宮古市

岩手県の市

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宮古市(みやこし)は、岩手県三陸海岸に面する

みやこし ウィキデータを編集
宮古市
宮古市旗
宮古市章
 1942年6月20日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
市町村コード 03202-6
法人番号 6000020032026 ウィキデータを編集
面積 1,259.18km2
総人口 44,320[編集]
推計人口、2025年9月1日)
人口密度 35.2人/km2
隣接自治体 市部 :盛岡市花巻市遠野市
下閉伊郡岩泉町山田町
上閉伊郡大槌町
市の木 アカマツ
市の花 ハマギク
市の鳥
市の魚
ウミネコ
サケ
宮古市役所
市長 中村尚道
所在地 027-8501
岩手県宮古市新川町2番1号
宮古市役所(2009年10月撮影)
外部リンク 岩手県宮古市ホームページ

宮古市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト

本州最東端の地である魹ヶ崎を擁する。

地理

宮古市は、三陸におけるリアス式海岸の北端にあり、県庁所在地盛岡市より直線距離でおよそ90km東に位置する。2010年平成22年)1月市町村合併によって市の面積は696.82km²から1,259.89km²に拡大し、岩手県の市町村で最大の面積を有することとなった[1])。

市域中央部を西から東に閉伊川が貫流し、市街地のある宮古湾へと注いでいる。西部の川井地区は平地はほとんど無く、川沿いに人家が密集する地区が多い。周囲には早池峰山青松葉山がある。北部の新里地区には刈屋川が南へ流れ、茂市(もいち)で閉伊川に合流する。閉伊川と刈屋川に沿って、国道106号(旧・閉伊街道)と国道340号が並走する。市の南東部から北に向かって津軽石川が流れ、宮古湾に注いでいる。

 
宮古湾(ランドサット衛星画像

市街地を覆うように重茂半島が南から延び、宮古湾を形成している。重茂半島には、月山(標高455.9m)があり、市街地への見通しが良い関係から、テレビ・ラジオの中継塔が設置されている。山道口まではバスで行くことができる。太平洋に突き出る重茂地区の魹ヶ崎本州の最東端であり、観光協会が「本州最東端訪問証明書」を発行するなど「最東端の市」として観光にも力を入れている。南に隣接する山田町との境に位置する十二神山には、自衛隊の通信施設があるため、入山に制限が設けられている。

鼻曲がり鮭新巻鮭として正月に食される。

自然

隣接する自治体

cf. 岩手県の市町村全図 :≪外部リンク≫ 県内各市町村”. (公式ウェブサイト). 岩手県. 2011年5月14日閲覧。

地名の由来

地名の由来については様々な説がある。

通説の一つとして、横山八幡宮(在・宮古市宮町)の由緒では、阿波鳴門が大鳴動を起こし、怒涛逆巻く天変地異を起こした寛弘3年(1006年)、時の帝であった一条天皇はこれを鎮めようと全国に勅命し、多くの神官が応えようと試みるなか、横山の社の禰宜が日夜祈祷するうちに一首の和歌を天より授けられ、現地に赴いてこの歌を詠んだところ、見事に鎮まり、天皇より「都」と同訓異字の「宮古」を地名として賜ったという[2]瑞祥地名)。

歴史

陸の孤島、海の幸と災害

宮古は海岸の西にすぐ山地が峙えているため、平野部が狭く、また、周囲を山と海に囲まれているために「陸の孤島」になりやすく、古来、内陸からの物資輸送がとどこおることの多い土地柄であった。飢饉ともなると、この地理的制約がゆえに被害は周辺地域と比べてもひときわ大きなものとなった。僧・牧庵鞭牛に代表されるような、陸の孤島になりがちな当地の交通網の整備に尽力する人材が現れた江戸時代中期には、盛岡などとの往路の大規模整備を推し進められ、これらの功績は今もって賛えられている(cf. 閉伊街道など)。

宮古はまた、V字型のの両岸が奥に進むにつれて狭くなるリアス式海岸地形の特殊性によって津波の被害も大きく、明治以後も大規模な被害の出る津波が続いている(1896年明治三陸地震1933年昭和三陸地震2011年東日本大震災を参照のこと)。しかし当地は古より湊町・港湾都市の地勢であり、平時には海産物が人々の生活を支えてきた。

