市原スポレクパーク

これはこのページの過去の版です。222.150.134.57 (会話) による 2011年11月17日 (木) 17:34個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (アクセス)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

市原スポレクパーク(いちはら-)は、千葉県市原市にあるサッカー競技施設。

本項目では建設を予定していた千葉県立球技場(ちばけんりつきゅうぎじょう)についても記述する。

概要

住所は市原市菊間775。サッカーの街として街おこしを目指す市原市が、千葉県と共に姉崎公園、八幡公園、ちはら台公園に続くサッカー施設として総事業費6億2000万円(うち1億2600万円は日本サッカー協会の「サッカーを中心としたスポーツ環境整備モデル事業」としての助成金)を投じて2005年にオープンさせた。愛称はいいでんパーク。市原スポレクパークが建設された土地は2002年に開かれたワールドカップ日韓大会の際に、日本の開催候補ベニュー15ヵ所の内の一つとして千葉県市原市に建設を予定していた球技専用スタジアム予定地であり、長らく放置されていた県有地の有効利用の面も持ち合わせている。

経緯

市原市のJR東日本内房線八幡宿駅近郊に、千葉県が土地を取得して48,500人収容、地上4階地下1階建ての「千葉県立球技場」を建設し、ワールドカップの試合に対応する他、市原市がホームタウンとなっているジェフユナイテッド市原(当時)も将来的に市原臨海競技場から移転する形で使用することも予定されていた。このスタジアムは着工する以前に計画が白紙になったため、正式な名称は決まっていなかったが、ジェフサポーター及び市原市民からは「県営スタジアム」又は「県スタ」と呼ばれた。以下断りの無い場合はこのスタジアムについては「県営スタジアム」と呼ぶ事にする。

しかし、1996年5月31日(現地)スイスでのFIFA理事会で、韓国との共同主催が決定。日本の開催候補地を10ヶ所に絞り込む必要が出たため調整が行われ、同年12月に開催地が決定したが、千葉県は落選し県営スタジアムの建設も見送られることになった。

その後暫くは、「運動広場」と称するただの原っぱとして市民に開放され、サッカーや野球などを楽しむ親子連れ等で賑わった。しかしジェフがホームタウンとしていた、市原臨海競技場がJ1で最も環境が悪いスタジアムの一つであった事から、サポーターサイドから県営スタジアムの建設を求める動きもあった。また元の地権者からも、千葉県、市原市に対して提供した土地の有効活用を求める声もあった。これに対して千葉県、市原市では財政的に厳しい事を理由として、県営スタジアムの代わりに、天然芝コートを何面か整備した運動公園の案を提示していた。これが現在の市原スポレクパークの原型である。

結局、長年の課題とされていたジェフユナイテッド市原のホームスタジアム問題は、2002年千葉市が蘇我地区にサッカー専用スタジアム(フクダ電子アリーナ)を建設する事で解決され、県営スタジアムは完全に過去の物となってしまった。県営スタジアムの予定地は千葉県や市原市の予定通り、市原スポレクパークとして整備され、2005年に完成した。

市原スポレクパークは千葉市からも近い(JR東日本 内房線浜野駅東口から徒歩23分 村田川を渡ってすぐ)ことから、ジェフサポーターの中にはトップチームの練習場を姉崎公園サッカー場から、ここへ移動する事を望んでいた者もいたが、結局ジェフユナイテッド市原・千葉ではトップチームの練習場、2009年にフクダ電子アリーナの近くのユナイテッドパークに移転した。現在、市原市辰巳台にある、辰巳台ユースと、サッカースクールを市原スポレクパークへ移転させる計画を持っている。

スペック

  • 天然芝コート3面
    • メインスタジアム
    • パークB - 第2グラウンド。スタジアムの構造自体は、メインスタジアム、Cグラウンドと全く同じ。
    • パークC - 第3グラウンド
  • 人工芝コート1面
    • パークD - 4つ目のスタジアム。天然芝のCグラウンドとの間は金網で区切られている。夜間照明施設を持つ。
  • クラブハウス(更衣室、談話室、シャワー室)
  • 災害時には地域防災拠点となる事が期待されている
  • 収容人数 200人(全席芝生席)
  • 得点板

アクセス

主な大会

外部リンク

座標: 北緯35度32分19秒 東経140度08分04秒 / 北緯35.538565度 東経140.13437度 / 35.538565; 140.13437