え、子に昔話を伝え述べたのが「永禄美濃軍記」へと記述される。

関連項目

資料

  • 「3 関・加治田合戦 堂洞軍記によると、関城主長井隼人正道利が八月二十九日に加治田に攻め寄せる様子であったので加治田方からの連絡により信長は急に斎藤新五を将として、兵五百をつけて派遣した。・・・(中略)・・・斎藤新五は加治田勢を率いて東から攻め、信長からの援軍は南と西から攻めた。この攻勢に長井隼人正も遂に敗け関城を捨てて落ち去った。それ以後関は廃城となり、可児郡兼山の支配下になった。兼山城は森武蔵守長可が城主となった。加治田城は道三の近親の斎藤新五が、信長の命によって佐藤紀伊守の養子となり城主をついだ。」(富加町史 第四節 信長の中濃侵攻と当地域の状勢 三 関・加治田合戦 四 関落城 より)

外部リンク