歴代の支配者

市内の遺跡からは、8世紀のものと見られる蕨手刀が出土しており、それまでは須賀君古麻比留のような蝦夷の有力者が地域を治めていたと考えられている。9世紀初めの征夷大将軍坂上田村麻呂や、文屋綿麻呂による蝦夷征伐は閉伊地方にも及んだ。
江戸期の盛岡藩の文書『奥南落穂集』には、平安時代奥州藤原氏の配下に「閉伊右衛門太郎武国」という武将の一族が居たと記している。
奥州藤原氏滅亡後は、鎌倉幕府御家人源氏を自称する閉伊氏が支配した。閉伊氏は同族での所領争いをしながらも鎌倉時代を通して支配し、建武の新政後は鎮守府将軍北畠顕家から所領を安堵されている。
閉伊氏は南北朝時代 (日本)には、北畠顕家に従い奥州武士団の一人として豊島河原合戦青野原の戦い石津の戦い足利尊氏らの軍勢と戦ったと考えられている。その後は北朝 (日本)側に転じ、奥州総大将石塔義房から閉伊氏(大沢氏)への軍勢催促状が残っている。
室町時代から戦国時代 (日本)にかけては南部氏の勢力が進出し、南部家の武将櫻庭光康らの攻撃を受けて閉伊氏系の一族は衰退していく。
豊臣秀吉から領地を安堵された南部信直は反乱分子であった九戸政実を倒して領内統治を進めていき、閉伊氏嫡流で当地の有力豪族だった田鎖氏らもこれに従った。閉伊地方の領地の一部は櫻庭、野田、楢山氏などの南部家の武将やその家臣に与えられ支配された。慶長年間には南部利直に任命された最初の宮古代官である小本助平正吉が派遣され、以後廃藩までの約260年の間、盛岡藩の統治下となる。

三閉伊一揆

 
宮古湾海戦の一場面を描いた挿絵
戊辰戦争当時の日本で唯一の装甲艦であった明治政府軍艦隊主力艦「CSS Stonewall」(東艦)を奪い取ろうと、蝦夷共和国軍艦隊旗艦「回天丸」(右手前)が接舷攻撃を試みる。

江戸時代末期には、東北地方最大の一揆である三閉伊一揆が勃発した。これは、盛岡藩の失政のツケを宮古を始めとする閉伊郡に対して重税を課して住民から搾取しようとしたことが直接の原因であり、話の流れ自体は平凡な一揆であったが、この場合、問題なのは規模であった。弘化4年(1847年)、圧制に耐えかねた一揆団は1万数千人という他に例を見ないほどの人数で盛岡城下に押しかけ、藩側に要求を呑ませた。ただし、藩側はのちにこの要求も破り、さらなる人数での一揆へと発展する。

宮古湾海戦

幕末から明治にかけての戊辰戦争においては、蝦夷地にて独立を図る榎本武揚土方歳三らの旧幕府軍艦隊(蝦夷共和国軍艦隊。総司令官:荒井郁之助。旗艦「回天丸」[艦長:甲賀源吾])が、宮古湾の鍬ヶ崎湊(くわがさきみなと。現在の宮古港の前身)に停泊する新政府軍艦隊の主力艦である装甲艦「CSS Stonewall (ストーンウォール[日本名:甲鉄艦]。1871年12月に「東艦」と改称)」を奪取すべくアボルダージュ(接舷攻撃)作戦を決行する、いわゆる、宮古湾海戦が勃発した[3]

年表

 
宮古市章
1942年6月20日制定
近世以前
近代以降
 
東北地方太平洋沖地震に伴い発生した津波によって甚大な被害を受けた田老地区で、観光ホテル付近の瓦礫を捜索する日本の救難捜索隊。アメリカ合衆国海兵隊による2011年3月15日の航空写真
 
同じく、津波によって壊滅した宮古市港町地区。陸に打ち揚げられたフェリー1隻と漁船2隻も見える。アメリカ合衆国海兵隊による3月20日の航空写真。
  • 2011年(平成23年)3月11日午後2時46分:東北地方太平洋沖地震が発生し、宮古市全域が震度5(茂市地区震度5強川井地区田老地区・五月町地区・長沢地区・鍬ヶ崎地区・門馬田代地区で震度5弱を観測)で被災[17][18]。さらに、この地震に伴って発生した大津波にも襲われ、沿岸部は壊滅的被害を負った[19]東日本大震災)。
    • 津波の高さは地震発生から約40分後の午後3時26分頃に襲来した第2波が最大で、8.5m以上(気象庁発表)[17]。遡上高(陸を駆け上って到達した高さ)は、重茂半島にある姉吉地区が全被災地中で最も高い38.9mに達していたことが東京海洋大学教授・岡安章夫(沿岸域工学)の調査で判明し、4月15日に公表された[20][21]。海岸線より400- 450m離れた重茂半島の姉吉漁港近くの山の斜面に津波で倒された木が発見されており、斜面を駆け上がった津波の遡上高において明治三陸地震1896年)で記録された気仙郡綾里村(現・大船渡市綾里地区。cf. 三陸町)の遡上高38.2mを日本の観測史上初めて上回った[20][21]。また、姉吉地区を流れる川の上流で津波によって海岸から流されたと見られる材木等が発見されていることから、実際の津波の到達点はさらに高い所であった可能性もある[21]。なお、田老地区小堀内漁港近くでも遡上高37.9mが確認されており[20][21]、日本最大規模を誇った防潮堤田老万里の長城)も破壊された[6] (a/b)。田老地区の死者・行方不明者数は5月15日の発表で200人弱[6]
    • 重茂半島にある姉吉地区では、漁港(姉吉漁港)から約800m内陸で海抜約60mの高所にある大津浪記念碑が津波から12世帯約40人の住民の命を守った。これは、「此処(ここ)より下に家を建てるな」と刻まれた先人訓に従って住民全員がそこよりも高い場所に居を構えていたからである。[22][23]
    • 3月11日午後2時46分:宮古市災害対策本部、設置[17]
    • 3月11日午後2時49分:市民5,277世帯・12,842人を対象に、市が避難指示を発令(避難者数:最大時8,889人)[17]
    • 3月16日:この時点で、死者157人、行方不明者1,658人(人口のおよそ4人に1人)、避難者8,836人[24]
    • 3月23日:この時点で、死者394人、行方不明者1,301人、避難者4,063人、住家約4,500棟全半壊[25]
    • 5月17日:この時点で、死者412人、行方不明者355人、避難者1,946人、住家全壊3,669棟(内、田老地区は1,609棟と特に被害甚大)・半壊1,006棟、公共施設全壊41箇所・半壊11箇所[26]

行政区域の変遷(市町村制施行以後)

cf. 宮古地方の大字小字名 :宮古の大字小字名”. みやこ百科事典@みやこわが町ミヤペディア(非公式ウェブサイト). タウン情報社. 2011年5月16日閲覧。
 
旧・宮古市、県内位置図
  • 1889年明治22年)4月1日東閉伊郡町村制が施行される。[注 1][注 2]
    • 宮古村と浦鍬ケ崎村(うらくわがさきむら)がそれぞれ単独で町制を施行し、宮古町と鍬ケ崎町(くわがさきちょう)が成立。
    • 旧制度の山口村・近内村(ちかないむら)・田代村が合併した上で村制を施行し、新生の山口村が成立。
    • 旧制度の千徳村(せんとくむら)・根市村(ねいちむら)・花原市村(けばらいちむら)が合併し、新生の千徳村が成立。
    • 旧制度の磯鶏村(そけいむら)・高浜村・金浜村(かねはまむら)・小山田村(こやまだむら)・八木沢村が合併し、新生の磯鶏村が成立。
    • 旧制度の崎山村と崎鍬ケ崎村(さきくわがさきむら)が合併し、新生の崎山村が成立。
    • 旧制度の津軽石村と赤前村(あかまえむら)が合併し、新生の津軽石村が成立。
    • 旧制度の重茂村(おもえむら)と音部村(おとべむら)が合併し、新生の重茂村が成立。
    • 旧制度の花輪村・老木村(ろうきむら)・田鎖村(たくさりむら)・松山村・長沢村が合併し、新生の花輪村が成立。
    • 旧制度の田老村(たろうむら)・乙部村(おとべむら)・末前村(すえまえむら)・摂待村(せったいむら)が合併し、新生の田老村が成立。
    • 旧制度の茂市村(もいちむら)・蟇目村(ひきめむら)・腹帯村(はらたいむら)が合併し、新生の茂市村が成立。
    • 旧制度の刈屋村と和井内村(わいないむら)が合併し、新生の刈屋村が成立。
  • 1889年(明治22年)4月1日:中閉伊郡町村制が施行される。
    • 旧制度の門馬村(かどまむら)・田代村・平津戸村(ひらつとむら)が合併し、新生の門馬村が成立。
    • 旧制度の小国村(こぐにむら)と江繋村(えつなぎむら)が合併し、新生の小国村が成立。
    • 旧制度の川井村・川内村(かわうちむら)・箱石村(はこいしむら)・片巣村(かたすむら)・夏屋村(なつやむら)・鈴久名村(すずくなむら)・古田村(ふったむら)が合併し、新生の川井村が成立。
  • 1889年(明治22年)3月29日:東閉伊郡・北閉伊郡中閉伊郡が合併し、下閉伊郡となる。
  • 1824年(明治43年)4月1日:宮古町と鍬ケ崎町が合併し、新生の宮古町が成立。
  • 1941年昭和16年)2月11日:宮古町山口村千徳村磯鶏村が合併した上で市制を施行し、宮古市が誕生する。
  • 1955年(昭和30年)4月1日:崎山村津軽石村重茂村花輪村編入する。
    • 1955年(昭和30年)7月1日:川井村、小国村、門馬村が合併し、新生の川井村が成立。
  • 2005年平成17年)6月6日:宮古市、田老町、新里村が合併した上で市制を施行し、新生の宮古市が成立。
  • 2010年(平成22年)1月1日:川井村を編入する。

行政

現市制下の歴代市長

姉妹都市・友好都市

日本国内
日本国外

人口

宮古市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 79,805人
1975年(昭和50年) 79,214人
1980年(昭和55年) 78,617人
1985年(昭和60年) 77,024人
1990年(平成2年) 72,538人
1995年(平成7年) 69,587人
2000年(平成12年) 66,986人
2005年(平成17年) 63,588人
2010年(平成22年) 59,430人
2015年(平成27年) 56,676人
2020年(令和2年) 50,369人
総務省統計局 国勢調査より


経済

産業

古来、水産業で栄え、特産品としては、シイタケワカメなどが挙げられる。

水産業

漁港:田老漁港と重茂漁港は第2種漁港、他は全て第1種漁港である。[注 3]

  • 田老地区の漁港
    • 小堀内漁港(こぼりない ぎょこう)[注 4]
    • 青野滝漁港(あおのたき ぎょこう)
    • 小港漁港(こみなと ぎょこう)
    • 田老漁港(たろう ぎょこう):田老地区の中心部にある、岩手県でも有数の漁港。周囲には田老の防潮堤が築かれ、津波防災において先進的な地域であったが、東日本大震災の津波は防ぎきれなかった[注 5]
    • 樫内漁港(かしない ぎょこう)
  • 宮古地区の漁港
    • 宿漁港(やど ぎょこう)
    • 日出島漁港(ひでしま ぎょこう)
    • 蛸の浜漁港(たこのはま ぎょこう):鍬ケ崎(くわがさき)平松に所在。宮古港(旧・鍬ケ崎湊)の基礎となった鍬ケ崎地区にあり、古くから磯漁業を行う。
    • 白浜漁港(しらはま ぎょこう)
    • 津軽石漁港(つがるいし ぎょこう):津軽石川が注ぐ宮古湾最奥部の、赤前地区・小堀内地区・堀内地区に所在。
  • 重茂地区の漁港
    • 浦の沢漁港(うらのさわ ぎょこう)
    • 仲組漁港(なかくみ ぎょこう)
    • 音部漁港(おとべ ぎょこう)
    • 重茂漁港(おもえ ぎょこう)
    • 姉吉漁港(あねよし ぎょこう)[注 6]
    • 千鶏漁港(ちけい ぎょこう)
    • 石浜漁港(いしはま ぎょこう)
    • 川代漁港(かわしろ ぎょこう)

郵便

  • 宮古郵便局日本郵便宮古支店併設)
  • 重茂郵便局
  • 津軽石郵便局
  • 鍬ヶ崎郵便局
  • 宮古日の出郵便局
  • 宮古市役所前郵便局
  • 宮古新町郵便局
  • 宮古田の神郵便局
  • 千徳郵便局
  • 磯鶏郵便局
  • 宮古小山田郵便局
  • 岩手花輪郵便局
  • 高浜簡易郵便局
  • 田老郵便局
  • 接待簡易郵便局
  • 新里郵便局
  • 刈屋郵便局
  • 和井内郵便局
  • 蟇目簡易郵便局
  • 腹帯簡易郵便局
  • 川井郵便局
  • 門馬郵便局
  • 小国郵便局
  • 陸中川内郵便局


学校

短期大学

高等学校


中学校

  • 宮古市立第一中学校
  • 宮古市立第二中学校
  • 宮古市立河南中学校
  • 宮古市立宮古西中学校
  • 宮古市立花輪中学校
  • 宮古市立津軽石中学校
  • 宮古市立重茂中学校
  • 宮古市立崎山中学校
  • 宮古市立田老第一中学校
  • 宮古市立田老第三中学校
  • 宮古市立新里中学校
  • 宮古市立川井中学校


小学校

  • 宮古市立宮古小学校
  • 宮古市立山口小学校
  • 宮古市立千徳小学校
  • 宮古市立磯鶏小学校
  • 宮古市立鍬ヶ崎小学校
  • 宮古市立愛宕小学校
  • 宮古市立花輪小学校
  • 宮古市立重茂小学校
  • 宮古市立千鶏小学校
  • 宮古市立藤原小学校
  • 宮古市立崎山小学校
  • 宮古市立高浜小学校
  • 宮古市立鵜磯小学校
  • 宮古市立津軽石小学校
  • 宮古市立赤前小学校
  • 宮古市立亀岳小学校
  • 宮古市立田老第一小学校
  • 宮古市立田老第三小学校
  • 宮古市立和井内小学校
  • 宮古市立刈屋小学校
  • 宮古市立茂市小学校
  • 宮古市立蟇目小学校
  • 宮古市立川井小学校
  • 宮古市立川井西小学校
  • 宮古市立小国小学校
  • 宮古市立江繋小学校
  • 宮古市立門馬小学校


特別支援学校

学校教育以外の施設

交通

鉄道

 
摂待駅津波に備えた堤防の役割を併せ持つ線路施設の一例である。東日本大震災の津波は海岸より1.2kmの内陸部にあるこの駅付近にまで押し寄せた。

東日本旅客鉄道(JR東日本)

三陸鉄道

都市間バス

路線バス

道路

高速道路

高規格幹線道路(一般国道自動車専用道路

地域高規格道路

一般国道

道の駅

都道府県道

主要地方道
一般県道

港湾

名所・旧跡・観光施設、等

景勝

 
浄土ヶ浜
 
本州最東端の碑と魹ヶ埼灯台
 
三王岩
陸中海岸国立公園の中心的な名勝1955年指定)。岩手県指定名勝(第1号)(1954年指定)であり、日本の白砂青松100選1987年)、および、かおり風景100選環境省2001年)の選定地[27]でもある[8]。浄土ヶ浜海水浴場については後述する。
森の巨人たち百選に「『森林浴の森』の木」名義で選定されている。cf.

旧跡

明治2年3月25日1869年5月6日)に起こった宮古湾海戦記念碑
1933年(昭和8年)の昭和三陸地震による津波の後で建てられた災害記念碑で、「此処より下に家を建てるな」との先人訓東日本大震災の津波から現地・姉吉地区の住民の命を守った。

観光施設・多目的施設

  • 海水浴場
  • 展示館など
    • 岩手県立水産科学館
    • 宮古市北上山地民俗資料館: cf.
    • 薬師塗漆工芸館
    • 西塔幸子記念館
    • 寄生木展示室(山口公民館)
  • みなとオアシスみやこ: cf.
    • シートピアなあど: cf.
  • 浄土ヶ浜マリンハウス
  • 浄土ヶ浜ターミナルビル
  • やまびこ産直館
  • 浄土ヶ浜レストハウス

他の名所・施設

ラサ工業宮古工場構内にある、日本で2番目に高い煙突(高さ160m)。小山田地区にある標高90mの山上に建ち、煙突本体と併せて250mの高さを誇る。1939年(昭和14年)6月の操業開始以来、長らく宮古のランドマークである。
田老地区の沖合いに建設された防潮堤cf.
  • 田老万里の長城
田老の防潮堤は時代を追って巨大かつ堅牢なものとなり、高さ10m[注 8]・長さ2.4kmにも及ぶに至り、中国万里の長城になぞらえて「田老万里の長城」「田老の万里の長城」などと雅称されるようになった。海側と陸側の2重構造になっている、日本最大規模の防潮堤であったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、地震直後に20m級の津波が押し寄せたため、海側に面した堤防の半分が崩壊した。

祭り

伝統芸能

宮古を舞台とした作品

映画
漫画

出身著名人

江戸時代
明治
大正
昭和

その他の関連事象

  • 義経北行伝説
三陸沿岸では古来、源義経の末路について、「平泉にて自刃したのは臣下のであって、義経自身は逃げ延び、沿岸を北上していった」と語り継がれてきた[31]cf. 源義経#不死伝説)。岩手県から青森県の沿岸にはこの言い伝えを残す寺社が多く存在し、史実はどうあれ、郷土史研究家の好奇心をくすぐる格好の材料となっている。
  • 目黒のさんま祭り
宮古市は、東京都品川区上大崎で1996年(平成8年)以来毎年9月開催される「目黒のさんま祭り」に、第4回に当たる1999年(平成11年)以降、水揚げされたサンマ数千匹を無償提供している[11](2007年は5千匹[32]、2008年は6千匹[33]、2009年・2010年は7千匹[34][35])。
  • 宮古列島の「宮古市」命名問題
2004年(平成16年)12月、沖縄県宮古列島の5市町村が合併する際に合併協議会では新たな市の名称を「宮古市」に決めたが、これを受けて岩手県の宮古市は同じ市名が存在すると混乱する点と事前に岩手県の宮古市への照会が無かったことから猛反発し、宮古列島の協議会に抗議した。その後、宮古列島では住民アンケートの結果、「宮古島市」を希望する意見が多かったため、協議会は「宮古島市」を採用した。cf. 宮古島市#合併の経緯

脚注

  1. ^ 宮古市(岩手県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年5月14日閲覧。
  2. ^ 川井村(下閉伊郡)(岩手県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年5月14日閲覧。
  3. ^ 漁港マップ”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月20日閲覧。
  4. ^ 小堀内漁港”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月20日閲覧。
  5. ^ 田老漁港”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月20日閲覧。
  6. ^ 姉吉漁港”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月20日閲覧。
  7. ^ 宮古街道”. いわての街道. 個人. 2011年5月20日閲覧。
  8. ^ 堤防そのものが10mではなく、海抜10m以上という意味である。

出典

  1. ^ 03 岩手県 - 合併及び境界確定等による市区町村の面積”. (公式ウェブサイト). 国土地理院. 2011年5月14日閲覧。
  2. ^ a b c 由緒記”. (公式ウェブサイト). 横山八幡宮. 2011年5月14日閲覧。
  3. ^ 戊辰戦争・宮古港海戦”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2010年10月17日). 2011年5月15日閲覧。
  4. ^ a b 国指定史跡 崎山貝塚”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2010年4月5日). 2011年5月14日閲覧。
  5. ^ a b c d e 宮古港について 歴史 (1/2)”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月18日閲覧。
  6. ^ a b c d “検証・大震災:砕かれた巨大防潮堤 (1) 高さ10メートル「長城」あっけなく”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年5月15日). http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/verification/news/20110515org00m040013000c.html 2011年5月15日閲覧。 
  7. ^ 図典 日本の市町村章 p32
  8. ^ a b c 浄土ヶ浜”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2011年1月5日). 2011年5月15日閲覧。
  9. ^ 陸中海岸国立公園の概要”. 生物多様性情報システム(公式ウェブサイト). 環境省. 2011年5月14日閲覧。
  10. ^ a b c 宮古港について 歴史 (2/2)”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月18日閲覧。
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関連項目

外部リンク

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